二章

第15話 二日目、早朝……


 ◇

 朝もやの立ち込める青井市高速道路のサービスエリアに、周囲の興味を惹くバイクが停まった。

 ハーレーダビットソンの改造車だった。その屈強なボディとブランドもさることながら、男性の目はライダーの方へ向けられた。


 身体に張り付くようなレザースーツ、ハーフメットと煙草を手に喫煙所に向かう女性。パーマメントされた髪を後ろに束ね、大きな眼は猫のよう――大里流海だった。

 彼女は、凛々しく優雅に歩く。モデルか、芸能人かと男性たちは思った。ブーツなのに足音が聞こえない歩み。喫煙所でジッポを擦るまで、音が無かった。


 声をかけようとする男性はいない。誰もが高嶺の花だと諦めていた。

 それでも勇敢な者がいた――

「おはようございます」

 ただの挨拶にすぎないが、周囲の男性たちは心の中で、その者を賞賛し同時に妬む。どうせ突っぱねられるとほくそ笑んでいた。


 ◇

「どうも」そう言って流海はマルボロをふかし、一瞥もくれない。

「いいマシンですね」

「高いだけ」

「こけたら大変そうだ」

「こけなきゃいいだけ」

「女は度胸ですか。中井さんやイナミさんに聞いた通り、淡白な方だ」

 その男は便箋を彼女に差し出す。ようやく流海は視線をその男に向けた。

 喫煙所でもフルフェイスメットを外さない、長身の男。


「アンタ、誰?」

 流海の問いに、その男はアハハと笑い、便箋を灰皿の上に置き、何も言わず駐車場へ向

った ――足音も衣擦れの音も無い。静かな朝もやに同化しているようで、バイクにまたがり走り去った。


――追いかけたら返り討ちされるな。


 流海は男のバイクの車種、ナンバーを記憶

するだけに止めた。


 やがて便箋を手に取る。便箋に書かれた宛名を見た途端、全身に冷や汗が流れた。


――呪術を掛けてやがる。朝からいろいろ面倒くさい。〝コトワリ〟を呼ぶか。


 ビシッ――


 流海の額に黒い幾何学模様が浮かび、彼女は目を伏せる。

 額からダイレクトに脳へ映像が送られる、青井市の上空からだんだんと落ちていく映像――封を破り、中から紙を取り出す流海。彼女は、自身の体を操り、俯瞰する――


 大里流海

 今日をもって貴殿を当主代行から段持ちに降格。

 また先の戦から十余年、不当に廃止された剛拳大会を来る十五日に復活させる。

 本書は招待状であるが、大会へ参加するよう勅命でもある。

 場所は青井市分家道場。時刻は朝。日が昇る頃を計ること。

 有段、無段すべからく集まり、今日までの鍛錬を発揮せよ。

 

                       大里流総家意見役   

大里海馬


 その文を額に宿らせた〝コトワリ〟に読ませたのち、解除する。

 〝コトワリ〟のカムイは流海の体から抜け出て、邪気と共に天へ――


 心と視界が元の体に戻り、流海は、手に持つ紙を破いた。


「クソジジイが。昨日、シメとくんだった」

 独り言ち、考える――


――本文も言霊などが十重二十重、真偽、真意は解読し辛い。何かのカムイかも。文面をそのまま受け止めても、今どきこんなものを送りつけない。剛拳大会の存在を知るのはあたしの家族のみ。差出人と中井、梶尾の件との繋がりは不明瞭。シロでもクロでもない、グレーゾーン。


 大里流海は、マルボロをふかしながら、熱いものが胸に湧いた。


 ◇

 約三十分後。

 天根光子は東京の帝都大学の研究室で愚痴を吐いた。携帯電話の相手に向かって――背丈170㎝で女性にしては長身だが、贅肉も筋肉もない、典型的なひ弱。肉体労働は嫌だから博士号をとったのに――と。愚痴の相手は流海だった。

「――しかもね、お師匠さまのこともエイチンのこともわからないまま。無視すれば?」

「そうしたいけどいろいろ紙に憑いてた。素人じゃない。あたしに手渡したヤツは妹を知ってるみたいだし、昨日〝コトワリ〟を乗っ取られたことに繋がる……でもあのジジイ相手にあたし一人じゃ無理」


 光子はコーヒーに実験用のブドウ糖を入れてすすり、言った。

「きっと昨日の病院と同じだよ。大会に見せかけたトラップ、言霊で確実におびき寄せて……そう考えるのが妥当じゃない? もしお師匠さまの件と関係してても、ボクが出ちゃうとまずくない? 昨日は余力があったし、焼け野原も〝アマツ〟でホログラムを設置して、誤魔化せたけど……あまり乱発すると街が崩壊するもの」

