午後19時34分 T-21にあるNG本社一階

 本社の正面入り口を通って一階フロアロビーに突入したヴェラ達だったが、意外な事にそこはガランとした空洞のような広さばかりが目立ち、肝心の人の姿は何処にも見当たらなかった。

「何だ、肝心の人間の姿が人っ子一人見当たらないじゃないか」

「逃げた……という可能性はありませんよね?」

「逃げたにしても、そもそも何処に逃げ隠れる場所があるんだ?」

「ですよね……」

 オリヴァーとスーンの遣り取りを耳にしながら、ヴェラは辺りを見回した。建物の受けた災厄の被害は最小限だったのか、壁や床にこれと言った損傷は見当たらない。

 その代わりに般若心経のような達筆な文字が壁に描かれていたり、フロアロビーを支える巨大な支柱や部屋の至る場所に宗教的装飾が施されていたりと、大企業の会社にそぐわない不自然な模様替えが目に付く。これが果たして何の意味があるのか、ヴェラには知る由もない。

 そんな中で床に置かれたキャンドルには煌々とした緑色の火が宿っており、それがつい最近まで人が実在した事を物語っていた。

「キャンドルが溶け始めてから間もない……。少なくとも、ここから移動したのはそう遠くなさそうね」

「もしかしたら地下都市に向かったかもしれません。NG本社は研究員保護の為に、特別に建物地下と地下都市とを連結しているという情報もありますし」

 それを聞いたサムは「うーむ」と呻っていると、フロアロビーの左手にある通路から微かにだが人の足音が聞こえ、ヴェラ達は銃口と意識をそっちに向けた。が、通路から現れた人物を見た途端に彼等の警戒心は自動的に解除され、それに従う形で銃口を下ろした。現れたのは本社の裏口から侵入したロッシュ達だ。

「ロッシュ、そっちはどうなっている?」

「こちらも無事に侵入に成功しました。幸い、誰にも気付かれていません。というか、人の姿は見当たりません」

「向こうの応援に向かったか、或いは地下に非難したか……。どちらにしても敵が居ないという可能性は、先ず有り得ないだろうな」

 ロッシュの意見を聞く限り、一階に集まっていた人間は出払ってしまっているのかもしれない。だとすれば何処にという疑問が沸くのだが、それを答える術をサムが持ち合わせている筈などなかった。

「これから俺達は通常の階段から上を目指して昇っていく。ロッシュは非常階段を使って上の階に向かってくれ。可能ならば俺達の援護を頼む。ハミルのチームはフロアロビーで待機してくれ。もしかしたらアメリカ海軍の部隊が突入してくるかもしれん。その時の説明役が必要だ」

「気を付けて下さい」

 その場に残ったハミルのチームに見送られながら、ヴェラ達は上の階へ続くエスカレーターを駆け上がった。電気が通っていないのかエスカレーターは動いておらず、そこらにある普通の階段と同じ存在に成り下がってしまっている。

 吹き抜けの二階に上がり、上の階とを結ぶエレベーターの前へと付くが、やはりそこも電気が通っていないのかオリヴァーが何度かボタンを押しても予想した通りの反応を示してくれなかった。

「ったく、人が居るのなら電気ぐらい通しておけよ」

「俺達の為に道を用意してくれるような気遣いがあるのなら、そもそも武器を持って歓迎しようなんて真似はしないだろう」

 サムの言葉に「それもそうか」と納得すると、オリヴァーは諦めてエレベーターから一歩身を引いた。

「仕方がない。となると、やはり階段で上がるしかないって訳か?」

「そういう事になるわね」

 そう言いながらヴェラはエレベーターの直ぐ脇にある階段を覗き込んだ。音響センサーにこれと言って怪しい物音はキャッチ出来ない。だが、その遥か上の方では人間の駆け足のようなバタバタした音が聞こえる。

 間違いなく、上の階に誰かが居るという証拠だ。しかし、此処まで来た以上は後戻りも出来ないし、尻込みなんて論外だ。ヴェラを筆頭にオリヴァー、スーン、トシヤと続き、その後ろをサム達が付いて行く。

 最上階まで50階近くあるが、整備したてのコングの脚力は装着者本人ですら驚くほどに快足だった。肉体疲労を覚えず、数段飛びで駆け上がるのが苦とも思わない。まるで自分の体が綿になったか、背中に羽を付けたかのような軽さだ。

 そして9階の通り場を蹴って10階へ上がろうとした時、漸く大魔縁の信者と遭遇した。男二人の内一人はマシンガンを踊り場に向けて発射してヴェラ達が上がって来れないよう牽制し、もう一人は利き手に鉈状の鋭いブレードを握り締め、身を隠す程の巨大な盾を構えながらジリジリと下りてくる。

