クラス委員・奥屋恵美から渡された案内状を見て、即決で参加希望を出した事を思い出した。淡い期待もあったが、何よりこのイベントは楽しみだった。このクラスは本当に一致団結していて楽しい。でもこのクラスで良かったと思うのは、隣にいる英太の存在だと渚沙なぎさはいつも思う。


 英太は『笑わずの君』と言われていた。 言葉は多くないし、人と少し距離を置く。でもクラスにいて気付いたのは、彼は人がキライなのではなくて、照れ屋シャイなのだと言うこと。


 渚沙が教科書を忘れた時にさり気なく無言で見せてくれたのを鮮明に思い出す。それが英太とのキッカケだった気がする。


 ありがとう、って言ったら英太は顔を赤くして頷いてくれた。そして、あえて小声で付け加えた言葉が可愛いなぁ、と思いながら。


 ――たいした事して、ない。


 渚沙は笑って返したのだ。私にとっては【たいした事】だよ。緊張なく自然に笑っていた自分。何でもなくて当たり前のように。そんな他愛もない時間も積み重ねてきて。


 渚沙はうっかりで、いつもドジをする。それをさり気なくフォローしてくれるのが英太で。そんな事を繰り返していると、英太についたニックネームは【渚沙係】


 渚沙の面倒は眞島君が見てね、とまでクラス委員の恵美にまで言われる始末。確かに、朝食を抜いて目眩がしたり、寝坊常習犯だったり、課題をよく忘れたりするが、そこまでじゃない! と断固抗議をした。第一、英太に迷惑がかかるのが申し訳ない。


 英太は小さく笑った。

 ――じゃ、寝坊しないように一緒にがんばろうか。


 分かるか、分からないかぐらいに小さく笑んで。


 周囲の誰かが、そんなに無愛想に言わなくても、と言った。あれ? 気付かなかったんだろうか、と思う。英太はよく笑うのに。

 彼は無愛想な【笑わずの君】じゃない。本当に優しく笑うのに。


 生クリームを温めながら思う。


「これでいいかな、宇河うかわ?」


 英太は手順を確認しながら、渚沙に真っ先に確認をしてきた。


「ちょいちょい、ちょっと? 眞島まじま君。女子は私もいるんですけど?」


 じろっと、恵美が言う。その表情はやれやれと苦笑をにじませていた。


「いや、こういうのは宇河の方が得意だし、奥屋は明らかに苦手だろ?」


「ひ、ひどくない!?」


「確かに」


 と納得した、同じくクラス委員の柿崎隆弘は見事な正拳突きを受けて、床に沈む。


「空手部、いきなりの暴力は……よ、せ」


「あ、柿崎君。ちゃんと混ぜないと、生チョコにならないよ?」


 と渚沙は声をかけた。せっかのチョコだ、みんなで成功させたいと思う。


「チョ、チョコの為ならば、これぐらいのダメージで負けはしない!」


 男子クラス委員である隆弘は【公然とチョコが食える企画】である事を声を大にして叫んでいた。そこに賛同する男子の多い事――と思ったら、英太は我関せず。英太はどうなのだろうか? やっぱりチョコが欲しいんだろうか? それとも特定の相手から待ち望んでいるのだろうか――巡る思考に身を任せていると、どんどんと怖くなっていく。


 と、すぐに隆弘は復活し、何故かクラス一同から拍手を受ける。隆弘はいつもそうやって場を和ますのだ。渚沙はも笑って、思考を打ち払った。泡立て器でチョコと生クリームを混ぜていく。お菓子作りで泡たて作業は、なかなか力仕事で根気がいる。案の定、多くの男子がすぐに根を上げはじめて女子の叱咤を受けていた。特に同じ班の奥屋の柿崎への叱咤は、言葉なく上げ突きを顎にクリーンヒットと容赦無い。


 まぁ日常茶飯事、二人なりのコミュニケーションと理解して、英太に目を向ける。


 英太は辛抱強く、泡立て器を回していた。少しずつチョコはクリーム状に馴染んでくる。こうやって想い出は溶けていくんだろうか。こうやって英太と一緒に居られる時間も撹拌して消えていくんだろうか? それを考えるとコワイ。


 英太は誰のチョコを望んでいるんだろうか。バットにチョコを流しこみながら、考える事は英太の事ばかり。バレンタインに愛の告白――。確かに絶好の機会なのだが、拒絶される事を考えると、言葉すら出てこない。何よりクラスイベントで、それをする勇気をもてない自分が情けなかった。


 じゃあ他の女の子が英太にチョコをあげたらどうする?


