アグストヤラナの生徒たち

@Takaue_K

過日

第0話或いは序章-1 地図から消えた村

 赤い満月の夜。


 祭囃子の音がどぉん、どぉんと遠くで響いている。

 数え年で今年九つとなるアベル=バレスティンと一つ上のリティアナは、西南に広がるレジエン湖畔へ駆けている最中だった。


 かつて、神々が人たちと共に暮らしていたとされる時代があった。

 しかし不死により欲の尽きるところを知らなかった人々の愚かしさにいつしか愛想を尽かした創生神オルシオンは、妻や最初に生まれた子神たちとともに彼らを絶滅させようとした。

 一時期は絶滅寸前まで追い込まれた人々だが、オルシオンたちに対し人々を愛し反旗を翻した末の神ニアフロスたち六神との戦いでスダ・ザナ山脈が隆起、大陸を分断したとされている。山脈の東側ではそのとき創生神たちにより生み出された邪悪な種族が今も尚跋扈していると噂されてきた。


 それらも今は神話として語り継がれ、様々な小国が濫立しては小競り合いを起こして生まれては消えるということが頻発していた時代の話となる。

 北西から東南へと斜めに縦断するスダ・ザナ山脈、その北寄りの山裾にガデラーザという小国が存在していた。

 そこへ属する村の一つ――鳴雷月なるかみのつきの頭に行われる収穫祭で盛り上がろうとしていたブレイアの村の外れから、二人はこっそり抜け出てきたところだ。


 しばし駆けつづけたせいではぁはぁと息を弾ませるリティアナが指差したその先に、大人数人が手をつないでようやく届きそうな幹をした大きな紅苹果べにへいかの木が見えてくる。樹上に無数の果実が成っているのが遠目にも見えていたが、アベルの目には月明かりを受けたそれらがきらきらと金色の輝きを放っているように見えた。


「ほら、あれ!」


 先を急ぐリティアナの手が汗ばんで熱い。アベルの手もきっと同じことだろう。

 湖からの涼しい風が運ぶ草の香りが、服に染み付いた祭りの屋台から染み付いたあぶり肉の残り香を吹き消していく。


「本当に今からでいいのかな…?」


 不安げにつぶやいたアベルの独り言を聞き逃さなかったリティアナが、駆け足を緩めながら振り返る。


「間違いないわ、お母さんが教えてくれたんだもの! 『赤い満月の夜♪』ってね」


 リティアナがしっかりした声で諳んじる。


「えっと…つづきは、『赤い実食べよう 勇気があふれるから』だっけ?」


 遅れてようや息を整えたアベルが一拍おいて後をつづけた。


「そうそう。『青い水で潤そう 願いが届くから♪』、そして…」


 リティアナはにっこり微笑み、つづけるアベルに唱和した。ブレイアの村に代々伝わる恋の願いをかなえるためのまじない唄だそうで、かつて彼女の母親も試し、結果運命の出会いを果たしたのだそうな。


「「『湖のほとりで』!」」


 ちょうど木の元に着いた二人は周囲を見渡した。

 もう少しすれば例年通り、伝承をあてにして願掛けにくる若い恋人たちがちらほら現れるだろうが、祭りを早めに抜け出したおかげで他にはまだ誰もいない。


「さ、はじめましょ。ほら、あたしは実をとってくるからアベルは水を汲んでくる!」

「う、うん」


 そう言いながらさっそく木に取り付くリティアナ。

 一番低いところに成っている実ですら村で一番高い建物である教会の屋根より高い位置にあるが、アベルよりも木登りが得意なリティアナは臆することなくするするよじ登っていく。その見事な手管にしばし見惚れていたアベルも、彼女の姿が木陰で見えなくなったところで我に返ると言われたとおり湖のほとりに下り、手にした皮袋に水を汲んだ。夏の夜にも関わらず、澄んだ水がひんやりとした冷たさを袋伝いに伝えてくる。


