彼はいつも泥だんごをこねこね作っている。毎日毎日何年も寝る間も惜しむどころか、食べる間も惜しんで手の汚れも気にせずただこねこねしていた。


 彼は同種族はおろかその他の生物も生まれてこのかた見たことがない。生まれた時からずっと一人で、それゆえ自分が「孤独」と認知することさえもなかった。彼の生まれた場所は泥にまみれていた。というか泥しかなかった。生まれてすぐは何も感じずぬかるんだ地面の上に一人佇んでいた。それから数年がたった。その間に自分が泥を食べることで生命維持を行えるということに気づいたり、泥に触れると心が安らぐということも知った。つまりこの環境は実に彼に合っているということだ。


 彼はいろんなことを学んだ。走ることの楽しさ、とりとめのないことをただひたすら考える無意味が孕んだ面白さ、時にどうしようもなく襲ってくる恐怖、悲しみ。そのあらゆる記憶の側に泥があった。


 そしていつからか彼は泥だんごを作り始める。最初は特に理由もなく泥と戯れていただけだった。そのうちに何かを創造し表現し得るということに気づいた。泥だんごで今まで経験したことや新たに想像したことを実体として記録し、自分の存在を証明しようと考える。はじめのうちはシンプルな球状の泥だんごですら悪戦苦闘した。だが次第に上達し、今では脳内に描いたものは大抵表現できるようになった。自分が座るために合理的な物体であると考えた「椅子」や、自分の記憶を絵などで記録しておける筆記用の板なども制作した。そして彼の身の回りには物が溢れていく。生活が豊かになる。


 ある日、彼は「生き物」を作れないかと考える。同じ種で互いに話をして盛り上がったり、遊んだりしたいと思ったのだ。彼は今までのどんな創造物よりも力を入れた。すでに鏡は泥で作ってあったので、それを見て自分の形にできるだけ似せた。何年も何年も自分の満足のいくものができずに試行錯誤したが、ようやく完成した。「それ」は動いた。「それ」はまずあたりを見回して困惑しているようだ、彼は「それ」を見て今まで感じたことのない気持ちを覚えた。この気持ちはいつものように泥を扱っても表現しきれるものではなく、ただ「それ」を抱きしめることで満足するしかなかった。


 そして彼は「それ」にいろんなことを教えた。その中で何かと不便なので「言語」を二人の間で定めた。それからまた何年も経ち二人はいろんなことを考え、語り合った。彼は本当に楽しかったし、「それ」も彼のそんな表情を見るのが楽しかった。


 ある時彼は自分の変化に気づいた。泥で自分の中にあるものを次第に表現できなくなっていったのだ。彼は悩んだ。「それ」もそんな彼の助けになろうとあらゆる「言葉」を与えたが、無駄だった。ついに彼は泥で何も生み出せなくなった。


 毎日毎日彼は泣いた。自分の胸に巨大な穴が空いているようだった。彼はどんどん周りのものが嫌いになっていった。自分の過去に作った創作物を粉々にすることも多々あった。それはまるで自分自身を攻撃しているようでもあった。しかし彼は「それ」のことだけは嫌いになれなかった。いつも側にいてくれて、彼に温かい言葉を与えてくれるし、どんなに辛く当たっても「それ」は彼を見捨てなかったからだ。


 そのうち彼は泥自体も嫌いになり、しまいには泥の上に立っているだけで憔悴していった。もう彼は何も言葉を発せずただただ眠っているだけになった。「それ」は彼に何もしてあげられず泣いた。


 そうして彼は動かなくなった。「それ」はどうしていいかわからなくなった。いつも何かする時は彼に決めてもらっていたし、彼の決定には間違いがなかった。彼といると楽しかったし、どんなつらいことでも二人でなら乗り越えられる気がしていた。でも彼はもういない。とても辛かった。


 「それ」は彼がいなくなってから何年も一人で生きていた。確かに辛かったが、彼もかつては一人だったのだと思うとなんとかやっていけた。いつか自分も彼のように自分以外にもう一つの「生き物」を作ってしまうのだろうかと考える。それが良いのか悪いのかはわからないが、どこか漠然とした恐ろしさがあった。こんなどうしようもないことを考えている時いつも消えてしまった彼の顔がちらつく。それでも毎日彼が最後嫌った泥を食べ、泥で何かを作り生きていく。虚しくても一人で生きていく。

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