 そして盾を持った男は踊り場から姿を現したトシヤに切り掛かろうとして、手にしていた鉈を振り上げる。が、トシヤは身を引いてコレを難なく避けると、リーチに勝る斧の柄を突き出して男の顎を穿った。

 バランスを崩した男は階段上で尻餅を突き、目の前に迫って来たトシヤに向けて咄嗟にシールドを掲げる。だが、頑丈な盾も灼熱を発するヒートホークの前では全くの無意味だった。豆腐を切るかのように頑丈な盾を易々と溶断し、男にとって最大の守りを奪い取ってしまう。

 それでも男は諦め悪く鉈を突き出してトシヤに襲い掛かるが、そこへ横から割って入ったオリヴァーが男の腕を掴み、そのまま力尽くで腕を捻って鉈を手放させた。

「無事か!? トシ!」

「ええ、大丈夫です。オリヴァーさんのおかげで助かりました」

 オリヴァーは鉈を持っていた男の腕を背中に捩じ上げ、彼を盾にする形で階段を上り始めた。流石の敵も味方を盾にされれば動揺する筈だとオリヴァーは考えていたのだが、結果から言うとその考えは大間違いであった。

 10階からマシンガンを放っていた男は盾にされた味方を見ても動揺するどころか容赦なく引き金を引き、仲間をハチの巣にしたのだ。弾を受けた男の体から肉片が飛び散り、味気ない灰色の床に赤い鮮血が色鮮やかに着色される。

 オリヴァーは舌打ちをすると、男を掴んでいるのとは反対側の手で手榴弾を握り締め、片手で器用にピンを外すと10階に向けて放り投げた。手榴弾が10階の床に着地したのと同時にドンッと凄まじい衝撃と爆発音が響き渡り、マシンガンを撃ち続けていた男は爆風に殴り飛ばされ、壁に体を打ち付けた。首が歪な方向に折れ曲がり、即死だった。

 そして10階へ差し掛かると、その通路にある非常口への案内灯が点灯している事にヴェラが気付いた。

「サム、ここの電気が通っているみたいよ。エレベーターが使えるかもしない。只、そうなると待ち伏せの可能性も捨て切れないけど……」

「そうだな。早く行けるなら越した事はないが―――」

 そう言い掛けた所で、突如耳を劈く程の凄まじいローター音がサムの言葉を遮った。その音は外から遣って来ており、ヴェラ達は10階の窓を通して外を見遣ると、今正に数台のオスプレイが本社の目と鼻の先に降下しようとしていた。

 ところが降下する前に本社の上層階からロケットランチャーが数発降り注ぎ、着地体勢に入ろうとしていたオスプレイを文字通り粉砕した。4機撃墜されたところでオスプレイは着地を諦め、再び急上昇をして上空へと逃げ帰った。この時に更に2機がロケットランチャーの餌食となり、燃え盛る火玉となって地上に墜落した。

「やれやれ、相手の戦力を甘く見過ぎたからこうなるんだよ」

「どちらにしても、敵はまだ大勢居るみたいですね……」

 オリヴァーの愚痴にスーンが辟易した風に言葉を漏らした矢先、またしても通信が入った。そちらに耳を傾けると先程の海兵隊員の声が、怒りを露わにした声色でサムの鼓膜を突き刺した。

『こちら応援部隊! NGAの社員達は今何処に居るんだ!?』

「こっちは今丁度建物を上がっている最中だ。今さっき、アンタ達の仲間が撃墜されたのを目撃したぞ。いくら何でも敵の本拠地前に着陸しようなんて強引にも程があるだろう」

『くそっ! あの狂ったジャップ共め……! おい、30階と40階の敵を始末してくれ! そこに連中は火器を集中配備させている! あれさえ無けりゃ、建物に増援を送り込める筈だ!』

 それだけ告げると通信が乱雑に切られ、話を終えるやサムは困ったように肩を竦めた。

「全く、これじゃどっちが応援部隊なのか分からんぜ」

「どちらにしても、このビルの最上階へと向かう以上は敵との交戦は避けられないんだ。此処は向こうのお願いに耳を貸しても、別に問題はないんじゃないのか?」

 オリヴァーの言葉にサムは「確かにな」と呟きながら頷き、そして決断を下した。

「ヴェラ達はエレベーターに乗って40階に向かってくれ。俺達は階段で30階に向かう。もし昇る途中で異変を察知したら、すぐにエレベーターから降りるんだ」

「ええ、了解したわ」

「じゃ、また後で会おうぜ」

 そう告げるとサム達は階段を駆け上がり始め、その場に残されたヴェラ達は通路の奥にあるエレベーターへと向かった。

 通路の途中にある部屋からマシンガンを装備した構成員が姿を現したが、二人だけな上に、物影に隠れずに通路のど真ん中に仁王立ちしながら撃つと言う戦闘の基礎も知らないドの付く素人だった。

