午後12時27分 地下一階にある研究所

 それからヴェラ達は手に入れたカードキーが使われる扉の入り口を探した。この研究施設に何かが隠されているというのは、トシヤが手に入れたノートで確定的となった。

 また秘密の部屋には自分達が手に入れるべき物があるかもしれないという可能性があるだけに、三人ともそこそこの期待を抱いていた。あとは自分達の行いが無駄な努力であったと、過去を悲し気に振り返る事にならないよう祈るばかりだ。

 そして探し始めて十分余りが経過した時、カードキーの差し込む場所を最初に発見したのはスーンだった。

「ヴェラさん! ありましたよ!」

 スーンの言葉を聞いて二人が駆け付けた場所は、室内の最奥に置かれた本棚だった。本来ならば本棚には多数のバインダーされた資料が整然と並んでいる筈なのだが、現在では半分以上が破けたり、バインダーが外れて資料だけが散乱したりしている。

 しかし、真ん中の段に一冊だけポツンと残っているノートがあった。左右に置かれたバインダーノートは横倒れになったり床に落ちたりしているというのに、それだけが何事も無かったかのように平然と立位を保っており、強力な違和感と存在感を放っている。

 スーンはその一冊のバインダーの背表紙に指を掛けて、引き倒した。すると背表紙の部分だけパカリと分離し、中からカードキーを差し込む挿入口が現れた。

「偽装……ですか」

「ええ、しかも此処を見て下さい」

 スーンは挿入口の横にある針の穴のような小さいランプを指差した。それが赤く点滅しているのを見て、ヴェラは意外そうに呟いた。

「電気が通っている……?」

「ええ、恐らくこの施設に隠された設備専用の補助電源がまだ生きてたみたいです。ですので、カードキーを差し込めば恐らく……」

「……やってみましょう」

 ヴェラは先程手に入れたカードキーを差し込むと、半ば挿入した所で自動的にカードキーが鍵口に飲み込まれ、数秒ほど経過するとガシャンッと重い金属のロックが外れたような音が鳴り響く。そして再び鍵口から吐き出されたカードキーをヴェラが取り出すと、目の前の本棚が重厚な扉の様に重々しく開き、その先に下へと続く階段が現れた。

「如何にもな怪しさで一杯ね」

「でも、行くしかないんでしょう?」

 スーンの言葉にヴェラは「勿論」とだけ告げると、階段を下り始めた。それに続いて他の二人が続いて階段を下り始めると、扉が錆び付いた音を立てて閉まり出した。

 そして本棚に似せた扉が隙間なく閉まると、それまで暗闇ばかりが広がっていた空間に突然光が降り注いだ。見上げれば細長い蛍光灯が通路を照らしてくれており、スーンが言った電源が生きているという説が正しかった事を証明してくれていた。

 地下二階の構図は地下一階と同様、通路の両脇にガラス張りの部屋が設けられていたが、その中身は上の階と大きく異なっていた。

 左手の部屋の壁一面にはハチの巣を思わせるハニカム構造の檻が設けられており、自分達が居た監獄の牢屋よりも遥かに小さい上に狭く、まるで大型の実験動物を閉じ込める小屋だ。

 右手の部屋には最先端の手術台が置かれてあったがしかし、こんな場所で誰かを手術するなんて考え難い。即ち、彼女達の理解も及ばぬ所業が繰り広げられていたと考えるのが妥当であろう。尤も理解すらしたくないが。

「此処は……背景から察するに写真に写っていた場所かな?」

「ええ、でも酷い有様ですね」

 トシヤが思わず顔を顰めながら本音を零してしまう程に、この階の荒れ模様は上の階とは比べ物にならない程に酷かった。

 清楚さをイメージしてか純白で統一されていた床のタイルや天井には生々しい血痕が付着しており、死体を引き摺ったような痕跡も見受けられた。そして血溜まりが凝結した部分の中心には人骨と思しき骨の欠片が無造作に散らばっていた。

 左手にある牢屋のような檻は凄まじい力で強引に押し拡げたのか、鉄格子が大きく拉げていた所が幾つか見受けられた。またどういう経緯があったかは分からないが、開錠されて檻が開きっ放しになっていたものさえある。

 此処で何が起こったかは出来れば想像したくない所だが、目に飛び込む悲惨な光景が嫌でも脳に連想させる事を強要してくる。それから逃れるように、三人は成るべく自分達の目的に専念しようと務めた。

