神田駅(JR線、銀座線)

日本橋が商人達の町なら、こちら神田は職人達の町。

江戸の街が作られ始めた頃には既に日本橋と神田で商人町、職人町の区分けがされていたそうだ。


主に鍛冶屋、材木屋、紺屋など、同業者で固められているわけだ。

当然、彼らは仲間意識も強いから、いわゆる職人気質の気風の良い者達…典型的なべらんめぇ口調の『江戸っ子』像がここに生まれる。


神田とひと言で言っても、東西に流れる神田川を境に内神田と外神田に分かれている。

どちらも町人達の家々だけでなく、武士の住まいも混在する土地で、湯島ゆしま本郷ほんごうに近い神田駿河台かんだするがだい辺りは、江戸開闢期から大名や旗本の屋敷が並んでいた場所である。

当然の事ながら、大名屋敷一帯は庶民の居住地と異なり、実に静かなものだ。


この神田駿河台一帯はもともと神田山があった場所で、埋立ての為に神田山が削られてできた台地という事になる。『台』と地名に付くのも、その為だ。


神田の名所として良く知られているのが、某アニメで全国区の知名度になったとも言える神田明神。

この神田明神で行われる祭礼が、江戸三大祭りの一つでもある神田祭り。

雄壮な山車が出る事でも知られ、この神田祭りの山車は将軍も上覧するから、江戸城中にも入ったほど。

それ故、別名『天下祭り』とも呼ばれる。


神田明神は平将門の乱で討ち死した平将門を祀っている。

将門と言えば、平安三大怨霊にも数えられ、その怒りを鎮める為に神格化して祀った事に由来する。

ちなみに将門伝説では、斬られた将門の首が飛んで行って落ちた場所に首塚が作られたとされるが、現在、その首塚がある場所は大手町になる為、神田明神とは別の場所。


神田っ子の多くは、この平将門を祀る神田明神の氏子であるから、勝気で気性の荒い者がせっかちが多い。


江戸児の産声おきやがあれとなき


切れっ切れの江戸っ子の原点こそ、この地にある訳だ。

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