第一章⑨

 血が通っていないためか頰が赤らむことはなかったが、睡蓮のそんな仕草に、さすがの陽琳にも答えがわかった。

「えーっと、それはつまり……いわゆる──『コイ』、というやつ、なのかしら……?」

 言い慣れない言葉に、思わず片言になる。それを聞いた紫晃が、興味深げに呟いた。

「恋する死鬼、ですか。妖怪だというのに、人間の陽琳様とは大違いですね」

「うっ……」

 紫晃の指摘が胸にぐさりと突き刺さるものの、その通りだから反論できない。

 センカツに身を投じる陽琳にとって、色恋など無用だ。

 そうではあるが、まさか摩訶不思議な存在である死鬼が恋をしていると聞くと、なぜか負けた気がする。

 何をどう返せばよいのか返答に困っていると、睡蓮は再び怪訝そうに言った。

「ところで、わたくしは死んでいたのならば、なぜ今、このような形で起き上がっているんですの? 貴女達、何か知っているのではなくて?」

「そ、それは……私にもよくわからないのよ。ただ、私が呪文を唱えたら、貴女が出てきたってことぐらいしか……」

 問い詰めてくる睡蓮から、陽琳は視線を逸らした。

「頼りないですわね。どちらにしても、わたくしを起こしたのは貴女なのでしょう? 貴女は何者ですの?」

「いえ、あの、私は仙人を目指してはいるけど、師匠はいないしまだ仙人見習いですらない状態で……。強いて言うなら、ええと……無職の仙人志望?」

「何をおっしゃっているのですか。仙人の真似事をなさっているとはいえ、陽琳様はれっきとした皇族です」

 しどろもどろな陽琳をさえぎり、横から紫晃がきっぱりと返答する。

「皇族? 貴女が?」

 信じられないと言わんばかりに目を丸くして、陽琳の頭から爪先までを眺めまわしてくるのも無理はない。何しろ今の陽琳は全身泥だらけだ。

 これでは皇族だと言われても信じがたいだろう。

 暫く不信を露わにした表情をしていた睡蓮だが、やがてこくりと頷いた。

「……まあ、いいですわ。何はともあれ、貴女がわたくしを掘り起こしたのならば、責任を取っていただくのは当然ですわよね?」

「ええっ?」

 突然、要求を突き付けられ、目を丸くした陽琳に睡蓮が追い打ちをかける。

「美しく完璧であるわたくしが、このような薄汚い姿をしていること自体が耐えられませんの。いいこと? わたくしを昇天させるか、ここでのまっとうな生活を保障するか、どちらかになさいと言っているのですわ。それが、第一発見者としての責務ではなくって?」

