納涼

「…とその時、階段の下から女の手首が現れてガシっと…」

「きゃあーーっ!!」

「きゃはははは、お姉ちゃんビビりすぎ!」

 怖い話しよ!と言い出したのは小学生くらいの男の子だ。盆の夜、その場に集まった老若男女数人は客間で百物語なんかを始めていた。

「つぎ、お姉ちゃんの番だよ」

 我先にと話し出す人も尽きて、とうとう私も指名されたが怖い話は正直苦手である。

「うーん…長い間使ってなかったイヤホンをね、使おうと思って引っ張り出したんだけど、かなり放置してたから先端の音が出るへっこみに、これくらいの小さな虫が居座ってるのに気づかなかったんだっって」

 渋々話し出した私に数名は興味を持ってくれたようで、無言で続きを促される。

「でも確認しないまま耳に着けて音を出したら、スピーカーの所が震えてその虫を起こした。虫はのそのそと動き出して…その人はなんか耳がかゆいと思ってイヤホンを外して耳をまさぐるんだけど、もう虫は奥へ奥へと入っていって、指は全然当たらなくて…一体なんなんだ、頭がかゆい、かゆい…」

「うわあーーー」

「最悪…ルール違反だよこんな話!!」

 子供たちは転げまわって頭を掻いている。そもそも「幽霊が出る話」とは言われてないしな…と周りを見ると、もう次の人が話し出している。どうやらおじいさん達にはピンとこなかったようだ。

 夜はしっかり更けていて、小さい子供はもう寝た方がいい時間だったが、広い客間を走り回って一向に寝る気配はない。くいくいと袖を引っ張られて見ると、おじいさんの話が少し堅苦しかったのか、さっきの数人が他の話を催促してきた。

「えーと…さっきの話には後日談があってねえ。それからその人は、なんとなくイヤホンをしっかり確認してから着けるようになったんだけど、そこには件の虫が小さくて透明な卵をいーっぱい産みつけてて、目視ではわからないくらいの…」

 げえーっと男の子が吐き出す真似をして、その妹は「もうやだー」と不貞腐れていやいやしている。ごめんごめん、と私は仕切り直して別の話をすることにした。

「小さい頃、クラスメイトのある女の子ととても仲が良くて、毎日のように放課後遊んでは、夏休みはちょうど今くらいの時期にその子のおばあちゃんの家に連れて行ってもらってたんだ。大きくなってから夏に実家に帰省して、そろそろ時期だからその子のおばあちゃんの家に遊びに行こうと思って、朝になって母に行き方を確認した。そこはちょっと離れた田舎の村だったから、子供の時はお母さんに送ってもらってたはずなんだよね。でもお母さんは不思議そうな顔をして、「あんた昨日は全然覚えてないしほとんど喋ったことないって言ってたじゃない」って」

 いつのまにか客間はしんとして、ほぼ全員が私の話に耳を傾けているようだった。見渡すと、客間に入りきらなかった人は部屋の外まで溢れている。

「母に話を聞いたら、昨日の夕方のニュースで大雨水害被害の村の被害者が報道されていて、小学校の同級生の名前があったみたい。でも私はその子のことを覚えてなくて、教室で一言か二言喋ったくらいだと言っていたのだ。そして、「もっと遊んであげればよかった」とつぶやいたらしい…」

 その場は異様にしんとしていたが、袖を引っ張ってきていた女の子が言った。

「お姉ちゃんは遊びに行ったの?」

「結局その時は村に行かなかったけど、その子は親族みんな災害に巻き込まれてしまっていたから、弔ってくれる人がいなかったのかもねって母とは話してたよ」

 でも、本当の所あの子が私と遊びたかっただけなのかはわからない…。

 ガチャンと音を立てて酒瓶を持ったおじいちゃんが立ちあがり、「怖い話じゃないな。いい話じゃないか!」と言って近くの人々に酒を振りまきだした。それから口火を切ったように人々はがやがやと喚きだした。

「いったいどこが怖い話なんだ?」

「なんでお前さんは行かんかった!」

「ひどーい、お姉ちゃん薄情だね~」

 百物語の会場だったそこは、いつしか酒盛り場になっていた。盛り上がりに拍車がかかるにつれ、だんだん広かったはずの客間も人の質量に埋もれて狭く息苦しくなってきた。いつの間にか一番側で聞いていた女の子の姿が無くなっている。大丈夫かな、こんなに人数が居たらあんな小さな子は押しつぶされてしまうかもしれない。

 急に強烈な力で肩を掴まれて思わず声を出した。振り返ると鬼の形相の老人がこちらを睨み付けている。

「おい!お前はろくに怖い話もしないで、いったいどういうつもりだ」

「帰さないぞ。お前が百個語るまで帰さないぞ!!」


「あかりちゃん」

「…誰?」

「ねえ、もっと遊ぼう。大人たちのいない所で昔みたいに」

 その子は柔らかい、子供らしい温かそうな手を差し出してきた。毎日のようにこの手を取って遊んだはずの、でも一度もそんな記憶はないはずの女の子。

「うん…」

 気が付くと私は、廃村になった集落の今にも朽ち果てそうな屋敷にいた。見慣れぬ景色に慌てて縁側から庭に出た瞬間、屋敷は物凄い音を立てて柱が崩れた。その屋敷は、夢に出てきた彼女の祖父母の家と同じかどうか、思い出す前に形を失ってしまった。

 彼女の顔も思い出せないが、あの手の温もりだけは残っているような気がした。

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