金貨と銀貨の感情論
白町弱夏
序章 寓話
第1話
金貨と銀貨を産むガチョウの寓話を知っているだろうか。
ところによってこの話は、産むのは金の卵であったり、ガチョウでなくニワトリだったりするが、大抵は次のような内容だ。
ある男が、毎日、一枚ずつ金貨と銀貨を産むガチョウを飼っていた。男はこの金貨と銀貨だけで生計を立てていたという。そんなある日、男に魔が差した。一日に金貨と銀貨が一枚ずつでは、暮らしには困らないものの贅沢をすることはできない。だが、このガチョウの腹の中にはまだ産んでいない金貨と銀貨が詰まっているのではないかと。
そこで男はガチョウの腹を割いてみたが、腹の中には金貨も銀貨もなく、せっかくのガチョウも死んでしまったという。
もちろん創り話であるのは言うまでもない。本当にそんなガチョウがいたら、学者や新聞記者やらが押しかけてきて大変な騒ぎになるだろう。そもそも別に内容の真偽を取り上げるつもりでこの話をしたわけではないのだ。
ボクがしたいのはこの寓話に秘められたリスクに対する考え方である。
この寓話の意味は、欲をかきすぎてはいけないという教訓だと、一般的には言われている。教会では、司祭がたまにこの寓話を喩えに出し、神妙な口調でそう教え諭すこともある。
だが、人の欲望とモラルについてはともかく、寓話の中での男の採った行動は、本当に間違っていたのだろうか。
もちろんガチョウの腹を割くのはかなり分の悪い賭けで、これはギャンブルである。実際、寓話では男は賭けに負けてしまった。
とはいえ、じゃあこのまま男はガチョウを飼い続けていたらどうだろう。
リスクという観点から考えれば、腹を割くよりはこのまま毎日、ガチョウが金貨と銀貨を産むのを待っていた方が遥かに無難である。つまりはリスクが低いという意味だ。
ただしガチョウが永遠に金貨と銀貨を産み続けるかどうかはわからない。病気になるかもしれないし、なんの前触れもなく金貨と銀貨を産まなくなる可能性だってある。
それこそ噂を聞きつけた盗賊が男の家にガチョウを盗みに入るかもしれない。
つまりなにもしなければリスクは低いが、決して数値はゼロではないということだ。
このリスクの管理について考えるのがボクの仕事である。
いや仕事であるのだが、自分のこととなると人間というものは、冷静な判断ができなくなるのを忘れてはいけない。
ある日から、ボクの金貨と銀貨を産むガチョウは、貨幣を産まないガチョウとなった。
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