午前0時5分 T-21にあるNG本社ビル 最上階

 銃声が鳴り響いた瞬間、ヴェラを含めた誰もが状況を正確に把握するのに時間が掛かった。ゲイリー大佐が腕を下ろした瞬間に銃声が響き渡り、サム達が撃たれたものだと思い込んでいた。

 ところがサム達の方を見遣ると撃たれた者は居らず、彼等を含めた周囲の兵士達も驚いたようにヴェラ達の方を振り返っている。いや、厳密にはヴェラ達ではなく―――

「ぐぅ……おおお……!」

 ―――真っ赤に腕を染めるゲイリー大佐にだ。そう、撃たれたのは彼だった。思わぬ事態に誰もが固まってしまい、時間すらも止まってしまったかのような錯覚が室内に広がったが、最初にそれを破ったのはヴェラだった。

「ミドリ!」

 激しい痛みに襲われた腕を抑えようとして、ゲイリーが抱えていたミドリがズレ落ちた瞬間、ヴェラは取り囲んでいた兵士を突き飛ばして包囲網を突破した。そしてミドリが床に叩き付けられる寸前で彼女をスライディングキャッチし、彼女の腕の中に納まった。

「ふ……ふぎゃあああ! おぎゃああ!」

 突然の落下とキャッチに驚いたのか、それとも痛みを覚えたのか、ミドリはヴェラの腕の中で火が付いたかのように泣き始めた。彼女の元気な泣き声を久し振りに耳にしたヴェラは、場違いかもしれないが強い安堵感に襲われた。

 彼女の無事が分かりホッと一瞬だけ詰まりそうな息を吐き出したが、直ぐに彼女は思い出す。ゲイリー大佐を撃ったのは誰なのだと――。

 この時既に、ヴェラ以外の人々はある一点を見詰めていた。社長室に至る唯一の扉が微かに開き、その隙間からユラユラと幽鬼のように揺らぐ微かな紫煙を漂わす銃口が覗いていた。

「だ、誰だ!?」

 ゲイリー大佐が扉に向かって叫ぶと、ギィィ……と撓りを上げながら扉がゆっくりと開いていく。それを機にサム達に向けられていた銃口が、ヴェラ達に突き付けられていた斧が、一斉に扉へ向けられる。

 そして扉が完全に開かれると、そこには一人の人間が立っていた。大半の人間は眉を顰めた。全くに見覚えのない人間だ―――がしかし、ヴェラ達だけは違っていた。彼女達は、その扉の向こうに立っていた人間に見覚えがあったのだ。

「なっ、どういう事だよ……!?」

「そ、そんな……馬鹿な!?」

「貴方は―――!?」

 オリヴァーは口をあんぐりと開かせ、スーンは何度も眼を瞬かせ、トシヤは二の句が継げなかった。そして唯一相手の名前を口に出せたのは、ヴェラだけだった。


「リュウ……リュウヤ・コバヤシ!?」


 扉から現れたのは、小太りの丸渕眼鏡を掛けたリュウヤ・コバヤシその人であった。彼と彼の登場と共に大きく反応を示した四人に、他の人々が交互に疑問に満ちた視線を投げ掛ける。

「おい、オリヴァー! あいつは誰なんだ!?」

 サムがオリヴァーの方を見て尋ねると、オリヴァーは室内に現れたリュウヤに視線を縫い付けたままサムの質問に応えた。

「俺達が日本に迷い込んだ日に出会った元NG社の研究員ですよ! 一緒にまもりびとから逃げる中で俺達を色々とサポートしてくれたり、仕事を手伝ってくれたりした恩人ですよ……! だが、ヤツはT-02にある総合病院でまもりびとに襲われて死んだ! 死んだ筈なんです!」

「はぁ!? だが……死んだにしてはピンピンしているぞ!? それに足もある!」

「ええ、だから俺達も奴の登場に驚いているんですよ!!」

 オリヴァーがそう叫んでいる間にもリュウヤは社長室へと進み、遂には部屋の真ん中へと立つと胸に手を当てながら道化師のように深々とお辞儀をした。

「初めましての方は初めまして、そして久し振りの人はご無沙汰していました。私の名前はリュウヤ・コバヤシ……というのは嘘の名前。本当の名前はアキラ、アキラ・オダと申します」

