第34話 ナーガ①

 ◇

 大里委海と海馬――孫と祖父は空へ飛び、戦闘を始めたが、気にとめる者はいなかった。

 委海はイズナと叫び、海馬はオンミョウソワカと呟きはじめる。


 ◇

 地上では中井一麿と志士徹が対峙していた。中井が地に足をつけ、志士徹はその顎を蹴り上げる。

 中井の顔に感情は無く、飛び散る血も人の痛みや苦しみなど帯びていない――志士徹は、畏怖の念を抱きつつ、それでも回し蹴りを放つ。


 直撃し、野次馬の歓声があがる。熱狂的な周囲と志士徹の持ちが、ずれた。


 徹の足裏がじんと痺れる。骨の異常を知らすほどではなかった。徹はそのまま三度目の蹴り、中段突き、回し蹴り、かけ蹴りと連発した。

 地に両膝を付けたまま中井は徐々に天を仰ぐように視線を徹からずらす。


 猛攻を続けていた徹の心中は――


――このオッサン、。『防御うけも躱しも疲れる』ってか。俺の全打撃を受け止めて底力を測り始めやがった。

――ユーヤが好きそうなヤツだ。さっさと来やがれっての。


 実力の差は悔いても埋まらない。だからこそ徹はあらがった。


 スピードをさらに上げ連打を浴びせる。拳、肘、膝、頭、足、乱撃につぐ乱撃は風を起こし他者の介入を拒んでいた。


 打撃音が鳴るのの、徹の顔に余裕は無かった。


 ◇

 息継ぎのように徹は動きを止めた。

「駄目だわ。俺の空手は対・人間用だからバケモンはきつい」

 徹の敗北宣言ともとれる言葉――バトルを楽しみにしていた者たちは声を失った。シャオはそれを心底から、ざまあみろ、と思って舌を出していた。


 中井の傍に歩み寄った徹は片手で汗を拭いつつ、開いた手の指を中井の目に突き出した。

 中井はその指を掴んだ――だが、その指が消える。


 はんっ、と徹が鼻をならして両手を腰に添え、足を止め、言う。

「だがオッサンも健さんもユーヤも、大里大里大里……アホかっつーほど鍛えてばっかり。さっさと奥義を会得して出せってんだ。じゃなきゃ、アンフェアだって……な?」 


 徹は棒立ちしたままだったが、中井の衣服が破れ飛ぶ。

 皆、徹の動きに目を凝らして見ていたが捉えることができず、唾をのみこんだがその間もずっと中井は見えない何かに斬りつけられているようだった。


 シャオは出した舌を引っ込める。そして大きく目を開いて見た。

――カムイじゃ無い? なに、この動き。手で円を描くような――


 座り込んだ中井の顔は、徹の腰よりやや上の高さだった。座ってるため距離は徹のリーチ内。徹の動き、手は円を描く。回し受けだった。

 何故、防御の動きで中井がダメージを受けるのか――そのシャオに答えるよう、徹は両足を広げ、腰を落とした。

 脱力して伸ばされた左手、そして右手は腰に当てがわれ、心を込められていく。


「逃げたきゃ勝手に逃げな」

 そう言って徹はゆっくりと呼吸を始めた。


 武術の心得が乏しいシャオでもわかる、空手の代表的な技――正拳突きの、練習の型。実力が伴って正拳突きははじめて技になる。もし微動だにしない中井の顔面を殴りつけるだけなら技とは呼び難い。

 徹の真意を測れず、シャオが首をかしげたとき、それは起きた。

 

 さながら地面を穿つ地鳴りのような打撃音。

 後ろにのけぞるような中井の顔、そして出血は噴水のように上がった。


 だが、徹の挙も手も足も、動いていない。右拳は腰に当てがわれ、左はだらりとのばされたままだった。


 シャオの全身に鳥肌が走った。

 また、周囲の不良少年たちの中でも「寒気がした」、「ビビった」と声が漏れる。


 時間の差異は体感でしかなく、事象として起こるのはカムイの能力でなければあり得ない。


 だが、徹はやってのけた。

 人間のまま、人間の力で他者の視覚を超えたスピードで動き、戻る。

 アニメなら分身や残像のように表現されただろう。

 

