第1話『椎名由衣』

 4月17日、火曜日。

 今日も昼休みになると俺はすぐに教室を出た。

 何故なら、こんなところにいても全く面白くもないし、大勢の中に1人でいると何だか寂しくなってしまうからだ。どうせ1人でいるなら、誰もいないところに行って1人でいる方がずっといい。

 昼食が入っているコンビニの袋を持って席を立つと、俺のクラスである2年2組のほとんどの生徒が俺の方に注目する。


 何か言われるんじゃないか、というおどおどとした目。

 悪態をつかれるんじゃないか、という邪険な目。


 他にも色々あるけれど、総じて言えるのはどいつもこいつも、俺のことを普通の人間として見てくれていない、ということだ。俺はそんな状況に苛立ちと虚しい気持ちが湧き上がって、思わずため息をついてしまう。

 しかし、そのため息が逆効果だったようで。

 はあっ、と声を漏らした瞬間に悲鳴が聞こえたのだ。それはか弱い女子生徒の声で、俺は反射的にそいつの方を向いてしまう。

 茶髪の女子が今にも泣きそうで、黒髪の女子が大丈夫、と声をかけて俺を邪魔者扱いする感じで睨む。


「はあっ……」


 それが虚しさが苛立ちに勝った瞬間だった。

 このまま突っ立っても何にも進展がなく、むしろ状況が悪化するだけだと思い、俺は2年2組の教室から出て行く。

 ここは俺にとってアウェーなんだ、と思いながら。



 普通の学校生活を送りたい、と高校生になってから切に願っていた。

 じゃあ、普通って何なのかと人は俺に問うだろう。

 俺にもはっきりとその答えは分からない。だけど、俺が理想として描いていたのは毎日を健康に過ごし、勉強をそれなりにできて、趣味を少しでも楽しめること。それは問題なく果たせている。

 だけど、これらのことは1人でも十分にできることだ。

 問題なのは次のことだった。


 少なくてもいいから、信じ合える友達を作ること。


 これがどうしても俺にはできなかった。そして、現在進行形で俺には友達と呼べる人間が1人もいない。

 この4月で私立桜沢さくらざわ高等学校の2年生になった。新年度を迎えた際にクラス替えも行われた。それから2週間ほど経っても、友人ができるのはおろかまともに話しかけてくれる奴がほとんどいない。

 俺は決して虐められているわけではないんだ。

 3年前、中学2年生の時に起こしたとある出来事から、俺は周りの生徒から「ウルフ」と言われるようになってしまったのだ。

 当時から周りの生徒よりも背が高かったこと。

 元々、俺の髪の色が水色だったこと。

 普通の人間にはあまり見かけることのない特徴ばかりを理由につけられ、俺は距離を置かれるようになった。正確に言えば恐れられるようになった。

 桜沢高校は俺の住む桜沢市にあるせいか、俺の出身中学から進学した生徒も結構いる。ウルフの件はそいつらから伝わっているためか、現在も3年前と同じような扱いを受けている。高校に進学をすれば、普通の環境の中で学校生活が送れる、と甘い考えを持っていた自分が本当に馬鹿だった。


 俺は色々と弁明をしようと考えたけれどすぐに諦め、友達を作ることも諦めた。

 そして、狼なら狼らしく、俺は自分から離れることに決めた。


 洒落た言葉で言うのなら、自ら一匹狼になることにした。常にワイシャツの第2ボタンまで外し、ネクタイを緩め、校則で禁止されている銀のペンダントを首から提げて。右腕には金属のごついブレスレットをしてみたりして、いかにも不良であるかのような雰囲気を作り上げた。

 そんな生活を1年間も続けていると、友達がいたら今頃どんな生活を送っていたのかなんて想像できなくなってしまっていた。

 だからこそ、俺は目標ではなく理想だと言ったんだ。分かり合える友人が1人でもいることがどれだけ大きなことかというのを、いないからこそ知っている。

「誰もいない、か……」

 基本は自由な校風のためか、屋上は普段から開放されている。入学した当初から俺は大抵、昼食は屋上で済ませる。他の生徒が来ることなんてあまりないし、俺にとっては最高の場所であり、ここにいる時間が至福の一時である。

 ベンチに座り、学校に来る途中のコンビニで買った缶コーヒーとサンドイッチを袋から取り出す。

タブを開けて、コーヒーを一口飲む。舌から伝わってくる苦味が、すっかりと俺に同化しているような気がした。

 穏やかな陽の光と、そっと吹き抜ける爽やかな風。それが俺を静かに味方してくれているような気がする。

 1人静かな昼休み。心穏やかに休ませてもらうとしよう。


「大輔! 今日もここにいたんだ」


 そう思って1秒足らず。俺の安らぎの時間はぶっ飛んだ。

 入り口の方を見てみると、俺の名である荻原大輔おぎわらだいすけを呼ぶ女子生徒が、弁当箱を持って俺の方を見ている。髪はこげ茶色のセミロングヘアで、本人曰く、脳天付近から伸びている1本のアホ毛がチャームポイントらしい。

