第12話 おでかけ

 そして数時間後、やはり私は訳が分からないまま純子に連れられて庭に出ていた。大黒さんとここを通ったのは昨日のことだが、その時は自分がこれからどうなるのかという不安と緊張でまともに景色を見ていなかった。まだ時間があるからと純子は私に庭を案内してくれて、私も花々の鮮やかな色彩に見入った。純子は花の種類を説明してくれていたようだったが、私はそれも言葉としてではなく単なる音として拾った。この家の者たちは私が言葉を理解しないのを分かっていても、なぜか話しかけるのを止めない。

 そうしてぶらぶら庭を歩いていると、玄関から雪那が現れ、次いで蓮太郎が現れた。それを認めた純子は、私の手を引いて二人のもとへと赴く。

「雪那さん、蓮太郎さん、来ていただいてありがとうございます。さっそく行きましょうか」

 純子はそう言って再び私の手を引き、雪那と蓮太郎は黙って後ろからついてきた。今度は敷地の外へとつながる門に向かう。外に出るのかと私は少しわくわくした。またあのきれいな街並みを見られるだろうか。

 私の期待通り、私たちの目的地はあのおとぎの国のようなショッピング街だった。そこに足を踏み入れるや否や、私はほうっとため息をつく。おとぎの国の煌めく雰囲気に包まれて鼓動が高まった。

「では、まず家具を見ていきましょうか」

 純子の号令で、私と他二人は動いていった。しかし、この最初に訪れた家具屋で純子と雪那の静かなバトルが勃発し、私はふかふかのソファーに座って退屈する羽目になった。純子は可愛らしい淡い色合いの家具を選びたがったが、自分の部屋をキラキラにしている雪那もインテリアには拘りがあるらしく、シックで高級感のあるものを候補に挙げる。むうっとして主張する雪那と、影を落としても依然として微笑んでいる純子。そのうちお店の人がやってきて、ご本人様に選んでいただいてはどうかということで私にお鉢が回ってきた。売り物のソファーでくつろいでいた私は突然視線を向けられてびっくりしたが、身振りでどちらか選べといわれているのを理解して、並べられた二つのタンスを見遣る。淡いピンクのタンスと、重厚なブラウンのタンス。私は深く考えもせず、直感でブラウンのタンスを指さした。それによって雪那は誇らしげに胸をそらし、純子は残念そうにため息をついたので、どちらがどちらを選んだのかは明白だ。純子も私が言うならと引き下がりタンスが決まったので、やっとこの場から動けると私はほっとした。しかし、その後も二人の間でバトルは繰り広げられ、そのたびに私の判断でどちらかが喜び、どちらかが落胆するという図を繰り返した。

 やっと一通りの物が揃い、後日届けてもらうよう手配が終わるころには昼を少し過ぎていた。私の腹の虫はとうに鳴りっぱなしで、バトルを終えて落ち着いた二人もそれに気づいた。

「どこかでお昼にしましょう。何が食べたいですか」

 後半は言葉の分からない私に向られたものではなく、雪那に向けられたものだ。雪那は考えながら辺りを見渡し、ふとあることに気づく。

「……そういえば、蓮太郎は?」

 そういわれて、純子も辺りを見渡す。いらっしゃいませんね、と目を丸くして口元に手を当てながら言った。

「あいつ、いつの間に………ていうか、勝手にいなくなるなよ!」

 こと蓮太郎に対しては沸点が低い雪那はすぐさま怒り出した。一方の純子は、家具のバトルは嘘だったのかというほどに穏やかで、あらまあ、としか言わない。

 私は蓮太郎がいないことに途中から気づいていた。序盤は少し離れたところでふらふらしていたのだが、次に気を向けたときにはもう消えていた。探そうと思えば探せるかもしれなかったが、彼は音も匂いも希薄で、気配も周りに紛れてしまう。探すのは億劫だと思い、何もしなかった。それに蓮太郎に関しては謎の危機感をいまだ感じているので、二人きりになるのは避けたいという思いもある。

