1-03『夢の独り暮らしの破綻まで3』

 で、話が終わっていればなんと幸せだったことか。


 時間は一度、放課後にまで飛ぶ。入学式を平穏に済ませ、クラスでお互いの自己紹介を交わし、新しい一年に期待を感じながらの解散。

 こちらは無事に済んだ。

 俺はさっそくクラスの過半数の連絡先を入手することに成功した。友達も、もう数多くできたと言っていいだろう。まだわからないが、幸先は非常に順調なように見えた。

 もちろん劇的なことなど何もない。それで構わなかった。素晴らしき青春は、これから俺が自力で作り出していく。そのチャンスを、俺は掴むために行動しているのだから。

 友利叶との、張本人である俺でさえ理解しがたい出会いを除けば、高校生活は文句なしの滑り出しを切っている。

 これから俺は友達を増やし、勉強や遊びや恋愛に忙しく励んでいくことになるのだろう――なるはずだ。してみせるという意気である。

 友利とも、あのあとは何もなかった。会話はしていないし、どころか視線すら合わせていない。お互いが完全に知らない間柄として振る舞った。せいぜい、恐ろしく中身のない友利の自己紹介を、傍から失笑を堪えて聞いていただけである。何を言っていたのか思い出せないレベルで、それはもう当たり障りのないごく普通の自己紹介だった。


 ――そんなものなのだろう。俺と友利は、なんの関係もないクラスメイトに戻った。

 というか、初めからそうであるはずだったのだ――あの朝の一件さえなければ。

 世は全てこともなし。これから俺の新生活が幕を開ける――。


 が、それはそれ。これはこれだ。

 それ以前に、俺は独り暮らしの代償としてバイトに励む必要がある。

 入学式である今日は、午前中に全ての予定が済む。昼食を取って午後から、俺はついに初めてのバイトに出勤する予定だった。

 わざわざ時間を空けて入学式を見にきてくれた母に挨拶して、独り暮らしが順調であることの報告は済ませてある。放課後の教室で、何人かのクラスメイトたちと雑談を交わしてから、俺は下校した。

 ――友利叶は、解散になるや否やさっそく帰宅したようだが。


 まあ奴のことはいいだろう。考えるべきは、今日からのバイトである。

 本当は一度、家に帰ろうと思っていた。だが、友利と顔を合わせる可能性になんとなく躊躇いを感じていた俺は、昼食を学校近くのコンビニで済ませることに決める。無駄遣いは褒められたものではないが、今回は仕方ないと割り切った。必要経費みたいなものだ。

 初出勤をわざわざ入学式に合わせたのも、今後は学校帰りに働くことがメインになってくるからだ。その予行演習というか、まあそんな感じ。距離が近いこともある。

 ともあれそんな事情から、俺は学校を出たその足で職場に向かった。


 ――喫茶《ほのか屋》はいわゆる隠れ家的な店だ。

 いや別に隠れてなどいないが。学校の周囲は概ね住宅街で、最寄りの駅から少しばかり離れている。そんな立地だが客入りは悪くなく、少なくとも経営は順調らしい。民家の片隅に、当たり前みたいな形でふと現れる欧風喫茶店。駅からのアクセス自体はそう悪くないのだが、ちょっとばかり道がわかりにくいことが難点といえば難点だろうか。

 もっとも、その立地が店そのものの落ち着いた雰囲気にひと役買っているのなら、客としては悪くない条件だろう。耳に落ち着くジャズが流された店内は、わかりやすい心地のよさを提供してくれる。何より格好いい――バイト先としては最高だった。