 空手に限らず、武の極みは誰の目にも映らない。

 そして高速かつ、一瞬に命を奪うための拳は空手とは一線を画す。


「逃げたきゃ勝手に逃げな」

 再び徹が言った。

 

 命を奪うはずの銃に守られるような矛盾、それが空手の、徹の言う奥義――シャオはそう思い知り不快感を覚えたが、全く動けなかった。


 ◇

 逃げん――そう中井は言った。その声は徹に向けてではなかった。

ぬしに出すわざなど無い。だが勝負を捨て生死の域に入った武士もののふに、背中や脳天を見せるなど恥。いくらでも受け止めてやろう」

 ぎらっと中井の目が周囲の少年たちを見渡した。

「腑抜けどもが。この機に俺を討たんでどうする。その手にあるのはナマクラか? 股にぶら下がっているも飾りか?」


 すると「んだと、コラぁ!」と声が上がった。「防戦一方のジジイが! てめーのこそ使えんのか、ああ!」


 徹は微動だにしない、中井は座ったまま挑発をする――シャオは少し笑ったが、冷や汗と恥を帯びていた。

 中井は淡々と続けた。

「こやつの放つ正拳は正拳に在らず。ナーガを宿した――しかし俺を立たせんと、未来永劫、空手は大里流には勝てんな」


「このヤロウ――‶改革派〟のタブーを!」

 中井と徹を囲む、不良少年たちは得物を握った――シャオは反骨心、敵意、そして武術家特有のコンプレックスが募り行くのを感じ、それを煽っているのが中井だと知った。


――みんな自分は雑魚だってわかってる。カズ兄とトールって人は怪物すぎる。敵はいない。でも、敵がほしいんだね。


「トールさん! ユーヤよりあんたが強ぇはずだろ!」

 その言葉を誰かが呟くと連鎖的に広がり行く。いけ、いけ、と。


 中井は滴る己の血を振り撒くように首を振り、叫んだ。

「男ならば応えてやれ! 空手家!」


 再びの轟音とともに中井が後ろにのけ反る。血が噴き出して、中井は啄木鳥のように笑った。


 シャオは知った。この二人は延々これを続けるつもりだと。


 徹が中井の命を奪うか、徹のスタミナがきれるまで続く命を賭けた我慢比べ――


 ◇

 草薙裕也は宮田啓馬と住宅街を歩いて行く。喫茶店Bobで宮田啓馬はテイクアウト用のカップに紅茶を淹れてもらい、それを啜りながらキョロキョロと辺りを見渡し、こっちかな、あっちかなと独りごちながら裕也を引き連れ回して、二時間ほど経っていた。


 その間、裕也は行き来する人々から情報交換したり、ときには恐喝、恫喝、激励を受けて応えていたが宮田の後を追うことが第一として手早くすませていた。

 宮田啓馬は冷めた紅茶を飲み切らずに、息をついて口を開いた。

「結構、人望があるのですね」


 裕也はきょとんとして、宮田の屈託の無い微笑混じりの声に返事した。

「人望ってか、珍獣扱いだと思うけど……それより、どこを目指してるわけ?」

「大里流武具術の道場です。もう着いてもおかしくないはずなんですが……紅茶、飲みますか? 冷め切ってますが」


 冷え切ったカップを受け取り、まさか、と裕也は尋ねる。

「あんた、方向オンチ……?」


 宮田は頷く。

 裕也はため息交じりに住所を尋ねたが、それは住宅街の最北端で、現在地から一時掛かると、口を尖らせて言った。

「ディーラーがビビってたけど、あんた、いくつ?」


 宮田は左に向かって歩き出し、言った。

「あえて年齢は伏せます。パートナーの年齢より下になるのが癖になってますから……裕也さんが高校二年生なら僕は中学生で構いません。性別は男ですけど、面白そうだから女性扱いされても良いですよ」