 一方で蓮太郎のことに気づいたばかりの雪那はため息をつき、「探すか?」と純子に問いかけた。

「そうですね、その辺を探してみましょうか」

 純子は別段気にした様子もなく、いつもの笑みを浮かべたまま言う。それを受けた雪那は再びため息をついて歩き出し、純子は私の手を取って後に続いた。




 私たちがその細い背中を見つけたのは二十分ほど捜しまわった後だった。

「あれじゃないか?」

 雪那が前方を指さして言う。そこには背景に紛れてしまいそうなくらい存在感を消した黒い人影があった。背丈や細さからいっても、おそらく蓮太郎だろう。

「おい、蓮太郎!」

 雪那がイラつきを込めた声で呼ぶ。その感情にはまるで気づかないような緩慢な仕草で、蓮太郎は振り返った。

 私はその瞳を見た瞬間、またあの危機感を覚えて縮こまった。存在感がないなんてとんでもない。捕食されそうだ。私は体を固くしながら純子の手を強く握った。

 しかし、雪那はそんな危機感など全く感じないのか、無防備に近づいていく。いや、無防備どころか、食って掛かる勢いだ。

「お前、いきなり消えるなよ! 本当に団体行動に向いてないな」

 雪那は蓮太郎に噛みつくが、噛みつかれた当人は雪那の言葉など耳に入っていないかのような無表情で彼をじっと見るだけだ。いや、よく見ると口をもぐもぐ動かしている。

「………お前、なに食べてるんだ?」

 目の前にいる雪那もそれには気付いたようで、呆れながら蓮太郎に尋ねた。蓮太郎はガサッと手に持っている袋を雪那の目前に掲げる。

「ドライフルーツ……。なにお菓子食べてんだよ!」

「……腹が減った」

 怒る雪那に、蓮太郎はぽつりと返す。

「腹なら全員減ってる。昼にしようと思ったらお前がいなくて、食べるのが余計遅れただろ。一人だけ爺くさいの食べやがって」

「……爺はお前だろ」

 爺くさいといわれたのが気に食わなかったのか、蓮太郎が言い返す。「都合のいいように子供だの爺だの言いやがって」と雪那が再び食って掛かろうとしたが、私の盛大な腹の音がそれを遮った。

「酷い音だな、おい」

 すっかり毒気を抜かれた様子の雪那が本気で呆れた顔をして言う。一方の私は腹の音で羞恥は感じないものの、代わりにひもじさを感じて自分の腹をさすった。少し前まで空腹など常に感じているものだったのに、今では耐え難い感覚になりつつある。

 何か食べたい、と純子に視線で訴えようした瞬間、目の前を陰が遮って上を見上げた。影を作っているのは蓮太郎だった。

 いつの間に、という思いと共に心臓がドッと大きく脈打ち始める。近づいてくることに全く気付かなかった。分かっていれば距離の取りようもあったのに、いま動いたら食われる、という謎の危機感のせいで離れることもできない。

 かちん、と固まった私に気付いているのかいないのか、表情の読めない蓮太郎はそのまま私と目線を合わせるように膝をついた。赤黒い瞳。逸らすことを許さず私を縛り付ける。蓮太郎はそのまま私に何かを差し出した。

 それを見た瞬間、今までの私の緊張感は何だったのだろうと思いたくなるほど拍子抜けした。蓮太郎の手には赤くてかわいいドライフルーツ。くんくんと鼻を動かすと、果実のさわやかな甘い香りがした。ぐるるるるるると鳴き続ける自らの腹に促され、私はゆっくりと蓮太郎の手からそれを取った。そしてゆっくりと口に含む。甘い、美味しい。私は一気に幸せな気分になって、その味を噛み締めた。

 そして不思議なことに、あんなに抱いていた蓮太郎への危機感が薄らいだ。人間とは違う捕食者へ感じる違和感はあるものの、自分が捕食対象でないことはすとんと心に落ちた。

 食われなかった。食べ物をくれた。この人は私に害を与えない。本能が告げるまま、私は蓮太郎に対する警戒心を解いていた。

「警戒してても食べ物は貰うんだな」

 雪那の突っ込みも、言葉の分からない私には届かなかった。

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