 店の前まで歩いていくと、ちょうど扉の前で柔軟体操をしている先輩店員を見つけた。すでに何度か客として、店員候補として訪れた俺だ。その先輩とは顔見知りである。

 肩ほどのすらりとした短髪が活動的な、背の高い女性だ。その横から俺は声をかける。


「こんにちは、真矢さん。今日からお世話になります」


 先輩店員の瀬上せがみ真矢まやさんは、こちらに気づくと快活な笑みを見せて手を挙げた。


「――お、未那か。入学おめでとう! いいよ、制服似合ってんじゃんか!」


 この人が言うとお世辞には聞こえない。青春のため見習いたい明るさだ。


「ありがとうございます、真矢さん。まだ着慣れませんけど」

「悪くない悪くない。あそこはいい学校だよ、未那。なんせあたしの母校だからね!」

 外見通り姉御肌の真矢さん。今は大学二年で、言う通りOGでもある。バイトと学校、ふたつの意味で俺にとっては先輩だった。

「あはは。なら確かにいい学校って気になりますね」

「お世辞か、未那! まあ、言われて悪い気はしないけどね!」

 横合いまで近づいたところで、べしりと背中をはたかれる。強いってか痛い。

 けれど、そんな態度も真矢さんならば嫌じゃない。というかむしろ嬉しいくらいで。

 俺がこのほのか屋をバイト先に選んだ理由に、真矢さんやマスターの人柄があったことは否定できない。本当に付き合いやすい――主役力の高い人たちなのだった。


「さ、中に入んな。今日はちょっとしたサプライズがあるんだ」

 真矢さんが俺の背を押しながら言う。俺は苦笑して、

「いや、真矢さん。言っちゃった時点でサプライズになってないですよ?」

「いいんだよ、入ればすぐわかることさ」

 本当に明るい女性だった。誰かとは好対照だ。

「スタッフルーム、位置わかるよね。一応、着替えといで。店は貸し切りにしてある」

「……え? 貸し切りって……」

「今日は歓迎会だよ」真矢さんのウインクはあまりに決まっていた。「未那が来たことで役者は揃った。マスターが準備してくれてるから、ま、今日は楽しもうじゃないのさ」

「いいん、ですか……?」


 そこにはちょっとした感動があった。思わず声が震えてしまう。

 もちろんマスターや真矢さんの心遣いは嬉しい。だがそれ以上に俺が嬉しかったのは、こんな楽しい事態が自分の人生に用意されていたことそのものだ。これも俺がこの場所をバイト先に選んだから――そう思えば感動もひとしおだ。

 主役理論の正しさが、またひとつ証明されていた。


「仕事の説明はこれまでにもしてあったしね。これくらいは大丈夫だよ。ていうか今日も、歓迎会にかこつけていろいろ教えるからな? 忘れず覚えとけよ、未那?」


 ニヤリと笑ってみせる真矢さんに、俺は深々と頭を下げた。最高。愛してる。

 正直、朝は不安になったものだ。友利叶という名の侵略的外来種が、我が根城と青春の舞台たる学校を同時に脅かしていたのだから。俺は「独自の主役理論に基づいて活動している」などという、誰に聞かせても「何を言っているの? 馬鹿なの?」と問い返されてしまいかねないことを他人に告げる気などさらさらなかった。

 誰に聞かせてもドン引きだろう。それだけで友達を失くしてしまいかねない。


 それでも俺は口にした。

 友利もまた俺に語った。


 あのとき、友達を多く作りたいと言った俺に友利が脅威を感じたこと。そのときに出た脇役哲学という言葉に俺が反応してしまったこと。そもそも同じアパートだったこと。

 様々な偶然が重なって、必然のように俺と友利は互いを認識するに至った。たぶん根本的に考え方が似通っているのだろう。ただベクトルが正反対を向いているだけで。

 あれは完全に失敗だ。平穏な脇役を志す友利にとっても、盛大な主役を志す俺にとっても、等しく忘れたい、忘れがたい黒歴史であろう。

 いやあんなもん予想できるかという話なんだけど。


 ――しかし、まだ諦めるには早すぎる。

 あれは取り返しのつく失敗だ。いや、お互いに了解が取れたことを思えば、むしろ起死回生のファインプレーだったと言ってもいいだろう。お互いがお互いの生活に不干渉さえ貫けば、没交渉のまま俺たちはお互いの目的を達成できるのだから。

 友利叶なぞ何するものか。

 学校で、あるいはこのほのか屋で、俺は青春を取り戻す。主役理論を実証する。


 真矢さんに背中を押されながら、俺は店内へと足を踏み入れた。

 本当に貸し切りにしてくださったらしい、ガラガラの店内にあった人影は、カウンターの奥のマスターだけ。


「――いらっしゃい、我喜屋くん。今日は『いらっしゃい』でいいよね」

 御年四十半ば。シックな制服に穏やかな笑み、そして立派なお髭のナイスミドル。このほのか屋の店主マスターである宇川うかわ彰吾しょうごさんだ。奥さんの望海のぞみさんといっしょに、ご夫婦でほのか屋を切り盛りしている。と言っても望海さんは今、この店にはいらっしゃらないが。

