第十五節 オープニング・パレード 四



 苦しい……もうこれ以上は食べられない。

 身体はそう訴えているはずだ。なのに手が止まらない。さらなる食を求めてやまないのだ。

 満腹であるはずの腹の中に、明らかに許容を越えた量の食べ物が流れ込んでいく。

 嫌だ、嫌だ、もう食べたくない。

 だが、腹が減って仕方がない。

 空腹で空腹で、どうしようもない。

 目の前に食べる物があるなら食べずにはいられない。

「う、いや、いやだ……」

 そういえば、ダイキはどこに行ったのだろう。一緒にパレードを見に行って、区長と握手をして、それで、帰り道で、お腹が空いたって――、

 ダイキはどこだろう。どこにいるのだろう。

 そんなことより、お腹が空いた。

 ……違う、違う違う違う!! そんなことよりってなんだ、もうこれだけ満腹で、食べられるわけがなくて、ダイキがどこにいるかわからなくて、それなのに『そんなことより』ってなんだ!!

 お腹が空いた。

 ダイキはどこ?

 お腹が空いた。

 ダイキはどこ?

 お腹が空いた。

 食べ物ダイキはどこ?

 お腹が空いた。

 食べ、ダイキ……食べ、食べ食べ食べ物食べる食べた物たた食べたべたべたべたべる食べる食べる食べる食べる食べる腹減った食べる空いたお腹食べる食べる食べる食べる食べる食べ物食べる食べ食べる食べ食べ食べ物食べる――。


 ◆


「白い……狐?」

「私達は、ソレを追ってこの街まで来たのです。道中、寄り道したこともあって行方はサッパリ。方角的にこの街が一番、かの獣が身を隠すに適した場所かと思ったのだけれど。それを裏付けるように、三ヶ月前、事件が起きたと言うではありませんか」

 三ヶ月前。その時期に起きた事件と言えば、ノエもよく覚えている。あの黒々とした化け物が病院で暴れまわった事件のことだ。

「――、白い狐に覚えは無いけど……その事件ならアタシも知ってる。この街にいたなら、たぶん誰もが言われれば答えられるはずだよ」

「なるほど。ではその事件の詳細は?」

「なんでも、病院で化け物が暴れまわったとか。誰が解決したんだか知らないけど、人的被害はゼロ。そのままいろんなニュースの中に埋もれてった」

 正しくはゼロではない。

 桑島くわしまアザナ。化け物になってしまった元人間。彼だけは、ひっそりと事件の影で命を落とした。しかしそれを知っているのはごく少数のみ。それを語ってしまえば、ノエがその事件に深く関わっていたことがバレてしまう。

「なるほど、なるほどなるほど……」

 ノエの応えに頷きを繰り返す愛。

「――だ、そうよ。リーダー?」

「あ? そこでオレ様に振るなよ。……ったく、手間かけさせんじゃねえよ。なあ、――無戸籍ヽヽヽ

「――、――は?」

 茶釜の声に動揺を示したのはノエだった。

「アンタさあ、誰なんよ? 軽ーく、ほんの軽ーく調べたんだが、この街で暮らす奴の中で、アンタだけが戸籍の登録が無かった。この時代、妖怪も戸籍を管理されるのが当然。まあ妖怪の戸籍なんてもん、管理できる方がすげえって話もあるが……それにしたって、ここで暮らすのもそう短くねえだろ、アンタ。いつまでこの街に無戸籍でいるつもりだ? それとも、何か戸籍を登録できない理由でもあんのか?」

 ――、なるほど。

 ゆっくりとした問い詰め。しかし逃げることを許さないその口調は、未だノエに選択権があると教えるためのものか。

 選ばせてやる、正直に答えるか、誤魔化すか。ただし、その選択次第では容赦しない。そんな雰囲気がビンビン伝わってくる。

 加えて、この四人がノエの店へやってきた理由もわかった。

 つまり、

「アンタが――白い狐の妖怪なんじゃねえのか」

 この問いに、ノエは、

「……いや、全然違うけど」

 そう、ひたすらに哀れなモノを見るような目で答えた。


 ◆


「……ん? あ、そう? あっれー、おかしいな。ぜってーこれだ! と思って張り切ってここまで来たのに」

 拍子抜けな展開に、茶釜はまるでずっこけるかのように頭をかいた。

 それまでの毅然とした態度とは一転、どうにも覇気の無いその姿に、ノエと紅緒の肩の力は抜け――、

「――よせ、輝夜バカ

 閃きがノエを襲う。

 キィイイン!!