「ここは手術室みたいですね」

「でも、此処にはありませんね。修理に使えそうな機材は……」

「諦めるのは全てを探し切ってからよ。何でも良いから、手掛かりになるものを探すのよ」

 ヴェラ達は比較的にマシな手術室に踏み込み、修理に必要となる機材、もしくは手掛かりになりそうなものを探し始めた。しかし、見付かるのは人間なのかまもりびとなのか分からないレントゲン写真や、ポリグラフに書かれた乱高下の激しい心電図、手入れがされていないメスや放置された高価な手術器具といった、今の彼等には無意味なものばかりだ。

 一通り探し終えると今度は隣にある手術準備室へと移り、そこに残された引き出しや埃の被った鞄をひっくり返す作業に移った。そしてヴェラが壁際に置かれた書類棚を開けていると、それまでの書類とは異なる分厚いノートが現れた。

「日記帳?」

 表紙に『Diary Notebook』と書かれており、少し興味を擽られた彼女は徐にノートを捲った。ノートの持ち主は此処の施設の責任者らしく、日記の内容は研究3割独白7割と言った具合で書かれてあった。

 だが、全てを見る必要もなければ、見る気もない。ヴェラは写真の日付が書かれてあった日付の前後辺りを捲り、そこに書かれてあった言葉を目で追い掛けた。


『3747年4月10日 曇り

 今日は驚くべき発見を経験してしまった! Gエナジーには細胞を驚異的な速度で修復させるという事実は既に明らかとなっているが、更に細胞組織そのものを若返らせる効果があると判明したのだ!

 恐らくGエナジーの樹液に含まれた植物細胞が生物の持つ細胞と結び付き、その細胞にとって害となる老廃物を排除するのと同時に最盛期の状態へ再活性化させようとしているからではないだろうかと考えている。

 この謎を解き明かせば医学界の革命となり、更には人類の夢であった若返りも可能かもしれない』


『3747年7月17日 晴れ

 予想外の事態だ。モルモットに投与するGエナジーを、誤って通常よりも倍以上の量を注入してしまった。その結果、モルモットの肉体に異変が起こった。体中の毛が全て抜け落ち、代わって固い樹皮で覆われたかのように皮膚が硬化したのだ。

 最終的にこの変異体モルモットは殺処分となったが、これを処分するのに従来の方法を使用しても仕留め切れず、最も効果的だったのはレーザーバーナーで胴体を切断する事だった。極めて硬質で熱に弱い、益々ユグドラシルの樹皮を彷彿とさせる』


『3747年10月10日 晴れ

 モルモットの一件で上層部は強い興味を示し、更なる研究の推進を決定した。うっかりミスが研究枠の拡大と推進に繋がるなんて、正に棚から牡丹餅、人間万事塞翁が馬だ。だけど、その分研究費も増大するのだから結果を出さなければ私のクビが飛びかねない。

 あれから変異体モルモットの遺体を調べて、幾つか判明した事実がある。モルモットの持つ遺伝子に、ユグドラシルからなる植物系統の遺伝子が結び付いていたのだ。即ち、あの変異体は生物と植物の遺伝子を兼ね備えたハイブリットと呼んでも遜色はない、全く新たな生命体という訳だ。

 そんな奇跡の誕生に立ち会えるなんて、私はなんて幸福な人間なのだろう』


『3747年12月22日 曇りのち雨

 更に変異体の数を増やし、その肉体や臓器を調べると面白い発見があった。変異体モルモットから採取した体液を調べてみると、Gエナジーに酷似……いや、そのものだというデータ数値が弾き出された。試しに体液を採取してGエナジー用の発電機に投入してみたら、驚くことに作動した。

 生物の体内から莫大なエネルギーを生み出す。もしや神は私にノーベル賞の獲得……いや、世界を救った歴史の偉人として名を刻めと命じているのではないだろうか。何せよ、このような面白いチャンスをみすみす逃す訳にはいかない』


『3748年1月13日 雪

 変異体はGエナジーの投与が原因なのか、性格が凶暴化していた。同じ変異体同士の檻に入れても何もしないが、そこに通常のモルモットを入れた途端、全員がモルモットに執拗な攻撃を加える。明確な性格の変化は興味深いものを感じさせる。

 しかし、彼等はモルモットを殺すだけで血肉は喰わない。血肉だけじゃない。それまで食していた餌すら喰わない。水は流石に摂取しているみたいだが……だとしても彼等はどうやってエネルギーを賄っているのか。益々もって不思議である』


