第10話

 通されたのは、南に面した窓の大きな部屋だった。

 アルフィアの応接室ということは、つまりは商会の支配人の応接室ということであり、商会にとって重要な商談が行われる場所なのだろう。以前はここで何度も巨額の取引がまとまったに違いないと、ボクは深く深呼吸をする。

 午前中に訪れたシェトラント宅の応接室よりふたまわりは広い。調度品もアンティーク調の重厚なもので、インテリアに飾られている白磁の壺が、豪華さに花を添えている。

 世話になったバーモンダル氏の応接室もなかなか豪華な造りだったが、この部屋はその上をいく、豪奢であることに遠慮のない部屋だった。

 改めてブラングリュード商会が、このユーリントで五本の指に入る穀物商であることを実感せざるを得ない。

「リルケットさまにはご迷惑をおかけいたします」

 ソファーに腰かけてしばらくの沈黙の後、立ってままのフルッツが口を開いた。

「このたびの件、私がバーモンダルさまにご相談いたしました」

「フルッツさんがですか?」

「私はこのブラングリュードさまのところで執事を務めるまでは、バーモンダルさまの元で働いていたのです。そのご縁を頼って、今回、ドラング商会とのことを申し上げました」

「なるほど」

 てっきりアルフィアが、直接、バーモンダル氏と面識があったのかと思っていたのだが、間にこの執事が入っていたのだ。

「そこでリルケットさまをご推薦いただいたのですが、本来はこうした企業間のもめ事は専門外だそうで、そんな仕事をさせてしまうこと、申し訳なく思っております」

 フルッツは両目を伏せる。その様子にボクはまじまじと眺めてしまう。

 背が高く、白髪交じりのグレーの髪を持つ人物である。卑屈ではないが、言動の端々にまで細やかな配慮がある人間だと、ここまでの僅かの時間でそう感じた。さすがは大商会の執事を務めているだけのことはある。

 だが、ドラング商会との確執からか、目元にはずいぶんと疲労の色がにじんでいた。

「あまり気になさらないでください。それよりもバーモンダルさんは何か言っていませんでしたか?」

「いえ、特にはなにもおっしゃいませんでした」

 だがすぐに、ああそういえば、と言葉を続けた。

「リルケットさまに対して、少し苦しんでみるのもよいだろうというようなことを言っておりました――いえ、これは」

 まるで自分がそんな台詞を言ってしまったように恐縮するフルッツに、ボクはまた、気にしていないと首を横に振った。

「ただそんなことを言っていたとは、専門外のボクを紹介したことも、やはりバーモンダルさんには何か思うところがあると考えていいのでしょう。恩人に言うのも何ですが、本当に喰えないお人です」

