ワキヤくんの主役理論

涼暮皐

第一章

1-00『プロローグ/主役理論vs脇役哲学』

 ――たとえるならば、たぶん灰色ということになるのだろう。


 青春というものを考えてほしい。

 それが爽やかな青に飾られた春になるとは決して限らないということを。無条件に薔薇の如く鮮やかな赤にはならないし、虹のように彩られるわけではないのだということを。無彩色モノクロの青春だって、名前に反してあり得るのだ。


 実際、これまでの俺はだった。

 ごく平凡で面白みのない、中途半端グレーカラーな青春だった。

 人間の運にはおそらくいい悪いが存在する。それは統計的な偏りではなく純然たる事実として、運勢という能力値に格差は存在しているのだ。なにせ幸運な者には、それだけで幸運が訪れる。不幸な人間は不幸しか呼ばない。

 ただその意味で言うのなら、俺は決して不幸ブラックというわけではなかった。もちろん幸運ホワイトというわけでもない――世の中には平和な日本に生まれただけで幸せだとか、世界には自分たちより遥かに恵まれない者がいるだとか、脳にカニミソでも詰まってんじゃねえかと疑うような戯言を真顔で宣う奴らがいるが、いや知らねえよ。そんな世界の裏側とかの広い範囲での話など俺はしていない。日本に生まれた時点で比較対象はその周りに固定されているんだよ目に見えない範囲なんざ知るかボケ。現実、世界は百人の村ではないんだ。


 俺の運はよくも悪くもない。

 しいて言うなら、――そう称すべきだろう。


 善悪ではなく、これは強弱の問題だ。

 劇的なことなど何も起こらないごく普通の人生。何もかもが人並みで、いいことも悪いこともなんだって起こるが――それらがどうやったところで物語はならない。そんな、どこまでも面白みのない青春を送ってきた。

 穏やかな日常こそを愛すると、物語の主役たちは言う。だが、馬鹿を言え。それは単に恵まれた者が、周囲に溢れた幸運に気づいていないから吐ける言葉だ。

 彼らの言う日常は俺たちが過ごす日常とは決定的に異なっている。劇的で刺激的で衝撃的で、青や赤や桃色といった綺麗な彩色で飽和した日常。

 平凡な日常が無条件に素晴らしいのではなく、彼らが過ごしている日常がたまたま素晴らしいものだっただけの話。


 ――とはいえこれらは、決して俺が世を拗ねて儚んでの考えではない。

 これが前提ならば、それ相応の対処を取ればいいだけの話だ。物語の主役たちは確かに幸運――いや、言うところの強的運勢を持っているが、決してそれだけではない。彼らは彼らなりの努力や苦労を重ねて、その上で初めて素晴らしき日々を勝ち取っている。その姿勢は、弱運なりし俺としても見習わなければならないものだ。


 真に素晴らしき青春を求めるならば。

 俺が倣うべきは、もちろん物語の主役たちの姿勢。


 そう。これらは努力で変えられる。少なくとも俺はそう信じると決めていた。

 目標とするのは極彩色の青春と日常の物語ジュヴナイル。俺の人生が灰色ならば、俺の手で色を塗るだけのこと。

 そのための努力ならば、俺は惜しむつもりなどない。


 ちょうど高校への進学を決める頃だった。今は四月だから、もう三か月ほど前になる。

 自分を変えるなら今しかない。進学と同時に、両親への必死の説得・交渉から引っ越し、そして独り暮らしという環境を俺は勝ち取ることに成功した。物語の主人公はだいたい独り暮らしをしているからだ。まずは形から入るのも悪くないだろう。

 ――単純に、俺も健全な青少年として興味はあった。独り暮らしへの憧れが。


 もちろん弱運たる俺の人生において、両親が都合よく世界を飛び回る仕事だったりとか、なんかの奇跡で世界一周旅行を引き当てて家を空けたりとかはない。特待制度による授業料の一定額免除や、入学以降の成績維持、アルバイトによる生活費の確保などを条件に、最後は両親に向けて土下座まで決め込んで勝ち取った、最初の武器が独り暮らしだ。