 リュウヤあらためアキラが自己紹介をすると、益々彼を知る四人の疑念と驚愕のボルテージは高まった。彼等だけでなく、名前を耳にしたマサルも驚きの余りポカンと口を輪のように開けている。

「アキラ・オダって……まさか、五芒星の!?」

「そんな馬鹿な! もう既に90超えている老人だぞ!? リュウ……いや、アキラと名乗ったコイツは明らかに20代の見た目だろう!?」

「おやおや、忘れたのですか? ケンジ・トリイの日記に書かれていた話を?」

「トリイ……?」

 突然アキラの口から出て来た五芒星の一人であるケンジ・トリイの名前に誰もが眉を顰めたが、トシヤが日記の内容を最初に思い出すのと同時にハッと衝撃を受けた顔を作り上げた。

「まさか……彼の研究日記に書かれてあった、若返りに成功したというのですか!?」

 それを耳にして、ヴェラ達の記憶の棚に仕舞い込まれていた何気ない一節が頭に浮かび上がった。確かにケンジが書いた研究日記の冒頭には、Gエナジーに含まれる成分作用の一つとして若返りの可能性について示唆する言葉が書かれてあった。

 だが、程無くして彼の研究対象と熱意はまもりびとへと移行してしまったので、彼女達の注意と意識もそっちに釣られてしまい、『若返り』という魅力的なフレーズは完全に頭の中から消え去ってしまっていた。

 またヴェラはアキラ・オダの顔写真を見た時から、魚の小骨が引っ掛かったような気持ち悪さを覚えていた。それが何なのかは分からずモヤモヤとした気持ちを抱き続けていたがしかし、今の話を聞いて理解した。

 彼女はアキラの顔写真を初めて見た瞬間、何処かで見た覚えがあるというデジャブを覚えていた。そしてリュウヤとアキラが二人が同一人物だと判明した瞬間、ヴェラの頭の片隅に引っ掛かっていた疑問は抜け落ち、腑に落ちた。

 そのアキラはトシヤの言葉に笑みを返し、拍手を以てして彼の記憶力を称賛した。

「その通り。私はトリイ君が発見した研究成果を基に、彼が半ば放置していた若返りの研究を続けていた。そして災厄が起こる寸前で研究は完成し、現在の私が生まれたという訳だ。当然、誰も若返った私の存在を知らないから、色々と気兼ねなく自由に行動する事が出来たよ。まぁ、災厄後の混乱では私個人の動きを把握するのは不可能だろうけどね」

「な、何だと……!?」

 てっきり災厄で死んだ筈の最高齢の同僚が、実は生きていた上に若返っていたという事実にマサルも驚きを隠せなかった。そんな驚く彼を見て、アキラはニコリと無邪気な笑みを投げ掛けた。

「ホンダ君、キミには感謝しているよ。老人だった頃の私がキミに語った、まもりびとを日本の防衛戦略の要に置く『緑の防衛線グリーンディフェンスライン計画』なるを真に受けてくれた。おかげで計画を一々自分の手で実行する手間が省けたよ」

「何……!? で、では……最初から私を騙していたのか!?」

「まもりびとの意識をコントロール支配し、日本の失われつつある軍事力を取り戻すのと同時に増強する……まるでSFにのめり込んだ小学生が思い付いたかのような非常識且つ荒唐無稽なストーリーだとは思わんかね? だがまぁ、キミを騙す……いや、キミの内にある野心の導火線に火を付ける為に、私も尤もらしく見える説明を幾つか付け加えたがね」

「ぐ……!」

「野心の強いキミならば、私の発案した嘘の計画を聞いて利用するに違いないと思った。そして予想通りにキミは行動してくれた。ユグドラシルの暴走、日本の孤立化、まもりびとの増殖……。流石に大魔縁の大司教になり、独自にまもりびとを操作する術を見付けるのは読めなかったが、それ以外は概ね予想通りだ」

