花潜む雪

水菜月

*プロローグ → エピローグ


 ほんとうの暗闇を、いつしか人は知らずにいる。

 

 それは、目が慣れたら薄ぼんやりと輪郭が見えてくるような甘いものではなくて、引き摺り込まれるような闇。


 目を閉じるのは怖い。でも目を開けても見えないのはもっと怖い。

 新月の晩、暗闇の森に立っていると、自分が本当に目を開けているのかさえわからない。顔の前に掌を往復させても見えないほどの漆黒。


 私が閉じ込められたのは、そんな浸界だった。



 もし目の前にあなたがいたら、私は気配でそれを感じ取れるだろうか。


 あなたの顎を、首筋を、髪を撫でたなら、わかるのだろうか。

 少しずつ移動していく私の手にあなたが思わず声を洩らしたら、あなたの吐息を感じられたなら、果たして。

 あこがれだけで、あなたに触れたことなど、ただ夢の中だけのことなのに。


 空想はエスカレートする。


 君は臆病なおとなしい人。勇気なんて欠片も持ち合わせていないはず。そんな風に高を括られ、排除された小さき者。


 もう誰のものでもなくなる。いつしか暗闇に支配される。



 鏡を隔てた向こう側には別の世界があって、同じように見せかけて映すけれど、目を離した途端、別次元に動き出す。


 現実の世界に入り込もうとする、そんな油断のならない欠片があちこちに散りばめられて、それは反射するものに身を潜め、現実との逆転を目論んでいる。


 もちろん、夢もその一つ。



 あの逆転の瞬間、自分の周りから薄い膜のような残像が剥がされていくのに、誰も気づかない。それらは玉葱の薄皮のように、トレーシングペーパーのように半透明のまま重なって、気付いた時にはもう離れることはなかった。


 もっと早く結末が見えていれば引き返せただろうか。いや、たとえ知っていても、私はきっと同じ選択をしただろう。届かないあきらめた恋ならば、いっそ何処にでも連れて行ってくれたらいい。私は自ら掴まりに来てしまった。


 闇からの小さな誘惑にのって悪戯に試した行為が、私の中の何かを変えた。それは甘美で、取り返しがつかなくて、もう光の届かないところに封じ込められて。


 それでも構わなかったの。一瞬でも願いが叶えられたかのように、身体に沁み付いたのだから。後悔なんてしない。あなたにもさせない。



 私は此処にいる。


 花びらに、降る雪に、あなたの手のひらに宿る。

 花の奥に、降り積もる粉雪の下に、あなたのそばに限りなく浸食していく。


 そして、名前を呼び続ける。

 もう気づいているでしょう。それが私の声だということに。





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