第22話 リセット

「うわぁ……、これ、お前がやったのか」俺は美咲に言った。


「そうです。それがなにか?」美咲は不機嫌だ。


 俺が拘束されていた部屋は二階にあり、階段を上ってすぐのところにあった。玄関ホールが吹き抜けで、下の様子が階段を使わなくてもわかった。


 扉という扉が、無残にも破壊されていた。切り裂かれたようにも、打ち砕かれたようにも見えるその傷は、明らかに美咲が持っていた斧によるものだ。二階が綺麗な状態なのは、俺がいた部屋が階段の近くで、なおかつ扉が開いてからだろう。そうでなければ、同じように破壊活動が行われていたはずだ。


 玄関扉の近くには美咲が斧を運ぶために使っていたテニスバックが転がっていた。このためだけに買ったのだろうか。


「人の家なのに容赦ないな」俺は伊澄の様子を窺った。驚いているというか、腰の一つでも抜かすんじゃないかと思ったが、いたって平然である。


「人の家だからこそです。私にはなんの関係もありません」


「訴えられたら負けるぞ」


「訴えられませんから大丈夫です」


 それもそうだった。


「まあでも被害は扉だけだし、住む分には問題ないんじゃない」凛久はそう言って、一つ欠伸をした。


「見てきたのか?」


「うん」頷いた。「美咲ちゃんはあれだね。怖いね。目的のためなら手段を選ばないタイプだ。伊澄ちゃんと同じ」


「一緒にしないで」


「一緒にしないでください」


「ほらね。そっくりだ」


 同族嫌悪という言葉が思い浮かんだ。なるほど、正反対ではなく同じだから反発し合っているのか。磁石みたいだ。


「どうするんだ、これ」伊澄に訊いてみた。


「このままかな」伊澄はあっさり言った。「酷いとは思うけど、私が言える立場じゃないし、うん、やっぱり仕方ないよ」


 爆弾で一網打尽とかじゃなくてよかった、と伊澄は笑った。そんなことされたら俺たちだけではなく、近隣の住民にまで被害が及ぶ。しかし事態が事態ならやりかねないと思わせるのが今日の美咲だ。この不機嫌さは厄介である。あとで機嫌が直ってくれるといいけれど。


「すいません、兄さん」美咲が唐突に切り出した。


「ん?」


「こんなところから一刻でも早く出て行きたいので、お先に失礼します。まさかこの直後に再発があるとは思えませんので……、まあ、凛久さんがいれば大丈夫でしょう」


「おや、ボク信用されているよ」


「いやいや、伊澄よりはってことだろ」


「大地くん、それは酷いんじゃないかなぁ」


「兄さんの言うとおりです」


 美咲は階段を下り、テニスバックを拾い上げ、斧をしまって退散しようとした。


「なあ、美咲」俺は呼び止めた。


「なんですか」振り返る美咲。


「本当は?」


「どういうことですか」


「本音は?」


「……こんな重いものを持ち歩いた挙句、それを振り回したので疲れました。早く家に帰ってお風呂に入って、寝たいから帰ります」


「気をつけてな」


「兄さんに言われても……」美咲は溜息をついて、帰っていった。


「やっぱり大地にはもったいない妹さんだね。ボクに譲ってくれないかな」


「あいつが了承するならいいぞ」


「それが無理だから、きみに頼んでいるのさ」


「じゃあ諦めろ」


 急に疲れが押し寄せてきて、俺はその場に座り込んだ。身体的疲労というより心的疲労だろう。頭も痛い。記憶を引き出したり、状況を打破することを考えたりと酷使したように思える。本当にしていた事実があるかは不明。考えたくもない。


 手首にはまだ手錠の感触が残っていた。


「お疲れ?」凛久も座り込んだ。


「うん、お疲れ」


「大地くんさ」と伊澄。


「なに」


「私たち、これからは友達ってことでいいのかな」


「まずはそこからだからな。やっぱり物事には順序ってもんが必要なんだろうな。じゃないと見えるものが見えなくなるし、気付くべきことに気付けないままだ」


 なにより今回のことで、俺が伊澄に気付いて欲しいのは、簡単に自分を捨てられてしまう、その献身さだ。伊澄は俺に尽くすことで、環境になることで、周囲の人間になることで、幸せになれると思っている節があった。


 一緒にいられればいい――そんなの綺麗事だ。


 もし俺の心を砕き、俺が伊澄しか考えられない存在になったとしても、彼女はいつかそれを後悔する日が来る。どうしようもない後悔の波に呑まれてしまうときが必ず来るはずだ。


