第1章「そして少女たちはツチノコ狩りへ向かう」1話

 寧々がなにか気がかりな夢から目を覚ますと、自身の上に金髪ショートの美女が馬乗りになっていることに気がついた。

 美女の着るぴっちりとした黒いTシャツは、その豊かな胸のラインをこれでもかというほどに強調し、ショートパンツから伸びる白い太ももには健康的ながはちきれんばかりに詰め込まれていた。

 その時、寧々は一切を悟り、全ての抵抗を諦めることにした。

「わかった、奈那なな。お前の好きにしろ」

 全身の力を抜き、そっと目を閉じる。

 奈那になら、貞操を奪われたって構わない――。


 奈那の顔がゆっくりと近づいてくる。

 薄い唇が艶めかしく動く。

「……えーっと、何の話?」

 寧々が目を開けると、奈那の困惑した顔が視界に飛びこんできた。

「ん? 夜這いに来たんじゃないのか?」

「よばっ……!? ち、違うって! ただ、寧々がなかなか起きてくれないから――!」

 奈那は顔を真っ赤にしながら、寧々の上から転げるように降りていく。

「なんだつまらん」

「つまるとかつまらんとか、そういう問題じゃないから!」

 必死になって抗議する。

「……というか、なんで寝起き早々そんな発想が出てくるかな!? 最近の若者は乱れとる! けしからん!」

「奈那がエロい格好してるのが悪い、としか」

「エロ……!? え、え、そうなの?」

 自身の服装を点検していく。ショートパンツに半袖のTシャツという、シンプルな格好。確かに露出は多いかもしれない。が、わりとスタンダードな、夏らしいファッションだと思う。

 とはいえ、面と向かってエロいと言われて、なおこの格好を続ける気は、奈那にはない。

「……着替えてこようかな」

「いや、その必要はないと思うが。よく似合ってるぞ」

 寧々は奈那のすらりと長い手足を眺めながら、うんうんと頷いている。

「お前は身体が引き締まってる割に胸もでかいからな。スタイルがいいから薄着というだけで高得点だ。百点をやろう。喜んでいいぞ」

 寧々の言葉をどう受け取ったものか、奈那はしばらく逡巡した後、

「……まぁ、寧々が気に入ってくれてるなら、わたしは別にいいんだけど」

「あぁ、そうしろそうしろ」

 奈那はこくりと頷いた。


「まぁ、奈那がエロいのはどうでもいいとして」

「どうでもよくない!」

 奈那の抗議は、しかし無視される。

「まさかこんな時間に起こされるとはな」

 寧々が大きく伸びをする。ぼきぼきと全身の骨が鳴る。血行がよくなり、頭に血が回り始める。

 そこで、ようやく大事なことに気がついた。


「……というか、なんでお前がうちにいるんだ?」

「え? だって前、合鍵くれたじゃんか」

「いや、それは覚えてるが……。だからってこんな早朝になんの用だ?」

「いやいやいや、昨日ツチノコ狩りに行こうって話したよね」

 寧々が記憶を掘り返す。確かにそんなメールは貰った。OKも出した。しかし。

「まさか昨日の今日で行くはめになるとはな……」

「なにごとも善は急げだよ! それに無職になったんでしょ? ならいつでも暇でしょ? 思い立ったら即行動できるのが無職のいいところでしょ!」

「無職の醍醐味は、朝から晩まで気兼ねなく眠って過ごせるところなんだが。せめてあと一ヶ月は……」

「どうせそんな貯金ないでしょ。いいから行くよ! 早くしないと誰かに先を越されちゃうかも!」

「……本気でツチノコを捕まえるつもりなのか?」

「当然! やるからには全力出すぜー!」

 奈那が力こぶを作る。

 勢いだけは頼もしいことこの上ないのだが。

(……やろうとしてることはツチノコ狩りだからな)