 正直、ここまでする意味があったのかと問われると自分でも若干の疑問は残る。残るというか、ぶっちゃけ話をするのなら、たぶん別に独り暮らしなどしなくてもよかった。

 だが甘えは残さない。アルバイトや勉学で時間を削り、自分を追い込んだ状態で努力を継続してこそ初めて、運によらない素晴らしき青春に手が届くというものだ。


 ――それが、俺の構築した

 中学時代の友人と共同考案した、運に頼らない《楽しい青春を謳歌する》メソッド。

 その第一条――《機会を待つな、自らの手と足で奪い取れ》である。


 俺は、それを真に体現するために自分を追い込んだ。そうして見事、頼りない古ぼけた安普請のアパートとはいえ、一国一城の王として君臨することに成功したわけだ。両親の住まう元の土地から離れての新生活。かつての自分のレベルではぎりぎり届かなかった、偏差値の高い県外の学校を受験した甲斐があるというものだ。

 悪くない新居である。二階建ての、正直言ってボロアパートだ。部屋は狭いし壁も薄いが、その分だけお家賃据え置き。高校生の住居には悪くない。俺は一階の最奥からひとつ手前――一〇二号室を手に入れていた。一○一は空き部屋で、一〇三の住人とはこれまで一度も遭遇したことがなかった(引っ越しそばの差し入れは、大家さんを経由した)が、一階の住民とは比較的良好な関係を築けている。大家のお姉さんもいい人だ。


 入学の一ヵ月前には引っ越しを済ませた。

 新しい環境。獲得した新境地。

 それまで微塵たりとも興味のなかったファッションにも気を遣うようになり、季節と目的に合わせた洋服選びに迷い、髪を整えるという概念に惑い、表情を明るく印象を明るく、それまでの自分が保ってきた平凡オブ平凡のイメージを払拭できた、と思う。

 アルバイト先も吟味を重ねた。結果、俺は新しい自宅のほど近くにある一軒の個人経営の喫茶店で働くことになったわけだ。

 客として訪れたのが始まりで、実のところ新しいバイトの募集などしていなかったのだが、勇気を出して店員やマスターに声をかけたことがきっかけとなって、とんとん拍子のうちに新アルバイトとして採用される運びとなった。

 家から近く、つまるところが学校からも近い。だから通いやすい。地元でも隠れた名店として有名らしくそこそこ繁盛しており、けれど隠れ家的であるがゆえに死ぬほど忙しいこともない。要するに仕事の割に時給が悪くなく、シフトにも融通が利くということだ。

 店自体の雰囲気も、落ち着いていて実に俺好みだ。最高の職場を見つけたと言えよう。

 俺の人生にはあり得なかったはずの望外の幸運――いや、これも主役理論第一条を、俺が体現することに成功したということだろう。機会はなければ作るのだ。

 主役理論の正しさが、証明された一例だと言えた。

 俺が、自分の人生の主人公になるための第一歩。その物語を明るく、楽しく、素晴らしいものに変えるための仁義なき戦い。

 それは、ここまでのところ実に快調に進んでいた。


 ――正直なことを言おう。

 この時点で、俺はもう勝ったつもりでいた。入学を前にして整えられた環境は、新しい高校生活に希望こそもたらせど、不安なんて露ほども感じさせないレベル。もちろん慢心するつもりなどないが、それでも俺は変わった。心構えの段階から以前とは違うのだ。


『まー、なんだ。正直言って、未那みながここまで変わるとは思ってなかったわ。うん、そのことは素直に尊敬する。いっしょに《主役理論》を構築した人間として、本当に誇らしいとは思うんだよ。――だけどね、だからって油断しちゃいけないぜ? 馬の耳に釈迦説法だとは思うけどさー、ヒトが変わるっていうのは、そう簡単なことじゃないのさ』


