第21話『約束の朝-前編-』

 4月21日、土曜日。

 今日の空模様は絶好調。雲一つない青い空。直射日光もほのかに温かい感じだし、まさに行楽日和と言えよう。

 午前9時45分。俺は桜沢駅の改札前で琴音が来るのを待っていた。10時の電車に乗るため、待ち合わせの時刻を9時50分にしていたので彼女ももうすぐ来るだろう。

 行き先はもちろん白鳥女学院。白鳥女学院は桜沢市の隣に位置する金崎市の中心部にあり、最寄り駅は桜沢駅から各駅停車で15分ほどの場所。立地条件が良いため、桜沢市の女子は必ず一度は志望したがるらしい。

 杏奈の受けているいじめを解決することが主な目的。まあ、元々は家族として授業を受ける妹の様子と、そのついでに授業をする姉の様子を見る目的で行くつもりだったので、そちらの目的もしっかりと果たさないと。特に姉さんの方。

 しかし、今から行くのは女子校だ。男の俺にはもちろん無縁の世界。どんなところなんだろうなぁ。

 そんなことを考えていると、制服を着ている琴音の姿が目に入った。

「大輔君、おはようございます」

「おはよう。制服で着たんだな」

「……ええ。私、家族に白鳥女学院に通っている人もいませんし、制服を着ていれば高校生として見られるので確実だと思いまして」

「なるほど。確かにそれは堅実な判断だと思う」

 制服だと妹の授業参観に来たと思ってもらえるからな。不審者には絶対に見えないだろう。琴音なら尚更だ。

 俺は私服で来たけど、授業参観ということなのでフォーマルな格好にしている。黒のジーパンとジャケットは変わらないが、今日は白いワイシャツに黒と赤の細ネクタイを結んでいる。もちろん、アクセサリーは一切つけていない。

「大輔君、とても似合っていますよ」

「そうか。琴音はもちろん制服も似合っているけど、私服姿も見てみたかったな」

「ほ、本当ですか?」

「嘘を言ってどうするんだよ」

「……実は何を着ようか迷ってしまって。大輔君とお休みの日に会うのは初めてじゃないですか。結局、約束の時間に間に合わなくなりそうで……」

 なるほど。やっぱり女子は何を着ていくのか考えるんだな。姉さんや明日香も駅周辺に買い物に行くだけで時間を掛けて服を選んでいるし。

「今度は私服で来ますね」

「ああ、楽しみにしてるよ」

「ところで……片岡君はどうしましたか? まだ来ていないのですか?」

「片岡は家のリムジンで白鳥女学院へ直接行くそうだ。だから、俺と琴音で白鳥女学院に行こう」

「……椎名さんからは連絡はありましたか?」

「いや、まだ返信が来てない」

 あいつの場合、しつこく誘うと意固地になって逆に行かないと言い通すことも考えられるので、何度もメールを送らない方がいいだろう。

「と、ということは2人きりですか?」

「そういうことになるな」

「じゃあ、これって……デ、デートみたいなものですね」

 琴音は俺のことをジロジロと見ながら言った。男女2人きりだとそう考えてしまうのも致し方ないだろう。

「でも、高校生のデートの行き先が中学校の授業参観って何だかレアだな」

「確かにそうですね」

「もし、琴音が私服姿だったら夫婦に見られたかもしれないな」

 いや、それはさすがに言い過ぎか。まあ、中学生の両親というのはさすがに無理があるけれど、兄か姉夫婦なら納得してくれるかもしれない。

「ふ、夫婦ですかっ!」

 鼓膜に響くような甲高い声で琴音は言った。

 そして、一瞬、琴音の脳天から湯気が噴出したように思えた。どうやら俺は言葉のチョイスを間違えてしまったみたいだ。

「これなら意地でも私服を着てくるべきでした……」

「もしもの話だからそこまで気にしないでくれ。ただ、行き先は授業参観だし男女で来るのは大抵、通っている生徒の両親かなと思って。だって、土曜日にやるってことは父親にも見に来て欲しいって学校側も考えているだろ?」

