第3話 怪物の独壇場

 U―15のゲームではなかなかお目にかかれないほど見事な暁平からのロングフィードが、右タッチラインいっぱいに開いていた衛田へと綺麗に通ったことで、鬼島中学のイレブンにおいて攻撃へのスイッチが入った。

 すぐさま衛田は前を向き、そのまま敵陣深くまでサイドをえぐっていく。

 サッカーにおいて攻撃は諸刃の剣でもある。チーム全体が前掛かりになっている状況で不用意にボールを失えば、待っているのは強烈なカウンターだ。かといって自陣に閉じこもっていては得点など望むべくもない。

 チームとしての重心をどこに置き、どう戦うか。それはひとつの哲学ともいえるテーマだった。世界規模の人気を誇るビッグクラブであれ田舎町の小さなクラブであれ、そのテーマと向き合って己のスタンスを確立させなければならない。


 鬼島中学サッカー部は「できるだけリスクを避ける」戦い方を選んでいた。基本とするフォーメーションは4―3―2―1、真上から見た選手の並び方から別名クリスマスツリーとも呼ばれる、中盤での攻防それもやや守備面に重きを置いた陣形だ。

 何よりも勝利がすべて。チームの中心である暁平のそんな意向が反映されているのは事実だった。

 この試合も姫ヶ瀬FCジュニアユースにあえてボールを持たせ、その上で中盤やサイドでいなすように相手のチャンスの芽を摘み取っていく。センターバックの暁平は巧みにディフェンスラインをコントロールすることでリスク管理を徹底し、意図してソリッドな展開へと持ちこんでいた。

 それでもサッカーがあくまで得点数を競うゲームである以上、多少のリスクを負ってでも得点を狙いにいくべきシチュエーションは当然ある。

 今がそのタイミングだ、とピッチ上にいる鬼島中学の選手たちは理解していた。暁平による敵陣へ突き刺すようなロングフィードに込められた意志を受けとり、一斉に攻勢へと転じる。カウンター・アタック。


「衛田くん!」


 単独で突っこんだ衛田をフォローすべく、三人いるセンターハーフの真ん中である筧が近くに寄っていく。

 すぐさま衛田は筧へとボールを預ける。小柄ではあるが精度の高いパスでゲームを組み立てていく筧に対するチームメイトの信頼は厚い。ピッチ上の鬼島中学のメンバーのなか、唯一の三年生である衛田にしてもそれは同様だった。

 衛田からのパスを筧はワンタッチで捌いた。ペナルティアーク付近にいる五味へのくさびとなるパスだ。

 衛田と並んでワントップの背後にポジションをとる新入生の五味は、暁平と同じく鬼島少年少女蹴球団の出身で、旺盛な闘争心と優れたテクニックが魅力的なプレイヤーである。ドリブルを武器とするのもあって非常にゴールへの意識が強い。このときもボールを受けるやいなや、前を向いて独力で仕掛けていこうとする。

 だがさすがに姫ヶ瀬FCの守備陣もそうやすやすとは突破を許さない。腕にキャプテンマークを巻くボランチの6番が激しく五味のチェックにくる。ファウルも辞さず、という厳しさの伝わってくるプレーに、ディフェンスラインを押し上げている暁平もつい感心してしまう。


「やっぱりあいつ、いい選手だな」


 暁平の見立てでは、姫ヶ瀬FCのキーとなるプレイヤーは三人いた。

 フォワードの久我は当然として、もう一人がこの6番だ。ボールを奪い取る能力、試合の流れを読む目、どちらも卓越したものがあった。

 そしてあと一人、背番号1をつける手足の長いゴールキーパーが大きな壁として鬼島中学の前に立ちはだかっている。姫ヶ瀬FCのアタックは暁平が中心となって完全に抑えこんでいるものの、守備網を攻略するにはまだ至っていない。

 6番に体を寄せられた五味がボールをこぼした。慌ててルーズボールに駆け寄った五味はバックパスで暁平にまでボールを戻す。

 右でだめなら、とばかりに今度はタッチライン際を駆け上がっていた左サイドバックの要に暁平がミドルパスを送る。強いパスを難なくトラップで足下に収めた要はそのまま大きく蹴りだしてエンドラインへと全速力で突っこんでいく。とことん縦、縦、縦と攻めていくのが要のプレースタイルだ。その攻撃的なプレーぶりに、普段のおどおどした様子は欠片も見当たらない。

