第8話

「その前にもうひとつ、絶対に忘れないでほしいのが、リスクが低くリターンが高い商品はまず存在しないということです」

 世の中の金融商品は、基本的にハイリスクハイリターンかローリスクローリターンである。利回りがいい商品は危険度も高い。

 その一方で、悪質ではあるが、ハイリスクローリターンの商品もある。

 本来、ローリスクハイリターンの商品など、まずあり得ないのだ。

 危険は少ないのにとても儲かります――などと謳われている商品には絶対に近づくべきではないのだ。

 古の昔から言われていることでもあるし、少し考えればわかりそうなものなのだが、存外、人間というものは目先に利益をぶら下げられると判断がつかなくなるのだ。

「できる限り、ボクのお客さまにはそうした商品にひっかかってもらいたくないのです」

 これは善意だけでなく、もしもボクの知らないところで顧客がこうした悪質な商品を購入して資産を失ってしまえば、もう個人財形相談は必要がなくなる。ボクは顧客を失うことになるのだ。

 いくら余白の人生とはいえ、生活費が圧迫されれば困るわけで、可能な限り、それは避けたいことでもあった。

「肝に銘じておこう」

「ありがとうございます」

「なになに。実はね――」

 ちょっと恥ずかしそうな顔をしてシュトラント氏は笑うと身体を揺すった。

「最初は心配したんだよ、こんな若い人で大丈夫なのかとね」

「やはり心配されましたか」

「うむ。だがバーモンダル氏の推薦でもあったし、どんな若者かちょっと試してやるかという気持ちもあったのだよ」

「合格でしたか?」

 そう尋ねるとシュトラント氏は大げさに身体を揺すって笑った。

「もちろんだ」

「もう、あなたったらリルケットさんに悪いわ」

 そう言う夫人だったが特に悪びれた様子もなく、やはり表情をほころばせた。

「ではボクはどうやらお眼鏡にはかなったようですね」

「そういうことだな」

「それはよかった」

 ボクもまた笑顔を見せたのだが、それ以上にこの夫婦が仲が良いのに安堵した。

 この仕事で困るのが、家族間の仲が険悪なことだ。個人財形とはいっても、実際には個人ではなく家族で財布を供用していることもあって、家族単位で物事を考えて計画を立てる必要がある。

 だが家族とはいえど、将来や金銭に対する考え方は異なるのが一般的だ。仕事に疲れ地方に土地を買って質素だが悠々自適な老後を送りたい夫と、これからが人生を楽しまなければと都会でそれなりの暮らしをしたい妻。財産を残すと共に家業を継いで欲しい親と、他所で仕事を見つけた子供。こうした考え方の相違は、家族で話し合って意見をすり合わせてもらわなければ、財形計画を立てることもできない。

 もちろんボクも話し合いを取り持ったりもするのだが、親子間や夫婦間など、溝が深ければ深いほど、仕事に差し支えが出るのだ。

 シェトラント家の場合、家庭に関しては夫人の力が強いようだが、意見の相違があった際に、夫婦間でうまく話し合いをして調整をすることが難しくなさそうなのがありがたい。

 さらに言えば、仕事のことを抜きにしても、仲の悪い家庭に関与するのは、ボク自身が気持ちのよいものではなかった。

「ああ、先ほどの話に喩えると、まさにリルケットくんに依頼したのは、ハイリスクハイリターンというわけだな」

 少し得意げにシェトラント氏が言う。

「若いというのは経験も実績も少ない。熟練した人物よりリスクが高いということだな。しかし逆にこれまでの常識にとらわれない思わぬ発想ができたり、新しいことにチャレンジできたりもするのだ。海軍時代の教訓さ」

 自分も若い頃はいろいろとやったがね、と茶目っ気たっぷりに片眼をつむった。

 重厚な軍人らしい外見とは裏腹に、案外、無邪気な人格も持ち合わせているようだった。

「さて、今日のご説明の前に用意してきたものなんですが――」

 どうやら場はすっかり和んだようで、そろそろ本題へと入ることにした。

 足下に置いた鞄を取り上げて開けると、そこから二枚の紙を取り出す。

「どうぞご覧ください」

 そう言って夫妻にそれぞれ一枚ずつ手渡す。

「なにかねこれは?」

「現在のシェトラントさんの資産と、年金と債券の利子などの収入、それから保険などの支出をわかる範囲で一ヶ月単位で二十年ほどまとめてみました」

「ほほう」

 シェトラント氏が胸のポケットから眼鏡を出してかける。おそらく老眼鏡だろう。少し紙を離して眺めている。

「今はまあこんなものだなという感じで見てくだされば結構です。これを元にしてお話を進めますので。それからもう一枚――」

 今度は一枚、別の紙を取り出してテーブルの上にひろげた。

「こちらは先日、伺った話から考えた、資産の配分の試案です」

 先に渡した表と合わせて、昨夜、苦心して作成したものである。なるべく目を引きやすいように、色インクを何色か使用して目を引くようにしただけあって、夫妻はさっとテーブルに身を乗り出した。