「汲んだよ!」


 アベルがそう呼びかけると、すぐ返事が返ってきた。


「あたしも…よっ、ほっ! とぁっ!」


 リティアナは適当な枝へ足を絡めてぶら下がると、猫のようにくるりと回転しながら地面に降り立った。


「ほら、見て! どうこれ、すごいでしょ!」


 前掛けに一際大きく立派な実がひとつくるまれている。見事な戦利品を掲げてみせたリティアナは鼻高々だ。


「これくらい綺麗な実ならばっちり、きっと間違いなしよ!」

「そ、そうだね」


 躊躇うようなアベルの返答に、リティアナが上目遣いでにらんだ。


「何よアベル。まだ何か文句でもあるの?」

「そ、そういうわけじゃないけど…」

「…あたしとじゃ儀式するの、嫌?」

「え!?」


 ぶんぶんと慌ててアベルは頭を振った。


「そ、そんなことないよ!」

「なら何が嫌なのよ」


 口を尖らすリティアナに、アベルはおずおずと答える。


「僕たちにはその…まだ早いんじゃないかな、と思ってさ」


 アベルも、自分たちがこの儀式に来る若者ほどの年齢に達していないことは理解している。


「そんなこと無いわよ! 誰かを好きになるのは年齢とかじゃないってお母さんが言ってたもん!」


 リティアナが怒ったように答えた。


「…あたしはアベルとずっと一緒にいたい。アベルは?」


 しばらく答えにくそうにもじもじしていたアベルだったが、リティアナに軽くすねを蹴飛ばされて答えた。


「あいたっ! …ぼ、僕もだよ。だからまた蹴ろうとするのはやめてよ」


 その言葉に、リティアナは嬉しそうに破顔した。


「えへへ、良かった! さ、それじゃあ儀式をはじめましょ」


 リティアナの笑顔に、アベルももう迷わなかった。

 うなずくと、彼女と肩を並べて儀式に則り湖畔の小高い丘へ上がっていく。見晴らしのいいところに並んで腰掛けた二人はもう一度、ブレイアの村に伝わる唄をゆっくり口ずさんだ。


「『赤い実食べよう 勇気があふれるから』」


 静まり返った中、まずはリティアナから、そしてアベルへ。

 お互い手にした紅苹果の実を一口齧り、


「『青い水で潤そう 願いが届くから』」


 同じように皮袋の水を一口飲み干す。


「『ブレイア湖のほとりで』」

「『ブレイア湖のほとりで』」


 そこまで言い終えてからも二人はしばらく見詰め合っていたが、やがて耐えかねてリティアナが尋ねた。


「…あれぇ? これでいいのかな? 何も変わったことは起きてないみたいだけど」

「うーん?」


 アベルも首を捻る。


「なんかばーっと身体が光ったり、願いをかなえるとどっかから声がするとかないのかなー?」

「どうなんだろ…」


 晩熟おくてのアベルは元より、リティアナも所詮親から聞きかじった程度の知識しかないので確たる自信はない。それからも半時ほど様子を見ていた二人だが、やはり格別な変化は何も起こりそうになかった。


 さやさやと葉擦れの音をさせ、一陣の冷たい風が吹き抜ける。アベルの鼻がむずかった。


「へくしっ…もう帰らない?」

「…まだ」


 夜風に体が冷えきっているが、リティアナはまだ帰る気になれないようだ。

 退屈しきったアベルは気を紛らわそうと視線をさまよわせたが。


「ん? …あれ、何だろう?」


 猟師の祖父に育てられているアベルの目は遠目が利く。そんな彼が、ブレイアの異変を捕らえた。


 ちかちか、小さな赤い光が無数に瞬いている。


 一瞬祭りの灯りかと思ったが、アベルはすぐに違うと思い直した。

 村を出たとき、そんな大量の灯りは無かったはず。それに気付けば祭囃子の音はいつの間にか止んでいた。何より、本来ならもう何人かは人が来ていてもおかしくないはずだが、今尚誰も来る気配は無い。


