第14話『約束の答え』

「じゃあ、昨日の質問に答えさせてもらうことにするよ」

「……はい。子供の作り方についてです」

 杏奈は体の向きを俺の方へと変える。

 最初にして究極とも言える杏奈からの質問。

 今日の昼、琴音と話して決めたことを今から杏奈に伝える。


「今はまだ、知らなくていい」


 それが俺の考えた最良の答えだ。

 それまで期待していた杏奈の表情は一転して、少し悲しそうなものへと変わる。申し訳ない限りなのだが、それでも俺は香織さんと同じような答えを言うことにしていた。

 10秒ほどして杏奈の口がようやく開く。

「……そうですよね。お母さんでも答えられないことを、大輔さんに訊くなんてことをしてはいけなかったんですよね」

 杏奈は苦笑いをしながらそう呟いた。

「ごめんなさい。こんなことを訊いてしまいまして」

 表情を変えぬまま杏奈は頭を下げた。

「……話はまだ終わってない。今はまだ教えられないけど……杏奈も知るべき日が来るのもそんなに遠くないと思うよ」

「どういうことですか?」

 杏奈は首をかしげる。

「第一にどんな状況になれば、子供を作ってもいいって思えるだろう? それは、杏奈のご両親を見れば分かりやすいと思うけど」

 と自分で言いつつも、何だか分かりにくい質問をしてしまったと後悔。

 しかし、杏奈は右手の人差し指を下唇に当てながら一生懸命考えている。う~ん、と可愛らしく唸った後に、


「……互いに愛し合っている、ということですか?」


 と、理想の答えを彼女は言ってきた。

「その通り。愛するというのは、その人とどうなろうとも生きて欲しいって願うこと。そして、互いに相手のことを支えたいと思えて初めて結婚できるんだ。結婚をしたら、2人の関係が確かであることを示したいものが欲しくなる。相手に注いでいる愛情をそれに向けようと思いたくなる。その対象となるのが、2人の間にできる子供なんだよ」

「そうですか……」

「でも、それは容易くできることじゃない。まず、お母さんが元気でないといけない。身体的にも精神的にも。他にも金銭面の問題とか色々あるけど……とにかく、杏奈は中学生になったばかりで、大人へ向かって成長している最中だ。そんな時期に子供を作るというのは危険なことだ。だから、今はまだ知らなくていいって言ったんだよ」

 俺の言っていることがまだ整理できていないのか、それとも今はまだ知らなくていいという言葉に不満を抱いているのか。何にしろ、杏奈は複雑な感情を抱えていると思う。彼女から反応が見られない。

 それでも、俺は話を続ける。

「それに、中学生の間に保健の授業で習うはずだから。高校生の俺からよりも、そこは先生から教えてもらうことをオススメする。以上が杏奈の質問に対する俺の答えだ。納得してくれると一番嬉しいけど、どうだろう?」

 琴音と話して方向性が決まってからずっと考え、ようやくまとまった答えだ。

 直接的なことは一切教えずに、どんな時に初めて子供が作ろうと考えるのかを教えること。杏奈は納得してくれただろうか。期待と不安が同時に襲ってくる。

 だが、そう思うのも無駄であるのがすぐに分かった。どうやら満足しているようで、女は穏やかな微笑みを浮かべている。

「……そうですよね、お母さんは私のことをここまで育ててくれたんですもんね」

「そうだな。杏奈がどんな状況になっていようと、香織さんは杏奈のことを大切に思っているはずだ。自分のことは二の次で」

 そう話しながら、俺は海外に住んでいる自分の両親の顔を思い浮かべていた。子供が第一みたいな感じで杏奈には言ったけれど、本当はどうなんだろうとふと疑問を抱く。

 3年前の事件のとき、既に海外に住んでいた両親が日本に帰ってくることは一度もなかった。でも、両親は何度も電話をかけてくれ、側に姉さんや明日香、由衣もいた。二の次というのは大げさだったかもしれないけれど、子供を大切に思うのは本当だろう。

「杏奈も香織さんみたいにならないとな。そのためにも強くなって、一生をかけて互いに好き合える人に出会うことだ」

「……はい、分かりました」

 杏奈は何故か俺のことをジロジロと見ながらはにかんだ。

 何とか上手くいって良かった。今の質問について杏奈を納得させることができたんだから、5教科だったら教えることができそうな気がしてきた。

 金平糖をもう一粒食べて糖分を補給。杏奈がどんな反応をしてきてもすぐに対応できるよう常に脳をフル回転しているので、自分で杏奈にあげたお土産ながらも非常に有り難い代物である。

