第一章⑥

 夕刻、ようやく勉強から解放された陽琳は、迎えに来た紫晃とともに池のほとりへ向かい、例の盛り土のあたりを掘り返していた。

「よいしょー!」

 腰ほどまで掘られた土を脇へと投げ上げるのは、かなりの重労働だ。

 皇宮の庭師から紫晃が借りてきてくれた本格的な鋤を使っているが、一刻でやっと腰ほどとは、なかなか先は遠そうである。

「これもまた、立派な仙人になるための修行の一つ……だけど……うう、辛い……!」

 やる気は十分とはいえ、疲れるものは疲れる。大きく息を吐きながら、陽琳は穴から少し身を乗り出し、汗をぬぐう。

「息が上がっていらっしゃるようですが、大丈夫ですか?」

 陽琳が思わず漏らした呟きに、少し離れた場所の木陰に腰掛け、悠然と本を読んでいた紫晃が声をかけてきた。

 紫晃は陽琳がこうやって土を掘っている間も傍にいてくれるが、手出しはしない。

 少しは手伝ってくれたらいいのに─と思わなくもないが、陽琳の趣味としてのセンカツである以上、働かせるわけにもいかない。

(でも実際、こういう時間は、紫晃にとってもいい休み時間になっているのかしらね?)

 だったらいいのだけれど……と、陽琳は内心思う。

 家令を務めながら、陽琳の世話係を同時にしてくれている紫晃は、大変そうな様子は見せないものの、実際は家内の誰よりも多忙なはずだ。

(とはいえ、このままじゃあ埒が明かないわね……。日が暮れちゃうわ)

 陽琳は作業の手を止めると考え込んだ。

「……地道な作業も大事だけど、こういう時こそ仙術が役に立つと思うのよね。紫晃、どう思う?」

「どう……と言われましても答えに困りますが、何をなさりたいのですか?」

「そうね。例えば、こうやって掘っている土の重さを軽くしたり、もしくは、いっそのこと、中に埋まっている物が自主的に飛び出してきてくれたらありがたいんだけど……」

「それは、確かに楽でしょうが、そんな都合のよい仙術があるのですか?」

「動かざるものを動かすという術は形式は様々だけれど、存在はするのよ」

 土で汚れた手をぱっぱっと払い、陽琳は自分の中の知識を掘り起こす。

「古い仙術の文献には、遥か昔……ある道士が、多くの戦死者の屍を祖国へ運ぶために呪術を施し、自ら歩く生ける屍とした─という記述だってあるわ」

「生ける屍、ですか。それはまあ、自主的に動いてくれるならば、運ぶ方は楽でしょうが……そのために妖怪を作り出すとは、奇抜な発想ですね」

「まあ、今言った術は、死者を冒とくしているという意味でも禁呪に分類されるものだし、あまりいい例ではないのだけど」

 例えばだけど……と、陽琳は懐から取り出した豆本を開いた。

 ぱらぱらと頁を捲り、とあるところで手を止めると、ふむ、と頷く。

「この呪文なんか、どうかしら……。『万物を構成せし五行をもって、我が名において命ずる。動かざるものは動き、眠りし力を目覚めさせよ─起』……これは、動かないものを動かしてみるっていう呪文なんだけど─」

 ほんの軽い気持ちでそこに書かれた呪文を読み上げたのだが……

 ゆらり、と大地が僅かに揺れるのを感じて、陽琳は思わず目を見開いた。

「え……何?」

 紫晃の方へと目を向けてみると、紫晃もまた訝しげに眉をひそめている。

「今、何か揺れた?」

「地震か何かでしょうか?」

「そうなのかしら? それにしては、妙に局所的だったような……」

 胸騒ぎがする。

(もしかして、もしかしたら……呪文が成功した!?)

 頭の中で浮かび上がる一つの可能性に、陽琳の期待と不安が膨れ上がる。

 幼い頃、仙人という存在にはまってからというもの、あらゆる仙術について研究してきた。もちろん、こういった呪文に関しても、ぬかりなく知識を詰め込んできたつもりだ。

(でも、これまで成功したことなんてなかったのに、まさか……)

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