第23話 ゴリラの「ゴ」
『後藤さん、昨日はいきなり逃げ出してごめん。君に大事な話がある。いきなりで悪いんだけど、放課後に1人で体育館裏に来てくれないか? もし予定がなければでいいんだけど』
『昨日の事は私は気にしてないですよ。大事なお話、ですか? 放課後は特に予定とかはないので、大丈夫です』
昼休みの時点で、既にこのやり取りはメールで行われている。後藤さんはいつも放課後は熊井と帰っているから、熊井と一旦引き離す必要があるが、その役目は雉田が引き受けてくれた。適当な理由をつけて、熊井を別の場所へ呼び出すそうだ。王様ゲームの時のような妨害は、今度ばかりは受けるわけにはいかない。準備は万端にしておく必要がある。
そして、いよいよ放課後。決戦の時刻となった。授業中はずっとイメージトレーニングをしていた。しかし、結局台詞は決まらないままだ。ああでもない、こうでもないと、試行錯誤しながら何度も何度も妄想の中の後藤さんに告白した。
妄想の中では、後藤さんに返事はさせなかった。いや、させる事が出来なかった。こればかりは、本当にどうなるか分からないからだ。
「猿山、本当に行くのか?」
席を立つ俺に、乾が心配そうに声をかけてきた。
「何だよ。お前だって卒業まで時間がないから、さっさと告れって言ったじゃないか」
「言ったけどよ……。もっとこう、リハーサルっていうか、舞台作りっていうか、せめて台本ぐらい作らなくていいのか?」
「お前は告白する度にいちいちそんな事を考えてるのか?」
「いや、俺の場合はその場の気分とか勢いでやっちゃうけどよ。……まあ、いっか。ごちゃごちゃ考えればいいってもんでもねえしな。用意された台詞よりも、噛み噛みでもその場で練った言葉の方が伝わるってもんだ」
「おう」
……やっぱりちゃんと準備しようかな。なんて、今更そんな格好悪い事は言えない。再び弱気になりそうになる心を奮い立たせる。
いざ、決戦の地へ。俺と乾は体育館裏へ向かうべく教室を出た。階段を下りる手前でチラリと12組の教室に目をやる。すると、ちょうど熊井を連れた雉田と目が合った。一瞬ヒヤリとしたが、熊井は俺に気付く事はない。雉田がコクリと頷く。「頑張れ」、雉田の目がそう言っていた。俺は握り拳を小さく上げて応える。
体育館裏に着いた。まだ後藤さんは来ていないようだ。今のうちに、そこに設置されていた掃除用具入れに乾が隠れた。ここなら後藤さんに見つかる事はないだろう。俺はさっき乾に押し付けられた壁に寄りかかり、目を閉じて精神を集中させた。そして待つこと数分……。
「猿山君」
その声に、俺は目を開けて振り返った。後藤さんだ。手に汗がジワリと滲み出る。
「悪いね、急に呼び出して」
「いえ、構わないですよ。それより、大事なお話って何ですか?」
「ん……ああ」
俺は壁から背を離し、真正面に後藤さんと向き合った。
「もう分かってると思うけど、俺……門木落ちたよ」
「……そう、ですか。残念でしたけど、猿山君は本当によく頑張りました。そしてあの猛勉強の日々も、決して無駄では無かったと思いますよ」
「後藤さん……」
「今だから言える事なんですけど……最初の頃の猿山君は、中学生ぐらいの学力しかありませんでした。それが、たった半年足らずでここまで成績を伸ばせるなんて、並大抵の努力では為し得ないはずです。私は、心から尊敬していますよ。だから、どうか落ち込まないで下さいね」
後藤さんはそう言って微笑んだ。こんな事を思ってはいけないが、やはりあの時逃げておいてよかった。気持ちの整理がついた今だから平常心を保てているが、あの時にこんな事を言われていたら、絶対に号泣していただろう。