「あれこれ配分を考えたのですが、シェトラントさんの資産の現状を考えますとこのくらいの配分が良いのではないのかと思います。まず三十パーセントは銀行への預金です。つまりリスクが低く、いつでも出し入れができるものですね」

 夫妻は紙に視線を落としたまま黙って首を振った。

「それから三十パーセントで国債を購入してみてはいかがでしょうか。多少リスクは伴いますが、幸いなことに我が国は小さな問題は多々ありますが、政治経済共に世界でもトップクラスの安定度を誇りますから、よほどのことが起こらない限りは紙切れになってしまう恐れとは無縁でしょう。そもそもそんな自体が起こった日には、通貨自体が大混乱を起こしかねませんから、預金と危険の度合いはそれほど変わらないでしょうね」

 ただ預金と違って利回りは良いですが、いつでも引き出せるわけではないという点が違います、と付け加えた。

「それから十パーセントを保険に関する見直しに使うのがいいと思います。これは後で詳しくご説明するのですが、シェトラントさんが退役されたこともありますし、加入している保険で過剰なものと不足しているものがあります。ですので、その見直しを提案したいのですが、その際に使うお金として十パーセントほどを当てたいと考えています」

「保険の見直しかね。海軍時代は軍に任せっぱなしだった」

 ため息をシェトラント氏がつく。

「それはまた説明しますのでご安心を。それで最後に二十パーセントを株式に投資されてみることをお勧めします」

「やはり株かね」

「はい。預金や国債だけではそれほど利益は見込まれません。ですのでリスクは高いですが、シェトラントさんの財産形成の計画に株式を組み込んでみてはと考えています。ただ当面の生活に問題が生じてはいけませんので、二十パーセント程度が適当だと思います。損をしても仕方がない――仕方がないという言い方には語弊がありますが、損失が出ても許容できる範囲ということですね」

「しかしさっきも言ったとおり私らはお金のことにはとんと弱くてね。だから株なんかになれば、もうさっぱりだ」

 手にしていた最初の紙をテーブルに置くと、シェトラント氏は腕組みをしてしまった。

 海軍で過ごしてきた一般の人間にとって、財形に関してそう知識があるはずもなく、だからこそボクの仕事もあるのだが、最初から苦手だと切って捨てられてはやはり困るのだ。ボクの仕事はあくまでも相談を受けて計画を立てることであって、アドバイスはできるが決断をするのは顧客自身である。だからあまりに財形に関心が無くてはスムーズにやり取りが進まなくなってしまう。

 ともかく今は難しくないと意識させることが大切だった。

 ボクはシェトラント氏に向き直ると、大丈夫です、と強く言い切った。

「ご興味があることや、知識や経験がある分野と関係した事業を行っている会社に注目すればいいのです」

「ほう」

「たとえば、シェトラントさんは海軍の軍人だったということなので、海運関連の会社でしたら、これまでの知識が役に立つこともあるかと思います。最初のうちは、この会社のは航行技術にすぐれているとか、そんなことから考えられても構いません」

「なるほど」

 それならば自分にもできそうだと言うシェトラント氏から視線を外す。

 あえて言わなかったが、軍人であれば、本当は海運ではなく軍事産業の方がわかりやすいだろう。ただボク個人の問題としてあまりこの方面の会社への投資を推奨したくはなかったこともあって、意図的に外したのだ。

 それに退役軍人の中には軍事方面の話を極端に厭がる人もいる。

 ただそれでも決めるのは顧客であって、投資先の情報としてはやはり提供しておくべきかと躊躇していると、急にシェトラント氏が頓狂な声をあげた。

「ああ、そっちはダメだな」

「そっち?」

「海運関連だ」

「どうしてですか」

「海賊が出るんだよ」

「海賊――」

 つい復唱のような形で応じてしまった。

「そうなんだ。私掠船というのは知っているだろう」

 ボクは黙って軽く肯く。

 私掠船とは、つまり国家お墨付きの海賊だ。その昔、当時、戦力で劣る我が国が、個人所有の船舶――露骨に言えば海賊に、公認の免状を与え敵対国の商船を襲わせたのがきっかけだった。苦肉の策ではあったのだが、かなりの効果があったことで、他の国々も似たようなことを行っているのである。

 ただ最近では各国が航路の安全に力を入れるようになったこともあって、自然と私掠船自体が珍しいものになってはいた。

「どうやら背後にエーベルラントが動いているようでね。最近、我が国の商船が何隻か襲われたと、昔の部下が言っておったのだよ」

 そのうちに退治されるだろうがね、とシェトラント氏は豪快に笑ったが、ボクはふと思い当たることがあり、なんだか落ち着かなくなった。

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