 ――宇川一家が、もうすぐ三人家族になるのだという。

 マスターは温厚な性格で、常に落ち着いた笑みを浮かべている。それが実にこの店の雰囲気に似合っている――というか、この店自体がマスターの人柄を反映しているのだろう。


「驚きました、マスター。よかったんですか? 店、閉めちゃって」

 当然の礼儀として俺は言った。もちろん、マスターのご厚意に俺が口を出すことは逆に失礼なのだろうが、それでもお礼を言わないのは違う。

 予想通りの笑みを湛えて、マスターは答えた。オールバックの髪が決まっている。

「せっかく仲間が増えるんだからね。入学祝いくらいさせてほしいな。ちょうどいいし」

「……ありがとうございます。嬉しいです、彰吾さん」

 あえてマスターではなく名前で言った。俺なりの礼儀として。

 マスターはやはり微笑んだままで、俺の後ろに立っている真矢さんに視線を移す。

「真矢ちゃんのときも同じことをやったんだよ。大学の合格祝いだったけどね」

「その節はどうも、マスター!」笑顔で答える真矢さん。「そういうことだから、未那も遠慮する必要なし! や、あたしが言うことじゃないけどさー」

「いえ、ありがとうございます。――と、奥に荷物置いてきますね」

 俺は言った。真矢さんが一枚どころじゃないくらい噛んでいることなど承知の上だ。

 このお礼はいずれ返さなければならないだろう。ひとまずは、少しでも早く仕事を覚えて、店の売り上げに貢献する形で。学校の友達を呼んでくるのもいいと思う。


 俺はふたりと別れ、正面奥のスタッフルーム側に向かう。

 といっても更衣室があるくらいのものだ。面接の際にいろいろと説明を受けていた。

 廊下に入って、それから更衣室に続く扉の前に立つ。


 ――正直、俺は浮かれていた。

 嬉しかったし、楽しかった。俺が求めていたものはこれなんだと、そう実感することができていた。

 願わくは、物語の主人公のような青春を。

 突飛なことなどなくていい。当たり前の幸せで構わない。その《当たり前》を手にするために、多くの人間が努力を重ねていることを俺は知っているのだから。

 その当たり前は、当たり前には手に入らない。

 これから先に待ち受けているはずの、多くの青春に胸を馳せながら、俺は更衣室の扉を静かに押し開いた。狭い部屋で、男女は共用だが、真ん中のロッカーで視界は遮られる。奥側が女性用ということだ。そういう形になっていることを覚えていた。

 そして。



 ――その先で再会した人物を目にした瞬間に硬直した。



 意味がわからなかった。夢か幻でも見ているんじゃないかと本気で疑った。

 だが頭の中の冷静な部分が、目の前に広がっている光景を冷静に俺に判断させる。その女の存在が嘘でも幻覚でも妄想でもない、ただの順然たる事実であるのだと。

 人間、あまりにも追いつめられると逆に冷静になるとでも言おうか。


 たとえばこの店が、本当はアルバイトを募集などしていなかったこと。望海さんが店を開けている今、募集をかけていなかったのは、すでにひとり採用していたからではないか。

 たとえばそれでも俺が採用されたこと。それは先に採用された人間と俺が、ほとんど同じ境遇だったからなのではないか。だからマスターが気遣ってくれたのではないか。

 たとえば真矢さんが、『未那が来たことで役者は揃った』と言ったこと。それは、俺以外にも役者と言うべき人間がいて、先に来ていたという意味ではなかったのか。

 たとえばマスターが『ちょうどいいし』と言ったこと。何かが。それは俺以外にも入学祝いをしてもらう人間がいたから、揃ってちょうどいいという意味だったのではないか。


 そして、たとえば。

 俺と同じような思考回路を持っており、また俺と同じ独り暮らしの高校生をここに想定するとして。

 そいつが、アルバイト先として選ぶ店はいったいどこになるだろう?


「な、」


 とまで言ってから、そのあとで俺は意識を取り戻した。

 要するに、それまで意識を失っていたのとほぼ大差ないという意味だ。


「……なんで、お前が、ここにいる……?」

「……それはこっちの台詞なんだけど」


 俺の問いに対する回答は、そっくりそのまま同じ問いだった。

 わかっている。そんなことわかっていた。そしてお互い訊くまでもないということまで了解が取れているのだろう。

 硬直から再起動まで、俺たちは見事なまでにシンクロした。


 ……もう溜めなくてもいいだろう。

 更衣室には、この店の制服に身を包んだ――友利叶がいたということだ。


 俺は自分を騙す方法を探した。

 そう。たとえば友利は客として来ているだけ――なら制服着てるわけねえだろアホめ。そもそも今日は貸し切りだ。部外者はいない。では友利が実は宇川夫妻の親戚で手伝いに来ているだけというダメだ親戚がこんな近所にいて独り暮らしなど無理しかない。