 そこまで考えが至ったアベルはいやな予感を覚えた。


「ね、ねえリティアナ…」

「どうしたの?」

「もう戻ろう。何か…村の様子が変だよ」

「変って何がよ?」


 儀式の余韻にもっと浸りたいリティアナの苛立たしげな問いに、アベルは困り顔で首を振る。


「詳しいことは僕にもよくわかんないよ。ただ、ここからだとよく見えにくいけど、今までに見たことの無い小さな赤い点が沢山見えるんだ」


 リティアナはため息一つついて振り返り目を眇めるが、よく見えない。


「赤い点? 松明か何かじゃないの?」

「違う、絶対松明じゃない」


 アベルは今度は激しく首を振った。

 松明の明かりならば見慣れている、見間違いようは無い。頑ななアベルに、リティアナの方が折れた。


「…もう、判ったわよ。それじゃやることも済んだし、もどろっか」

 そういって差し伸ばされた手をアベルも握り返し、二人は元着た道を駆け出した。






 村に近づくに連れ、空が赤く染まっていく。


「…何…これ…?」


 村の入り口まで戻ってきたアベルとリティアナは、しばし呆然と立ち尽くしていた。


 いつも見慣れた村を彩っていたのは、屋台や家の瓦礫で踊る炎の赤と焼け焦げた匂い。

 かつては神が造りし箱庭と賞賛された、白色で揃えられた石造りの長閑な村は、今は破壊の限りを尽くされ廃墟の山と化していた。


 祭りの火が燃え盛り夜闇を赤々と染め上げている中、木霊するように無数の獣の吼え声があちこちで聞こえてくる。

 呆然としていた二人は傍から小さなうめき声によって現実に引き戻された。


「おじさん!?」


 声の主はリティアナの家の近所に住む食堂の親父さんだった。

 いつも大きな鍋を揮っていたたくましい腕は今や肩口から無残に食い千切られ、酒樽のように膨らんでいた腹部からと併せて流れる血がだくだくと地面に大きな血溜まりを作っている。

 いかな幼い二人でも、その怪我は死を連想させるに十分だった。


「何があったの?!」

「ぁあ…リティアナちゃん、か…」


 壁にもたれかかっていた彼は辛そうに目を開けると、消え入りそうな声でつづけた。


「山、犬…の……化獣ばけものの群れが、村を…君らも、逃げ…る、んだ…」


 そこまで言い残したところでおじさんの頭がかくり、と沈んでしまう。


「化獣…!」


 二人も、大人たちの噂話の中でその存在について聞いたことはあった。


 化獣は、野生動物などが魔素まその吹き溜まりに接触することで生まれる自然災害だ。

 魔素とはこの世のあらゆるものを構成する素とされるが、淀んだそれを取り込むと身体が著しく肥大化する。併せて食欲が旺盛に、かつ性格が著しく凶暴になり、動いている物を手当たり次第食らうようになるのだという。


「あっ」


 アベルは先ほど見た灯りの正体に気付いた。


 湖畔で見かけた赤い光、あれは化獣の目だったのだ。

 ならば、あの数から見て数十匹は襲ってきていることはまず確実だろう。顔を青ざめさせたアベルを見て、リティアナも彼の考えていることを理解した。


 当然化獣への警戒はブレイアの村でも行われていたが、それは生まれる特性上一匹、多くて二、三匹程度を想定したものに過ぎなかった。

 今回のような大量発生は想像すらされていない。


「まさか…」


 がらがらと瓦礫の崩れる音に混じってどこかから聞き覚えのある悲鳴が二人の耳に聞こえた。


「今の…お母さん?!」


 これまでの人生で聞いたことの無い、苦しみに溢れた声。アベルは他人のものだと信じたかったが、実の娘であるリティアナはそうもいかない。


「リティアナ?! だめだよそんなの、危ないよ!」


 傍に転がっていた短刀をリティアナが拾い上げたのを見て、アベルは彼女のしようとしていることを必死に止めようとするが。


「アベルはここで待ってて。すぐ戻るから」


 声を震わせながら、リティアナがはっきり答える。


「そんな!」


「大丈夫、お母さんを連れてくるだけだから。…お母さんが死んだりする訳、無いもん!」


 そういうと、リティアナはアベルの返事を待たず未だ火が燃え盛る村の中へ飛び込んでいった。後に残されたアベルはしばらくその場ですくみあがっていたが、やがてこちらも意を決し後を追った。


