Think:思考を止めるな ~医療サービス 人事制度設計~

11 先行き不安なサンドイッチ

「じゃあ唐木からきさんと長石ながいしさんに、今の指摘を資料に反映してもらって、と。明後日の夕方前とか、打ち合わせできる?」

「あ、分かりました。予定見て、入れておきます」


 PCを閉じながら、橋上はしがみさんが「よろしく」と返事をして会議室を出て行った。時間は15時半。うん、予定通り終わったな。



 28階建てのビルの23階。フロアの両端に配置された、外が見えるガラス張りの会議室。


 7月に入り、あれだけ俺の通勤をブルーなものに変えていた梅雨も過ぎて、カンカン照りの陽光がガラスを溶かさんとばかりに降り注ぐ。

 風も抜けないビル街、熱を溜めるコンクリートの集合体であるこの辺りは、その分オフィスの快適さが際立っていた。



「うっす、シュージ。あれ、今は何のプロジェクト?」

「人事制度設計だよ」


 席に戻る途中で、同期の川本に声をかけられた。ネイビーのジャケットにグレーのパンツ、ジャケットにはポケットチーフをあしらっている。ううん、相変わらずオシャレだ。俺は同じのを着てもカッコよくキメられる気がしない。


「え、前の接着剤メーカーの?」

「ああ、いや、大和アドヒーシブは終わったんだ。6月から医療サービス系の会社」


 そう、5月に終わったのに、早速次の仕事に入ったというわけ。




 コンサルタントは、プロジェクトが終わったらどうするのか? 就活生が読むコンサル業界の本にもよく書いてある質問だ。


 基本的には、次のプロジェクトにアサイン(=任命・割り当て)されるのを待つ。ちょうど良いプロジェクトがないときもあるから、2~3週間アサイン待ちというときもある。このときの状態をアベイラブル(=すぐに利用できる)と呼び、「アベだ」とか「アベってる」とか使ったりする。つくづく変な言葉。


 で、その期間はやることがない。上司のセミナーの資料作りを手伝ったりすることもあるけど、本当にやることがないときもあって、社内研修や読書で知識の研鑽をして手持ちの武器のレベル上げをする。で、


 これですよ、これ。普段できない定時退社をして、「オフを満喫するメリハリ社会人」をやってやろうってなわけですよ。映画見て、料理して、漫画読んで、ゆっくりお風呂入って。1週間有休とって旅行とか行ったり出来るんだぜ。最高かよ。


 ところがですよ! 今回はアベの期間無しで次のプロジェクトですよ! 「ちょうど良い案件が取れたから」ってこっちの都合はどうなるんだ! 俺の幸せアフター5計画をどうしてくれるんだよおおおおお!




 はあ。そんなわけで、6月からのクライアントはクリンダ社という、250人くらいのベンチャー企業。

 急に入院することになった人に、タオルや歯ブラシなど入院セットをレンタルする会社で、独居老人なんかを中心に人気らしい。面白いサービスが日夜生まれるもんだ。


 少人数のときに簡単な人事制度を作ったけど、評価も給与・賞与の仕組みも今の人数には合わなくなってきたので人事制度を見直すことになった、というわけ。

 

 HRチームに所属するコンサルタントの仕事は大きく分2つ。1つは、クライアント(=お客様)の報酬制度を見直したり、M&Aで1社になった会社の評価ルールを統合したりと、人事制度に絡む仕事。もう1つは、給与や評価を管理する人事システムの導入を支援する仕事。今回の仕事は前者にあたる。