「そうですね。私はてっきり大輔君が私のことを……」

「ん? 何か言ったか?」

 ぼそぼそ言っていてよく聞こえないので琴音に訊き返すと、彼女は元々赤くなっていた頬の色を更に濃くして、

「いえいえ、何でもありません! ほら、片岡君と学校で待ち合わせしているんですから早く行きましょう!」

 と、物凄く早口でそう言った。そして、俺の左手を掴んでぐっ、と引っ張り改札口の方へ歩き始める。意外と琴音って力があるようで。

「琴音はICカードとか持ってるのか?」

「も、持ってますっ! 昨日、上限までお金を入れてきましたから」

「まじか」

 上限ってことは……20000円か。金崎駅は往復で500円もかからない場所なんだが。金持ちはやっぱり違うぜ。俺なんて1000円をチャージするかどうかで3分ぐらい悩んだからな。結局チャージしたけれど。

 俺と琴音は改札口を通過し、金崎市方面に向かう電車が到着するホームに行く。

 土曜日だからか家族連れもいれば、俺や琴音のような男女2人というのもいる。逆に今の時間に琴音のように制服を着ている学生はほとんどいない。

「皆さんお出かけするんですね」

「そうだな。今日はどこかに行くには最高の気候だし」

「そうですね。それにしても、大輔君が私服なのに私が制服だと何だか変な感じですね。逆に目立ってしまうというか……ちょっとだけ恥ずかしいです」

 確かに何人かの視線を感じてくるけれど……それは琴音の服装じゃなくて琴音自身に対して向けられているものだと思う。かなりスタイルもいいし、顔立ちも整っているし。モデルと言っても過言ではないだろう。

「あ、あの……大輔君。このまま手を繋いでいてもいいですか?」

「えっ?」

 そういや、駅に入ってからずっと琴音の右手が俺の左手を握っていた。そのせいか少し汗ばんでいる。

「大輔君に助けてもらったとき、いわゆる……ナンパみたいなものをされていて。断り続けたら段々と態度が恐くなっていって、路地裏の方へ強引に連れ込まれそうになったんです。そうしたら大輔君が助けてくれて……」

 あの時の琴音は3年前の由衣のように見えて仕方なかった。同い年の女子が何人かの男に捕らえられ嫌なことをされそうになっていたところ。

 それに、琴音と絡んでいた奴らがやけにごつかったせいか、周りの人達は見て見ぬふりをしていた。それに許せなくなった俺は、気づいたらその怒りを男達にぶつけまくっていたというだけだ。

「俺は……自分のすべきことをしただけさ。俺の八つ当たりみたいな感じだったけど、結果として琴音を助けられたから良かったと思ってる」

「あれは私のためにしてくれたと思いますけど。少なくとも私にそう見えました」

「……そう言ってくれると非常に有り難い限りだ」

 確かにあの状況だと……琴音のために戦った、と見えてもおかしくないだろう。琴音自身が一番そう思うに違いない。

 今は俺が隣にいるけど、琴音の身に何が起きるかは分からない。向こうからお願いをしているわけだし、手を繋ぐことくらいは良いだろう。

「よし、じゃあ……白鳥女学院に着くまで手を繋ぐか」

 既に琴音が握っているけれど、俺の方からも琴音の手を握る。

「こうしておけば安心できるだろ?」

「ありがとうございます。急に手を握り返してきたのでびっくりしちゃいました」

「……そうか」

 男子からかなり人気があるというのは分かる。大人に引けを取らない見た目だけど、こういうあどけない一面が魅力に感じるのかも。

 気づけばもうすぐで午前10時。間もなく電車が到着し、俺と琴音は白鳥女学院の最寄り駅である金崎駅へと向かったのだった。

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