第4話
ボクは一通り読み終わると、心の中でひとつため息をついた。
「バーモンダルさんからの紹介ではお断りするわけにもいきません。専門外ですが、私でよろしければお引き受けいたします」
「あ、ありがとうございます」
硬かったアルフィアの表情が、ぱっと華やいだ。
彼女の変化は嬉しかったが実のところ複雑な感情だ。
やはり本業とは異なる依頼であることが不安な材料だった。一応は経済全般に渡って学んだとはいえ、知識の中心は個人の保険や資産運用である。ブラングリュード商会は穀物商を営んでいるというが、ボクにとって実際の商売に対しては、知識も経験も、それこそ素人に毛が生えた程度でしかない。業務に限って言えばアルフィア本人や商会の人間の方が遥かに詳しいだろう。
そしてもうひとつ。これはボク個人の単なる感情ではあるが、リンハラでの体験から、大規模な商会など、莫大な金銭を持って他人から利益を吸い上げるような人々に対して、反感を抱いている。ブラングリュード商会がどのような経営をしているのかはわからないし、ここまでのアルフィアの態度からして、不誠実な商売をしているとは思えない。それでも、植民地を食い物にしているような会社の阿漕なやり方を見ていると、素直に依頼を受ける気分にはなれなかった。
とはいえバーモンダル氏への恩がある。それに南洋開発会社の倒産で今後の収入が不安になったことで、今は仕事を選んでいるわけにもいかないという焦りもあった。
「あの――リルケットさん、ずいぶんお若いんですね。こういったお仕事をされている方ってもっと歳の多い人だと思っていました」
ボクが依頼を引き受けたことで緊張がほぐれたのだろう。アルフィアの声は先ほどまでとは違い、ずいぶんと和らいで落ち着きがあった。
「ええ、今年でまだ二十一歳です。同業者では最年少ですね」
不安ですか、と少し意地悪な問いかけをしてみる。
「いえ、バーモンダルさんがご推薦された方ですし、逆にお若い方でこうして仕事をなされているというのは優秀な方だと思います。それに私と年齢が近いことで少し安心しました」
「そうですね。もっともボクもそうですが、アルフィアさんもその若さで商会の支配人とはかなり珍しいと思うのですが、お年は――いや、失礼。仕事柄、相手の個人情報を確認するのが癖になっていまして」
「その点なら気になさらないでください。リルケットさんより三歳下の十八歳です」
「十八ですか。それはお若い」
「ええ。周りは死んだ父親と同世代かそれよりもお年の方がほとんどですから、なかなかお話があわなくて。ですからリルケットさんの年齢が近くて嬉しいのです」
こちらもそうですと言おうとして、うまく言葉が出なかった。アルフィアはしっかりと眼を見据えて話をするので、こんな台詞を言われると、なんだか恥ずかしい。
動揺を表情に出さないように、ボクは返事の代わりに目だけで笑った。
間を持たせるために、ティーカップに手を伸ばす。ティーを一口、喉に流しながらそっとアルフィアを観察する。
あまり上質とはいえないソファーに彼女は背筋を伸ばして座っている。最初は固く拳がつくられていた両手も、今は指先が伸びてそっと膝の上に交差して置かれていた。
思い詰めた様子は薄れていて、むしろ凜とした表情に代わっている。大きな商会の娘として、行儀作法が行き届いたご令嬢という雰囲気だ。
こうして向かい合って座っているのは、個人的には決して悪くないひとときなのだが、いつまでもこうしているわけにもいかない。
それはそうと、と切り出して、ボクはアルフィアと同じように背筋を伸ばした。
「そろそろ本題へ入りましょうか」
ティーカップをテーブルに置く。
「よろしければブラングリュード商会のことからお話しいただけますか。どうもボクは具体的なユーリントの経済界には疎いモノですから」
「我が家――ブラングリュード商会は私の曾祖父がこのユーリントでパンの販売を始めたのが事業を起こしたきっかけです。祖父の代にパンから小麦へ、そして穀物全般へと商売を拡げ、私が言うのもなんですが、今ではユーリントの穀物商でも十本の指に入る大手にまで成長しました」
「そんなに大きく商いをされているのですか」
