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 ◇

 下見と様子見、そして玲や咲弥の口論、八つ当たりなどから逃れるために雅也とアキラは、万事屋から脱出して十五分歩き、閑静な住宅街に人目を避けるようにある路地を、阿弥陀目のように進んで、大小様々なマンションが立ち並ぶ区画に入った。

 時間は午後五時を回っており、緩やかな初夏の陽が街をほんのりと赤く染めている。

 

 出立する前に咲弥から聞いた『陣』の場所にはマンションが建っていた。

「ご立派な……」

 マンション前で雅也が呟く。雅也とアキラは、しばらく立ち尽くしていた。眼前には野球ができそうなほど広い駐車場兼入り口広場、そしてその奥にそびえる、奇妙な形をした高層マンション。


 どうしてこのような近場に二十階以上もの高層マンションがあることに気づかなかったのだろうと二人で考えあぐねた。


「嫌な空気……死臭みたい」とアキラは言うやいなや「たつみさんに聞いてみるね。今回は値切れる自信があるの」と携帯電話を取り出し、掛けた。


――意識改革させないとダメだ。仕事が片付いたら、まず映画に誘おう。


 雅也は、そう思いながら後頭部を掻く。


 アキラは携帯電話を三つ持っている。咲弥の時は仕事用で、今回は知人用のもの。GPS機能が無い旧式の折り畳みタイプのものだった。

「アキラです。急な話ですが、前置きは抜きで ――」

 雅也は彼女が電話で話す声を拾いつつ、周囲を見渡した。


――飲食店もコンビニも無い。マンションだけの区画。ここら一帯はバブル全盛期に乱立されたまま、放置中だったはず。他のビルも軒並み入居者が少なそうなところばかり。こんなところに新築するなんて、景気が良いというか無計画というか。


「……知らないんですか? ……どっち? どっちってどういう意味ですか?」

 アキラがそう言いながら雅也の肩を叩き、電話を押し付けるように差し出す。

「話が成立しない」と、やや頬を膨らませているアキラを見て雅也は、破談したか、と思いつつ電話を受け取り代わりに話を始めた。

「かわりました、雅也です」

「マサヤん、一緒にいたんなら君から掛けてーな。下手な脅し、古いカマかけ……で、からかったらスネたみたいやね。大学生のくせに、正直、引く」

「たつみ姉さん……」

 雅也は目を伏せ、唇を噛み、携帯電話を持つ手を震わせ、念じる。

 

――カムイよ、たつみ姉さんに罰を下してくれ。玄関の扉に指を挟む程度で良いから。

 

 気持ちをそのままに、雅也は会話を続ける。

「善いこと悪いこと、全てを吸収してしまうんです。あまり茶化さないでください……今回は、テイホウ・マンショングループの情報が欲しくて」

「それは聞いた。無理とも言った」


 電話の相手、大里たつみの声は苛立ちが混じっていた。


 雅也は最近になって彼女が情報屋だと知った。しかもフリーランスではなく、会社として運営しているほどだと。

 竜甲通信――その女性社員の筆頭。東京で私立探偵はおろか警察も相談すると言われている。雅也も過去に一度だけ、竜甲通信から情報を買ったことがある。有益だったがその分、莫大な金額を請求されたため、一線を置いていた。

 たつみは、そのことを持ち出して続ける。

「鍛錬もまだまだやし、ツケも完済されてないのに。また情報がほしいて? マサヤん、仕事は選びなよ」

「でも本当に困ってるんです。詳しくは言えませんけどテイホウ・マンショングループについて、何でも良いから教えてほしいなと」

「だから無理やって。私は便利なワトソンくんや無い。会社かて少年探偵団と違うもん。商売でやってんの。他を当たって」

「ですよねぇ」

 先ほどアキラとのやりとりで、たつみが気分を害したことは明白だった。それでもと雅也は無言で返答を待ち続ける。

「……」

「……」

 二人とも何も言わないし、きろうともしない。

「……」

「……雨、降ってる? 由宇から、連絡とか説明、あった?」

 ぽつりとたつみが言った。

「雨は降っていません。連絡も無いです……症状、そんなに悪いんですか?」と言いつつ雅也の脳裏に姪の顔が浮かんだ。

 

 今日に限らずここ一週間、雅也は姪の占いを断っていた。あまりにも当たりすぎて恐ろしくなったというのと、最近の姪の体調が電話越しでもわかるほど悪化しているから。

 

 雅也自身、何か悪いもの(例えば中井の魂)を持ち込んだせいかと思えたし、雑多なストレス(例えばたつみ)など病を悪化させる心当たりが多くある。最近の姪の声は遅めの五月病のように覇気がなく、姪の方から連絡するまで間を置いていた。


 それをたつみは知ってか知らずか、その話題をすぐに変えた。

「マサヤんの無言は妙な迫力があるなぁ。ポーカー、特にテキサスホールデムで稼げるんちゃうかな……テイホウは都内に結界を張ってる。マンションはその装置みたいなもの」

 嘆息交じりに喋り出した、たつみ。

 雅也は相槌を打つ。

「マンションで結界なんてできます?」

「能舞台にある四本しほんの柱。中で舞われる演目はうつつを離れた物語。観客は観ること聞くことしかできない。これが日本で最も古い結界の形やで――呪術や武術の基盤は舞にも通じる、世阿弥からいろいろ学べるって言って、本を渡したはずやけど?」