 鳴り響くは金属音。ノエが咄嗟に引き抜いた脇差と重なるのは、輝夜が両手に持つ二対の鉄扇だ。

「ぁ……!?」

「さっきからすっとぼけちゃって~、このこの~。――ね、お姐さん。えーっと……ケンセツ的なお話? ってやつしないっすか~?」

 襲いかかるうさ耳パーカーを弾くも、すぐさま体勢を立て直し鉄扇で斬りかかってくる。それを再度脇差でいなす。

「やめろ輝夜、そのまま殺す気か!!」

「だって、めちゃくちゃ怪しいじゃないっすか~。あーし詳しいんです。少なくともこのお姐さん、只者じゃあ無いっす――よっと!!」

 舌打ちひとつ、茶釜は長髪の男子に対し、「むじな、あのバカ止めろ」と声をかけ――、


「ご心配なく、自分の身に降りかかる火の粉くらい、自分で払えるから」


 ――ガラリと、ノエの纏う雰囲気が塗り変わる。

 神速で迫ったはずの輝夜の鉄扇は宙を薙ぐ。勢い余った輝夜はそのまま地面に頭から突っ込み、「おば、」と間抜けな声を上げた。

「あら、ごめンあそばせ。……なンて、最近の若い子は言わないのかしら?」

「? !?!?」

 何が起きたのか――泥に塗れた顔でノエを見やりながら、今の状況について思考を巡らす輝夜。

 傍から見ていればわかったことだが、ノエは迫る輝夜の真下に滑り込み、そこで蹴り上げた脚を輝夜の足裏に合わせ、輝夜自身の攻撃は避けた上で、輝夜を加速させた。

 言ってしまえば簡単だが、輝夜には理解できない。

 一合、刃を交えただけで大体の力量は測れる。その結果輝夜は、たしかに只者では無いと断じたものの、戦闘技能はさほどでもないという結論に至った。

 なのに、なぜ?

「そりゃあ答えにも詰まるわよ。この子は何も知らない。自分が何者なのか、どうしてこの街にいるのか。その過程は知っていても、その理由を知らない。だから、代わりにワタシが答えてあげましょうや」

 まるで人が変わったかのように饒舌に語り始めたのはノエだ。ただし、漂わせる色香はまったくの別物。

 そしてようやく輝夜は理解する。

 人が変わったかのように、と言ったか。いいや違う、これは。

「ンー、こうして何度も顕現するものじゃないンだけど。でも仕方ないわよね。さっきの問い、答えられるのはワタシだけなンだもの。……ねえ、狸の坊や。どうにもこの子を――ああいや、今はワタシ自身か。ワタシを疑っているようだけど、たぶン、あなた達の探している『白い狐』とやらじゃあないわよ」

 本当に、ノエとは別人なのだ。

「……狸だ? オレ様が狸に見えるってのか」

「違うの? なら、ワタシの目に映る半妖様は、いったい何の妖怪の血が流れているのかしら?」

「――何者だ、テメエ」

「答えてあげると言った手前、心苦しいけれど……それは答えられないわね。あなたもゲームに参加する? さて、ワタシは誰でしょう?」

 とぼけたことばかり言うが、ノエらしき誰かさんには隙がない。

 今まさに飛びかかろうとした輝夜は、己に向けられた殺意に身体が固まってしまった。視線は輝夜を向いていないはずなのに、その動きはたしかに把握されている。

「さて、知りたいのは『白い狐』の行方だったかしら? 答えは『知らない』――それが真実よ」

「んだぁ、それ。結局変わってねえじゃねえか」

「違うのよ。『アタシ』が答えるのと、『ワタシ』が答えるのじゃあ。『アタシ』は何も知らないの。――自分の出自も、目的も、そもそも自分が何者であるかも。ここに至るまでの過程を覚えてはいても、理由を知らない。その知らないどこかで、『アタシ』はもしかしたらその白い狐だったかもしれないけれど、知らないから違うとしか答えられない」

