018
「パパ、ママ。アタシ、新しいカレシが出来たわ。いや、厳密にはまだ違うけど、結婚を前提にお付き合いしたいって」
平坂は両親が眠る墓に向かって手を合わせながら、近況を報告する。
ここは西新宿7丁目にある墓地だ。ビルに囲まれているせいか、まるで新宿全体が巨大な墓場のように見える。
「なかなかイケメンだし、夢があって素敵だし、年下だけど、イケメンだし。こんな時代じゃアこのチャンスを逃したら、マトモに話せる相手なんて二度と見つからなそうだし。まァとりあえず、付き合ってみてもいいかなって思ってる。……まだオチンチンは見せてもらってないけど。結局怖気づいて逃げちゃった。いや、マジなんであんなアホなコト口走っちゃったんだろアタシ。全然アタシらしくない。昔のアタシだったらゼッタイ――って、こんなコト親に話すようなコトでもなかったね。うわァ、超ハズカシイ! ウソウソ今のナシ! オチンチン見せろなんて言ってないから! このアタシがそんな卑猥な要求するワケないし! ……オホン、まァとにかく、あなたたちの娘は元気でやってます。だからよけいな心配しないで、どうか安らかに眠ってください。以上!」
よみがえってはじめての墓参りを終えると、平坂は無人タクシーでアステリオス製薬のビルへ移動した。2週間に一度の定期検査を受けるためだ。平坂に施された治療はなにぶんヒトに施されたのは初めてなので、慎重に経過観察する必要があるらしい。ようするに、人体実験はまだ終わっていないというワケだ。
血液検査など基本的なものをひととおりに加えて、平坂の50年遅れた知識では何を調べているのか想像もつかないような最新鋭の装置で、穴が開くかと思ったほどカラダの隅から隅まで診られた。
それから、カンタンな体力測定もおこなったが、どうも昔よりかなり力が強くなっているようだ。なんと握力が100kg超。筋肉量は増えていないハズだから、おそらく脳のリミッターが上手く機能していないのだろう。あと、痛覚がいくらか鈍くなっているようだ。再生治療の副作用には違いないだろうが、具体的な原因は今のところ不明としか言いようがない。
最後に問診を終えて、饗庭博士はカルテを書きながら、「そろそろ問題ないとは思うが、一応、例の胃腸薬をあと2週間分出しておこう。君とてデートの最中に下痢はゴメンだろう? せっかく出来た恋人を幻滅させたくあるまい」
「エッ? どうしてアタシにカレシが出来たって知ってるんですか?」
「ほほーう、ナルホドナルホド、もしや女性という可能性も捨てきれなかったが、フツーにオトコが相手だったか」
「……博士、もしかしてカマかけました?」
「元刑事のわりにうかつだね君は」
そうは言うが、表情筋のリハビリはいまだまったく効果が出ていない。平坂の顔面は今も、永久凍土のように固まっている。
「いくら顔には出ないとはいえ、さすがにわかるとも。今にもスキップし出しそうなくらい、足取りが軽かったからね。それに声色もどことなく明るい。誰がどう見ても恋するオトメだ」
「ウソ――そんなにあからさまでしたか? アタシ」
「アレでホントに隠せていると思っていたなら、今すぐ再検査が必要かもしれんよ。まるで無声映画の喜劇俳優みたいだったからなァ」
「マジですか。うわ、ハズカシイ」
平坂が浮かれるのもムリはない。あのあと電話で話して、平坂は自分の抱える事情をすべて伝えた。その上で、彼は受け入れてくれたのである。そんな相手には、なかなか巡り会えるものではないだろう。
饗庭はいかにもわざとらしく、「いやはや、しかし君のような無愛想な女性を選ぶ物好きがいたとは!」
「先生、言っていいジョークと悪いジョークがありますよ」
「これは失敬。わかりやすいと言っておいて何だが、やはり君の感情はわかりにくい。今後も伝えたい気持ちはチャント言葉にして、教えてくれたまえ。しかし、君の恋人が物好きだと言ったのはけっしてジョークではなく、本心からだよ。何も今の時代にかぎらず、男というのは仏頂面の女性よりも、笑顔の素敵な女性を好むものだ」
「でもアタシのカレは、今のままのアタシが好きだって言ってくれましたよ?」
「そんなものは、言葉のアヤというヤツだ。男はどんなにクールで無表情が似合う美女だろうと、結局は笑った顔が見たくなるものなのさ。……ええっと、ホラ、なんと言ったか? 大昔に流行ったロボットアニメで、そんなカンジのシーンがあっただろう?」
「“笑えば、いいと思うよ”」
「そうそう、ソレだ。だから、もし無表情のままの女性を愛する人間がいるとしたら、それこそあの〈
「まっさかァ! 小説の世界じゃあるまいし、現実でそんな偶然あるワケないでしょ」
饗庭は破顔一笑しつつ、「“事実は小説よりも奇なり”というが?」
「“文学はつねに人生を予想する。文学は人生を模写するのではなく、その目的に応じて人生を形成するのだ。”とも言いますね。だけど、いくらなんでもアリエナイですって。さすがにありえそうもないっていうか、いったいどのくらい可能性があると思います? 殺人鬼がアタシに惚れる偶然なんて。――アレ? 待てよ。よくよく考えてみたら、アタシを使ってオトリ捜査するって手もあるわね。アタシったら、どうしてそんなカンタンなコトに気がつかなかったのかしら。あとで黄泉に会ったら提案してみましょうか」