「リティアナ! リティアナ、どこ!? 待って、僕も行く!」


 通いなれた道のはずが、夜、しかもあちこちが崩れ燃え盛っているため幾度か行き惑う。その間アベルは幸運なことに化獣とは一度も遭遇しなかった。

 夥しい死体と瓦礫の山を通り抜け、家々の残骸を舐める炎から吹き付けられる熱気と煙に困憊しながらも、アベルは喉を限りに何度もリティアナの名を叫ぶ…が、轟々という耳鳴りに似た音に掻き消されて返事が無い。


 ようやくリティアナの家がある区画につづく角を曲がったとき、アベルは息を呑んだ。


 無造作に転がる幾つもの村人と化獣の死骸――その中心に、彼は立っていた。


 右頬を下から斜め上に向かって切り上げたような傷痕。胸元まで届く、黒く縮れた髭と無造作に伸ばされた蓬髪。巨岩熊の成獣のそれを髣髴とさせる太い右腕には、鮮血を滴らせたままの竜顔と爪を象った巨大な戦斧が握られている。黒い染みが幾つも付いている薄汚れた外套の下からは、隆々とした筋肉が荒い吐息に併せて動くのに伴い分厚い金属鎧が燠火の灯りをちろちろと鈍く反射していた。


 周囲の警戒をすばやく終えた男が戦斧を傍の地面に突き下ろすと、空いた右手を懐に差し入れる。子供の握り拳大の転送球を取り出し二言三言呟くと、球はその姿を解いて光の粒子へと転じ、戦斧を携え直した男の姿を包んでいく。


「あっ」


 その光で、極力動かさないようにしていた左腕に見覚えのある少女がぐったりと抱きかかえられていることにアベルは遅まきながら気づいた。

 綺麗な蒼に染められていたはずの彼女の筒型の服は赤黒く染まり、繊維に染み込め切れなかった血が力なく垂れ下がったままの左腕を伝って地面に血溜まりをつくっている。


 ほんの少しまで元気な姿でいたリティアナの変わり果てた姿を見て呆けたように立ちすくんでいたアベルだったが、男の全身が光に包まれるのを見ていやな予感を覚えた。


「リティアナを返せ!」


 彼が何者なのか、化獣と何か関わりがあるのかは判らない。今のアベルの脳裏にあるのは、リティアナが傷つき奪われようとしている――ただそれだけだった。

 我武者羅に飛び掛ったアベルの右手が何かを掴んだのと同時に、意表を突かれて反射的に腕を振るってしまった男の一撃が顔面に叩き込まれた。


「うぎゃっ」


 丁度引き抜いて手にしていた戦斧の重みを加えた衝撃に、アベルの小柄な身体はたまらず吹っ飛ばされてしまう。飛び掛ってきたのが化獣ではなく生存者だと気付いた男が慌てて向き直り口を開く…が、言葉が出るより先に彼の全身は抱えた少女もろとも光の粒子に溶け込み、消えてしまった。


「リ…ティ、アナ……」


 尚身を起こそうと肘をついたアベルだったが、それが限界だった。


 地面を転がる少年の右手は硬く握られたまま、意識は闇へと沈んでいく。

 手の内にあるのは、小さな銀の外套留め。

 真ん中に剣、左右に杖と槍の意匠が施されたそれは、アグストヤラナ軍学府の校章だった。


 そうしてこの日、小さいながらも平和な村ブレイアはフューリラウド大陸の地図上から消えた。

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