013

「本日はおつかれサマでした」

 発表会が終わったあと、大学近くの居酒屋で飲み会が拓かれていた。発表の会場が同じだった、ほかの研究室との交流も兼ねている。

「いや、ああは言ったけれど、なかなかよかったよ大江君」質疑応答で痛いところを突いてきた森教授だ。「まァだからこそ、細かいアラが気になるとも言えるがね」

「ありがとうございます」大江は満面の笑みで返す。

「ほかの学生より完成度が高いのもトーゼンですよ」こちらは大江の指導教官である本間准教授だ。「なにしろ彼は、もう卒論をほぼ書き終えていますからね。あとは足りない部分を補強していくだけ。いや実際、指導する身としてはラクさせてもらってますよ」

 本間は英米文学が専門で、特にエドガー・アラン・ポーに詳しい。自身の研究室の壁にポーの陰気な写真を飾っており、学生からは若干引かれているが、本人はそんな事実をつゆ知らず。

 4年生での所属研究室を決めるさい、死生観を題材にするなら生命倫理学が専門である森のところがよいかと大江は考えていたが、そのときすでに卒論の構想がおおよそ決まっており、文学的なアプローチが必要だと聞いた森から、本間の研究室を勧められたのである。こうして半年取り組んでみて、そのアドバイスは適切だったと、大江はあらためて実感した。

 ちなみに、文系の研究室では基本的に学生たちが自分で卒論テーマを決められるし、決めなければならないが、その一方で理系の研究室のばあいは、よほど自分で取り組みたいテーマがないかぎり、昨年までの先輩の研究を引き継がされるという。それでやる気が出るのだろうか、楽しいのだろうか。まァ理系のばあいは学生のほとんどが大学院に進むので、学士論文は単なる予行練習みたいな意味合いなのだろう。

 大江と同じ研究室所属の谷崎は、ヤケクソぎみにビールを呷って、「イイなァーー。あたしなんてまだ、卒論をどういう結論で終わらせるか、まだハッキリ決まってないし。いいかげん早くしないとヤバイですよね」

「いやいや、そんなに心配しなくてもダイジョーブ。谷崎さんもこれまで私が担当した学生のなかでは、かなりラクさせてもらってるし。大江君は例外よ。最初から書きたいものと、おおよそのアウトラインが決まってたんだから。あとは理論の根拠として引用を付け加えればいいだけ」

「実際、書いててそんな苦労した覚えがないですね。本文よりむしろ、参考文献からの引用をキーボードで延々打ち込むほうが疲れたかも」

 電子書籍ならばコピーアンドペーストできるのだが、運の悪いコトに、大江が使いたかった資料のほとんどは電子化されていなかったのだ。大学の図書館にそろっていたのが不幸中の幸いだったが。

 森は励ますように、「谷崎さんはアレだ。発表のときの声としゃべりかたは一番だった。さすがに演劇やってるだけのコトはある。3割増しにイイ研究に聞こえた」

「それはうれしいような、うれしくないような」とは言いつつ、谷崎は笑顔を隠し切れていない。

「次の舞台はいつ?」

「来週の土曜からです。明日も昼から稽古が」

「なら卒論なんかやってるヒマないね」

「イジワル言わないでくださいよォ。ヤバイくらいのチャント書き上げてみせますから」

「期待してるよ。もちろん舞台のほうも」

 大江は本心から口にした。本間の所属する劇団はイマドキめずらしく、古式ゆかしいシェイクスピア的な、大仰で長ッたらしいセリフが特徴だ。舞台装置や衣装、小道具も必要最低限に抑えている。

 それに引き替え最近の演劇界はというと、大江も本間から教わるまで知らなかったが、ほとんどTVドラマの生放送みたいなものだという。精巧に作られたセットと、ホンモノそっくりの衣装、そして等身大の登場人物たち――ようするに現代社会の縮図である。セリフはほぼ「ヤバイ」「カワイイ」「神」の3つで構成されていると言っても過言ではなく、耳をふさいでいても物語の流れが理解できるくらい、視覚的にわかりやすい演出だ。まるで無声映画のようだ――実際、最近の邦画は無声映画風の演出が主流だが。

 そういった、セリフやモノローグを徹底的に削ぎ落とす傾向は、マンガで特に色濃い。反対に、当然のなりゆきとして、文字情報のみに頼った媒体である小説は、廃れる一方だ。

 先日、大江が文芸部の部室で時間をつぶしていたときの話だ。彼が小説を読んでいると、冬コミ原稿をしていた後輩が覗きこんできて、露骨に顔をしかめた。「うわ、やッべえ! よくそんなの読めますね」

「そんなの?」

「えっと、そんな文字がギチギチに詰まってる本」

 まるでアリの大群が、足からゾロゾロ這い登って来ているかのような反応だ。今にも失神しそうなくらい青ざめている。とはいえ、おおげさに表情を作っているだけだろう。

「オレは教科書以外で長い文章なんて読みたかねえです」

「でも、おもしろいよ。小林泰三の『人獣細工』」

「そんなに神作品だったら、コミカライズされてから見ますって。ムダなセリフとか説明とか、チャント全部削ぎ落とされたヤツ。ところで、センパイはマンガは描かないんですか?」