 情熱の傾けかたを明らかに間違っている。

「まぁ、ツチノコの実在云々はこの際問わないとして……、なにか当てはあるのか? 賞金三百万円とか言っていたが」

 その賞金というのも怪しさいっぱいだ。どこの酔狂がツチノコなんぞに三百万も出すというのか。三百万と言えば寧々の年収の実に四倍に相当する。とんでもない大金だ。


 しかし奈那はニッと笑って言うのだ。

「もちろん! わたしだって、なにも考えずにこんなこと言わないよ」

「……」

「なにその沈黙」

「いや、これまでのお前の行動を思うに、本当はなにも考えてないのだろうな、と」

「失礼な! 寧々に言われたくないよ! とにかく、詳しいことは道中話すから、さっさと支度する!」

「……ま、いいけどな」

 どうせ無職は暇なのだ。

 奈那の気まぐれに付きあうくらい、どうということはない。


 しかしその甘い考えは、すぐに打ち砕かれることになる。


               ○


 支度を済ませ、アパートを出る。

 玄関の鍵をしめる時、奈那が意外そうな声をあげた。

「あれ? 寧々、ウィッグつけるのやめたんだ」

「ウィッグ……? あぁ、かつらのことか。まあ、旅行の時くらいは、こういうのもいいだろ」

 寧々が首を左右に振ると、動きに合わせて豊かなが揺れる。

「へぇ、寧々がファッションに気を遣うなんて珍しいね」

「ん? いや、単に面倒くさいだけだ。かつらつけてると蒸れるしな」

「あ、そうなの」

 ちなみに寧々の服装はいつものジャージだ。長年使われて生地はくたくたになっている。動きやすいことこの上ない。

「でも、まぁ、寧々はやっぱこっちのほうがいいよ」

 奈那が寧々の髪を撫でる。

「この銀色、すごく綺麗だし、寧々に似合うしね。なによりその……す、すごく格好いいと思うよ」

「そうか?」

「そうだよ」

「……まぁ、褒め言葉としてありがたく受け取っておこう」

「うん……、やっぱ地毛が一番だよね。すごくさらさらしてる」

 奈那は髪の感触を楽しむように、撫で続ける。

 寧々もしばらくはそれを受け入れていたが……。

「………………うりゃ」

 突如、奈那に抱きついた。

「わっ……!? ちょ、ちょっと寧々!?」

「む、毎度のことながら驚異的な柔らかさだな」

 身長差の関係で、寧々の顔は奈那のまるい胸に埋まっている。

「お前だけ楽しむのはズルいからな。私も楽しませろ」

「だからってこんな……! こ、心の準備もできてないのに――!」


               ○


「き、気を取り直して、さっさと車に乗ろっか……」

「あぁ。十分に満喫した」

 疲弊した表情の奈那に比べて、寧々は意気揚々としていた。

 らしくない軽やかな足取りで、アパートの階段を降りていく。


「……!!」 


 外に出た寧々を待っていたのは、巨大な黒い鉄くずだった。

 いや、正確に言うと鉄くずではない。よくよく目を凝らしてみると、車……ハイエースのようにも見えなくもない。

 しかしそれはあまりにも古びていた。どうしようもないほどにガタがきていた。車と呼ぶには、遥かに限度を超えたおんぼろ加減だった。

 車検なんてまず通らないだろう。

 そもそもまともに公道を通れるかどうかも怪しいものだ。

 こんなものに乗っているだけで危険物処理班が出動しかねない。


「……なんだこの走る棺桶は。こんなもん、いったい誰が乗るんだ?」

 一縷の望みをかけて、寧々は言う。

 ――うすうすは気付いていたのだ。

 しかし、それをにわかに認めることは、寧々にはできなかった。

 

 そんな寧々の気も知らず、奈那は無慈悲に言い放つ。

「もちろん、わたしたちが乗るんだよ」

「いや無理だろこれは。そもそもちゃんと走るのか?」

「何を言いますか! これぞわたしたちのバンドを長年支えてきた愛車、『神よ女王を護り賜えゴッド・セーブ・ザ・クイーン』号だよ!」

「女王どころか、お前らすら護れなさそうだが……」

 よくよく見ると、側面部には『エーリッヒ・ツァン』とロゴがついている。これは奈那の所属するパンクバンドの名前だ。


 おそらくはバンドで使っている車を借りてきたのだろう。


「……なるほどな」

 ほっと安心したように寧々がこぼす。

「パンクバンドらしくジャンクな改造してるのか。……そりゃそうか。こんな車わざわざ好きこのんで――」

「……何言ってるの?」

「ん?」

「そんな改造、ファッションパンク《偽物》のすることだよ! 真のパンクスは自動車廃棄場ジャンクヤードから盗んできたのを、自力で直して使うの! なぜなら、それがパンクの精神パンク・スピリッツだから!」

 そんな精神、犬にでも食わしてしまえ、と寧々は思う。

「……まぁ、いずれにせよ見た目ほどはひどくない、ということだな。一応走る、と。なら別に構わない」

「当然! 一生現役で走らせるつもりだからね!」

 そう言って奈那は胸を張る。寧々の脳裏には、なぜだか古代エジプトで巨石を運び続ける老人の姿がよぎっていった。


「しかし、いつのまに免許なんてとってたんだ? よくそんな金あったな」

 売れないバンドマンの例に違わず、奈那も金なんてろくに持っていない。

 免許講習にはそれなりに費用がかかると聞いていたが。

「大丈夫だよ!」

 と、自信満々に奈那は言う。

 その言葉に、寧々はかすかな違和感を覚えた。

 ――大丈夫?

 なにが大丈夫なんだ?


 そして奈那は笑顔で言うのだ。

「バンドのメンバーから免許証を借りてきたから!」

 それはそれは見事な笑顔だった。


 寧々は思う。

 ――そうか、この旅で私たちは死ぬのか。


 しかし結局、奈那に促されるまま棺桶ハイエースに乗り込むのだった。

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