 それは考えたく無い。自分の感情の意味に自覚したのはいつだったのだろうか。勇気を出せない自分。


 ――眞島君はカッコいいよね。


 そう体育祭で恵美が言った時、全てを奪わた気がして、思わず彼女を見てしまった。クラス委員をしている恵美は明晰で、人当たりもいいし、常に中心にいて頼れる存在だ。英太もきっと、こういう女性が好みなんだろうなぁ、と思う。それに比べて、自分はウジウジしていて前に進めない。取り柄もない。


(ダメだな)


 と小さく息をつく。ふと、英太と目があった。その目がどうしたの? と聞く。何でもないと首を横に振る。英太は小さく頷いて、離れずに傍に居てくれた。


 冷蔵庫で冷やす事40分、その間それぞれ話に花が咲くのに、渚砂は言葉が出てこない。本当は話したい事がたくさんあるのに。いつもはもっとたくさん話せるのに。それが歯痒くて、情けなくて。


 自覚する。

 こんなに英太が好きなのに。


 クラスの誰かがきっと英太に渡すだろう。恵美ならきっと「味見してみてよ?」って軽いノリで言う事ができるだろう。そんな些細なアクションすら渚砂には勇気がもてない。


 包丁で切り分け、一口サイズにカットして皿に盛り付ける。


「おーい、男子。一応、女子の一口分で頼むよ。後で試食会するから」


 と隆弘が言った。大事な所でしっかり指揮をしてくれるのが彼だったりする。行動派の恵美と、抑える隆弘。このクラスが和気あいあいと回ったのはこの二人の存在が大きい気がする。


 と、英太がデコレーションした皿を渚沙に差し出した。


「え?」


「他の奴らに食べられる前に、食べてみて」


「い、いいの?」


「うん」


 と言って、頬をかく。


「だから宇河のも一番先に食べさせて」


「え?」


「……本当は独り占めしたいけど、そうもいかないだろ……」


 ぶきらぼうに言う。その意味を考えて硬直する。


「――迷惑だったらごめん」


「め、迷惑じゃない!」


 クラスメートがいる事も頭の中から消し飛んで、渚砂は叫んでいた。


「私も、英太君のチョコ独り占めしたい! 他の子からチョコもらう英太君はイヤ! だって英太君が好きだから!」


 思わず出た言葉に、自分自身で唖然とする。自分は今、なんでこの場で言ってしまったのだろう。一瞬の静寂、そしてすぐに歓声と拍手が沸き起こった。


「え?」


「――やれやれ、やっとだねぇ」 


 と恵美が苦笑しながら言う。え? え? 渚沙は訳がわからない。


「遅いんだよ、お前ら」


 ニヤリと隆弘も笑う。


「はい、みんなも囃し立てない。それぞれのグループでデコレーション再開して」


 パンパンと、恵美が手を打った。


「えー?」


 という不満そうな声に笑い声が混ざって聞こえるが、すぐに何事もなかったかのように、みんなはそれぞれの作業に戻っていく。


 と、隆弘がとんと、英太の肩を叩いた。


「男だろ、自分の声で気持ち伝えろよ」


「……わかってる」


 と言った英太の目が渚砂を見る。

 渚砂の中で時間が止まった。


 賑やかな笑い声が飛び交う。それなのに、自分の鼓動がそれすらかき消してしまう錯覚を覚えた。近いのだ、英太との距離が。


 耳元に英太が囁く。息遣い、呼吸それを肌で感じてしまう程の距離で。


「宇河、好きだよ」


 この瞬間、渚沙の中の何かが弾けて――誰が見ているのかも関係なしに、英太に向けて我慢していた感情が溢れて。言葉にならなくて、言葉だけじゃ足りなくて。だから渚砂の体は尽き動く衝動に押されて、英太に手をのばすように、その耳で英太の鼓動を聞く自分に迷いはなくて、気持ちが溢れて止まらなかった。

 

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