「その代わり取り扱っているのは穀物のみです。最近ではジャガイモや豆なども扱っていますが、九割が小麦ですね。最近は他の同業者の皆さんは、綿などもっと儲かりそうなところに投資もしていますが、うちは本業のみです」
「取引先は?」
「ユーリントを就寝に国内のパン屋や食料品店への卸が中心です。昔は個人への小売りもしていたそうですが、古くからのお得意様も増えたことで、おかげさまで今は卸だけで間に合っていますね」
そうですかと相づちを打ったところで、ボクは首をひねった。
どうも話しぶりからして商売自体はうまくいっているようだ。
アルフィアの年齢からみた先入観から、彼女が跡を継いだものの、商売のことがわからず経営が成り立たなくなったのだと考えていたのだが、どうやら間違いらしい。
ボクが疑問を口にすると、アルフィアはすぐその意を汲んで答えてくれた。
「私はまだ若いですが、小さい頃からよく父に商売のことをいろいろと教え込まれましたし、取引先の方々も面識がありましたので、代替わりはすんなりといきました。それこそ最初の一ヶ月ほどは、父が亡くなったことや、まだ若い私が跡を継いだことへの同情から、私どもに有利な条件で取引をしてくださる方もあって、むしろ売り上げはよかったのです」
「そこに問題が起こったということですか」
「はい。リルケットさんはドラング商会の支配人であるパッセル・ドラングという男をご存じでしょうか」
「パッセル・ドラング――」
知らない名前だった。そもそも金融や保険以外の業界については、ボクの知識は多くのユーリント市民と同レベルでしかない。
そう言うとアルフィアは、設立してまだ間もない商会です、と説明した。
「パッセル・ドラングは、若い頃に新リンハラ会社の社員としてリンハラに渡り、そこで財をなしたという話です。近々、政府でも問題になっているように、あまり芳しくない方法で大金を稼いだのでしょう。その資金を元手にユーリントへ戻ってドラング商会という貿易会社を立ち上げ経営しています」
植民地の開発会社、特に事実上、政府のリンハラ経営の代理ともいえる新リンハラ会社の社員には、赴任中に現地の太守などに便宜を図ったり、現地の住民から不当に税を搾取して、多大な金銭を得ている人間は少なくない。むしろ、そのようなやり方で稼ぐのが目的で、開発会社の社員になって、はるばる海を越え遠いリンハラへと渡るのである。
そんな彼らを三王国の一般市民は「リンハラ成金」呼ぶ。少しの羨望と多大な侮蔑の入り交じった言葉だ。実際、彼らは植民地であまり公にできないようなことをして財を成していることから、そう呼ばれても仕方のないところではあった。
政府が問題にしているのは、元々、国策として設立された新リンハラ会社には、国家予算が少なからず投入されているからである。政府が出資しているというのに、勝手に社員が私腹を肥やし、利益が国庫に還元されないのは問題だという声が、既に多くの政治家からあがり始めていた。
ならば出資を減らすなり、規制を厳しくするなり、不正を取り締まるなり方法もあるのだが、事はそう簡単ではない。
多くのリンハラ成金にとって、ユーリントへ戻ってからは地方に土地を購入し、その土地から上がる収益で、悠々自適の生活を送るのが夢である。なかには地方の名士として議員になった者も多数おり、そんな彼らが新リンハラ会社の権益を手放すような法案に賛成するはずもなく、問題が叫ばれながらも解決の見込みは立っていない。
ただリンハラ成金は、積極的に新事業を起こすような、金銭的な野心を燃やす者はあまりいない。リンハラでの殖財に励みすぎた反動なのかもしれないが、帰国してからはおとなしく安定した生活を望むのである。地方に土地を買い名士になることは願っても、懐具合にはもう満足しているのかもしれなかった。
比べてみれば、ドラングという男はリンハラ成金には珍しいタイプだ。
「そのドラング氏がアルフィアさんの悩みの元凶ということですか?」
言葉の端々に刺を感じ、ボクは素直にそう訊ねた。
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