 終わった。言い訳が何も思いつかない。

 そろそろ現実に目を向けよう。


「……ここのバイトか、友利」

「てことは、我喜屋もここのバイト……だよね。そうだよね」


 ――どうしようもなかった。

 俺たちはどこまでも発想が同じだった。それはもう気持ち悪いくらいに。

 だから。



「――……なんでだよっ!!」



 という叫びもまた、ふたり揃って同時だった。ふざけろ。



     ※



 ――ほのか屋のご厚意によって開催された入学祝い兼歓迎会は、つつがなく終了した。

 とんだサプライズパーティだった。驚かされるにも限度というものがある。


「そうか。ふたりはやっぱり知り合いだったんだねえ」

「部屋が隣同士で、お互い独り暮らしで、その上しかもクラスメイト! さらにバイト先までいっしょって……何それ、もう運命としか思えないね! やったじゃん!!」


 口々に言うマスターと真矢さん。返すこちらは苦笑以外の表情を作れなかった。

 何もやってない。むしろ、やらかしちゃったじゃん、と言うべきレベルだ。

 話の流れ上、だがこの事実に触れずには終われない。俺と友利は表面上、仲のいい同級生という風に振る舞った――その点に関してだけはお互い、コンセンサスが取れていた。


「いいなあ。青春だなあ」と、真矢さんはしきりに俺たちの関係を羨ましがった。「本当、こういう偶然ってあるもんなんだね。なんか、ちょっとあたしまでドキドキしちゃう!」