 進学を機に別れた友人と、入学の前日に電話で交わした会話だった。相変わらず話し方の妙なこの友人のほうは、ぜんぜん変わっていないという印象だったけれど。

 ともあれ。俺は万全の態勢で入学を控えていた。

 何ごとも出だしが肝心だ。こと人間関係というものは特にそう。スタートで成功すれば滅多なことでは躓かない代わりに、最初で失敗すると挽回が非常に難しい。

 俺の求める青春は、いくら俺ひとりがいくらがんばったところで完成しない。その道をともに謳歌する人間がいなければ、青春だなんだと吠えたところで虚しいだけだろう。

 主役理論第二条――《人間関係こそ青春の鍵。知人は数を、友人には質を妥協するな》。

 その考えに則って、新しい高校生活を十全にスタートさせるつもりだったのだ。

 だが。まあ。結論から言ってしまえば。


 ――俺は盛大に躓いた。


 失敗したのだ。俺の運の弱さというものを舐めていた。劇的なことが起こらないことは知っていたが、まさか能動的に物語たらんとする邪魔をしてくるとは思っていなかった。

 とは言っても、高校生活そのものは実に順調なスタートを切っている。数多くの友人もできたし、クラスの中でもメインのグループの中に入っていると言えるだろう。

 人生、劇的であれかし。楽しさに富んだ青春の主役であるべし。

 それが俺の主義だ。そのための主役理論だった。

 入学から半月。その過程は、今のところ大きな成功を収めていると言っていい。


 ――ならば何が問題だったのかといえば。

 まあ、なんだ。大きな声で言うのは恥ずかしいが、やはり客観的に、そう――あくまで主観ではなく客観的に言って、形式として《青春を謳歌していること》の最大の証明たるものといえば、それは恋人がいることではないかと思うのだ。彼女持ち=リア充、的な。

 もちろんそれだけではない。だがわかりやすい目標として《恋人を作ること》を掲げておくこと自体は、たぶん間違った方針ではないはずだ。結果としてできるか否かよりも、そのために行う努力の時点で、すでに価値があるはずだから。

 まあ、つまりが。俺が失敗したのは、こちらのほうであると言える。

 あまりに想定外が起こりすぎてしまったのだ。言い訳だが、多少の愚痴くらいは吐かせてもらいたい。そうでもしなければ、ちょっとやっていけない気分なのだから。

 そう――本当にいろいろあった。いや、言葉にすればそう多くのことがあったわけではない。だが入学から半月の密度としてはあまりに濃いものになっていた。

 確かに、それはこれまでの人生では考えられないほど《劇的》ではあったが、だからといって、これは。


「…………」


 俺は、自分の部屋の中でこれまでのことと、そしてこれからのことを考えている。

 すでに慣れ親しんだ部屋だ。けれど、入居時とは明らかに変わったことが、実のところひとつだけ――それもものすごく大きな変化が存在する。


 ――ことで。

 なぜか、ということだった――。


「――ちょっと。何を無言でヒトの顔まじまじと眺めてるかな。恥ずかしいんだけど」


 が――が言う。

 なおここで言う《彼女》は単純な二人称であって恋愛相手を指してはいない。


「別にまじまじとは見てない。ちょっと視線を向けただけだ」

「ええ……? ああ、まあ、いっか。なんかもうめんどくさいし。じゃあそれでー」


 だるだるっとした少女だった。およそエネルギーというものを感じさせない、青春的な活気や活力といった概念の対極に位置するような少女である。

 まずそのぼさぼさした、明らかに手入れの加わっていない茶色の髪がその印象を強めている。適当に、それこそコンビニで買ったみたいな黒いゴムで、かなりおざなりな感じで馬の尾に纏められた長髪。とろんと覇気のない、碧にも見える双眸は常に眠たげだった。


