第18話

 火の勢いと爆音からして、おそらく蓄えられている火薬が爆発したのだろう。激しい火炎が夜の空を焦がしている。

 だが事態を把握する前に、さらに二度、大きな爆発が起こった。単なる不始末による火災ではないと感覚が告げた。暑いくらいの夜だというのに、なぜか身が震えた。

 周りを大勢の人々が駆け回っていく。

「反乱軍だ!」

 声が上がった。

 嘘だと思った。

 事態なら沈静化の方向へ進んでいるはずだった。しかもここは新リンハラ会社の拠点であり、最大規模の軍が駐留しているから大丈夫のはずだった。

 ようやく父のことを思い出す。まだ帰ってはいない。ならば兵舎にいるはずだ。

 爆発に巻き込まれたかもしれない。

 だとしてもどうしようもない。この状況で確認しにいけるはずもない。

 むしろ逃げなければ。そう思ったが、手足がすくんで動けなかった。

「逃げろ、逃げるんだ!」

 闇の中で顔は分からないが、誰かがボクに向かって叫んだ。

 そこでようやく事態がせっぱ詰まったところまで来ていることに気がついた。

 だが、とにかく駆け出そうとしたその刹那、銃声が続けて響き渡り、ボクに向かって叫んだ者が倒れた。

 撃たれたのだ。

 そう確信したとき、今度は数人の男たちが現れる。それぞれ銃を担いではいたが、簡易な布の服装からしてリンハラ会社の正規軍とは思えなかった。

 彼らはボクを見つけるとすぐさま駆け寄ってきた。

 それでもボクは恐怖は感じなかった。

 そのなかに見知った顔があったからだ。最近こそ疎遠になっていたが、幼い頃、もっとも仲のよかった現地の少年だった。

 向こうはすぐに気がついたのだろう。「あっ」と声をあげる。ボクも呼びかけようとした。

 だが彼は懐かしい表情など微塵もせず、他の男たちとともに、すぐさま銃口を向けてきた。

 彼がボクを躊躇なく殺そうとしたと覚ったのと、すぐ目の前に何か大きな固まりが飛んできたのはほぼ同時。飛んできた固まりが大きな木箱だと気がついたときには、連続して銃声が聞こえた。

 続いて何者かに抱きかかえられた時点でボクは意識を失った。


 気がついたときには、ボクはまったく別の場所にいた。

 まず視界に入ってきたのが夜の空だった。顔を傾けると、テントが並びあちらこちらで火が焚かれている。

 どこかの野営地のことだった。

 一気に記憶が戻る。ボクは死んだのか? 父はどうなったのか?

 跳ね起きると、隣にはシリカの老人が身じろぎもせず黙って座っていた。

「先生」

 声をかけたが武術家は黙っていた。腕組みをして怖い顔でじっと座っている。

 それ以上、何も聞けずにボクが黙っていると、一言だけ口を開いた。

「今は少し眠りなさい」

 そしてまた無言になった。


 翌日、ようやく詳しい事情をボクは知ることになった。

 新リンハラ会社は現地住民のゲリラから襲撃を受けたのだ。彼らは火薬庫から爆薬を盗んで兵舎を爆破し、混乱に乗じて大勢の兵士を射殺して逃げ去ったのだという。

 状況が収束に向かっていたことに加え、まさかもっとも兵士が多く駐屯しているこの場所が狙われるなどとは、まったく予想しておらず、警備が甘くなっていたのが、多大な損害を許してしまった原因のようだった。

 ボクはまさに殺される寸前のところを、駆けつけた武術家が手近にあった大きな木箱を蹴って銃弾から盾にし、そこを助けられたのだそうだ。もし駆けつけるのが一秒でも遅ければ、襲撃者たちによって、その場で蜂の巣にされていただろう。本当に運がよかったわけで、思い出すだけで身震いしてしまう。

 武術家は気絶したボクを抱きかかえてその場を抜け出し、少し離れた場所で訓練中だったこの別部隊が駐屯している野営地へと逃げ込んだのだ。

 武術家の話を聞いてすぐにこの別部隊は救援と迎撃へと向かったものの、襲撃者たちは適当に兵舎やその付近の住宅を荒らした後、こちらが到着する前には引き上げてしまった。

 幸いにもこの別部隊の隊長は知った人だった。

「父は、父はどうなったのですか?」

 だがボクの問いに、隊長は黙って俯いた。

 昨夜、兵舎にいた人間は、ほとんど爆発に巻き込まれてしまったのだという。父をはじめ、多くの社員や兵士が行方不明になっているが、おそらく全員、死亡したのだろうというのが隊長の見解だった。