「ありがとう。俺は紺具大に行くよ。そこでまた野球やる」
「いいですね。やっぱり、本当に好きな事は続けるべきだと思いますよ。門木よりも紺具の方が、野球をやる環境は整ってますから。きっと、門木じゃなくて紺具に入って良かったって、いつか思える日が来ます」
確かにな。後藤さんと同じ大学に行けなかったのは残念だが、やはりしっかりとした目標もないまま門木大に入っても、もしかしたら後悔していたかもしれないからな。ちょっと強引にだが、俺はそう思う事にした。
ふと、掃除用具入れから強い視線を感じる。そうだな……前置きはこれぐらいにしておこう。俺が乾に同席を求めたのは、不安を和らげるためだけではない。土壇場で逃げられないように、自らを背水の陣に追い込むためだ。
「……後藤さん。大事な話っていうのは、実はこの事じゃないんだ」
「あら、そうなんですか?」
「君に……聞いてほしい事がある」
周りに視線を移す。誰もいない。掃除用具入れの中の乾を除けば、この場には俺と後藤さんしかいない。暖かい風が、俺と後藤さんの肌を撫で、髪を揺らした。耳に入る音は、その風の音と木の葉の揺れる音だけだ。
息が苦しくなってきた。足が震える。汗が溢れてくる。平常運転をしていた心臓が暴走を始める。
どうする……本当に言うのか。当たり前だろ、早く言え。無理だ、やっぱり止めとこう。馬鹿か! ここまで来て今更何を言ってんだ! 告白なんてしたことないんだぞ。誰だって最初は初めてに決まってんだろ。乾、助けてくれ……俺の代わりに後藤さんに伝えてくれ。ふざけんなこのチキン野郎! ちくしょう、やっぱり素直に台本作っとけば良かった。
俺の中で、俺と俺の口論が始まった。このままでは決着が付きそうにない。後藤さんも俺の様子がおかしい事に気付いたのか、緊張の面持ちだ。
「猿山君、大丈夫ですか? 気分でも悪いんですか?」
「いや……違う。違うんだ」
喉元まで言葉が出てきている。でも、どうしても口から出てこない。うっかり喉を開放してしまうと、言葉ではなくゲロが飛び出てきてしまいそうだ。くそっ、どうしてだ。こんなはずでは……。
「……何か言いづらい事があるんですね?」
「うっ……」
「無理しなくても大丈夫ですよ。また今度、落ち着いた時に話してくれれば。その時になったら、また呼んでくれれば来ますから」
「……!」
後藤さんのその優しい一言が引き金となった。俺は……後藤さんが好きだ。心から好きだ。誰よりも好きだ。だから付き合いたい。恋人同士になりたい。そのとてつもない願望が、俺の最後の1歩を踏み出すための、背中の後押しとなった。
「後藤さん」
「はい?」
「……ずっと前から、君の事が好きだった」
「……えっ」
「俺と……付き合ってくれないか」
言ってしまった……遂に言ってしまった。もはや風の音も聞こえない。完全なる無音空間。まるで俺の告白が呪文となり、時が止まってしまったかのようだ。
……後藤さんは口を開かない。今一体どんな心境なんだ。喜び? 悲しみ? 驚き? まさか嫌悪? 分からない。言ってくれ後藤さん。YESか……Noか……。いや、YESと言ってくれ。頼む。これはドッキリでも何でもない。本気なんだ。信じてくれ。信じて、そして受け入れてくれ。
「…………ゴ」
「ゴ」……!? まさか……ゴメンなさいの「ゴ」か!? 馬鹿な……違う……絶対に違う。じゃあ何の「ゴ」だ? ゴリラの「ゴ」か? 「ゴリラな私で良ければ、よろしくお願いします」……これだ!
「……ゴメンなさい」
「……」
「これからも、ずっとお友達でいて下さい」
……フラれた……のか? 俺の事は嫌いじゃない。でも男としては見れない。お友達でいて下さいというのは、つまりそういう事なのか?