『3748年1月14日 雪

 信じられない事が起こった。昨日、あの実験で変異体に殺された筈のモルモットが生き返った。それも変異体となってだ。どうやら変異体に殺された生物は、その変異体と同じ生命体になってしまうようだ。

 まるで噛まれたら感染するゾンビと同じだ。もしも変異体が世に放たれたりでもしたら……想像するだけで地獄だ。今後は変異体を厳重に管理するようにしよう』


『3748年2月18日 晴れ

 地下3階の増設に伴い、この施設の設備が格段と増強された。序でに警備も大幅に強化された。それだけ上層部が私の研究を重視し、期待を寄せている証だ。悪くはない、寧ろとても良い気分だ。

 それと変異体に関するデータはごく一部の機関と共有する事になった。研究成果を横取りされないか不安だったが、そもそも情報を共有する機関は私の居る部署とは畑違いだと分かると、その心配は杞憂に終わった。

 話は変わるが以前話した彼等が食事を摂取しない理由だが、あれから私なりに考えてみた。彼等は体内にある高純度エネルギー体Gエナジーを生成し、それを消費・生産の体内循環を繰り返し、ある種の半永久機関として確立しているのではないだろうか。

 ユグドラシルは光合成によってGエナジーを生成している。彼等にも同様の遺伝子が組み込まれているので、可能性は十分に有り得る』


『3748年8月19日 晴れ

 あれから研究が進み、モルモットでは満足な研究データが得られず、遂には犬猫といった小動物、更には猿に至る中型動物までもが実験動物として投じられた。結果は上々だが、時々変異体達は私達人間を監視するかのようにジッと見詰めている時がある。それがとてつもなく恐ろしく感じられる。

 だが、もしも彼等の持つ永久機関の謎を解明出来れば、今度こそ私は歴史に名を刻めるだろう。またそれに先駆けて、現在変異体に直接コネクトする新たなエネルギー発電装置を開発中だ。永久機関が世界を救う時、私の名は永遠の存在となるであろう』


 日記帳に書かれた施設長の野心と研究に勤しむ日々に、ヴェラは徐々に薄ら寒いものを覚えつつあった。この変異体と言うのが恐らく彼女達が呼ぶまもりびとである事に間違いない。

 だが、その変異体はゾンビの様に増えていくという事実を目にした途端、彼女の脳裏に看過出来ない疑問が浮かび上がった。まもりびとの正体が地球上に存在する生物だとしたら、自分がこれまで切り捨てたまもりびとは―――。

 恐怖で指先が凍て付くような感覚を覚えながらも、彼女はそこから更にページを飛ばし、一気に災厄が起こる日の直前までページを飛ばした。


『3752年5月3日 晴れ

 本社から緊急の連絡が回されて来た。明日、本社から何名か施設への視察に来るようだ。これはやばいぞ。私が追い求めていた永久機関の解明及び研究はまだ完成していない。このままでは何の成果も上げられない無能者と言う烙印を押され、施設長の座を明け渡せと言われてしまうかもしれない。

 とりあえず完成したばかりの発電装置と、その性能を披露しよう。これらが評価されれば、私のクビと施設長の座は繋ぎ止められる筈だ』


『3752年5月4日 晴れ

 突然の出来事だった。街中にユグドラシルが溢れ返り、大勢の人々が死んだ。私達は混乱した。この出来事は我が社が引き起こした事故なのか、それとも単なる天災なのか。視察に訪れた人に尋ねてはみたが、彼等も『分からない』の一点張りだ。

 一般回線や携帯で試してみたが、本社との通信は取れない。地下3階の本社と直通で繋ぐ緊急非常用の通信機からも試したが、やはり駄目だった。恐らくユグドラシルの根と樹木が通信網を破壊してしまったのだろう。

 この被害が東京だけならば救援が来るという希望もあるが、日本全土に広まっていたらと思うと絶望しかない』


『3752年6月1日 雨

 この施設に市民が押し寄せてきた。彼等はユグドラシルが街に覆われたのは我々NG社が原因だと怒っている。理不尽だ。NG社が生み出したGエナジーで散々良い思いをしてきたのに、一度事故を起こしただけで掌を返すなんて。いや、流石に東京を丸々飲み込む程の大規模となれば、この怒りも致し方なしであろう。

 だが、警察の機能がマヒしている今、彼等を止められる人も居なければ、此方を守ってくれる人も居ない。パワードスーツを着た警備員が果敢に暴徒に立ち向かったものの、あっという間に人波に飲み込まれて見えなくなってしまった。