 当然、姫ヶ瀬FCのディフェンダーもついてきていた。相手をかわすため要は急ブレーキをかけ、右足のアウトサイドでボールを切り返す。そこまでは相手も対応してきたが、要がすかさず右足のインサイドで再びボールをエンドライン付近にまで持ちこむと逆をとられて一瞬振り切られてしまった。

 その隙を要は見逃さない。ペナルティエリア内でポジション争いをしながら待ち受けているフォワードの畠山目掛けて左足で鋭いクロスを放った。

 チームでも暁平と並ぶ長身の畠山は、相手センターバックとの空中戦に競り勝ってボールを流すように頭で捉える。が、ゴール枠内に飛んだヘディングシュートをキーパーが左手一本で弾き返した。

 ペナルティエリアの少し外、右サイドでボールを拾った衛田は無理せず後ろにいた右サイドバックの千舟にパスをする。千舟から右センターハーフの安永、安永から筧、筧から左センターハーフの井上、そしてまた筧。ワンタッチないしはツータッチで、ボールは姫ヶ瀬FC陣内をピンボールのように目まぐるしく行き交っていく。

 スタメンのほとんどが鬼島少年少女蹴球団からのメンバーであり、要や五味ら新一年生は、先輩である暁平に誘われて秋頃から早くも練習に参加していた。なのでお互いのリズムや癖はとうに熟知している。

 だからこそボールを失うことなく一貫して主導権を握り、相手を攻めたてるサッカーもやろうと思えば鬼島中学には可能なのだ。暁平を筆頭としてピッチ上の全員がそれだけのテクニックを持っていた。あくまで失点を避けることを重視しているため、ディフェンシブなスタイルを選んでいるにすぎない。


 とうとう姫ヶ瀬FCは久我も含めて全員が守備に回っていた。そこまで人数が揃っていては、フィールドを三等分したうちの相手ゴールまでの残り三分の一、アタッキングサードと呼ばれるエリアに鬼島中学もなかなか入っていけないでいる。

 姫ヶ瀬FCは各人がそれぞれの相手をみるマンマークではなく、エリアをみるゾーンディフェンスだ。整然と敷かれたディフェンス網は後方から前線まで圧縮されており、スペースと呼べるほどの隙間がなかなか見当たらない。

 サッカーの本質とはつまるところスペースを作り、消され、また作ることの繰り返しにあるというのが暁平の考え方だった。スペースの生成は絶えず水面に浮かびあがる小さな泡のごとく、あっという間に消えてしまってはまた次の瞬間には別の場所に新しいスペースが生まれている。

 たとえ姫ヶ瀬FCジュニアユースが相手であれ、わずかなスペースさえあれば自分ならどうにかできる。そんな不遜といってもいい確信が暁平にはあった。

 何度目の組み立て直しになるだろうか。鬼島中学フィールドプレーヤーの最後方、センターラインやや手前で暁平がボールを受けた。これまでならワンタッチ、もしくはツータッチでテンポよく配球していたが、このときは違った。長い足を生かした大きなストライドで、ボールを保持した暁平がそのまま上がっていく。


「スペースがないのなら作ればいいさ」


 そう言わんばかりの暁平のドリブルを止めようと、まずは猛然とフォワードの久我が突っかかってきた。しかし暁平は闘牛士を思わせる軽やかなステップで体を触れさせることなく抜き去ってしまう。ボールは足の裏に吸いついているかのように離れない。

 ぴんと伸びた背筋も美しく、暁平はエレガントに姫ヶ瀬FCのディフェンス網へと侵入していく。迎え撃つ姫ヶ瀬FCとしても対応を迫られる場面だ。二人がかりで暁平を止めにかかる。後ろからは抜かれた久我がなおも追いすがってくる。

 暁平の狙い通りだった。これで姫ヶ瀬FCの守備には歪みが表れ、スペースの創出を許してしまった。

 三人の敵を引きつけた暁平が、空いた中央のスペースにポジションをとっていた筧へ満を持して右足のアウトサイドでマイナス気味にパスを出す。ボールを受けた筧をこのままフリーにはしておけない姫ヶ瀬FCとしては、誰かがチェックにいかなければならない。そしてまた別の場所にスペースができる。