 ただまあ、そんな部分は現状だいぶどうでもいいところであって。

 ――問題は彼女が、もう明らかにだということだ。

 もっと具体的に言うなら、思いっ切り下着姿だということだ。


「あー。あれか。もしかして何、我喜屋わきやってば、わたしに欲情でもしてる?」

 首を傾げてそんなことを訊いてくる少女。からかうような口調だが、からかっているのは口調だけで、本人はかなり興味なさげだった。だったら勘違いしないでほしい。

 確かに、健全な男子高校生たるもの、同い年の――それも控えめにもかわいいと言える女の子の下着姿に、本来なら興奮を覚えて然るべきなのだろう。俺だってそれはわかる。

 だがそのあまりのだらしなさと来たら、煽情的な感じが一切しないのだ。ひとりっ子の俺にはわからないが、あるいは姉や妹の下着姿を見るときの感じに近いのかもしれない。

「……してない」

 と、だから俺は同居人に答えた。

 答えつつ続ける。

「してない……けど、だからって下着姿でいられても困るんだが。その、正直、目のやり場がない。はっきり言うけど、頼むから服着てくれないか、さっさと」

「いや、着替えてるんだから仕方ないでしょーが」

 不服そうに彼女は答えた。

 服を着ていないだけに。じゃねえよ。

「わかる? 服を着替えるには、最初に一度、まず脱がないといけないんだよ?」

「わかってんだよそんなことは」俺は睨みを利かせた。「その着替えにいつまでかかってんだって話だ。帰ってきてからもう一時間以上、下着姿でマンガ読んでるじゃねえか」

「着替え中なんだから仕方ないでしょーに」

「着替えの最中に読書という過程を差し挟まないでねって言ってんの」

「わー、出た出た」少女は小さく口角を吊り上げる。「そんな緊張して生きて楽しいかな。やっぱり、わたしには我喜屋の言う《主役理論》は理解できそうにないねー」

 ――これだ。

 この女は、今の俺と完全に正反対の主張を持っている――。

「俺にだって、お前のは理解できねえよ」

「だけど、仕方ないよね。お互い、に、こういうことになってんだから」


 少女は。

 を主張とする彼女は、言う。


「だいたい、一応は同居の体だけど、壁からこっちはわたしの家でしょうに。自宅の中でどんな格好してようと、我喜屋に何か言われる筋合いないよ」

「……その部屋を隔てる壁が、もうなくなってるから言ってるんだけどなあ」

「いいよ。わたしは別に気にしない。我喜屋になら全裸を見られても気にならないよ」

「俺が気にするって言ってるんだけどなあ!」

「うぇー。せっかく青春っぽいコト言ってあげたのに」


 ぶつぶつと言いながら、億劫そうに学校指定のジャージを着込み始める同居人。

 ――いや。厳密には同居ですらないのだが。


 彼女――友利ともりかなえは、俺にとってクラスメイトに当たる少女だ。同時にこのアパートの隣室――居住者不明だった一〇三号室の住人が、つまるところ友利だったわけである。

 ひょんなことから、間を仕切る壁がぶっ壊れてしまったときから、俺と彼女は結果的に半同居生活を余儀なくされたということで。


 ――もう、おわかりだろうか。

 クラスメイトの男女が同棲しているということが、すでに友人たちに広まってしまっているということ。

 というか、完全に付き合っているという誤解が広まっているのだ。

 俺が彼女を作りづらくなった原因が、まさにそれだった。


 輝かしい青春。その一歩目を、まさか輝かない青春のために全てを費やす奴に潰されるとは、さすがの俺も考えていなかった。

 だがお互いに、自らの主義主張を譲らない。

 だから俺たちは、どちらの考えがより優れているかを確かめ合う契約を交わした。


 俺、我喜屋わきや未那みなの主役理論か。

 彼女、友利ともりかなえの脇役哲学か。


 果たして、真に素晴らしき青春を創造できるのはどちらなのか。

 ひょんなことからその競い合いになった俺たちは、こうして予想外の同居生活を始めることとなっていた。


 どうしてこうなってしまったのか。

 その原因を論ずるには、まず入学の初日を思い返さなければならないだろう――。

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