俺はゴリラに恋をする

ゆまた

第1話 セーラー服のゴリラ

 人生っていうのは……いつ何時何が起こるか、本当に分からないものだ。この猿山浮夫さるやまうきお……17年生きてきて、今ほどそう実感した事はない。

 口の中に広がる、鉄臭い血の味。全身の痛みで朦朧とする意識。もしかしたら骨が折れているかもしれない。しかし、俺が今身動きが取れないのは、痛みのせいだけではなかった。仰向けに倒れている俺の腹の上に、容赦なくのし掛かっている、この桜の枯木のせいだ。

 俺がこの状態に至るまで、様々な不運が奇跡的に重なった。もちろん悪い意味での奇跡だ。そう、普通ならフィクションの世界でしか起こらないような事……。



 甲子園出場をかけた俺の最後の高校野球は、地区予選3回戦敗退という、人に話したらコメントに困りそうな微妙な結果に終わった。しかも体力だけが自慢の下手くそな俺は補欠で、公式戦では打席に立ったのは数える程度だった。それでも仲間達と汗水流しながら共に過ごした日々は、決して無駄なんかではなく、一生忘れる事のない青春だ。

 今日は俺達3年生の引退式だった。部室のロッカーの片付けを終えた後も、俺は1人で感慨にふけっていた。そのせいで、俺は他の誰よりも遅く帰る事になったのだ。校内にも誰もいない。俺が1人で部室に残っていた事など、誰も知らなかっただろう。

 夜の8時を回っていた事に気付いて、我に返った俺は慌てて部室を出た。9時から見たい番組があるからだ。そう、俺は慌てていた。だから、校門を出る時にも左右をろくに確認もせずに走って飛び出した。だから軽トラックに撥ねられたのだ。

 ここまでなら、まだよくある話だったかもしれない。だが、ここからが普通ならあり得ない事の連続だったのだ。

 軽トラックに撥ねられた俺の体は斜めに吹っ飛ばされ、校内の敷地に戻された。そしてその勢いのまま、校門近くに生えている桜の枯木に激突した。その衝撃で枯木が折れて、俺の上に倒れ込んできたのだ。更に信じられない事に、俺を撥ねた軽トラックが、救急車も呼ばずにそのまま走り去って行ってしまった。つまりひき逃げだ。

 大きな音が鳴ったとはいえ、この辺は元々人通りが少ない上に、ここは誰もいなくなって暗くなった校内だ。枯木の下敷きになっている俺には、誰も気付いてはくれない。このまま明日の朝まで放置されたら、確実に死んでしまう。

 部室に1人で残らなければ……慌てて飛び出さなければ……軽トラックが通りかからなければ……枯木が倒れてこなければ……運転手が逃げなければ……。俺の間抜けさや、不幸な偶然が積もり積もってこの様だ。

 とにかく助けを呼ばなければ。携帯が入った鞄は校門の外に落ちている。手が届かない。俺は腹に力を入れて声を出した。


「……誰か……だ……助け…………かはっ……!」


 駄目だ……激痛で声が出ない。いよいよ本格的に死を覚悟する必要が出てきた。両親や妹、祖父母、チームメイトの顔が走馬灯のように脳裏を過ぎる。享年17歳か…………もうちょっと長生きしたかったなぁ……。

 俺は瞼の重さに耐えきれず、ゆっくりと闇の中へ身を委ねていった。




 ・



 ・



 ・



 …………ん?


 何か物音が聞こえる。いや、それだけではない。体が少しずつ軽くなっていくぞ? 瞼を持ち上げていくと、それに合わせるかのように枯木が浮き上がっていく。良かった……誰かがレスキュー隊を呼んでくれたんだな……。


「…………!?」


 視線を横に移した瞬間、俺はぎょっとした。俺はてっきりクレーン車か、もしくは大勢の人で枯木を持ち上げてくれているものだとばかり思っていた。しかし、持ち上げているのはたった1人の……いや、たった1頭の……。




 ────セーラー服を着た、三つ編みのゴリラ。




 それが、俺がその日最後に見た光景だった。今度こそ俺の意識は完全に途切れ、夢の世界へと旅立っていった。

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