「あまり感心はしないが。君はまだ永い眠りから目覚めたばかりなのだから、ムリは禁物だ。それと私個人としては、せっかく手に入れた貴重な被験体を失いたくはない」
真顔でそう告げる饗庭が本気でそう言っているのかどうか、平坂にも判断がつかなかった。彼の目からは、実験室のモルモットを眺めるような冷たさではなく、わが子を慈しむ父親に似た愛情を感じる。少なくとも、平坂を単なる被験体とは思っていないのではないか。当初はうさんくさいと思っていたのが、今では主治医としてそれなりに信頼しているのも、その暖かみのある視線のせいと言っても過言ではない。
「少々言い過ぎたが、誤解しないでくれ。昔の笑顔さえ取り戻せれば、君は文句なしに魅力的だ。君のような賢い女性と知り合えて、私もうれしく思う」
診察室を出ると、外で黄泉が電子書籍を読みながら待っていた。日本3大SF作家の1人、筒井康隆の『ビアンカ・オーバースタディ』だ。最近の作家はおもしろくないというので、平坂から先日オススメしてみた作品である。ふと気がついたが、彼女が大江に対してあんなハレンチな要求をしてしまったのは、本作のコトが頭の片隅に残っていたからかもしれない。つまりビアンカが悪い。いや太田が悪い。
「よォ平坂。チョット気になったんだが、この本に出てくるシュワちゃんって誰だ?」
「本気で言ってるの? アーノルド・シュワルツェネッガーをご存じない? あの筋肉モリモリマッチョマンの変態を? ご冗談を」
「海外のコメディアンか何かか?」
「コメディアンじゃなくてコマンドーよ。……まァいいわ。それより黄泉、捜査の進捗はどう? あれから何か新しいコトはわかった?」
「あいにく、進展らしい進展はねえな。いくら〈M.I.N.O.S.〉に登録されてねえ若者が、国内では圧倒的に少数とはいえ、データに登録されてねえ人間をリストアップするとなると、作業には想定以上に時間がかかるみてえだ。首都圏の各大学から所属学生の名簿を入手に成功したが、そこに都合よく登録の有無が併記されてるワケじゃねえし。それに〈M.I.N.O.S.〉はあくまでDNA認証を前提としたシステムだから、名前で検索するにはイチイチ手作業で名簿と照らし合わせる必要がある。地方出身の学生に限定しても、かなりの分量だ。解析室の連中が寝る間も惜しんで調べてくれてるが、まだ名簿の半分も終わってねえのが現状だな」
「そう。ところでチョット提案なんだけどさァ、アタシを使ってオトリ捜査してみない?」
「……ナルホド、犯人をエサで釣り上げようってワケかい」
「アタシのプロファイリングが的を射ているなら、〈人形つかい〉はアタシみたいな無表情の美女を探しているハズ。アタシが新宿でブラブラしてれば、かならず食いついてくるわ」
「自称美女の件はともかくとして、まァ悪くねえ案だ。たとえ上手くいかなくても損はねえし、試してみる価値はある」
「でしょう?」
「殺人鬼を相手にする以上、少なからず危険があるかもしれねえが、そこのところは今さら言うまでもねえか。おまえさんがみずから志願するってンなら、特に反対する理由はねえよ。さっそく明日あたり実行してみるか」
「あ、ごめん。明日はムリ。デートの約束があるんだよね。カレとの初デート」
黄泉は昭和のギャグマンガみたいにズッコケた。「自分から言い出しといてそりゃアねえぜ。つーか待て、デートだと? そいつはおどろいた。まさか、おまえさんみてえな鉄面皮の女に惚れる物好きがいたとはな」
「博士にも似たようなコト言われたわ。アンタらよっぽどぶッ殺されたいらしいわね?」
「オイオイ、その顔ですごまれると、ジョークなのかガチなのか判断つかねえって――」黄泉は絶句した。平坂にいきなり股間をわしづかみされたからだ。
「エッ? なに? オチンチン握りつぶされたい? あァン?」
「いや、ホントマジすんません。許して」
「わかればいいのよ、わかれば」平坂は手を離した。
しかし、われながらなんて乱暴なマネを。昔の自分だったら、こんな狼藉を働くコトなど、断じてありえなかったハズなのだが。
何だか最近、おのれの言動におどろかされてばかりだ。自分らしくないコトを頻繁に、平然とおこなってしまう。いったいどうしてだろうか。わからない。
「……ところで、そのステキな趣味のカレシってのは、ひょっとしてコイツか?」
そう言うと、黄泉は1枚の画像を見せてきた。そこにはスターバックスで平坂とお茶している、大江春泥の姿が映っていた。
見たところ盗撮ではなく、店内の防犯カメラ映像を切り取ったもののようだ。
「アタシを監視してたの?」
「まァ落ち着け。捜査に進展がねえのに、なんでおまえさんに会いに来たと思う? シュワちゃんのコトを教えてもらうためだとでも? 実を言うとな、今日はコイツの話を聞くために来たんだ」
平坂の脳裏に、先ほどの饗庭の冗談がよぎった。まさかホントに大江が疑われているのか?
