午後23時50分 T-21にあるNG本社 最上階

 既に片腕を失う重傷を負ってはいるが、ヴェラは念の為にマサルが下手な抵抗をしないようにオリヴァーを見張りに付けた。更に特殊合金製のワイヤーをマサルの腰に縛り付け、彼が逃げ出せないようにワイヤーの端はオリヴァーが握り締めた。

「さてと、あとはデータを探すだけだね。……何処にあるのかしら?」

 それはヴェラの独り言ではなく、マサルに向けた質問であった。マサルは彼女からの質問に苦い顔をしていたが、背後に居るオリヴァーに背中を小突かれて渋々といった感じで口を開いた。

「私の執務机の中に指紋認証の装置がある。そこに指紋を照合させればデータベースに繋がるエレベーターが出現する。だが、その先にも網膜を照合する装置が組み込まれてある。即ち、どちらを通るにしても貴様達の力だけでは無理だぞ」

 そこで彼等の努力は水の泡だと嘲笑うつもりだったのだろうが、ヴェラ達がポーチから取り出したクローンの手と目玉が入った専用ケースを見て、優越に浸っていた表情が一転して驚愕へと崩壊した。

「何だと!? まさか、それは!?」

「ええ、そうよ。貴方達五芒星のDNAデータから複製した手と目玉よ。これさえあれば、データベースへ渡れるんでしょ?」

「だ、誰からその話を聞いた!? それを知っているのは、NG社の中でも僅かな人間だけだぞ!?」

「俺達に協力してくれた、元NG社の研究員のリュウヤ・コバヤシという男さ。尤も、そいつはもう亡くなっちまったけどな」

「何……!?」

 表情で周囲を見回す本人を無視し、ヴェラは仲間達が持ってきたケースから冷え切ったクローンの手を一つずつ取り出し、机の上に出した指紋認証装置に翳した。

 装置は翳された手の指紋と記憶されていた指紋データを重ね合わせ、マッチした事を確認すると部屋の中央に六角形のエレベーターが現れた。恐らくそれがデータベースに通じる入り口なのだろう。

「私とスーンがデータベースに入るから、オリヴァーとトシヤは此処で待ってて」

「ああ、何ともないと思いたいけど……気を付けろよ」

「そっちこそ気を付けてよ。まもりびとが出ないとは限らないんだからね」

「分かりました」

 二人を社長室に残し、ヴェラとスーンはデータベースに向かうエレベーターへと乗り込んだ。二人が乗り込むとエレベーターのガラス扉が閉まり、二人を地下へと連れて行く。否、厳密に言えば謎だの秘密だのと言われていた46階~49階に相当する場所へ向かっている。

 そして、その秘密と称された階にNG社にとって命よりも大事なデータベースが置かれており、彼等が生み出したグドラシルやGエナジーに纏わるデータが保管されているのだ。

 やがてエレベーターがデータベースの搭乗口に辿り着くと、エレベーターの扉が開いた。そこは写真の現像室を彷彿とさせる薄暗い赤の光に包まれた不気味な空間が広がっており、360度見渡せる円柱状の空間には、今まで見たサーバーとは比べ物にならない数と大きさのサーバーが八角形に広がるドミノ状に配置されており、これにはスーンも興奮を隠せなかった。

「これは凄いですよ、ヴェラさん! こんな高性能な巨大サーバーが置かれてあるのは、数多ある国家プロジェクトレベルの研究機関ですら片手で数える程度しかありませんよ! 凄いなぁ、時間があったら徹底的に調べたいなぁ……!」

「調べたいなら、どうぞご自由に。但し、私は先に皆と一緒に日本から脱出しているわよ」

「……はい、自重します」

 ヴェラの言葉にしょんぼりと肩を押しながらも、二人はサーバーの間を通り抜けてデータベースへアクセスするコンソールを目指した。コンソールがあったのはデータベースの最奥、南側の壁際に設置されていた。

 最初は黒一色に支配されていたコンソールの画面だったが、スーンの指先が画面に触れた途端に真っ白い光りを放ち、息を吹き返した。同時にコンソールの操作盤の端から網膜認証装置が競り上がり、画面上に『責任者の網膜をスキャンして下さい』という文章が並んだ。責任者とは、恐らく五芒星の事だろう。

 ヴェラは五人の眼球を一つずつ網膜装置に置いた。クローンで、しかも生きてはいない眼球だ。にも拘らず、機械はこれらの眼球が本物であると認証し、クリアの緑字が画面上に走る。

 最後のセラ・カツキの眼球を翳すとクリアの緑字と共に網膜装置が操作盤内に収納され、『責任者の網膜を確認出来ました』という言葉が画面に出現する。これで操作が可能になったという訳だ。