「そう言っていただけると気が楽になります」

 だが、これは逆にフルッツがボクを気遣ってのことだろう。口調とは裏腹にその表情は冴えなかった。

「もっとも、うちのお嬢さまもかなり勝ち気な性格でして、リルケットさまにご負担を賭けているのではないかと、その点も心配です」

「いえいえ。そのくらいでないとあの歳で商会の支配人など務まらないでしょう。ブラングリュードさんも大したものです」

 言葉には多少、社交辞令が含まれているが、本心である。アルフィアの依頼の内容自体は驚きと戸惑いはあった。だが、彼女との会話は楽しく、負担とはほど遠い。

「私を肴に盛り上がっているようですね」

 急に声がしてボクは驚いて振り返る。

 いつの間に来ていたのか、白いドレスを着たアルフィアの姿が部屋にあった。

 ゴホンと咳をしたフルッツが少し距離を置くのを待って、アルフィアはこちらへ近づく。

「これはどうも」

 慌てて立ちあがると、対面へと回り込むアルフィアに頭を下げる。

「いえ、冗談ですわ。ただファミリーネームでお呼びくださるのはちょっと。昨日も申し上げましたが、できればアルフィアとお呼びください」

「そうでした」

「ファミリーネームですと父が呼ばれているイメージが残っているものですから、比較してしまって重圧を感じてしまうのです」

 そう言って僅かに頬を赤くすると、お座りください、とボクを促した。

「ええっと、その――」

 ボクが口を開くと、アルフィアはクスリと微笑んだ。

「どうぞリラックスなさってください」

 これではいつもと逆である。本来ならばボクの方が顧客をリラックスさせなければならない立場なのだ。

 ただ本業とは違う依頼であることに加え、商会の支配人の応接室という雰囲気に、少なからず気圧されている。我ながら実に庶民的な感覚だ。

「昨日もお聞きしようと思ったのですが、リルケットさんはこのお仕事を始められて長いのですか?」

 何から話そうかと躊躇しているボクを気遣ってか、アルフィアが先に水を向けた。

「まだ一年です。それまでは二年ほどバーモンダルさんのところで経理をしていました」

「合わせて三年ですか。ではもうだいぶ慣れていらっしゃるのですね」

「いえ、経理と個人財形は仕事内容は似たところもあるのですが、業務に対する考え方がまったく違うんです。だからまだまだ駆け出しも同然ですよ」

 違うのですか、とアルフィアが興味深そうに身を乗り出した。

「個人財形は扱う範囲が幅広いですし、何よりまずリスクを管理するという視点が大切です」

 シェトラント氏ともそうであったが、まだまだ個人財形相談という仕事は人口に膾炙していないこともあって、まずは仕事への理解をしてもらうことから話が始まるのは仕方のないことだった。

 依頼を受けて一晩考えたが、いずれにしても、今のブラングリュード商会が抱える問題に関しては、ボクが直接、どうこうできることはほとんどないだろう。だが、彼女らの個人的な資産運用のアドバイスくらいはできるはずだ。それこそ商会が破綻してしまっても、もしかするとここでのアドバイスが、いつかなんらかの役に立つかもしれない。

「失礼します」

 これまでに行ってきた仕事を例を挙げながら、リスクの管理について説明していると、声がして部屋の扉がノックされた。

 すぐにフルッツが扉へと向かい開ける。ゴロゴロと車輪の音がして、マノがワゴンを押して入ってきた。

「コーヒーをお持ちしました」

 マノの手で薄手の磁器のコーヒーカップがテーブルに二客、スムーズに並べられる。そこにシルバーのポットからコーヒーが注がれた。

「どうぞお召し上がりください」

 アルフィアに促されるまま、ボクはカップを取って口に運ぶ。

 普段はティー派とはいえ、濃厚な香りだけでもそこいらいのコーヒーハウスでは味うことができないような、鮮度のよい上質なコーヒーだということは理解できた。それにカップもポットもかなり高価なものに違いない。

 それに淹れ方にも力が込められているのだろう。コクもすばらしいが、苦さと酸味も最高のバランスだった。

「いかがでしょうか?」

 ボクが一口飲んだところでマノが訊ねる。

 感じたとおりの印象を述べると、マノは嬉しそうに笑顔を見せた。

「申し訳ありません、リルケットさま。このマノは、お客さまにコーヒーを淹れるのに、それこそ生命を賭けておりまして」

「いえ、こちらもこのように美味しいコーヒーをいただけて嬉しいですよ」

 あわてて頭を下げるフルッツに、ボクはかえって恐縮してしまう。

「マノのコーヒーは他の方にも評判がよろしいので、私も鼻が高いのです」

 リルケットさんにもお気に召されたようでよかった、とアルフィアもカップを口に運んだ。

 その様子を眺めながら、ボクは息をつく。

 短い時間ではあるが、ここまでフルッツとマノのふたりからは、使用人にありがちな底意地の悪さが感じられない。フルッツからは誠実さが、マノからは性格の素直さが伺える。

 以前、仕事で訪れた先で、意地悪な使用人にわざと取り次いでもらえず、ひどい目に遭った経験もあるが、ブラングリュード商会ではそんな出来事とは無縁のようだ。

 それに、これは先代の支配人が鷹揚な性格だったのではなかろうか。ねじ曲がった使用人が多いところには、主人もまた、ねじ曲がった人間が多いのだ。

 おそらくフルッツとマノにもドラングの手は伸びたのだろう。だが、このふたりに限って、金銭に転ばなかった。これはふたりの人格を示すと共に、アルフィアの資質を示すのにも重要な事実だった。

 そして、彼女にとってドラングの攻撃は不幸な出来事であるが、一方で、身の回りで信用できる人間を自ずと選抜させたともいえるだろう。

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