「興味ないね。マンガも悪くないけど、僕には小説のほうが向いてる」

 文芸部とは言いつつも、メンバーで小説を書いているのは現在、大江ただひとりしかいない。もう何十年も前の話だが、マンガ研究会が部員不足で廃部寸前になったとき、文芸部と合併したのだという。今となっては、ひさしを貸して母屋を取られた格好だ。おそらく大江が卒業したら、看板もマン研に架け替えられるに違いない。

「作画はほかのひとが担当するって手もありますけど」

「べつに絵が描けないワケじゃアないさ。というか、上手い下手はともかく、イマドキの若者で、マンガがまったく描けないってヤツはいないと思う。小学校でさんざんやらされてるし」

「あァー……オレはキライでしたよ、あの授業」

 森教授の指摘にもあったが、暴力的な描写のあるマンガなどが青少年に悪影響を与えるという主張が、昔からよく言われている。鑑賞する側はむろんのコト、そういった作品を創る側は犯罪者予備軍呼ばわりされてきた。

 そこから逆転の発想として、健全な物語は健全な人間を育むのではないかと言われはじめ、それまでイイ話を読むだけだった道徳の授業に、児童みずから創作するカリキュラムが採用されるようになった。手段としてマンガが選ばれたのは、当時の政府が推し進めていたクールジャパンとの関係らしい。

 そうして、道徳的なマンガを描くコトを6年間にわたりしいられた子供たちは、より過激な作品を見たがったり、あるいは創りたがったりようになった。現在、市場にあふれている創作物のほとんどは、エログロのオンパレードだ。そんな現状にオトナたちが苦言を呈しているのとは裏腹に、犯罪発生率はむしろ減少傾向にあるという。はたして道徳の授業が功を奏したかどうかは知らないが。

 マンガ業界がいまだ隆盛をきわめているのに引き換え、小説はもはや時代遅れの遺物になりつつある。大江はそれが気にくわない。けっしてマンガがキライというワケではないが、ひとはもっと言葉を尽くすべきだと思うのだ。心を尽くして、言葉を連ねるべきだ。

 けれども今の時代、言葉に頼るのは美徳とされない。言葉にできない思いにこそ価値がある。映像的な感動のほうが密度が大きく、伝達速度も一瞬だ。1文字1文字読み進めていかなければならない小説では、到底追いつけるハズもない。

 だが大江に言わせれば、それは感動の押しつけだ。見る側の都合など考慮せず、さァ共感しろと強制する。誰だって、目の前で女に延々泣きわめかれたら、うっとうしいコトこの上ないハズだろう。それよりも、なんで泣くのか教えてほしい。悲しいのだとハッキリ声に出してほしい。相手にキモチを察してもらおうなんて、図々しいにもほどがある。

 大江は鈍感ではない。むしろ感受性が強いほうだ。だからこそ感情剥き出しの表情を向けられると、耳元でわめかれたほうがマシという気分になる。

 苦悶の表情を浮かべているひとを見たら、同情しなければならないのか?

 あわれんでくれと頼まれるより先に、あわれまなければいけないのか? 

 ――冗談ではない。そうしてほしければ、チャント言葉にして伝えればいい。

「――やった! 入った入った! ニッポン勝ったァ!」

 突然の歓声に、居酒屋へと引き戻される。店内のテレビでサッカー観戦をしていた連中が、満面の笑みを浮かべながら狂喜乱舞していた。

 スポーツ中継にあそこまでのめり込む人間の心理が、大江は正直理解に苦しむ。キモチワルイとさえ思う。もちろん、応援するチームや選手が勝ってうれしいのはわかる。だが、何もそこまでハシャぐほどのコトか? 恥も外聞もなく、うっかり大声で叫んでしまうほど、感情を抑えきれないのか? べつに試合は目の前でおこなわれているワケではない。画面のなかに小人はいないのだ。

 延長戦だったらしく、試合終了とともにCMも挟まず、番組はニュースへ切り替わった。『――今朝、都庁近くで少女の遺体が発見された事件について、ALGOS警備保障は午後7時に記者会見を開き、先に起きた2件の殺人事件と同一犯による犯行と断定したコトを発表しました』

 谷崎は心底おびえた様子で、「この事件の犯人……まァだ捕まらないんですね……」

「〈拷問官〉とかいうんだっけ? 谷崎さんも夜道には気をつけたほうがいいよ? 犯人は美少女を狙ってるみたいだから」

「チョット先生ェ――そんなふうに言われたら、マジでこわくなっちゃうじゃないですかァ」

「心配しなくても、谷崎さんはダイジョーブだよ」

「コラコラ大江君。それじゃアまるで、谷崎さんが美少女じゃないって言ってるみたいじゃないか」

「べつにそんなつもりは――」

 大江は事実を口にしたまでだ。谷崎が狙われるコトはない。なぜなら好みではないから。彼女のような快活で生命力に満ちあふれたワイルドなタイプは、人形っぽさに欠ける。

 そう、欲しいのはあくまで人形だ。表情を浮かべず、感情を押しつけてこない。ただただ無抵抗に、欲望のはけ口となってくれるダッチワイフ。大江春泥という殺人鬼が抱いているのは、そんなささやかな願い。

 ――僕は、僕のガラテアが欲しい。

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