午後12時04分 T―02にある総合病院 中央棟北口の緊急搬送入り口

 重く閉ざされていたシャッターが錆び付いた唸り声を上げると共に口を開き、人工の光とは異なる自然の光が開いたシャッターの入り口から差込み、向こうにある風景が徐々に明らかとなっていく。

 最早今のヴェラ達にとっては見飽きたユグドラシルの木々が広がっており、その隙間を覗き込むように見通すと病院の裏口門が見えた。錆び付いた門の片側は災厄の影響か横倒しの状態となっており、救急車が通り抜けるには丁度良い状態だ。

「これまた御誂え向きに門が開いているぜ。あそこから逃げよう」

「オリヴァー、間違っても救急車のサイレンを鳴らさないでよ?」

 助手席に座っているスーンが不安げに注意を促すが、運転手であるオリヴァーはそんな間抜けはしないと鼻で笑い一蹴した。

「安心しろ、既にサイレンはオフにしてある。それじゃ……行くぜ」

 静かにアクセルを踏み、ソロソロと救急車は発進した。近くに大魔縁やまもりびとが居ないかを注意深く確認すると、漸く一行を乗せた救急車はシャッターを潜り抜けた。

 そして目の前に広がる木々を潜り抜け、徐々にスピードを上げるのと同時に門を通り越した――その時だ。バンッと弾けるような音が連続して響き、車体に衝撃が走った。銃撃を受けたのかと誰もが一瞬思考が不安に捕らわれた直後、突然車がコントロールを失い左右に大きくブレ始める。

「オリヴァー!? 何があったの!?」

「くそっ! トラップだ! 門を超えたところにタイヤをパンクさせる罠を仕掛けていやがった!!」

 何とかしてコントロールを失った車を安定させようとハンドル操作を強く握り締めるも、じゃじゃ馬のように制御が利かなくなった車を止めるのは流石のオリヴァーでも至難の業であった。遂に車はユグドラシルの根を引っ掻け、大きく右へ傾いた瞬間にオリヴァーが叫んだ。

「何かに掴まれ! 倒れるぞ!!」

 そして宣言通りに車は横転し、世界が引っ繰り返った。運転席と助手席にそれぞれ座っていたオリヴァーとスーンはドア上に付いていた持ち手を咄嗟に掴んだが、後部座席に居た二人は物を掴むどころではなかった。

 トシヤは臓器が入ったクーラーボックスを、ヴェラはミドリを抱き締めて、互いに身を挺して自分の抱えるソレを守り通そうとした。そして横転し、世界が回るような感覚に襲われて……止まった。

 鞭打ちにも似た痛覚がヴェラの首筋を通って背骨沿いへと走り、じんわりと全身へ行き渡っていく。視界がボンヤリと眩む中で自身の腕に目線を落とす。しかし、そこに自分が抱いていた幼子の姿が無く、横転した衝撃でボンヤリとしていた彼女の意識は、痛覚を押し退けて覚醒した。

「ミドリ!?」

 慌てて辺りを見回すと、後部扉の傍に近い座椅子の上でミドリが泣きじゃくりながら転がっていた。離すまいと抱き締めていた筈だったが、横転した際に自分の手から滑り落ちてしまったようだ。怪我はないか、痛かっただろうに……そう思いながら彼女の元へ這おうとして、体が止まった。

 振り返れば自分の下半身が救急車に搭載された医療機材や道具で埋もれており、身動きが取れなくなっていた。強引に抜け出す様に下半身を捩らせ、少しだけ前進出来た時だ。突然後部扉が開き、見知らぬ男達が乗り込んできた。男達の名前は分からないが、素性は分かる。

 緑の目出し棒に木目の鎧―――大魔縁の構成員だ。彼等は扉の傍に倒れていたミドリを見付けると、壊れ物を扱うかのように大事に拾い上げた。そして未だに倒れているヴェラ達の方を見向きもせず、彼等を救急車に残したまま足早に離れていく。火の付いたようなミドリの泣き声が耳にこびり付き、彼女の中にある怒りの感情を刺激した。

「待ちなさ―――」

 ミドリを連れ去ろうとする大魔縁の構成員を追い駆けようとするも、ミドリを連れ去ったのとは別の構成員が彼女の前に立ちはだかり、懐から銃を取り出した。普通の銃ならばいざ知らず、彼が手にしていたのは暴徒鎮圧用のテーザー銃だ。

 そしてヴェラに向かって引き金を引くと、コードの付いた鋭い釘のような突起物が二本発射され、彼女の着ていたアーマーの隙間――肩の付け根――に食い込んだ。肉に突き刺さる痛みが走ったかと思いきや、一瞬後に全身に凄まじい電流が駆け抜けて彼女を感電させた。

