Episode23

店の営業時間が過ぎて夕食を作らなければならなくなったので、父とユズキが一階を清掃している間に、カオリは今日の献立を作ってしまうことにした。


キッチンにはすでに使い古した料理器具が揃っている。


コンロで水を沸騰させているうちに必要な野菜を刻み、鍋の中へ放り込んだら、今度は主食の調理へ取り掛かる。料理を短く簡単に済ませるためには、空いている時間を上手に活用しなければならない。


夏休みが始まって、そろそろ二週間以上――ユズキが我が家に転がり込んできたこと以外、カオリは別段代わり映えのない日々を過ごしている。


ただ、そこにはイチコの姿が欠けていた。本来なら今年の祭りは彼女と一緒に行くはずだったし、もっと色々なものを見て回る予定だった。


イチコとは、もうしばらく連絡が取れていない。電話やメールを送っても、彼女は無視を決め込んでいるようだった。何か、カオリにも言えないような事情を、一人で抱え込んでしまっているのかもしれない。


カオリは 彼女のことが心配だった。友達を気にかけない人なんていない。


だが、事情が不明な上に連絡も取れないとなると、カオリにもどうしたらいいのか分からなかった。


イチコは、一体どうしてしまったのだろう。


料理をしていても、頭の中はずっと悶々としている。


何となく、もう二度とイチコと会えなくなってしまうのではないかという疑念に駆られ、カオリは不安になった。


彼女が、いつもみたいにひょっこりここへ顔を出してくれさえすればいいのに。カオリ、久しぶり。こんな感じの、明るい口調で。


そんなことを独り言のように考えていると、


「やっほ。久しぶり」


信じられないグッドタイミングで、イチコがリビングに姿を現した。


思わず、言葉を失ってしまう。


まさか本当にやって来るとは思っていなかった。こういういかにも突然なところが、いかにも彼女らしいといえば彼女らしい。


カオリがしばらく呆然としていると、イチコも決まりが悪いのか、目を背けてうつむき気味になってしまった。


「今まで、どうしてたの」


カオリはなんとか声を絞り出す。


「いや、ほら、なんというか」


イチコはごまかすように、必死に言葉を探しているようだった。


「……反抗期ってやつ?」


「はぐらかさないで」


ぴしゃりと言い放つ。


「ええと……」


どうしよう、とイチコは困ったように笑った。


表面上は明るく振る舞っていたが、顔色は以前よりはるかに悪くなっている。何かあったのは間違いなかった。


イチコは物言いたげな瞳をして、唇を震わせた。


やがて、やっぱり勇気が出なかったのか、申し訳無さそうな顔をして頬を掻く。


「ごめん、今は、まだ話したくないかな」


「そう……」


少しだけ、がっかりする。


友達でも、そう簡単に話せる内容ではないみたいだ。よっぽどの事情なんだと察する。彼女に伝える意志はあるようなので、詳しい事情は、時間をかけてゆっくり打ち明けてくれればいい。


「ごめん」


「いいよ」


「祭りに一緒に行けなくて」


そっち? 


「……今謝ってくれたから許す」


「うん」


それでさ、と続けられる。


「突然で悪いんだけど……」


「なに?」


「ピアノ、ちょっと借りもていい?」


ピアノは、父が妻の形見だといって残しているものがユズキの部屋においてある。


別にいいけど、どうして今?


怪訝に思う。


イチコの両手は、なぜか僅かに痙攣を起こしていて、震えていた。とても鍵盤を叩けるような状態には見えない。こころなしか態度もそわそわしていて、落ち着いていなかった。


ちょっぴり変だ、とカオリは思う。


体の様子もおかしいが、そうまでしてピアノを弾かなければならない理由が、イチコにはあるのだろうか。でも、何のために?


「……パパとユズキくんが、戻ってくるまでなら」


「ありがとう」


一応、許可を出すと、イチコの表情が途端に明るくなった。額には汗が滲んでいる。


「貸してくれるってさ。良かったね」


イチコが、不意に誰もいない隣の空間に話しかけた。


明らかに普通ではない言動。


彼女は、以前とは少し変わってしまったのかもしれない。


ピアノの場所を教えてあげると、イチコは目に見えない誰かと話しながら廊下の方へ消えていった。


カオリはキッチンに佇んだまま、自分がどういう感情を抱けば良いのかよく分からなくなってしまう。


再開できたことは素直に嬉しい。友達の意思は、揺らいではいない。イチコに奇妙なところが出来てしまった点は、今後少しずつ受け入れていかなければならないだろう。


「あ……」


鍋のお湯が急に溢れ出してきたので、カオリは慌ててコンロの温度を下げた。


とにかく、イチコとの再会祝いだ。少しくらいなら、自分の料理をご馳走しやってもいいかもしれない


曖昧な気持ちを抱えたまま、カオリは料理に戻る。

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