 ヴェラを含めた四人は物影に隠れながらライフル銃やマシンガンで応戦し、やがて信者二人が彼女達の放った銃弾に倒れると、四人は彼等の屍を跨いでエレベーターの前に辿り着いた。

 ヴェラは慎重にエレベーターのボタンを押すと、ボタンのスイッチが点灯した。どうやらちゃんと電気が通っているようだ。あとは問題なくエレベーターが到着してくれるかどうか、そして待ち伏せの有無を心配するだけだ。

 やがてエレベーターが到着して扉が開き、ヴェラ達は銃口を到着したエレベーターに向けた。しかし、中には誰一人として乗っておらず、それを確認すると張り詰めた緊張が緩むのと同時に銃口を下に向けた。

「行きましょう。応援部隊をこれ以上待たせたら、彼等の八つ当たりを受けるかもしれないわ」

「八つ当たりしたいのは、こっちですけどね……」

「まっ、そん時は俺達も頑張った結果がこれだと真正面から言ってやれば良いだけの話さ」

 軽口を叩き合いながら四人がエレベーターに乗ると、ヴェラは40階を意味する「40」のスイッチを叩いた。すぐさま扉が閉まり、エレベーターは順調な滑り出しで上昇し始めた。反対側を見遣るとガラス張りになっており、そこから森に覆われたT-21の風景を一望出来た。

 爆撃が行われた場所は赤い炎が海のように一面に広がっており、周囲が夜の闇に沈んでいるのも相俟って、まるで地獄の釜が開いたかのような悍ましい光景が広がっている。向こうの戦闘はどうなった? 生きているのか、それとも死んでいるのか?

 彼等の応援は必須だったとは言え、自分達の目的の為に彼等を利用するという事実を突き付けられているみたいだ。無論、それは受け取る方の解釈の一つに過ぎないが、それでも罪悪感というものがヴェラの中に込み上がる。しかし、Gエナジーの闇を知ってしまった以上、何としてでも止めなくてはならない。そんな思いが彼女の内にあるのもまた事実であった。

 そしてエレベーターが何処まで上昇したかを見ようとした、その時だ。ガクンッとやや強い振動が走り、順調に進んでいたエレベーターが動きを止めた。そして室内の照明も数度点滅した後に切れ、街を燃やす炎の鮮やかな赤が彼等を照らす。

「何だ!?」

「急に止まった……!?

 突然止まったエレベーターに誰もが動揺する中で、唯一ヴェラだけは状況の悪さを把握し、すぐさま此処から脱出する旨の指示を仲間に飛ばした。

「オリヴァー! トシヤ! 扉を開けて! このままじゃ落とされるよ!」

 落とされるの一言で何がとかいう無粋な質問は返さなかった。寧ろ、それだけですべてを理解した二人はハッと顔色を変えて、エレベーターの扉を強引に抉じ開けた。幸いにも開けた先には、若干下にズレているものの37階に通じる扉があり、急いでその階へと飛び移る。

「ヴェラ!」

 そして最後に残った彼女が37階に踏み込んだ直後、金属が断裂する音と共に四人が乗っていたエレベーターが扉の両脇から火花を散らして急降下していく。いや、この場合は墜落すると言うべきか。

 オリヴァーが開いた扉を恐る恐る覗き込み、落下したエレベーターを見下ろした。既にエレベーターの姿は見えないが、遥か下の方で激しい火花が確認出来るのが分かる。そして数秒後、ドズンッとくぐもった音がエレベーターの縦穴に響き渡り、最下層に墜落した事を彼等に教えてくれていた。

「ヒュー、危ねぇ。あと少し逃げるのが遅れていたら俺達は地面に叩き付けられて、グッチャグチャのトマトみたいになっていたところだぜ」

「ええ、そうですね。……ところで、ここは何階ですか?」

「ええっと……37階ですね」

 トシヤの疑問にスーンが壁に書かれた階数の数字を読み上げる。真の目的地はまだまだ上の方だが、取り敢えず言われていた目的の階までは目と鼻の先だ。ヴェラ達は武器を構えると、再び上の階を目指して駆け出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る