「最近、あまりに大学生活が充実してまして、そっちは後回しになってまして……」

「ドアホ。東京には繁栄と保護の為、結界が随所に張られてる。テイホウはそいつを利用してるわけ。どうすると思う?」


――だから、それを大嫌いな家族あんたに聞いてるんだ。アキラちゃんだって悠長に構えてられないから、手早く確実だと踏んで連絡したんだ。それを――


 と、ここで本音を言えば機嫌がまた悪くなるので、雅也はわかりませんと素直に答えた。

「四つのマンションで形を作り、その中にある場を増幅させる。怪僧・天海が敷いたのが有名。大坂城、江戸城とか拠点を守護するためやけど、総じて社会の繁栄に繋がる。現在でも日本トップレベルの大都市になってるやんか――そのおこぼれをテイホウもやってるんちゃうかな。詳しく調べてないから、あくまで噂話やけど」

「そんな良い事には使われてないようで……今、店の近くのマンション前なんです。なんて言えばいいか……不気味なんですよ」

 アキラの姿をみやり、彼女がじっと見つめるマンションを雅也も見た。

「階数二十五階くらいですかね、ずいぶんな高さです。そのわりには存在が希薄というか、もやっとして……言葉にしにくいんです」

「敷地内に入ってみたら? 私の記憶では危険区域指定では無いはず」

「危険区域って、何ですか?」

「国家公認の心霊スポットみたいなもの。富士の樹海とか。アキラちゃんと二人なら狂乱自殺の心配も無いし、外観を観察するぐらいでは職質すらされへんから」

「ええ……」と雅也が一歩、マンションの敷地に踏み込んだ。

 その瞬間、全身の熱がさあっと引き、頭が貧血を起こす。

 よろめいて、足が敷地の外に出た瞬間、全身に電気が走るような衝撃を受けて尻もちをつき、息を荒げた。

「雅也君?」

「おーい、どうした?」

 アキラが駆け寄って、雅也の背中をさすった。たつみは電話越しに何度も雅也に呼びかける。

 息を整えながら、雅也は電話を耳に当てて入れない旨を説明した。


「ちょっと待っててな。調べてみるわ」

 電話越しにたつみがキーボードを叩く音が聞こえた。

「うーん。マサヤんがいるのは都内で東北面のマンションかも。万事屋に一番近いところは、建築基準法、ギリギリセーフ。そう言う意味で危ない物件になってる。

 でも構造は複雑みたい。ざっくばらんに言うと、丑寅の鬼門を開けて敷地内へ氣を循環、棟内で練り何倍、何十倍も増幅させて裏鬼門から放出してる。マンションの鬼門の方角に心霊スポットやいわくつきの神社、寺、霊園から邪気を集める仕掛け、か。

 あ……ごめんな、さっきの危険区域のこと、訂正する。築三年とされてるけど警視庁のデータと照合すると近辺は過去三年間で自殺、変死体、殺人、失踪、通り魔がウナギ上り。霊的な危険度は、総合順位ならワースト50。ただ定期的に都内ワースト5になってて、今月の審議いかんで準危険区域指定になるかも……迂闊だった。情報が入ってないなんて商売にならんわ。料金はタダにするから、玲さんには黙っててな」


 雅也は、はい、と小さく返事したが、その心中は――


――神よ、僕は少しだけ報われました。


 携帯電話から聞こえる、たつみの声は嘆息が混じっていく。

「私は行った事ないけど、マサヤんの状態と、引き出したデータを考えると……アカン。完全にアウト。除霊するなら本物の霊媒師を十人以上、カムイ使いを二人以上必要。冗談抜きでアルバイトなんてレベルやない」

「……」雅也は唇を噛みしめた。

「そこは人間の領域として作られてない。まさしく現世うつしよ常世とこよを隔てる結界。幸いなのは、一般人ならまったく大丈夫ってことかな。

 でも霊感が少しでもあると邪が入り込んで錯乱してまう。カムイ使いなら、シンタに入り込んで、カムイが拒否反応を起こす。肉体的、精神的にもダメージを負うし、暴走するかも。そもそもバトル禁止中。帰って玲さんと相談するのがベストちゃうかな」

「いえ……切羽詰まってまして、突入してみます」

「不法侵入やで。どうして意固地になるんよ? どういう仕事を請け負ったんよ?」

「人助けです。玉緒万事屋の仕事はそれしかありません。多少無理してでも早いに超したことは無いので」

 そう言って立ち上がり、片手でジーンズに付いた埃を落とした。

 アキラが、くすくすと笑い雅也も軽く笑った。

「エエ格好しい。嫌いじゃないけど早死にするよ」と、たつみが言った。「入るまえに、立ったまま、紙で動物に近い形に折ってそれを左手に持って行き。邪気が濃くなるとそれが掌で動き出す。手に持っていられなくなったら投げ捨てて逃げるんや」

「ありがとうございます……ちなみに何の術ですか」

祖母バアさんから教えてもらったおまじない。今年の盆には、墓参りに行きなよ。私も他人の事言えんけど……ケータイは通話状態でも大丈夫やから。今日の仕事は空いたし、私もスタンバっとくわ」

 

 雅也はメモを一ページちぎってアキラに渡した。たつみからのおまじないを説明し、もう一ページちぎって雅也は鶴を折った。


 立ったままの折り紙は難度が高く、四苦八苦しながら鶴を折った。


 二人はそれを左手に握りマンションの敷地内に、せーのと声を合わせて入った。

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