 そうだ、もう杏奈に教えることができたから、今回の質問のきっかけを訊いてみるとするか。

「そういえば、杏奈。一つ、訊きたいことがあるんだけど」

「はい、何でしょう? 何でも訊いてください」

「どうしてその……子供の作り方なんて知ろうと思ったんだ? 最初は香織さんに訊きまくったって言ってたけど……」

「あっ、え、えっと……ですね」

 ここから、杏奈が物凄く狼狽えていたり、言葉が詰まっていたりした部分が多かったため、俺がまとめて説明することにしよう。

 杏奈は恋愛系の少女漫画を読んでおり、作中で主人公の女子と彼氏のキスシーンがあったようで。突然の事だったらしく、驚いた主人公はキスが終わった瞬間に『キスをすると子供ができるから不意にするのは止めて欲しい』という台詞から、子どもってどうやって作るのだろう、と疑問を抱き始めたらしい。

 また、ここからは然るべき部分なのだけれど、香織さんの部屋にある本棚にいわゆる成人向けに近い内容の薄い本があったらしく、杏奈はそれを読んでしまった。そこでも女性が、子供ができるから止めて欲しいという台詞が出たけれど、その時に男性がしようとしたのはキスではなかったのだ。杏奈は何をどうすれば子供ができるのかがよく分からなくなり、香織さんや俺に質問をするに至ったというわけだ。

「以上です。思い出してみるとちょっと恥ずかしいです……」

「頑張って言ってくれてすまないな」

 ただでさえ、今日の杏奈はメイド服姿のせいで終始恥ずかしそうにしているのに。

 その上、香織さんの所持していた本の内容を事細かに言うことができた杏奈が凄いと思う。直接の内容を教えなかったことが良かったのか。

 しかし、香織さん……そんな本を持っているとは。成人向けでないにしろ、刺激的な内容を含む物はなるべく杏奈の目の届かない所に置くことを推奨する。

「もしかしたら、私は物凄いことを大輔さんに質問したのかもしれません」

「そうだな……」

 やっと分かってくれたか。

 そう、同い年の女子に相談しなければならないほど、その質問のインパクトは絶大だったというわけだ。教師でない限り……いや、教師であっても、男性に対して極力訊いてはならないということを、杏奈にいずれ分かってもらえれば幸いである。

「あ、あのっ……大輔さん」

「どうした? 杏奈」

「ええと、その……今日のお礼と言いますか、何と言いますか」

「遠慮しないで言ってくれていいんだぞ」

「……は、はいっ。実は今日の夕ご飯、大輔さんにご馳走したいと思いまして。お母さんに言ったら、凄くやる気になってくれて。それで、今日の夜……私とお母さんの料理を食べてくれませんか?」

 杏奈の頬は相変わらず紅潮している。そして、一度視線を向けたら決して逸らすことのできない上目遣いで杏奈は俺のことを見てくる。

「分かった。暗くなってきて、ちょうど腹が空いてきたし。うん、お言葉に甘えることにする」

「ありがとうございます!」

 満面とまではいかないけれど、杏奈は俺と出会ってから一番の笑顔を見せてくれた。さっき抱えた不安もどこかへ飛んだ気がする。

 杏奈の厚意を受け取らないわけにはいかないし、それに彼女の作る料理を素直に食べてみたいと思った。

「……そうだ、姉さんと明日香に連絡しておかないと」

 俺は携帯電話で姉さんと明日香に夕食の旨をメールで伝える。明日香と姉さんで一緒に作るか、姉さんが2人分の夕食を買うなどして欲しいと送信すると、すぐに明日香から了解の返事が来た。どうやら、明日香が頑張って夕食を作るらしい。

「どうでしたか? その……」

 きっと、家の事情で駄目かもしれないと杏奈は不安になっているのだろう。

「大丈夫だ。妹から何とかするって返事が来た」

「そうですか。良かったです」

「楽しみだな。杏奈の作った料理」

「……はうっ。だ、大輔さんにそう言われると途端に不安になってしまいます。緊張のあまり、塩を入れる場面で全て間違えて砂糖を入れてしまいそうなくらいに」

「そこまでプレッシャーに感じなくていいんだぞ。上手く作ろうって自分を縛るんじゃなくて、あくまでも楽しみながら作らないと。料理ってそういうもんだ」

「大輔さん……」

「でも、杏奈の気持ちも分かる。初めて食べさせる人のことを考えると、失敗しちゃいけないって思うこと。だけど、これが不思議と……楽しくなってくるんだよな。食べる人のことを考えると。まあ、俺の場合は毎日食事を作らざるを得ない状況だからかもしれないけど」

 つい、自分のことを語ってしまった。4年以上の間、ほぼ毎日食事を作り続けていると色々と言いたくなってしまうこともあるんだ。

 それでも、杏奈は真剣に聞いてくれていたようで。少し無言の時間が流れたが、彼女の口角が少し上がって、

「そうですよね。多分、楽しんで作らないと美味しいものは作れないと思います」

「……そうかもしれないな」

 おそらく、これなら大丈夫だろう。香織さんも一緒に作るわけだし、杏奈はきっと自分の思い描く料理が作れるはずだ。俺も期待してしまう。

 それから1時間後……俺は杏奈と香織さんの作った料理を食べるのであった。

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