「なんだそれ。妙な大人の遊びか、子供の遊びかわかんねーぞ。嫌な感じ……」

 そう言ってからおもむろに口を付け、裕也は紅茶を飲む――眉間が痙攣した。


 宮田は振り返り、言った。

「すごい味でしょう。あらゆるハーブが混在してて……冷めたから更に拍車が掛かると思って。棄てるのも気がひけるし、タイミングを伺ってました」

 

 裕也はぐっと飲み干して、口を拭いつつ言った。

「マズい……ザ・バイオ・ケミカルって感じで……気持ちわりぃ……ドラッグじゃねーだろな……」


 宮田は歩き出し、住宅街のいたる所にある観葉植物や花を指して言った。

「もちろんドラッグでは無いですが……バイオ・ケミカルって言い方ならこれらの土や肥料、虫除け剤や病気の薬と同じとも言えるかもですね。人工的に作られた茶葉、多くの香辛料や長期保存するための薬、砂糖、水……数えきれないほどの味が舌を刺激する液体です。350円なら妥当ですが、僕なら缶ジュースの方が好きですね」

「あー、そういう話はお茶好きとしてくれよ……俺の感想に深い意味はねーから……ただただマズくて吐き気がする……」

「僕は意味合いを乗せて渡しましたよ。裕也さんは他人の好意に全力で応える兄貴分だとわかりました」


 裕也は足を止め、しばらく考え、気づいて声を大にした。

を押し付けるなんて最悪だな、あんた! 初めて出会った同門を、蹴り飛ばしたからって気ぃ使って損した! この調子だと武具術も悪の巣窟かよ! クソが!」


 宮田は両手を広げて言った。

「裕也さん、短絡的かつ誤解ですよ。初見の人から飲食物は断るのは子供でも常識でしょう? 毒物を入れて効き始めてから襲うなんて古典中の古典……裕也さん、口直しに喫茶店に入りますか?」

 裕也は駆け足で追いつき、宮田の右隣を歩く。

「あんたと二人きりは怖い。それに俺は必殺技でジュースの一本ぐらい余裕だ」

「必殺技?」と宮田が裕也を見上げて尋ねる。

 裕也は指折り数えた。

「大里流じゃなく、草薙裕也流。今日まで封印していたが、使うしかねーや――自販機破砕脚、店員回避俊足走、不良逆恫喝拳……ぐらいなら言い訳もできるだろ」


「つまり器物破損、窃盗や無銭飲食ですね……でも、できますか?」と宮田は自販機を指差す「裕也さんは知らないでしょう。あなたは自分の置かれた状況が、どれだけ特殊か」


 宮田の言葉を遮るように裕也は自販機に向かって跳躍して、そのまま蹴りつけた。

 音が鳴る。しかし、裕也が着地しても自販機は全く反応しなかった。防犯ブザーすら鳴らず、裕也は叫んだ。

「て、鉄屑の分際で……自販機破砕百烈拳!! あーっタタタタタ――アタッ! ホワタァ!! タタタタタ――だーっ! この!」


 裕也は奇声を上げながら自販機を殴り続けていたが全く揺るぎもせず、激しい打撃音が鳴るだけだった。


 次第に遠巻きから裕也への注目が集まりいく。宮田がその人たちに歩み寄り人を呼び、裕也の手をつかんで無理やり止めさせ、裕也に告げる。

「自販機が頑丈なわけでも、裕也さんが非力なのでもありません。。無刀大里流を通して玉緒アキラ様が――一種の洗脳です」


 そして宮田ははにかんでみせ、自販機に軽い裏拳を当てた。


 音を立て自販機がジュースや小銭を吐き出すように壊れる。


 裕也は顔を引きつらせ宮田の顔を睨み付けた。

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