第8回 ものすごいパワーでトイレのドアを押さえる子さんは果たして?

 毎回タイトルを長くしがちなのは私の趣味なのかもしれない。


 昔から結構言われている話だが、「霊感は脳障害の可能性がある」という意見に私はある程度賛成する。

 例えば私の家族は結構長命で、晩年にさしかかるとやはり認知症を患うのだが、そこに存在しない誰かと会話している事がある。それは霊体験をしている状態に似てはいないだろうか。


 私のあまり多くも無い体験の中で、脳の問題なのか実際に存在したのか結論を出せない存在が、掲題の「ものすごいパワーでトイレのドアを押さえる子さん」である。

「押さえる子さん」に悩まされていたのは恐らく大学から専門学校へ移り、ライター兼ITコーディネータなんていう肩書きで独立する頃までの六、七年間程である。


「ものすごいパワーでトイレのドアを押さえる子さん」はその名の通りの事をしてくれる存在である。

 朝トイレに入ると、ドアを押さえつけて私を閉じ込めるのだ。

 一度閉じ込められると十分近くは押さえられっぱなしなので、結局遅刻ギリギリまたは遅刻になってしまう。

 部屋と廊下を隔てるドアを押さえてくれるなんて事も一度だけあった。

 何故「押さえる『子さん』」なのかは、一度だけ押し返して出来たドアの隙間から、テーブルクロスのような緑の生地に白い花柄のワンピースめいた服が見えたからだ。まぁ、ヘタレな私はびっくりしてドアを離してしまったので、一度しか見た記憶は無い。


「押さえる子さん」はどちらかといえば、私の味方だった。「押さえる子さん」が現れる時に限って良くない事が起きるからだ。

 それこそ、仕事に行かない方が良かったと思うくらい。

 多くの場合、私が原因のミスでは無く、他人のミスを何故か私の責任されてしまうような絶対に予期出来ない理不尽な事故の際に現れる存在が「押さえる子さん」なのだ。

 私は「押さえる子さん」が現れた際に二回程ズル休みをしたが、そのどちらも仕事で予期できないトラブルが生じ、もし出社していたら私が尻を拭うような案件ばかりであった。

 なんて素敵な存在と思うかもと思うかもしれないが、出現率は低かった。そもそも押さえる子さんはドアを大きく開けたままで用を足せば現れなかった。


 だが、当時の私は社畜丸出しで、遅刻は極悪の所業だと思っていた節もあるほどだった。押さえる子さんの警告を次第にないがしろにしていった。

 敏感な友人は私の家へ来ると、「なんか見られてる」と言う事があったものの、私はもう気にしても仕方ないと開き直っていた。なんせ、「物干しシャドー」のように見えているという事が無かったからだ。しかも二度引っ越しをしたのだが、どの家でもドアを押さえられた。物干しシャドーと同居していた時もだ。


 だが、「押さえる子さん」がついに大きく開いたドアを閉めて私を閉じ込めた事がある。

 私の当時の勤務先は8時前出勤で、20時前には退勤できるものの、朝6時45分には家を出なければならず、しかも週六日勤務であった。何故そんな企業にいたかは後述する。

 その日の朝の目覚めはすっきりしていた。昨晩は家にたどり着くとスーツを脱ぎ捨て、ベッドへ転がり込んだからか、睡眠時間も十分で気力も充実していた。

 身支度を終え、ドアを180°近く開け放ったままでトイレに入ったのだが、そのドアが風も無いのにかなりの力でドンと閉じてしまったのだ。

 押さえる子さんだと直感したが、人がいるかもしれないという不安もよぎり、私は「誰だ!」と叫んだが、無論返事は無かった。

 当然親にも交際相手にも鍵を家の渡していたので、侵入される可能性は多いにあった。

 基本的に「押さえる子さん」とはあまり格闘はしない。借家のドアを壊す訳にもいかないので、それ程抵抗する事もせず待っていると、ドアは反対側からの圧迫が無くなって、普段の状態を取り戻す。それを見計らえば、何事も無く開くのだ。

 その日はかなりしつこかったので心配になり、トイレを出てから部屋の隅々まで探しても人などいなかった。

 そもそもトイレは玄関ドアを入ってすぐ正面にあったので、誰かが出入りすれば玄関ドアを開け閉めする音で確実に分かるのだ。

 結局、閉じ込められていたのは二十分弱で、遅刻確定かと思ったが、偶然乗換駅で多少の遅延があったため、乗らなくてならない電車に間に合った私は遅刻せずに済んだ。


 しかしその日、大きな損失を出す事態が発生したのだ。

 会社で加工したある製品を、緊急で遠方の二カ所へ航空便で届けなくてはならなかったのだ。しかもかなり大量だった。

 しかし、その納品数が逆になっており、かなりの損害が出てしまったのだ。原因は電話口で発注の仲介をした営業マンが、私に数を逆に伝えた事にあった。

 だが、その後処理が完了して出荷開始した直後、正式に書類で納品先と納品数を後から渡されたのだが、その書類上は正しかったので、私がミスをしたのではないかと疑われたのだ。

