第6話 人間

 ああああぁぁああああああぁぁぁああ! と男の長い悲鳴が響き渡る。次いでひいひい言いながら走る声と、再びの絶叫。いやだぁああああああ! と子供のような声も発して、やがて何も聞こえなくなった。鋭敏な私の耳には汚い叫び声が耐えがたかったので、静かになってホッとする。二人分の足音が近づいて来て、振り返ると雪那と蓮太郎がこちらに来るところだった。


「終わった?」

「ああ、もうここには近づかないだろ」


 そう言って雪那は辺りを見回す。木造建て平屋の一軒家だった廃屋は、もはや一部が崩れ落ち、屋内には埃だけでなく草まで生えている有様だ。ここに住んでいた人間は夜逃げでもしたのだろうか、家具や生活用品はそっくりそのまま残っている。


「ここに住み続けたいと思う気が知れないけど」


 ぼそっと雪那が発した言葉に、反応した者があった。私の影からひょこっと顔をのぞかせる。


「いやいや、ワシらにとっちゃあ快適なマイホームなんでさぁ。子供も生まれたばっかだし、ここに住めなくなったら路頭に迷っちまいますよ」


 現れたのは器用に後ろ足で立つ、私の膝まで背丈のある巨大なネズミだ。私は見張りにつきながらこのネズミと外で待機していたのだが、なんでも彼は大恋愛のすえ今の奥さんとゴールインし、この廃屋に居を構えて二カ月前に子供も生まれたのだという。この幸せをずっと守っていこうと誓った矢先に人間が出入りするようになり、風の噂で聞いた人間退治の集団に依頼したというわけだ。


「まあ、それはいいけどさ、報酬は持って来たか」


 雪那がしゃがんでネズミと目線を合わせながら尋ねる。「おお、そうでしたな」とネズミは背中に括り付けていた風呂敷を降ろして解き、中身を取り出した。私はどんなものが出てくるのだろうと期待して身を乗り出したが、それは妙にトゲトゲした石ころで拍子抜けした。だが受け取った雪那はそれを少し眺めまわして、ひとつ頷く。


「うん、確かに」

「じゃあ、ワシはこれで失礼させてもらいまさぁ。危ねぇと思って嫁と子供たちは嫁の実家に預けてるもんで、迎えに行かにゃあならんのです」

「ああ、念のためしばらくの間は人間用のトラップを仕掛けておくけど、あんたたちには影響ないから安心してくれ。何かあったらまた連絡を頼む」

「へぇ、何から何までありがとうごぜぇます」


 そうしてペコリと頭を下げたネズミは四本足になって走り去っていった。早く家族に会いたいんだろうなぁと思いながら私は彼を見送り、見えなくなったところで雪那に尋ねる。


「それ何?」

「竜の心臓」

「うえ、何その物騒な感じの」

「実際に心臓なのかは知らないし、存在する数も少ない。魔力があるのは感じるけど、どんな代物なのかはよく分かってないな」

「へぇ、そんな貴重なもの、よくあのネズミさんが持ってたね」

「父親の遺品にあったって言ってたな。俺も見たことがないのに、どこで拾って来たんだか」


 雪那は不思議そうにしながら石をポケットにしまった。仕事の報酬はこのような謎のものがほとんどなのでもはや慣れっこだが、私にはどこに価値があるのか分からない。報酬は依頼人の持つ貴重品から純子や雪那、洋館の大家がその長い生の中で磨いてきた審美眼を活かして決めていた。そしてそれを何に使っているのかもその三人しか知らない。聞けば教えてくれるだろうが、あまり興味もないので聞いたことがなかった。


「じゃあ仕事終了だ」

「帰る?」

「いや、俺は少し寄る所があるから先に帰ってろ」

「あそ。ご飯食べてるよ」

「待ってる気なんて最初からないだろ」


 雪那に図星を突かれたので、えへへーと笑っておいた。出てくる前に食べたおにぎり四つは既に消化されて跡形もない。腹は新たな中身を求めて鳴いていた。


「見られないように帰れよ」

「うん、分かった」


 そうして雪那は家とは反対方向に歩いて行く。じゃあ私はお腹もすいているし、早いとこ蓮太郎と帰ってご飯にありつこうか、と蓮太郎を振り返ってみたが姿がなかった。感覚の鋭い私でも、影のような蓮太郎の動きは上手く掴めない。慌てて辺りを見回して、屋根の上を歩いて去っていこうとする蓮太郎を発見した。