「そう思ってさ、実家にも連絡した。すると頑固で最強な親父殿が、山籠もりから帰って来てて、あたしの話なんて……はぁ……あれは一人でいきり立ってる。嘗められた、殴り込みかけるって勢いで、あたしの事情や真偽なんて二の次。まずあたしが青井市の分家に行って、話をしなきゃ屍の山……百地には口が裂けても言えない。でも一人ならやばい」

「あはは。押して知るべし、ぶっつけ本番、出たとこ勝負、義理と人情、そして女のプライド。男勝りのルミチンらしいや……ボクも報告があるの。昨日、あの後に菱山病院のカメラの記録と、やっつけた生き残りを連れて帰って調べた報告……カメラの解析はすぐ終わったんだ。人の方は徹夜になって、ちょっと手荒くなっちゃった……電話で言えるのは『シャンハイ・パオペイが絡んでる。海馬のオジイちゃんは、お師匠さまに組織を継がせたいみたい。規模が大きすぎる』ぐらい」

 光子は笑顔だった。へらへらとした表情で――

「ボクも女だし人間だし、海馬のオジイちゃん、お師匠さまには恩も愛も……そっちはいいや。ケンチンの頼まれごとがあるから、午後までに青井市に行くね」

「無理なら無理って言いな。仕事があるんだろ?」

「大丈夫だよ。帝都大では助教授なんて生徒とほぼ同じ。教授のサポートばかりだもの……ねえ、ルミチンのバイクに乗りたいな。喧嘩なんかより迎えに来てよ」

「断る。そして前言撤回。自力で来い。今すぐ走って来い」

「あはは。使百メートル走、三十秒台の超鈍足だったし、あんな結界だらけの街で暴れたら、死んじゃう」

「昨日みたくカムイを使えばいいじゃん。本気になったら宇宙の果てまで行けるだろ……砂糖入れすぎ。気持ち悪い」

「バレちゃった? よく生徒からね、『どうして太らないの』って。そのせいかな、ボクの足が数ミリだけ宙に浮いていること、気づかれないの……〝アマツ〟は便利だけど性格と燃費が悪くて、甘いものは必須アイテムなの。糖分は脳と心の栄養だからね、オススメ」


 コーヒーにブドウ糖を追加して、光子はすすった。表情は変わらない、へらへらとした笑顔のまま喋る。

「ルミチンは友達だから、本音は殴り込みなんてさせたくない。大里流が表にでるのは時期尚早。だからといって暗躍しようにも有段者と、カムイ使いの多くは行方不明。そして敵も不明……じわじわと攻め込まれてる感じだね。まるで囲碁や将棋みたいだなぁ……」

「あたしの件はあんたが来ればすぐ片がつくけど」

「うーん、どうだろうね……とりあえず、ボクがシャンハイ・パオペイにいたころの知り合いに連絡するね。青井市近郊で数人、商売してるはずだし戦力にもなるはず。ユスるようなことは……あはは、やりかねないなぁ。人格破綻してるからね、ボクみたいに」

「あのさ、あたしはヒカルを信頼してるし、ヒカルが信頼できるヤツを疑うわけじゃ無いけど……やっぱり今の話、無かっことにして。あたし一人で行く」

「ルミチンは優しいから好きだよ……昨日、ボクが神社の上空で若い外国人と女の子を逃がしたでしょう? もしあの子たちが敵で、特に女の子と戦闘になったら敗北は必至。全滅もある。あの二人を逃がしたのはボクの甘さからの大失態……今の職より過去より大事なものがある。ルミチンもでしょう?」


 流海は返事をしなかった。

 光子は、名誉挽回したいんだよ、と言う。

「あの女の子が敵なら、相手はボクがする。もちろんルミチンが先に遭遇するかもだし、喧嘩はしないのが一番……一時間ぐらい待ってて……午前七時までに、ふたば駅に集合させるから……あ、ちなみにその人たちもボクも、人間とゴキブリをなるべく殺したくないの」

 光子はさらにブドウ糖を加える。

「ルミチンの癪に触っても大人の対応をしてあげて、ね?」

「人間はわかるけど、ゴキブリはどうしてさ」

 流海の問いに光子は笑いながらも、少し冷たい目で実験室を見て言う。

「習わなかった? ゴキブリは筋肉のかわりに体液で足を動かしてるの。だから踏み潰したとき、体調を示す色の体液をぶちまける。でもね、痛覚が無いし独立した運動神経が足を『かさかさ』と動かせて、せめて背にある卵だけでも巣へ帰そうと――」

 そこで電話はきられた。

 光子は「だから嫌なんだよね」と笑ってコーヒーをすすった。


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