後藤さんは、俺に深々と一礼して、その後は何も言わずに行ってしまった。後藤さんが見えなくなっても、俺は呆然と立ち尽くしていた。さようなら……俺の初恋。俺の頬を一筋の涙が伝っている事に気付いた瞬間、俺はその場に膝から崩れ落ち、むせび泣いた。
*
帰りの電車内、俺と乾と雉田の3人の間では、何とも言えない空気が漂っていた。2人が必死で何か言葉を探してくれているのが分かる。でも、たとえ何を言われたところで、心にポッカリと空いたこの穴を埋める事は出来ないだろう。
「……すまねえ、猿山」
乾の突然の謝罪の言葉に俺は戸惑う。
「何がだ?」
「いや……俺が発破かけたせいで、余計に傷を広げる事になっちまった。勝算があると思ったからけしかけたんだが、結果的に裏目っちまった」
「よせよ。お前のせいじゃない」
そう……結局のところ、後藤さんの心を掴めなかった俺が悪い。俺の力不足だ。後藤さんは、男を学歴で判断するような子ではない。だから、たとえ門木に合格していたところで、告白は失敗に終わっていただろう。
「でも、何か腑に落ちないなぁ。僕も絶対イケると思ってたんだけど」
「だよなぁ。道の駅で泊まった時も、2人共いい雰囲気だったよな」
「うん、そうそう。端から見たら完全に恋人同士だったよね」
こいつら、あの時起きてたのか……。
「僕、最初に乾君に言われた通り、時々後藤さんに猿山君の話をしてたんだよ。猿山君のいいところとか、野球部時代に活躍した話とか、僕が困ってた時に助けてもらった話とかね。それを聞く度に、後藤さんも同調してくれたんだよ。だから僕も、後藤さんも猿山君に好意を持ってると思ったんだ」
そうか……雉田も見えないところで、俺のためにいろいろやってくれてたんだな。俺は本当にいい友達を持った。それを再確認できただけでも、無駄ではなかった。
「2人共、もういいんだ。いろいろありがとな」
「猿山……」
「俺の初恋は終わりだ。潔く、キッパリと諦めるよ」
俺は自嘲気味にそう言って顔を伏せた。
「ま、待てよ。別に1回フラれたからって、もうアタックしちゃいけないなんてルールはねえぞ。俺なんか10回以上アタックして、ようやく付き合えた彼女だっていたんだぜ?」
「まるっきりストーカーだね……しかも2ヶ月で別れたんだよね?」
「おめーは黙ってろ!」
そう……下手すればただのストーカーだ。恥の上塗りになるのは別に構わない。でも、後藤さんを困らせたくはない。後藤さんのためを思うのなら、このまま大人しく引き下がるべきだ。
「本当に、もういいんだ。頼む……これ以上は、もう何もしないでくれ。今まで本当に世話になったな。期待に応えられなくてすまなかった」
「……」
そのまま俺達は何も言葉を口に出さないまま電車は走り続け、乾の最寄り駅に到着した。乾が下車してすぐに振り返った。
「じゃあ、また明日な。あまり落ち込むんじゃねえぞ」
「ああ」
「また明日ね、乾君」
間もなくして、俺の最寄り駅にも到着し、雉田ともそこで別れた。俺は思い出した。もう1人、結果を報告しなければならない奴がいる事を。晴香……あいつもいろいろ協力してくれたのだ。
家に帰ると、晴香はいつも通りリビングでくつろいでいた。俺の顔を見るなり、晴香は驚きの声を上げた。
「あ、兄貴どうしたの? 何か死人みたいな顔してるけど……」
そんなにか……。後で鏡を見てみよう。
「後藤さんにフラれた」
「えっ。嘘でしょ?」
「本当だよ。友達でいて下さいってさ」
唖然とする晴香を無視して、俺は財布から5千円札を取り出し、晴香に差し出した。
「何これ?」
「報酬だよ。今まで協力してくれた礼だ。足りなかったら、今度の小遣いの時に渡す」
「いらないよ! あたしが要求したのは成功報酬だよ? 成功してないなら受け取れないって!」
「じゃあそれは俺が勝手に渡した手間賃だ。それでもいらないならコンビニの募金箱にでも入れてくれ」
「そ、そんな……」
俺は逃げるようにリビングを出て、階段を上った。晴香のことだ。きっと乾のように再アタックを提案してくるに違いない。でも今の俺には、周りの気遣いや励まし、慰めがとても辛い。今はただ、独りになりたい。俺は自室に入り、鍵を閉め、着替えもせずにベッドに倒れ込んだ。
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