第3話 小さな男の子と子犬

 かえでと岳斗がくと花咲はなさき村に疎開そかいして、一週間ほどたったある日。

 

 お昼からはいつものように学校の校庭で、夕暮れまでみんなで遊ぶ。

 この日は慎太しんたの母が布きれと綿で工夫して作ったボールを使って、蹴鞠けまり合戦をすることになった。

 ゴムや皮革のボールなどは高価であり、学校にもおいていない。

 

 校庭に枝で線を引き、三対四で蹴りあう。慎太は岳斗と夕子ゆうこ、かえでは幸吉こうきち照美てるみ寛治かんじで組を作った。

 やはり大柄な慎太が蹴る球の威力は大きい。

 ポーンと蹴り上げた布球は小さな寛治の頭上を越えて、校舎のほうへ飛んでいく。


「あーっ、ごめんごめん! 強く蹴り過ぎちゃった」


 慎太は大声で謝る。

 寛治は出征している年の離れた兄譲りの学童服が大きいのか、袖をまくり上げたまま走って追いかける。

 校舎前の庭には今はほとんど使われない朝礼台があり、布球はその反対側まで転がって行った。

 

 かえでは、おとなしそうな印象であるが、負けん気は人一倍強い。


「今度はわたしが逆転してあげるんだから」


 息巻いて慎太をにらんだ。


 ところが、寛治が布球を取りに行ったまま帰ってこない。

 

 朝礼台を見る方向に立つ慎太、岳斗、夕子はじっとたたずんだまま首を伸ばしている。

 かえでは不審に思い、後方を振り返った。

 色あせた木製の朝礼台の向こう側に寛治が立っているのだが、どうも様子がおかしい。


「寛治くーん、どうしたのぉ」


 かえでは両手を口元に当てて叫んだ。

 先に動き出したのは慎太である。さすが学級委員といったところか。

 ダッと駆けだす。

 すぐにかえでや他の生徒たちも走り出した。


「おーい、寛治ぃ」


 朝礼台に近付くと、慎太は寛治の肩を叩こうとして止まった。

 追いついたかえでたちも、息を切らせながら朝礼台の階段部分に目をやった。


「きみ、誰?」


 慎太は首を傾げながら、そう声を掛けた。

 

 朝礼台の階段の影に、ちょこんと座る小さな子供がいたのだ。

 しかもその横には両掌りょうてのひらに乗るくらいの、これまた小さな子犬がおすわりの姿勢で首をかたむけている。

 

 小さな子供は坊主頭の男の子だ。五歳くらいだろうか。

 真ん丸な顔には、丸いセルロイドの眼鏡枠を紐で耳にかけている。

 紺生地こんきじ井桁いげた模様の浴衣ゆかたを着ており、真ん丸なお腹あたりにわらで編んだひもを巻いていた。

 地面に腰を降ろし、ふくよかな腕で立てた膝を抱えている。

 短い浴衣は少しはだけ、真っ白なふんどしが見えた。

 足元は藁草履わらぞうりを履いていた。眼鏡の奥には糸のような細い目が楽しげに生徒たちを見上げている。

 

 子犬はどうやら柴犬らしい。

 聡明そうな真っ黒な目でかえでたちを見上げ、はぁはぁと舌を出していた。

 その子犬は茶色よりも、もっと明るいだいだい色の毛並みだ。

 飼い犬であろう、首には藁の紐が結ばれていた。


「ねえ、きみ。この辺じゃあ見かけないけど、どこのお家の子?」


 慎太はしゃがんで男の子に問う。

 かえでたちのように、町から疎開してきた子かもしれないと考えたのだ。

 男の子は健康的に赤くまん丸な頬をしており、かえでは思わずくすりと微笑んだ。


「ねえねえ、この子犬さわっても噛みつかない?」


 さっきから気になっていたのか、幸吉がしゃがんで子犬の頭をなでようとする。

 気配を察知したように、子犬は自ら進んで立ち上がると頭を幸吉の足元に寄せた。


「あっ、この子賢いや! ぼくの言葉がわかるみたい」


 とたんに夕子、照美がしゃがんで奪い合うように子犬をさわり始めた。


「何犬かなあ」


「柴犬じゃないか」


「えーっ、だってこんなに明るい色の毛だよ」


 子犬はすっかり子供たちのおもちゃになっていた。

 鳴くことも吠えることもなく、嬉しそうに短い尻尾を懸命に振る。

 