「ヴェラさん、これで操作が出来ます」

「入っているデータは何がある?」

「一杯ありますよ。ユグドラシルの製造データから、マサルが言っていた例の地球外植物の遺伝子データ、そしてまもりびとに纏わるデータまで」

「それじゃ最初にまもりびととGエナジーの密室な関係を示すデータを全て引き抜いて。そしたら他のデータは削除―――」

 台詞を全て言い終えるよりも先に、通信機からコール音が鳴り響いた。コールの差出人はサムからだ。良かった、生きていたのか―――そんな安堵感が胸の内にじんわりと広がっていき、彼女はすぐさま通信に出た。

「サム、無事だったのね? こっちは上手くデータベースに入り込んだわ。今、スーンがまもりびととGエナジーの関連を記したデータをインストールしている所よ。これが済んだら、他のデータは削除するわ。そうすれば、この悪夢は二度と―――」

『いいや、全てのデータを運び出すのだ』

 その声にヴェラはヒュッと息を飲み、氷の手で心臓を鷲掴みにされたかのよう生きた心地のしない感覚が駆け抜けた。

「その声は……ゲイリー大佐!? 一体、どうして!?」

『私がサムの通信を利用して会話している事が、そんなに不思議かね? まぁ、それは後々で教えてやろう。しかし、それよりも今はキミがしている事がどういう意味なのか問うのが先だ。キミは今、自分の行いを理解しているのかね?』

 その言葉に単純な非難だけでなく、自分の命を天秤に掛けている事を遠巻きに示唆する意味合いが含まれていた。彼の言葉が脳裏に重く圧し掛かるが、既にバレてしまった以上、今更言い訳は通用しない。そして彼女は建前を抜きに、本心をブチ撒けた。

「貴方は信じないでしょうけど、この森に生息するまもりびとと呼ばれる怪物達はGエナジーによって生み出されたの。謂わば、アレは恐ろしいバイオハザードを引き起こす病原菌のような存在なの。しかも、NG社はその事実を隠蔽し、更に独自の研究を積み重ねていた。その結果、日本は滅んだ! アメリカも同じ轍を踏ませたいの!?」

『それを危惧するのはキミではない。キミなんかでは手の届かない、遥か上の人間が決める事だ。それに偉大なアメリカは滅びぬ。寧ろ、Gエナジーの力を手に入れて更なる高みへ登るのだ』

 その傲慢な口振りにヴェラは悟った。彼に何を言っても話は通じないという事を。

 諦めと失望を受けてヴェラは溜息交じりに頭を振る一方、何としてでもデータを渡すのを阻止しなければならないと彼女の知性はギリギリまで策を講じようと努力していた。だが、残念ながら既にゲイリー大佐は先手を打っていた。

『そうそう、この映像を見てくれ。聡明で仲間思いのキミならば、これを見れば何が最善かを判断してくれる筈だ』

 その言葉を最後に通信が途絶えると、直後にヘルメット内のディスプレーに静止画像が送られて来た。差出人はサム――即ちゲイリー大佐――だ。この時点で嫌な予感しかしないが、見ないと話が進まない。

 その静止画像をヘルメット内のディスプレイに表示させると、そこに映っていたのは複数の兵士に銃口を突き付けられ、両手を後頭部に回した格好で座らされたオリヴァーとサム、そして彼の部下の計三人だ。画像に映っていないトシや他の仲間はどうしたのかという疑問もあるが、画像を見るだけでは何も分からない。

「ヴェラさん、どうします?」

 スーンも画像を見たらしく、震えた声で話し掛けて来た。どうするもこうするも、勝手な真似をすれば人質となった連中の命を奪うぞという脅しが丸分かりな画像を寄越されたのだ。最早、相手に自分の首根っこを掴まれて抑え付けられたも同然だ。悔しいが、ヴェラ達に成す術など無い。

「……データを全て回収して」

「良いんですか!?」

「皆を見捨てる訳にはいかないでしょう!」

「わ、分かりました!」

 スーンの問い掛けに思わずヴェラも語気を強めて言い返してしまう。直ぐに八つ当たりしてしまったというちょっとした罪悪感が襲ったものの、謝罪を口に出来ずに只俯くばかりだった。

 一方のスーンは忠実にヴェラの言葉に従い、このデータベースにあるデータを全て自分の持っているパッド、そして予備用としてデータスティックに保存する。

「データの回収、完了しました」

「……戻りましょう」

 ヴェラは覇気のない口調でそれだけを告げると、重い足取りでエレベーターに向かった。だが、彼女は知らない。予想だにしない裏切りが自分を待ち受けている事に……。

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