 問題発覚直後に営業マンへ連絡し、事情説明に参加してくれと言ったのだが、突然電話を切られ、そのまま音信不通になってしまった。

 結局、賠償も含めて四桁万に迫る損失が出てしまった。

 その営業マンは数日の無断欠勤の後に解雇されたそうだ。


 以前の話の通り、私の上司は元友人で当時の仲はかなり険悪だった。

 ただの愚痴になるが、彼は今の業態を辞めて新規事業を立ち上げるからと、ITに詳しい私を会社へ呼び込んだのだが、数年間それを一切やろうともしなかった。最終的には「それくらい言わないと来てくれないだろ」と私に言い放ったのだ。

 どうやら彼は私が勝手に動いて勝手に稼いできてくれる事を理想としていたらしい。

 結局私は一番不得意な数字を扱う仕事をさせられ、さらには機械操作まで覚えさせられて現場に出されるなどしていた。

 まぁ、顔を合わせれば私が彼に色々指摘していたから遠ざけたかったのだろう。

 一応、Webで新規顧客から一年で三千万強の売り上げを叩き出した。売上四億で少しずつ減益していた企業だったので、さぞかし私は褒めそやされる事だろうと鼻高々だったが、甘かった。給与は『不況だから』というよく分からない理由で毎月数千円単位で減る一方だった。

 そして二年目以降も同じ予算(宣伝広告、Webサーバレンタル料含めて年間三万円前後)で初年度と同じプラス利益の目標を設定され、あまり達成出来なくても責められる事は無かったが、給料は減らされ続けた。

 更に気付いた時には、彼の親族が絶対に付き合ってはならない危険な得意先と取引を始めてしまったのだ。

 その事で精神的に参っていたのは元友人も同じではあったが、人を騙した上に、その人間に責任をなすり続けるその態度に、私は限界まで追い詰められていた。


 そしてあの大きな損失を出した日、案の定私は営業マンのせいにするなと責め立てられ、恐怖を感じた私は誰も見ていない隙に、逃げるように会社を後にした。

 その後はただただ恐怖で、覚えている事は断片的だが、私は家へ帰るなり右手に麻痺を覚え、疲れたのだろうと寝転がっていたのだが、右足も痺れはじめて救急搬送された。

 脳梗塞だと自分で思った。これはもう駄目だと。

 しかし、数日間入院し、二度のMRIと脳CTを含むあらゆる神経の検査を受けたが、幸い何の問題も発見されなかった。

 その間も毎日元友人がやってきては『お前のせいで』を枕詞に事の顛末を事細かに報告してくれた。病床で一切の食事も取れず、頭の位置も動かせない私に処分するから覚悟しろなどと言い放つ彼の滑稽さに、私は何度も嘲笑いそうになっては堪えたのはよく覚えている。

 その後、なんとか会社からは逃げおおせたが、度重なるブラック企業での労働によって、会社へ行くという感覚が恐ろしくなった私はあらゆる過去の伝手を辿り、一人で一年半程仕事をする事を余儀なくした。


 この顛末以降、「押さえる子さん」とは遭遇していない。

 もし、「押さえる子さん」の警告に従って出勤しなかったら、私は未だにあの会社で罵られ続けながら働いていた可能性もあるので、少し複雑な気分だ。

 だが、私は「押さえる子さん」がもし存在するものだったとしたら、感謝したい存在ではある。



 病院(しかも誰もが知っているレベルの病院)であらゆる脳検査をし、脳に障害はないと診断された私だが、何故この「押さえる子さん」を脳障害の類、あるいは幻かもしれないという可能性を捨てきれないかについての仮説は以下だ。


 まず一つは記憶の曖昧さである。

 私は全ての事を克明に覚えていると断言出来るかといえば、全くもって出来ない。

 もしかすると、既に何か問題が発覚する可能性を私は予感していたかもしれないという事だ。

 そのストレスから「押さえる子さん」を生んでしまったのかもしれない。全ては気のせいだった可能性である。まぁ、これは私に予知能力でもなければ成立しない事ばかりなので少々難しいが、一部は説明出来るだろう。


 二つ目の仮説は『過去に嘘の記憶をねじ込んでいる』可能性である。

「押さえる子さん」を記憶の中にねつ造しているのではないか? という事だ。

 こう言ってしまえばドラえもんの秘密道具『ソノウソホント』並に全ての心霊現象の前提が崩れてしまうのだが、これについても考察しておきたい。そのための『れーかんにっき』だ。

 見聞きしたと事はその場からどんどん過去になっていく。

 いくらリアリティがあったとしても、それは実際体験したかそうでないかなど、本人を含めてタイムマシンでも無い限り証明が出来ないのだ。

 そして、本人が絶対予期できないような事態が発生している事も、これなら合理的……とは少々言いにくいが、説明がつく。

 私に予知能力なんて無い。そもそも信じてもいない。

 つまり、遅刻ギリギリで出勤した日に予期しないトラブルが発生した、更に精神的に疲労しているなどの条件が重なった瞬間、無意識の中で記憶に「押さえる子さん」をねつ造しているのではないかという事だ。


 ただ、この仮説は無茶が過ぎるのは分かっている。

 乏しい証拠だが、その当時は閉じ込められたら携帯電話を持ち込んでいれば当然メールを書いたりmixiを見たりしていた。なんとなく、『トイレから出られねー』なんて事もmixi日記でぼやいていた。

 だが、一縷の可能性として、『記憶のねつ造』もここに残しておきたい。

 いずれにしても、「ものすごいパワーでトイレのドアを押さえる子さん」についても、謎に包まれたままである。

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