 具体的には、社員を区分する等級制度、評価の項目や点数基準を決める評価制度、給与・賞与の仕組みを決める報酬制度の3つを改定することがゴールだ。




「誰がプロマネなの。俺知ってるか分からないけど」

 会計系チームのお前が知ってるわけ……なくもないな。


「橋上さんって覚えてる? 新卒研修でHR(=Human Resource:人材)の講義やってくれた人」

「ああ、あの人か! 結構明るい人だったよね」

「ん、ああ。ああいう場では結構明るいんだけどね」


 一緒に仕事すると結構大変なんだぜ……。

 あと、問題がもう一つ。


「川本さん。こんにちは!」

 俺の後ろから、川本に飛んでいく高い声。


「おお、長石さんもシュージと一緒にやってるのか」

「そうなんですよ。私初めてのプロジェクトなんで、カラさんに色々お世話になってます!」


 イノセントに笑いながらパッパッと首を左右に振って、耳にかかっていた茶髪を後ろに流す。


 長石麻紀。今年入ったきた、まだ入社4ヶ月の彼女と、今回タッグを組むことになった。



「で、と。長石さん、さっきの橋上さんの説明分かった? レンジの話」

「分かりました。社員の等級間で、給与のレンジ(=下限・上限の幅)を重複させるかどうかってことですよね」


「そう、そこをパターン出して、クライアントに決めてもらうってことだね」

「なるほど、じゃあそのスライドを追加すればいいんですね」

 自席で打ち合わせ。彼女は自分のノートに書いたメモを一生懸命見返している。



 今回のクリンダ社のプロジェクトは6月から始まり、まずは役員クラスとマネージャークラスの社員の方にインタビューをして問題点を洗い出して、制度の方針を固めた。


 そして7月から10月の4ヶ月で人事制度の設計を行うことなったこのタイミングで、各チームで新卒を受け入れることになり、HRチームに配属された3人のうちの1人、長石がうちのプロジェクトに入ってきた。


 一度後輩と一緒に仕事をしたことはあるけど、あのときはこっちも2年目、向こうが1年目だったので、後輩というより同僚みたいな感じで進めたような。

 そういう意味では、ちゃんと先輩・後輩として仕事するのは初めて。




「でさ、長石さん。例えば2等級と3等級の社員で給与のレンジが一部重なってると、どんなプラスがあると思う?」

「え? んっと…………あ、ずっと2等級にいても、3等級よりも高い給与をもらえます」


「……うん、つまり?」

「えっと………………」

 まあちょっと難しかったかな。


「つまり、昇格しなくてもしばらく給与上がるよ、ってことだよね。昇格できなかった人も途中で給料頭打ちにならないから、年功主義的に運用することができる」

「あっ、なるほど」


 深く頷く長石。

 大卒22歳、黒寄り茶髪で丸みのあるショートボブ、ぱっちりした目と濃すぎない化粧、楚々とした印象の白いインナー、元気と愛嬌。新卒女子というカードを寸分の狂いもなくデコレーションした、イノセントなピカピカ1年目。


「というわけで、重複させるかどうかを決めるスライドを一回作ってもらって――」

「あのさ、唐木さん」


 後ろから、制すような声が響く。少し早くなる鼓動を素早く1呼吸で鎮めて振り返ると、橋上さんだった。


「もう1つ、前に話してるよね、重複する場合のメリット。なんでそれも一緒に教えてあげないの」

「あ、えっと…………」

 何だっけ、何か………………いや、おとなしく観念しよう。


「すみません、すぐに思い出せません」

 頭を下げると、彼は少し溜息をつく。


「長石さん、給与を重複させるってことは、下の等級でも高い給料が払えるってことだよね? ってことは中途採用がしやすいって面もあるんだ。『本当は下の等級で採用したいけど、今の給料考えると上の等級に格付けないと上限超えちゃうな……』ってことが少なくなるから」

「なるほど、うん、そうですね」

 長石の方を向いていた橋上さんが、瞬時にこっちに視線を移す。


「教えるのは良い事だけど、ちゃんと教えてね」

「はい、すみません……」



 ピッチピチな後輩と、率直な物言いトークストレートの先輩に挟まれ、俺は今日もサバイブするためにもがきます。

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