 俺たちには、どんな関係も気付かれていなかったことに気付く。


 心なき関係など、ないのと同じだ。


 伊澄には、古宮伊澄がただ唯一の存在であることに気付いてもらいたい。他の誰にもなれない彼女自身のことを大切にして欲しい。彼女の本当に思い描く未来を大切にして欲しい。


 過去に縛られ、今しか見ず、未来に盲目になってはいけない。


 俺たちが生きているのはたしかに今だけれど、生きていくのは未来だ。


 今回の一件で過去の清算は終わり、少しは自由になれたはずだ。


 変わってくれるだろう。


 伊澄ならきっとわかるはずだ。


 ……わかってくれるよな?


 少し不安もあるが、とりあえず俺にできるのは、彼女がそれに気付くまでの手助けをしてやるくらいだ。


 なに、時間はある。


 同じ学校なのだから。


 俺たちは友達なのだから。


「手錠で繋いだこと怒ってないの? 監禁しようとしたこととか」


「あれらはお前の示した好意だろ? 好意に対して怒りをぶつける奴なんていないと思うけど」


「それはおかしい」凛久が隣で呟いた。


「だいたい今回のことは俺が全面的に悪かったんだ。きちんと返事をすれば、なにも問題はなかったはず」


「問題はあったよ」凛久が言った。「きみが拒絶すれば、別の手段を使って付き合う形にもっていったはずだよ。そうだよね、伊澄ちゃん」


「うん。まだまだ私には奥の手があったよ」


「お前たち、何者なんだよ……」


「大地の親友さ」


「大地くんの元彼女」


 聞くまでもなく、よく知っていることだった。


「結局ね、二人は付き合うことになっていたんだよ。再会したことが引き金になってね。ただ、どうやっても結末は同じだったとボクは思う。いくら伊澄ちゃんが大地を惑わしても、大地は自分の気持ちに気付いて、正直に話していたよ」


「私もね、やっぱりわかってたんだ。でも気持ちは抑えられるものじゃないしね。今しかできない無茶もあるしって考えたら、こうなった。本当言うと、そんなに悲しくはないんだよね。限度と限界がわかってたから、もし大地くんが別れを切り出したら、そのまま受け入れようと思ってたんだ」


 だから「ここまで」と言ったのか。それに拒否がなかったのもそのためか。だけどやはり伊澄にとっての最善と最高は、俺との関係が続くことだ。そんなに悲しくないというのは嘘だろう。


 俺を心配させないための配慮だとしたら、心が痛む。いっそのこと泣いてくれた方がよかった。それならかける言葉も見つけられたはずだ。


 泣いてもいいなんて俺が言えるはずもなく。伊澄が気丈に振る舞うのなら、無闇にその意思を打ち砕く必要はない。


「それにしても凛久くん凄いよね。なんでもお見通し。探偵みたいだったよ」


「可愛い女の子が関わっていることならな」と俺は補足しておいた。


「そんなことないよね、凛久くん」


「あながち間違ってないよ」


「ホントにっ?」


「ほらな、言っただろ」


「で、大地は伊澄ちゃんといつ付き合い直すの?」


「夜這いしたくなるほど好きになったら」


「ちょっと大地くん!」


「なにそれ、どういう意味?」


「それくらい好きになったらって意味だよ。まあ、それがいつになるかわからないし、そのときには伊澄の気持ちも変わってるかもしれないけどな」


「大丈夫だよ、私は大地くん一筋だから」


「その好意をボクにも分けてくれないかな」凛久が伊澄に言った。いついかなるときも見逃さないな、こいつは。


「むっ……、大地くんの親友なら少し、いいけど。友達としての好意だけど」


「聞いた!? ねえ大地、今の聞いたっ?」


「聞いてた。聞いてました」


「でも、そっか……。考え方によれば、私が大地くんを惚れさせれば万事解決なのかぁ」


「普通で頼む」


 今回みたいな精神破壊系は本格的にやばい。美咲たちが来なかったらどうなっていたかわからないくらいだ。


「うん、私の普通でやるよ」


「よかったね、大地」


「いいのか、それは」


 こうして、長い一日と伊澄との交際が終わった――十年前の約束から一区切りがようやくついた。


 ひたすら子供のころの俺を追っていた伊澄も、これからは「過去」ではなく「今」を見ることができる。彼女の中で止まっていたものが、ようやく動き出す。


 俺たちの本当の関係はここから始まるのだ。

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