 父は死んだものと納得できるまで十日がかかった。

「怨みは連鎖し膨れあがる」

 ようやく父の死を受け入れたボクに、武術家はそう言った。そして自分はシリカに帰るつもりだと告げた。

 彼を招いた人間も、父と同じくこの間の襲撃で亡くなったのだ。さらにこの襲撃以来、一時は沈静化していたと思われた現地人の反乱が再び増加傾向にあり、ここバンコル州でも治安は悪化するばかりだった。

「よかったら一緒にシリカに来ないか」

 武術家の誘いにボクはすぐさま同意した。

 別にシリカに行ってみたかったわけではない。だが今は一刻も早くこのリンハラの地を離れたいと思った。怨みを膨らませてしまいそうだったからだ。

 それに両親が死んでしまったからには収入もなく、生活に問題があった。父親の死亡一時金だけではすぐに底をついてしまうだろう。

 帰国も考えたが、まだどうしてもそんな気分にはなれず、今後のことで悩んでいたところへの提案だったのだ。

 船で三ヶ月以上を要し、東洋の各地を回りつつシリカに着いたときには、季節はすでに冬を迎えていた。武術家の住まいは、シリカでも南方の温暖な地だとはいえ、四季がなく年中暑いリンハラと比べれば遥かに気温は低い。父が報告のために本国へと戻るのは夏だったから、久々の冬の季節の体験だった。

 それでも体調を崩すことがなかったのは、若さに加え、ボクが新しもの好きで異国の地への順応性が高いからなのだろうか。やがて春を迎えた頃には、東洋の生活にも慣れていた。

 言葉の問題もあまり感じず、武術家の他の弟子とも知り合いが増えてゆき、このまま永住してもいいかとすら考えていた。

 だが安穏とした暮らしはすぐに潰えた。

 武術家が事件に巻き込まれ殺されてしまったのだ。直接、手を下したのはシリカの人間だが、事件の背景には三王国の商人同士によるいざこざがあった。

 仇を取ることもなく、弟子たちの多くは、別の武術家の弟子になったり、武術自体を止めてしまうなど、ちりぢりになってしまったのだ。

 異国人であるボクにとってシリカの地にはどこにも行く宛てがなかった。

 今度はもうユーリントに帰ろうと思った。いつの間にか故国が恋しくなっていた。

 そう決めると、ヤーパネ経由の船に乗り、一年をかけてボクはユーリントへと帰った。

 帰ったところで、それはそれで宛てはない。迷惑かもしれないが遠い親戚を訪ねていくか、何か適当な仕事を見つけるしかなかった。

 船を降りて、久しぶりの故郷の空気を吸いながら、ベンチに腰かけてそんなことを考えているとき、声をかけてきたのが取引所の理事長バーモンダル氏であったのだ。



「楽しくない話はここまでです」

 一段落ついてボクは深く息を吐き出した。懐かしくもあるが、嫌な思い出を一気に霧散させようとしたのだ。

 ミートパイもポットのティーもすべて片付いていた。

 アルフィアは膝の上で手を組んで黙って聞いていたが、話しが終わったところで、首を横に振った。

「ご両親が亡くなっているのに、このような言い方はなんですが、私にはとても興味深かった。生命の危険というのはまだ私には経験したことがないし、リルケットさんは本当にいろいろな体験をされたのですね」

「ええ。なので、ボクにとってはもう残りの人生などもう余白のようなものですよ」

 自嘲気味に笑ったが、それにはアルフィアは何も答えず、じっと見詰めるだけだった。

「あの、どうかしましたか」

 ボクが訊ねると、アルフィアははっとして、何かを言いかけた。だが言葉にはならず、代わりに彼女は立ち上がった。

「いいんです。それに遅くなってしまったからそろそろ帰らなくてはなりません」

 時計を見るとすでに七時を回っていた。

 あの誠実そうな執事も心配しているのだろう。

「この時間ですから、今日は馬車を掴まえた方がいいでしょう」

「そうします」

 そう答えると、アルフィアは華やいだ笑顔を見せた。

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