「そうですね。ええ、とてもドキドキしました」俺が言い。

「まったくです。本当、心臓に悪いですよねー」友利が言う。

 確実に裏の意味を込めて喋っていやがったし、俺もまた同じことをしていた。


 喧嘩を売られている。

 そして俺もまた喧嘩を売っている。

 お互い売るだけで買っていない。

 ――言うなれば、そんな空気だったという感じ。

 勘弁していただきたかった。


 まあ。それでも俺たちの歓迎会自体は、楽しいイベントだったと思う。それだけは俺の目的に合致していた。

 マスターの料理を手伝いがてら、友利といっしょに機器の使い方を学んだり、そうしてできあがった料理やコーヒーに舌鼓を打ったり。

 実に青春。素晴らしい。

 ――その帰り道が友利といっしょにならなければ、だが。


「……」


 俺は無言を保ったまま、ちらと視線を斜め後方に向ける。そこには同じく無言のまま、死んだみたいな無表情で歩く友利叶の姿がある。気持ちがよくわかった。

 なんだかなあ、といった感じだ。

 時刻は現在、午後七時を回ったところ。だいぶ長居をしてしまった。


「隣同士なんでしょ? ちゃんと送ってあげなきゃダメだよ、未那。叶も、こういうときはちゃんと送られて帰ること。いいね!」


 という真矢さんの鶴のひと声で、俺たちはともに帰ることになった。

 いや、わざわざ別れて帰るほうがおかしいことくらいわかっているのだが。にしたって、この気まずさばかりはいかんともしがたいものがある。

 あれだけのことを朝、教室で、いきなりの初対面でやらかしたというのに。そこから再会までが早すぎるというものだろう、これは。何を話せばいいのかちっともわからない。

 だがお互い、きっと、このままでいいと思っているわけでもないはずだ。


 ――ああ。わかってはいるとも。

 わかってはいる。だが、わかっていても行動に起こせないことだってあるはずで。

 次第に、かんな荘が近づき始めていた。

 すでにその外観は見えている。もともと大した距離もない。無言で、ゆえに足早にこうして歩いていれば、すぐ到着してしまうことなど自明だったわけである。


 結局、帰路の過程で俺たちに会話はなかった。

 店を出て初めて口を開いたのは、かんな荘に到着してしまってから――その目の前で、管理人の瑠璃さんを見かけたときのことだった。

 いくら気まずかろうと、いや、気まずいからこそというべきかもしれないが。

 瑠璃さんを見かけて声をかけない選択肢はない。一度だけすぐ後ろの友利を窺ってから、俺は瑠璃さんに向かって話しかける。


「――瑠璃さん。ただいま」

「お、我喜屋くんお帰りー……おや? 友利ちゃんもいっしょだね」


 こちらへ視線を向けた瑠璃さんは驚いたように、それでいながら少しだけ嬉しそうに、そんなことを呟いた。背後の友利が、もぞっと動いた気配がした。

 こちらへ近づいてくる瑠璃さん。といっても数歩のことで、この距離からその表情が見えないわけもなかった。つまり、満面の笑顔を浮かべているということが。


「そっかそっか。よかったよ、ふたりが仲よくなったみたいで」

「……あ、あはは」俺は笑うほかなかった。「ええと、瑠璃さんは何を?」

「何ってこともないんだけどね。そろそろみんな帰ってくる頃だと思ったから」

「てことは、待っててくださったんですか?」

 きょとんと目を見開いた俺に、瑠璃さんははにかんだ様子で答える。

 なんというか。実にかわいらしいお姉さんだ。

「ま、入学式の日くらいはね。今日からふたりとも、ほのか屋でバイトでしょう? 実はいっしょに帰ってくるんじゃないかと思ってたんだよ。このくらいの時間にさ」

 ――ほら、わたしもあそこの常連だから。

 と瑠璃さんは言ったが、このとき俺が気にしたのはそんなことではない。

 そして、同じ疑問はまたも友利と共通されてたのだろう。口に出したのは背後の彼女のほうだった。


「……知ってたんですか、神名さん?」

「うん? 知ってたって何を?」

 友利の問いに、瑠璃さんはきょとんと首を傾げる。誤魔化しているわけではなく、本当に何を聞かれているのかわからないといった様子だった。だが、友利はその程度で追及を諦めるような性格をしていないはずだ。現に彼女は続けて訊ねた。

「わたしと、その……我喜屋くんが、同じバイト先だって」

「え? ふたりは知らなかったの?」

 本当に不思議そうな瑠璃さん。でも言っていることは正論というか、確かに、俺たちのほうが知らないことがむしろ不自然だった。瑠璃さんが知っていても不思議はない。

 が。このとき、瑠璃さんが続けて言った言葉は、俺の想像を超えていた。


「そもそも、ふたりはんだし」


「――え……?」

 ぽかんと目を見開いてしまう俺。たぶん、友利も似たような反応だったことだろう。

「ほら、わたしは別に仕事を持ってるでしょ?」瑠璃さんは続ける。「だから、アパートの家賃収入って、別にそんな当てにしてないんだよ。古い建物だってのもあるし、もともとアパートじゃなかったのを、突貫工事でそれらしく見せてるだけってのもあるんだけど。だから仲介業者さんのほうには学生とか、お金が少なそうな人を優先して紹介してほしいって言ってあるんだよね。したら今年から雲雀の新入生が、ふたりも独り暮らしで部屋を探してるって聞かされたじゃない? これはもうウチに来てもうらしかない! って」


 思い返せば確かに瑠璃さんは、初めて見学に来た日から俺に対して非常に優しかった。そのときは疑いもしなかったけれど――というか今も別に善意は疑っていないけれど。

 その裏に、こんな事情が隠されていたなんてことは思いもよらなかった。


 ――要するに、俺と友利が出会ったのは偶然でもなんでもない。

 高校生が部屋を探していて、そんな人を安く率先して受け入れているアパートがあった。バイト先も部屋と学校から近い場所を選んだ。偶然どころか、ここまで来れば必然だ。

 当たり前の話でしかなかったのだ。


「いやでも、ふふ、お節介した甲斐はあったかなあ」瑠璃さんは上機嫌だった。「いや別に何かしたってほどのことは何もないけど。それでもふたりが仲よくしてくれるようなら、わたしとしては嬉しいなあ。やっぱり管理人として、みんな仲よくしててほしいよね!」

 これに何を言えるというのだろう。俺と友利は揃って押し黙るほかなかった。

 瑠璃さんの行いは純然たる厚意から出たものだ。それが完全に裏目っているのは俺たち側の責任でしかなく、押しつけがましいと言えるほどのことは瑠璃さんもやっていない。そもそも、本当なら俺は諸手を挙げて歓迎した状況のはずだ。

 ――その相手が、友利叶でさえなければ。


「さて。そろそろお夕飯にしないと。あ、よかったらふたりとも食べてく? 入学祝いに管理人さんご馳走しちゃうよ?」


 その提案に、俺と友利は表情を見合わせた。店を出てからは、これも初めて。

 意志は統一されたらしい。俺たちはやはり揃って瑠璃さんに向き直ると、またも同時に断りの文句を口にする。


「――すみません。バイト先で、もうお腹いっぱい食べてきてしまったあとなので」


 言い訳の内容まで完全にぴったりときたものだ。もう最悪すぎる。

 そんな光景を目の当たりにした瑠璃さんは、断られたことに気を悪くするどころか、むしろどこか嬉しそうな笑みを浮かべて、俺たちにこんなことを言うのだった。


「なんか、一気になかよしになったんだね。管理人さんは嬉しいぞ」


 あはははははははは!

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