 私達はすぐさま関係者以外入れない地下へと逃げて行った。そして防火扉を封鎖し、嵐のように暴れまくる暴徒達の怒りが収まるのを待ち続けた。

 やがて暴徒達の怒り狂った騒音は止み、引き潮のような静けさが戻って来た。誰もが安堵して防火扉を開けようとしたが、何故か扉は開かなかった。市民共が勝手に防火扉を溶接し、私達を地下へ閉じ込めたのだ。誰も彼もが悲嘆に暮れるばかりだった』


『3752年6月4日

 閉じ込められてから数日が経過したが、日を追う事に増大するストレスに耐え切れず、発狂し出す者が増えていった。殴り合いの果てに死亡する人間も増えたが、そういった人間に誰も気に掛けなくなりつつあった。狂気が蝕むというのは、恐らくこういう状況を指すのだろう』


『3752年6月6日

 変異体モルモットの一匹が脱走した。小さい鼠だ。見付けないとヤバい。もし人間が感染したら最悪の事態となる』


『3752年6月7日

 一人が噛まれた。若い女性の研究員だ。激しい高熱を出し、熱に浮かれて意識が朦朧となりながらも時々『呼んでいる』と言っては防火扉の前へ行き、何度も扉を叩いたり爪で引っ掻いたりし始めた。爪が割れ、血の跡が付こうが御構い無しだ。明らかに狂い始めている。

 やがて彼女の毛が抜け落ち始め、皮膚の一部が樹皮の様に変化し始めた。それは彼女が人ではなく、変異体になりかけている証拠だ。こうなった以上、最早助からない。

 そこで私達は彼女を試作型のエネルギー発電装置の一部として組み込み、新たな電力源にする事にした。彼女には悪いが、これも私達が生き残る為だ。

 そして由々しき事態が、また一つ明らかとなった。脱走したモルモットが更に増えたのだ。しかも、ネズミが齧ったかのような歯形が鍵穴に付いていた。まさか変異体になると知能が上がるのだろうか? そうだとしたら、これは凄い発見だ。だが、それを伝えられる術は最早無きに等しいが』


『3752年6月16日

 今日もまた感染者が出た。既に施設に居る半数以上が変異体となってしまった。私達は感染者が完全な変異体となって襲い掛かってくる前に、例の実験室に閉じ込めた。だが、果たしてこのままで大丈夫なのだろうか……』


『3752年6月19日

 変異体がダクトを通って襲って来た。犠牲者は多数に上った。こんな事になるのならば、地下3階にある警備室から予備のパワードスーツを持ってくれば良かった。しかし、最早あとの祭りだ。

 私も変異体の攻撃を受けて深手を負ってしまった。何れ変異体となるのも時間の問題だ。避けられない死を目前としているからか、自分でも恐ろしいと思える程に頭がスッキリしている。何とも不思議な感覚だ。

 そして最初に感染した彼女が言っていた「呼んでいる」の意味が漸く分かり始めた。頭の奥底に、水の入ったコップを弾くような甲高い澄み渡った音が響き渡るのだ。人間の言葉ではないのに、何故かそれが“私を呼んでいる”のだと確信してしまうのだ。

 私も完全に意識を奪われる前に、実験室へ赴き我が身を封じるとしよう。そして願わくば、これ以上誰も地下へ来ない事を祈る』


『私の日記を見付けた人へ。

 これを読めば分かると思うが、地下に行かない事をお勧めする。それでも何かを求めているのであれば、最後に記された暗証番号で地下へ進むと良い。但し、貴方の生命の保証は出来ない――ケンジ・トリイ』


 日記はそこで締め括られており、日記の所有者の名前の後ろには10桁の番号と英語の羅列が書かれてあった。これが例の暗証番号なのだろう。

 日記を見終わった後、ヴェラは急激な情報量でパンクし掛けた頭を整理しようと、軽く上を見上げた。正直に言うと日記に書かれた内容が衝撃的過ぎて、今の自分の気持ちを表す言葉が見当たらない。

 だが、彼女は頭と気持ちの整理を終えると振り返り、傍で手掛かりを探していた二人に声を投げ掛けた。

「スーン、トシ。手掛かりを見付けたよ」

 彼女の言葉に二人から安堵と喜びの返事が返って来る。だが、これから自分の話す内容と日記の中身で、二人の驚愕する姿が既にヴェラには見えていた。そして数分後、それは現実のものとなった。

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