 騙された事実にマサルは固く噛み合わせた歯を剥き出しにするも、アキラは気にする素振りも見せず、上機嫌に歌うように災厄のグリーンデイの裏側を暴露する。その度に、マサルの眉間に走った憤怒の皺は深まっていく。それが相手に対してか自分に対してかは分からないが、どちらにしても深い怒りである事に変わりはない。

 片腕を失いバランスを崩した状態では立ち上がる事も出来ず、横たわったまま鋭い視線を飛ばすので精一杯だったが、もしも視線が物理と化していたら間違いなく目の前の小太りの男を射抜けたに違いない。それ程に険しい顔だ。

 そんな彼の表情を横目で盗み見ていたオリヴァーが恐る恐る視線を逸らすのと同時に、アキラへ言葉を投げ掛けた。

「ちょ、ちょっと待て! アンタが総合病院で死んでいなかったとしたら、あの駐車場で倒れていたアンタにそっくりな体型の死体は誰なんだよ!?」

「ああっ、あれか? あれも私だよ」

「は!?」

 アキラの言葉にオリヴァーが眉間に皺を寄せて困惑を露わにすると、アキラは彼に理解出来るように言葉を選びながら説明した。

「厳密に言えば私の遺伝子データから作られたフラッシュ・クローンだ。キミ達がまもりびととなった院長を必死に追い駆けている間に、こっそりとクローン装置のある場所に忍び込ませて貰ったんだ。肝心のDNAデータは私の肉体から取ればいいから、態々データ室に向かう必要もない」

「そ、そうか……! 本人の肉体から遺伝子を抽出させれば、本人そっくりのガワだけのクローン肉体を作り出せる! そういう事だったのか……!」

 スーンも漸く分かったと言わんばかりに納得すると、今度はヴェラが怒りを滲ませた口調で問い質した。

「じゃあ、ユグドラシルを暴走させたのはマサルだが……そうさせるように仕向けたのはアンタの仕業なの!?」

「そういう事だ。私には私なりの目的があったからな。雑事は若い衆に任せようと思ったのだ。おかげでこっちも順調に物事を進める事が出来た」

 あっけらかんと言い放つ姿勢に、ヴェラはカチンと来た。腕の中に居るミドリをギュッと抱き締めながら、燃えるような怒りの炎を内装した視線をアキラに向けた。

「どうして……どうしてそんな真似をしたの!? 貴方もマサルと同じように、世界を手中に収めたい野心家だったの!?」

 その言葉に初めてアキラの表情から笑みが消え、代わりに何の感情も籠らぬ真顔を見せた。まるで失望の余りに、その人に対する信頼感すら失われてしまったかのような冷たい無の境地だ。やがて彼の口から出たのは、呆れを煮詰めたかのような長く重い溜息だった。

「全く、世界を手に入れようだの、世界を思うがままに操ろうだの……凄まじい力を手中に収めた人間が皆、世界征服を目論む悪党になると思ったら大間違いだ。ましてや私は人間の世界に興味なんてこれっぽっちもない。支配したいなんて思いもしない」

「じゃあ、一体何をする気なの……?」

「この世界は既に限界を迎えつつある。今の世界を患者に例えるすれば、最早一刻の猶予もない状況だ。私はそれを救いたいと考えている。だから、今回の行動を起こしたのだ」

 アキラの真意が分からず、もう一度ヴェラが核心を訪ねようとした時だ。下から突き上げられるような激しい揺れが建物全体に襲い掛かり、誰も彼もがバランスを崩して床に膝や手を付けて姿勢を安定させようと必死だ。唯一立っていられたのは、まるでこの振動を予見していたかのように身構えていたアキラだけだ。

 そして彼は身動きの取れない人々を絶対零度の眼差しで見下しながら、目的を告げた。

「私の目的は只一つだけだ。世界中の人々をまもりびとに変え、不毛な争いを終わらせる事だ」

 その直後、巨大なユグドラシルの樹木が床を突き破り、広大な部屋を埋め尽くした。

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