「がっ―――!!」

 言葉も碌に話せず、目の前に星が飛び散ったかのようなチカチカした光点で埋め尽くされる。再び彼女が倒れ込んだのを見届けると、構成員はテーザー銃を捨てて救急車から離れていった。

 そして今度はロケットランチャーを構えた複数の男達の姿が、感電して不安定となった視界に映り込んだ。動きたいのは山々だが、下半身は機材に埋もれた上に彼女自身も感電のショックが抜けきっていない。

 そして男達がランチャーを肩に担ぎ、ヴェラ達の乗る救急車に狙いを定めた。折角病院から脱出出来たのに、ここで終わるのか――――そんな思いが彼女の頭に過った矢先だった。

 甲高い奇声が上がり、引き金に指を掛けていた男達が動きを止めた。そして声の出所を探ろうと辺りを見回していると、男達の視線が外れた方角からまもりびとが襲い掛かって来た。

 一人の構成員が襲われているにも拘らず、他の仲間は助けるどころか至近距離からランチャーを放ち、味方諸共まもりびとを木っ端微塵に粉砕した。が、それがまもりびとの仲間の怒りを買ったのだろう。他の男達に数匹のまもりびとが殺到し、あっという間に八つ裂きにされて命を落としてしまう。

 助かったのか? そんな考えがヴェラの頭に過るが、残念ながらそれが甘い見通しだったようだ。構成員を襲っていたまもりびとの一体が振り返り、救急車の中から此方の様子を眺めていたヴェラと視線が合う。そして一歩ずつ確実な足取りで近付き、ヴェラの前に立った。

 そして鋭い爪を徐に振り上げるのを見て、ヴェラは今度こそ自分の運命が此処までだと覚悟した。

(すまない、リュウヤ……。貴方と交わした約束を果たせなかった……)

 今さっき死者となった友人に内心で謝罪を告げ、ヴェラはソッと目を閉じた。

 だが、幾ら待っても彼女の予想していた衝撃が襲って来ない。それを疑問に思ったヴェラは恐る恐る目を開けてみると、自分に向かって爪を振り下ろそうとしていたまもりびとの胸に赤く燃え滾る斧が生えていた。

 やがてまもりびとの目から光が消え失せるのと同時に、胸に生えていた斧が背後へと引き抜かれた。そこにはヴェラ達と同じ、コングを身に纏った男性の姿があった。

 トシヤは未だ、クーラーボックスを抱えたままピクリとも動かない。では、オリヴァーかスーンだろうか。そう予測を並べたヴェラだったが、結果から言うと彼女の予測はどれも大外れだった。

「悪ィな、御姫様シンデレラ。カボチャの馬車が遅れちまったおかげで、12時までに迎えに行けなくってよ。が、これはこれでナイスタイミングかもしれんな」

 酒焼けしたハスキーボイスと、苦難の時でさえもジョークを言えるタフネス……そんな男はヴェラが知る限りでは一人しかいない。

「サム!?」

「それ以外に誰が居るってんだ? この日本でサミュエル・ザッグと呼ばれる男は、恐らく俺一人だけさ」

 驚きの声を上げるヴェラに対し、彼女達の上司であるサムは自信満々に答えて見せた。そして年齢を感じさせない軽い身のこなしで救急車に乗り込むと、彼女の下半身を占領していた機材を押し退けて救出した。

「サム、有難う。でも、どうして此処に?」

「色々と積もる話もあるだろうが、説明は後回しだ。おい! 車を回せ!!」

 サムが通信越しに叫ぶと、ヴェラの前に数台の黒塗りの車が現れた。彼女の記憶が正しければ、あれはアメリカ海軍が日本に持ち運んでいた特殊装甲車両だ。しかし、運転している人や、そこから降りてくる人々は皆コングを着用している……即ち、この場で彼女達を救出しに来た彼等は会社仲間だという事を意味していた。

 そして救援に来た仲間達は近くに居たまもりびとをヒートホークで蹴散らした上で、横転した救急車のフロントガラスを叩き割ってオリヴァーとスーンを救い出し、気絶から立ち直ったものの足取りの覚束ないスーンに肩を貸しながら装甲車に乗り込んでいく。

「事情は良く分からないけど、最高の援軍よ!」

「そりゃそうだ! ウチの会社から出した精鋭なんだぞ!」

 最後にヴェラとサムの二人が車に搭乗すると、数台の装甲車はエンジンを吹かせながら急発進し、病院を後にした。

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