「蓮太郎、帰るんじゃないの?」


 家とは違う方向に進む蓮太郎に声をかける。ゆっくり振り向いた蓮太郎は否の返事をした。


「………俺はこのまま仕事に行く」


 雪那が昼間にカフェで働いているように、蓮太郎も人間退治以外に職を持っている。確か危ない職業の人間や私たちのような魔物が集う怪しいバーで働いていたはずだ。しかし、いつもなら出勤する時間でも、今日はまだ夕飯を食べていないのでは。


「え、ご飯は?」

「……もう食べた」

「いつのまに」

「……お前を迎えに行く前」


 ああ、だから早く起きていたのかと合点がいった。蓮太郎は夜に活動するので、いつも彼にとっての朝食にあたる七時の夕飯ギリギリまで寝ている。寝起きも常にぼーっとしているので、通常なら六時過ぎにバイクで迎えに来ることなどできないのだ。今日は早く起きてご飯を食べ、そのまま仕事をこなせるようにしたのだろう。


「え、ていうことは私また蓮太郎に置いてかれるわけ。暗くなってるのに、女の子なのに?」


 夕方の蓮太郎の言葉を使って恨み事を言ってみたが、蓮太郎はしばらく無言でいたかと思うとそのまま立ち去ろうとした。


「無視すんなー」

「……危ないから、早く帰れ」


 じゃあ一人にしないでよ、と思ったが、腹の虫が鳴いたことでまぁいいかと切り替えた。それよりも早く帰ってご飯を食べよう。


 道を歩いて行っても良いのだが、人と会うと面倒なので蓮太郎のようにひょいっと屋根の上に登った。そのままぴょんぴょん飛びながら屋根伝いに家を目指す。人は自分の目線以上の高さは盲点になるし、素早く飛んでいるから誰かの目に触れることはないだろうと思い、私は風と一体化しているような感覚を楽しんだ。


 しかし、不意に視界の端で何か淡い色のものを捉え、ギュッと止まる。なんだろ、とキョロキョロ見回してみるが、一回捉えたはずのそれは見当たらなかった。代わりに頭上に何か落ちてくる気配がしたので、見えないほどの速さでそれを手中に収める。そっと開いた手のひらには桜の花びらがあった。


「なんだ、桜か」


 さっき横切ったものもこれだったのかと納得した時、再び花びらがふわふわと視界をかすめていく。顔を上げると、さっきまでは影すらなかった桜の花びらが大量に風に乗って舞い散る様相になっていた。


「うわぁ……めちゃくちゃ綺麗」


 どこかに桜の木でもあるのだろうか。そう思った私は風上に向かって少し進んでみたが、花びらの源は見当たらない。風に乗る様だけでも充分綺麗だと思ったので、しばらくその場で景色を眺めることにした。


 前にも言ったが、私は桜が大好きだ。家の庭にも大きな桜の木が一本あり、春になれば日がな一日それを眺めている。小さい頃から続けていているがまったく飽きることなく、今でも続ける習慣となっていた。


 だが、桜を眺めるという高尚な時間は下品な腹の音によって幕を下ろす。せっかく清らかな気持ちになっていたのに、私は結局花より団子なんだなと一人で恥ずかしくなって、もう帰ろうと決めた。


 しかし、家の方向に体を向けようとしたところで私は気づく。誰かの視線が背中に刺さっているのだ。桜に夢中になっていて見られていることに気付かないとは、と私は一気に奈落の底へ落されたような絶望感を味わった。どうしようと冷や汗が流れる。人間相手でも厄介だが、悪意を持った魔物だったらもっと厄介だ。しばらく警戒して動かないでいたが向こうも一向に動く気配がなく、私は相手を確認するためにも意を決して振り返ってみた。


 人間だった。緊張しているのだろうか強張った顔をした、私と同じ年の頃の少年。というか、私と同じ制服を着てはいないだろうか。あちらから私の顔が見えるかは分からないが、もし私のことを知っていたら本当にまずい。今すぐ逃げるべきか、それともいっそ捕まえてしまうか。でも捕まえたところでどうするという話だし、向こうが私の顔を知らず、今も顔が見えていなかったとしたら自滅になってしまう。しかし絡んだ目線を振り切って動き、逃げるにはタイミングが分からない。結果、身動きもできずに睨みあうことになった。


 その間も私はどうする、どうすると考え続けていたが、焦って動きが鈍くなった頭では何も思い浮かばない。もう、なんで雪那も蓮太郎も私を置いて行ってしまったのかと他人に責任転嫁をしてみても、その二人が助けに来てくれることもなかった。そして、こうなったら全速力で逃げようと覚悟を決めて心の中でカウントを開始した時、転機が訪れる。桜を運ぶ風が突然、突風となって人間を襲ったのだ。少年は顔の前で庇うように腕を出し、私との目線の繋がりは切れる。今しかないと悟った私は瞬時に身を翻し、電車にも勝る脚力でその場から走り去った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る