13 真っ赤な鎖

「なんで自己評価をデータに残す必要があるんですか」

 会議室に、低くてくぐもった声が静かに響き渡った。クリンダ社の役員、永田さんの質問が、次々と飛んでくる。


 七月下旬、窓も俺達も溶かす勢いで照らす太陽に、出されたお茶を勢いよく飲んで体温を下げた。



 観光街そして歓楽街でお馴染みの上野。この人種のるつぼの小さなビルに、クリンダ社の本社はあった。入院患者用の入院セットをレンタルするサービスということで、お年寄りの多い東京北側に近いこの場所を選んでいるらしい。



「自己評価は、最終的な評価の調整にも使わないんですよね? だったら、面談のときに評価される側が口頭で伝えればいいじゃないですか」


 隔週に1回の定例会議。今日のメインテーマは、【期末の評価プロセスについて】


 長方形の机の両辺に座る。一方はストレイブルーの橋上さん・俺・長石、もう一方にはクリンダの永田さんと実務担当の女性、橘さん。

 彼女はほとんど発言しないので、キーになるのは永田さんだ。



「えっと、私からお答えしますが」


 橋上さんとアイコンタクトした後、少し身を乗り出して答える。メモを取る担当の長石が、打鍵のために身構えた。


「評価は別に給与を決めるためだけにやる訳ではなくて、社員の育成・指導にも活用するものです。例えば、自己評価が5点、最終的な評価が3点なら、その人は自身に甘い評価をしていることになりますよね? そういうところを見るためにも、きちんとログを残しておいた方が良いかと思います」

「あー、なるほどね。指導のためか、はいはい」

 ペンを顎につけて頷く。うしっ、即興の割にはうまく答えられた気がする。




 役員の永田さんは40代前半。背が比較的高く、かけてるのを雑誌でしか見たことないような白フレームの眼鏡。


 もともと別のベンチャーで経理や人事の管理系をやっていたらしく、クリンダ社の管理本部役員として最近入ったらしい。要は「ベンチャーを渡り歩いているキレ者」ということで、経験を武器に積極的に議論する。

 議論は進む反面、なまじ詳しい分、やりづらい面もある。




「ん、でもですよ。差を見て指導するだけなら、それこそ口頭で自己評価を聞いて、その場で指導すればいいじゃないですか」

 うっ、手強いなあ。ええと、ええと……。


「……あとはですね、本人がつけた点数より、評価者の点数があまりに低ければ、ひょっとしたら評価者が厳しすぎるって可能性もありますよね。ログを残せばそこも見ることが出来ます」

「んん、なるほどね」

 ふう……。



 20代半ばの自分が、こういう人と「人事のプロ」として議論するのは大変。


 安くないお金で契約してるから「使えない」と思われたらすぐに橋上さんに要請が来て俺の代わりに別の人が入るだろう。

 だからこそ、関連する法案や他社事例の勉強を続けて、「話が出来る」人間にならなきゃいけない。



「あとね、点数の計算方法で聞きたいことがあるんですけど」

「はい、お願いします」

 戦う。一緒に人事制度を作ってる仲間だけど、舐められないように、戦う。




「唐木さん、質問にはうまく答えられてたね」

 会議が終わった帰り道。橋上さんからのフィードバック。おお、悪くない手応え。


「でもスライドの説明は全然ダメだね。一般論で話してどうするの? 唐木さんが6月から担当してる意味ないじゃん」

 うわお、持ち上げてからの急降下ですか。まだ逆の方が良かったんですけど。


「じゃあ、長石さん、帰ったら議事録お願いね」

「はい、分かりました。唐木さんにチェックしてもらいます」

 騒がしい上野の町を抜けて、駅に向かった。




「カラさん、議事録送ったので、チェックお願いします」

 大勢の雲が暮れ始めた空を隠しに群がった頃、長石が俺の席まで来た。芳香剤のような香りが鼻をくすぐる。おい、もっとまともなものに例えられなかったのかよ。


「ん、分かった。今日やることなかったら帰っていいよ」

 俺の言葉に、苦笑いしながらミントタブレットを口に入れる。


「いえ、評価シートの修正あるんで……たまには早く帰りたいですけどね」

「な。2週間くらい定時にあがる生活やってみたいよな」


「そしたらアタシ、ホットヨガ教室に通います! 1か月分のプログラムを10日間で終わらせる感じ」

「逆に体に悪いだろそれ」

 ヨガって焦ってやるもんじゃないぞ多分。



 長石からメールをもらって1時間半、ようやく議事録のチェックに着手できた。

 送った本人は「お腹減ったんで、帰って食べてから続きやります」とのこと。エラい。俺は食べるとひと段落しちゃってギア入れ直しにくい。



「……おお…………」

 もらったWordを見て、思わず声を漏らす。新人だから当然仕方ない。仕方ないけど、やっぱりひどい出来だ。




 新人コンサルタントの一番の仕事、議事録作成。


 話し合いの中で方向性を決めていく。だからこそ、「なぜこういう制度にしたのか」「どんな経緯で決まったのか」「次にやることは何か」をきちんと紙に落とさないと、言った言わないの話になったり、決定経緯が追えなくなったりする。


 漏らさず正確に、ニュアンスも含めて議事録を取る能力は、俺達の基礎スキル。きっと他の業界でもそうなんだろうけど。




「さて、直すかね」


 無言になって修正を始める。一応、誤字脱字はチェックしてるようだけど、まだ甘い。声に出して読むと一発で分かるぞ。


 永田さんの発言も一部飛んでるから追記しなきゃ。多分意味を考えながら打ったな。向こうがバーッと喋ってるときは意味なんか後でいい、まずはメモを取り漏らさないことだ。


 ニュアンスも違う。こんな否定的な意味で言ってない。ここは発言上は確かにこの順番だけど、こっちと話が繋がってるから入れ替えた方がいいな。




 今回の議事録はクライアントに送らない。だから最低限チェックしとくだけだっていいんだ。たまには早く帰ったっていいんだ。


 この調子でいったら1時間半はかかる。そんなに細かく見てあげなくたっていいんだ。



 でも残念ながらそんな気にはならない。「ここで直してあげた方が、将来彼女のためになる」とか「今後直す量が減るから長期的に見ればプラスだ」みたいな思考じゃない。そんな風に綺麗にスマートに生きられればいいんだけどさ。


 ただただ、自分が先輩にやってもらったことを思い出して直す。俺がどれだけ真っ赤にしてもらったか。赤ペン先生かと思ったぜ。



 上から下へ、その連鎖を止める気にならなくて、手は抜かない。俺も真っ赤にして、ボコボコにして、アイツも後輩に同じことをする。ただそれだけだ。

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