 かえでは男の子のふっくらとしたほおを優しく突きながら、訊いた。


「あなたも町からソカイしてきたの?」


 男の子はかえでに見つめられ、恥ずかしそうに下を向いた。


「もしかして前にお母ちゃんが言っていた、戦災孤児せんさいこじってのかなあ」


 慎太が言う。


 それならかわいそうだわ。

 かえでは男の子の頬から五分刈りの頭に手をやり、なでる。


「おら」

 

 ささやくように男の子が下を向いたまま声を出した。


「うん? なにかしら」


 かえでは男の子の顔をのぞき込む。


 真っ赤になった顔で、男の子は言った。


「おら、この村に、ずっといるだよ」


 かえでは横の慎太と顔を見合わせた。慎太は頭を振った。


「えっ? だってこの花咲には子供っていったらぼくたちしかいないよ」


 男の子はちらりと慎太に顔を向ける。


「おらとこの子は、あそこに住んでるだ」


 指さす方向にかえでは顔を上げた。


 校舎の裏にはなだらかな丘陵があり、村人が「サクラのお山」と呼ぶ小さな山となっている。


「慎太くん。あそこに誰か住んでるの?」


 かえでの問いに、慎太はもう一度頭を振る。


「あそこの山には、人が住む家なんてないし」


 ふと眉間を寄せる。


「あっ、でもサクラのお山には、昔から小さなおやしろがあった。それも山の真ん中辺りなんだ」


「お社?」


「うん。おじいちゃんのおじいちゃん、もーっと前のおじいちゃんの頃からだけどね。神社って呼ぶほど大きくはないんだけど。

 どうしてあんな中途半端な位置に建っているのかは、誰も知らないんだ」


 慎太の言葉に、かえでは男の子を見る。


「あなた、そのお社に住んでるの?」


 男の子は顔を上げて、かえでにうなずいた。


「んだ」


 ~~♡♡~~


「へえっ、それがもっちんって子だったの? 大おばあちゃん」


 里香りかはゆっくりと語る曾祖母大おばあちゃんの、膝に置かれたしわだらけの手に目を向けた。


「そうよ。それが、わたしたちがもっちんに初めて出会った時のことね」


 かえでは懐かしそうに谷あいを見る。

 川の上流ではリゾート開発が進められているが、黄金週間ゴールデン・ウイークはお休みなのか重機の音はしない。


 美由紀みゆきは立ち上がると、車いすの取っ手を握った。


「そろそろもっと上まで行こうか。もう大おばあちゃんが暮らしていた頃とは、大きく変わっちゃってるけど。

 でも大おばあちゃんに、


「はーい! おじいちゃんやママの会社がゾーセイしてるんでしょ」


「その通りよ、里香。おじいちゃんの建設会社が開発を一手に引き受けているの。ママは一級建築士として参加してるってわけ。

 さあ、大おばあちゃん。行こうか」


 かえでは美由紀曾孫里香に手伝ってもらいながら、再び自家用車に乗り込んだ。


 助手席でシートベルトをしながら、里香は後方を振り返る。


「それで、大おばあちゃん。もっちんが救ってくれたってお話は?」


「はいはい、そうだったねえ。今でも忘れてはいませんよ、あの時のことは」


 かえでは両目をしょぼつかせ、揺れる車中で思い返していた。


(第4話へつづく)


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