「せ、責務……?」

「それとも、貴女の目指す仙人とは、そんなことすらできない存在ですの?」

 そう言われて、陽琳はふむ、と考え込んだ。

 記憶を失った迷える死鬼を無事に成仏させる─。

 その行動はまさに仙人の在り方にふさわしい。センカツの理念に通じるものがある。

 何より、どんな形であれ、睡蓮との出会いは初めての仙術成功例であり、本物の妖怪と出会えたのもこれが初めてなのだ。何としてでもこの機会を逃すわけにはいかない。

 そう思い至って、陽琳は拳を握り、どんと胸を叩いた。

「わかったわ! 私に任せてちょうだい! 困っている摩訶不思議生物を救う─それもまた一つのセンカツだもの! 何とかしてみせるわ!」

 意を決して言い放った陽琳に、紫晃が横から冷ややかな視線を送ってくる。

「何とか、とは?」

「えっ? だから、睡蓮を成仏させてあげるのよ!」

「どうやって?」

「ええっと、そのー……例えば、未練を晴らしてあげるとか……」

「何を馬鹿なことをおっしゃっているのですか」

 言語道断、と言わんばかりに、紫晃が陽琳を覗き込む。

「出自はともあれ、この者は妖怪なのですよ? そのように危険かつ厄介な存在と、これ以上関わるわけにはいきません」

「そりゃあそうだけど……かといって、野放しにもできないでしょう? 兵部府に突き出されたりなんかしたら、大騒ぎになっちゃうだろうし……」

 見た目だけでは気付かれないかもしれないが、死鬼が普通の人間と同じであるはずがなく、何をしでかすかもわからない。現時点では一般の目からは隠す方が得策だろう。

「そもそも、未練を晴らすとおっしゃいましたが、記憶がない死鬼相手に、どうするのですか?」

「それは……そうねえ……」

 紫晃からの指摘に口籠るが、一つのことを思い出して、ぽんっと手を叩いた。

「ねえ、睡蓮。貴女さっき言ってた、好きな人に会いたいと思わない?」

 そう問われて、それまで憮然とした態度だった睡蓮が遠くを見つめ、呟くように言った。

「それは、まあ……会いたいですわね。とはいえ、覚えているのは声と、私の中のこの気持ちだけで……その方の顔や名前すら覚えていないのですけれど……」

 その返答を聞いた陽琳は腕組みをして、芝居がかったようにうんうんと頷いた。

「死して記憶を失っても尚、好きな人を想う美女死鬼……なんて切ない話なの! これは、人として……いえ、仙人を目指す者として放ってはおけないわ! 私が貴女を、その人に会わせてあげるわ。そうすればきっと未練がなくなって、心穏やかに成仏できると思うのよ!」

 言いながら、ちらちらと紫晃を窺い見るが、紫晃は渋面を崩さない。

 何とか説得しようと、上目遣いですり寄る。

「いたいけな女の子が悲しんでいるのに、このままさよならなんて、胸が痛むと思わない?」

 紫晃は陽琳を見下ろし、睡蓮を一度見遣ってから、再度視線を戻す。

「いたいけな女の子……にしては、随分と偉そうな態度ですが。それはともかく、陽琳様はただ単に、死鬼という妖怪について研究をしたいだけなのではないのですか?」

 まさに図星を指され、陽琳は「うっ」と呻いた。

 大義名分の裏に隠れた陽琳の果てなき好奇心を言い当てるとは、さすが長年行動を共にしているだけのことはある。

 とはいえ、いろいろな意味で紫晃を味方につけることは絶対に必要だ。

 何とか説得できないものかと模索していると、紫晃が渋々といったように嘆息した。

「……とはいえ、他に方法がわからないのでは仕方がありません」

「えっ?」

 顔を上げた陽琳に、紫晃は続けた。

「とりあえず邸に連れて帰りましょう。当面の間は、蔡家の使用人の一人として雇うことにします。それでよいですね?」

「いいの!? ありがとう、紫晃!」

 まさか許してもらえるなど思いもよらず、陽琳は瞳を輝かせた。

「別に、親切心ではありませんよ。面倒を見るからにはその代価として、たとえ妖怪であろうともしっかり働いていただきます。死鬼とて、それくらいはできるのではないですか?」

「そうね。多分、大丈夫だと思うわ!」

 すると、その会話を聞いていたらしい睡蓮が、憤慨して言葉を挟んできた。

「今、使用人と言いませんでしたこと? なぜこのわたくしが、使用人のふりなどせねばならないのです?」

「記憶がないくせに、態度だけは大きい妖怪ですね。それが嫌なのでしたら、再度この場に埋め直して差し上げるだけですが……。そちらの方がお望みですか?」

 冷ややかに言い放った紫晃に、睡蓮がぐっと言葉に詰まる。

 紫晃は、悔しげに睨む睡蓮の視線を受け流してから、「何はともあれ」と早口で言葉を続け、ぐるりと周囲を見回した。

「少々長居をしてしまいました。そうと決まれば、早く撤収しましょう」

「わかったわ。睡蓮、歩ける?」

「当たり前ですわ。とはいえ、できれば馬車を用意していただけませんこと? 起き上がったばかりで、歩く気分じゃありませんの」

「……ほんと、我がままな死鬼なんだから……」

 睡蓮の態度に先行き不安になりながらも、陽琳は紫晃の協力の下、そそくさと穴を埋めると、睡蓮に頭から外套をかぶせ、そう時間が経たぬうちにその場を後にした。

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