「この日この店で、ひとりの男性が暴行を受けてトイレの掃除用具入れに閉じ込められているのを、店員が発見した。防犯カメラの映像と被害者の証言から、どうもおまえさんのカレシが犯人らしい」
「――あ、へえ、そう」
どうやら〈人形つかい〉の件とは関係ないコトがわかって、平坂はほっと胸をなでおろした。まさか彼が殺人鬼だなんて、やはりそんな偶然、あるワケがない。
黄泉はあきれた様子で、「えらくノン気な反応だな。ウチに被害届が出されてるんだぜ? 状況証拠はそろってるし、任意同行を求めるには充分だ。ウチの取り調べは、そりゃアもう厳しいって評判なんだ。カツ丼も出ねえし、まず確実に明日のデートには間に合わねえ」
「いやいや、チョット待ってよ。そんな一方的に犯人扱いしなくても……何か事情があるのかもしれないし……」
「カレシが相手だと甘いな女刑事。それとも昔から情熱系の人情派だったのか? ……とはいえ、この被害者の男ってのが前科持ちのクソッタレでな。ゆすりたかりの常習犯だ。おおかた、おまえさんのカレシをカツアゲしようとして、返り討ちにあったってトコだろうよ。顔に似合わず、なかなか男らしいカレシじゃアねえか」
「……何が言いたいワケ?」
「本来ならこんなコトは許されねえんだが、おまえさんには世話になってる。勝手によみがえらせて、ムリヤリ協力させたようなカタチになっちまったのは、おれとしても正直、心苦しかったんだ。だから、ここいらでチャント借りを返しとこうかと思ってな。おまえさんが望むなら、今回の事件はもみ消してやってもいい。あと、おまえさんのカレシを陥れようとしたクソッタレを別件でしょっぴいて、二度となめたマネができねえようにヤキ入れてやる。どうだ?」
どうと言われても、先に手心を加えるよう求めてしまったのは平坂のほうだ。むしろ願ったり叶ったり。元刑事として、そういう不正には若干気は引けるが、一方で元刑事だからこそ、拘留の過酷さはよく知っている。黄泉の口ぶりからすると、50年経ってもたいして変わっていないようだ。大事な恋人を、あんな目に遭わせるのは忍びない。仮にそれが道理に適っているならばともかく、逆恨みでハメられそうになっているだけという話なのだから。
「だけど、ホントにそんなコトしてダイジョーブなの? まえに言ってたじゃない。民間警察会社同士がおたがいを監視し合ってるから、不正なんかできないって」
「いやいや、こんなモンは不正のうちには入らねえさ。単に力及ばず未解決になるのと、たまたま依頼人の胸ポケットから覚せい剤が見つかるってだけだ。この程度の小せえネタで、他社は動かねえさ。足を引っ張るチャンスっつっても、その労力が明らか利益に見合わねえからな。だからそのへんの心配はご無用だ」
「そう、ならよかった。……明日のデート、すごく楽しみにしてるのよね」
「そうかい。だったら、絶対すっぽかすワケにはいかねえだろうなァ」
「オトリ捜査、よろこんで協力させてもらうから。ついてにALGOS警備保障へ所属の件もよろしく」
「おお、そいつはもちろん大歓迎だが、いったいどういう風の吹きまわしだ? あれから何度誘っても渋ってばっかで、なかなか煮え切らなかったってのに」
「いやァ、だってホラ、ごぞんじのとおりアタシのカレシってば、まだ学生なワケでしょ? トーゼンふとごろ具合はさびしいだろうし。そこは社会人のアタシが貢い――じゃなくて、年上がエスコートしてあげないとね」
「おまえさん……ダメなオンナだったんだな……あと年上つーか、実年齢的には孫でもおかしくねえんだが……」
「なんか言った?」
黄泉はすかさず股間をでガードした。「ナンデモアリマセン」
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