「要領を得ないな。つまり何が言いてえ?」

「説得力の話をしてるの。『ワタシ』は、ワタシが白い狐でない、という真実を知った上で答えてる。……こうでもしないと、そこのカワイコちゃんは納得してくれないンじゃないかしら?」

「――――」

 チラと見たのは輝夜だ。視線を向けられた輝夜は、口をつぐみ押し黙っている。

「……なるほどな、そこんとこは理解した。オーケー、アンタはオレ様達が探してる白い狐じゃねえ。――愛、あのバカにお仕置き」

「それは良いけれど……お仕置きの内容は?」

「任せる」

「了解しました。それじゃあ輝夜ちゃん、お尻ペンペン」

「え」

 パァンっ!! ひぎゃー!! なんて悲鳴が響く中、ノエはそのやり取りをニヤニヤと眺めている。

「さて、結局これ以上の質問は無いみたいだし、ワタシも引っ込もうかしら」

「……もう一度聞くが、アンタは何者だ?」

「ノーコメント。……でもそうね、ヒントくらいはあげるわ」

 言って、ノエはその目を閉じ、

「ワタシ、相当有名みたいよ? ――稀代の悪妖怪として」

 ――――、――そして、ノエを包んでいた奇妙な雰囲気は消え。

「……、――はっ!?」

 居眠りから覚めたように、ノエは意識を取り戻す。

 その様子を、傍から眺めていた――アスヴィは、

「……私達のこと、思い切り除け者にしていないかね?」

 なんて、愚痴をこぼすのであった。


 ◆


 あれ、聞き覚えのある声だな?

 気づいたのは最初の方だが、口を出すに出せない雰囲気が続いたためアスヴィは黙らざるを得なかった。

「キミ達、この前私に道を尋ねてきただろう」

「ん? ……あー! 茶釜さん、この人あの人っす! 可愛い子連れた変しt痛い!!」

 変質者、と言いかけたその口を、頭を叩いて黙らせる茶釜。

「その節はどーも。こんなとこで再開するなんて、お互いツいてねえなあ」

「まあまあ、お互いの不幸を嘆くより――まずは、だ」

 アスヴィは、落ち着いたであろう紅緒に声をかける。

「あまりにも唐突過ぎたために、こんな状況になっているが、そもそも現実の方がてんやわんやだ。一旦そちらを解決するとしようか」

「……まるで我を責める物言いだな? 世界を開いた我が悪いと、そう言いたいのだなアスヴィ?」

「まったくそんな気はないが……」

 子供のような態度の紅緒に、アスヴィは苦笑を漏らす。

「――良い。我も、少々取り乱した」

紅緒は渋々と言った感じで、世界を閉じ、元の世界へと戻ってくる。
















そして、次の光景を見た。


「――あ?」


 場所は変わらない。先程までと同じ、《九重亭》だ。

 しかしそこにあったのは、先程まで料理を貪り、暴動を起こした人間の姿ではなく。

「……何が、」

 視界に映ったのは、血が迸り、床に倒れ伏す多くの人間の姿であった。

 肉が抉れ、血を吐き、まるで互いを貪りあったかのような。


 そんな光景を見た。


 ◆




 ――前座オープニングはここまでだ。

 これより語られるのは、人妖特区第一番『珠都』の一角にて営まれる和風定食『九重亭』を起点に巻き起こる奇譚。

 三大欲求、その一つにまつわる事件。


「さあ、お膳立てはしたとも。どう動く、ヒーロー?」


 人妖戦争に次ぐ、歴史的な一幕が……開こうとしている。

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