 このとき、空白となっていたペナルティアークに走り込んできたのは衛田だった。そのタイミングを筧は見逃さず、柔らかい浮き球でラストパスを送る。

 だが前を向いてトラップした衛田にまたしても6番が立ちはだかった。絶対にシュートを打たすまいという気迫を漲らせて彼は体を張る。

 6番に足ごとボールを刈り取られたような形となった衛田はそのまま勢いよく転倒してしまう。その瞬間、主審のホイッスルが吹かれた。


「PKか!」


 鬼島中学のイレブンは色めきたつ。

 しかし主審が指差したのはペナルティエリアの中ではなく、残念ながらわずかに外となる場所だ。それでも前半終了間際にフリーキックのチャンスは得た。

 6番にはイエローカードが出され、緊迫感とともに双方の選手が姫ヶ瀬FC側のペナルティエリア付近へと集まってくる。

 暁平がフリーキックの位置にやってきたとき、そこにいたのは左利きの衛田と右利きの筧だった。左足でも右足でもここからなら狙うことができる。


「おれがとったんだし、蹴らせてくれないか榛名」


 まず衛田が切りだした。

 続けて筧も意見を出す。


「キョウくん、どうしよう。ぼくのシュートはスピードがいまいちだから、あのキーパー、友近さんは全国レベルだし通用しないと思う。だからここは強いボールを蹴れる二人のどちらかに任せたいんだけど」


 そう言って筧は暁平と衛田の顔を交互に見比べた。

 暁平の心はすでに決まっていた。


「衛田くん、悪いがここはおれが蹴る。この場面はどうしても得点がほしい」


「自分なら決められるってか。相変わらずすごい自信だな」


 ふふん、と笑いながら衛田が言う。


「ま、実際おまえの方が確率は高いだろうし、仕方ない。おれは2点目で我慢するよ」


 キッカーを決めた三人はそこから細かい手筈を整えていく。

 9メートルとちょっと離れた場所には、姫ヶ瀬FCの選手たち六人が壁を作って待ち受けている。この壁とキーパー友近をどう攻略するか。

 暁平にはひとつのアイデアがあった。その内容を二人に伝え、了解した衛田と筧はそれぞれの持ち場についた。衛田はボールのすぐ側に、筧はボールから少し距離を空けて左の位置に。そして暁平は筧からやや下がった位置に陣取った。


 ピーッと主審の笛が鳴る。

 すぐさま衛田は筧に優しいパスを出し、受けた筧は右足で押さえつけるようにしてボールをその場にしっかりと止め、急いで後ろへと身を退く。

 そこへ助走をとっていた暁平が一歩、二歩、三歩と駆けてきて、右足を振り抜きシュートを放つ。軸足まで宙に浮くほどの強烈なインパクトだった。

 浮きあがるように弧を描いた弾道は姫ヶ瀬FCの壁の横をあっという間に抜け、飛びついたキーパー友近の長い手もかいくぐり、ゴール左上の隅に突き刺さった。

 待望の先制点がスコアボードに刻まれる。

 ゴールの瞬間を見届けた暁平は「おれが王だ」とでも言うように、手の平を上にして両腕を大きく横に広げた。

 そんな暁平を目掛けて、歓声をあげながらチームメイトたちが飛び込んできた。暁平の周りには祝福の輪ができている。


「さすがキョウちゃん!」


「なんつーシュート!」


「まるでクーマン!」


 口々に好き勝手なことを言いながらみんなで暁平の頭をはたいて喜んでいた。


「おら、まだ前半は終わっちゃいねーんだ。さっさとポジションに戻れって」


 解散解散、と暁平に促された鬼島中学の選手たちはにこやかにピッチの持ち場へと向かっていく。

 暁平自身もセンターバックの位置まで駆け足で戻ってきた。先ほどの輪に加わることなくすぐ守備の態勢を整えていた政信が、わずかに相好を崩して出迎えてくれる。


「ナイッシュ。この点を本職できっちり守り切らないとな」


 あまり上手くないウインクで暁平も応えた。


「あとはゲームを殺すだけだ」


 ことあるごとに暁平は口癖のように言う。観ていて面白いサッカー、楽しいサッカーなどと持て囃されていても勝つことができなければ何の意味もない、と。

 正々堂々と戦って、そして勝つ。勝ち続ける。そのためにはエンターテインメント性など不要だった。

 いったんリードしたならばゲームからスリリングさを奪い、タイムアップを待つための単調なただの作業に変えてしまうことに暁平はまるでためらいを持たない。

 勝利こそがすべてなのだから。

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