 彼女の名前は椎名由衣しいなゆい。クラスメイトであり俺の幼なじみ。俺の家の隣に住む彼女は、ウルフと称される前の俺をもちろん知っている。

そう。俺も本当に孤独というわけではないのだ。こいつのおかげで何とか毎日高校に通って、特に問題を起こさずに高校生活を送ることができている。

「つーか、何で2年になってから、毎日俺と一緒に過ごそうとするんだよ。俺なんかと一緒にいても、お前の評判が悪くなるだけだぞ」

 そういえば、俺とは対称的に由衣は男女問わずクラスの奴らから人気がある。明るく気さくな性格と、かなり可愛い顔立ちが相まって。由衣の人気を俺なんかの所為で下げたくない。

「私、そんなこと気にしてないけど」

 しかし、俺の気持ちなんて知る由もない由衣は、何でそんなことを訊くの、というような顔を見せる。

「……勝手にしろよ」

 ちっ、と俺は舌打ちをした。

 由衣と一緒にいたって今更何も変わることもないし、由衣がそれでいいなら好きにさせようと思った。俺から突き放しても、きっとこいつはまた近づいてくるだろうし。

 俺は再び苛立った気持ちを落ち着かせるため、コーヒーを一口飲む。

「それにさ、大輔って女子の間では結構人気なんだよ? だって、ほら……かっこいいところもあるし」

「……無理に励まそうとしなくていい。虚しくなるだけだ」

 現にさっき、泣きそうになっていた女子を守るために、別の女子が俺のことを睨んでいたじゃないか。同じクラスの由衣はあの光景を当然見ているはずだ。

 まあ、俺はウルフと呼ばれる以外では悪い噂が立っているわけでもないし、由衣の言っていることが本当なのかもしれないけど。彼女なりの優しさが、今の俺には何だか辛く感じた。

「そういえば、またサンドイッチとコーヒーなの? 私が毎日作ってあげてるのに」

 背筋に悪寒が走る。

「今日も作ってきたのか……別に俺の分まで作らなくていいのに」

 決して気を遣って言っているのではない。

 由衣の料理は美味しくないのだ。かつては食い物とは思えなかったほどの壊滅的な出来であったため、食えるだけ今はまだマシにはなっている。それでも、毎日付き合わされるのは勘弁して欲しい。

 更に恐ろしいのは、由衣がその料理を食べて美味しいと言っている点。味見をしてないなら現実を思い知らせてやれることも1つの手なんだろうけど、実際に立ちはだかっている壁は俺の想像を遙かに凌駕していた。

 由衣は俺の右隣に座る。

「……俺の気持ち、分かってくれねえか?」

「それはこっちの台詞。大輔のために心を込めて作ってるのに、毎回その反応だと私だってさすがにへこんでくる……」

 お前には悪いけれど、へこんでくれるのを狙っているんだ。俺にはもう作ってくれなくていいよ。

「……なあ、他の奴にも食わせてやれよ。特に女子からなら色々とアドバイスだってもらいやすそうだし……」

「みんな一口食べたら苦笑いして、遠慮するって言ってくるの。だからもう諦めてる」

「明らかに俺の時と対応が違うと思うけれど……」

 それに俺なんて苦笑いなんて優しい反応ではなく、結構尖った言葉で由衣の料理を酷評しているつもりだ。何で俺だと諦めてくれないんだ。

 でも、由衣が諦めない理由に心当たりがある。それは俺自身にあるんだけれど。男子の中ではこいつの一番近くにいて、訳あって家での食事を毎日作っているからだろう。

「……とりあえず、今日は何を作ったのか見せてみろよ」

 幼馴染だからという温情もあってか、毎日最初は断っても結局は食べることになる。食わないことで怒られるのはまだいいけど、泣かれたりしたら俺も嫌だからな。

 少し不安そうだった由衣の顔に笑みが。由衣は弁当箱の蓋を開ける。

「今日は玉子焼きを作ったんだけど……」

「相変わらず、見た目だけはいい」

 こいつの料理はビジュアルに関してだけは最高。由衣が自分で作ったと言っている玉子焼きもまるで黄金のように輝いていて、ふんわりとした見栄えになっている。その所為で、実際に食ったときのテンションの落差は計り知れない。今はあまり美味しくないと分かりきっているので、そこまでのことはないけれども。

 見た目から不味そうに作ってくれれば心構えができるというのに、ここまで美味そうに見えるとどんな味なのか想像がつかない。

「……どうしても食べないと駄目なのか?」

「当たり前なことを訊かないでよ」

 少なくとも1年生のときは昼休みが至福の時間だったのに、幼なじみの料理の所為で今や緊張の時間へと成り下がっている。

 ついに由衣は橋で玉子焼きを掴み、俺の口へと徐々に近づける。

「この由衣様が直々に食べさせてあげるなんてことめったにないんだから、有難く食べないと痛い目に遭うわよ?」

 万事休す、か。

 俺はもう大人しく、口の中に玉子焼きを入れられ……ゆっくりと咀嚼する。どのような衝撃が舌に走るのかと思い完全なる受身体勢でいたのだが、

「……ふ、普通だ……」

 なんと、美味くもなければ不味くもない普通の玉子焼きだった。他の人間が作ったならノーコメントだが、由衣が作ったとなると普通でも奇跡に近い。

「お前も腕を挙げたな。不味くねえよ」

「……それって褒めてるの?」

「当たり前だろうが。最初は食い物だとは思えないほどの不味さだったのに、よくぞここまでクオリティを高めた」

 どんな人間でも努力は報われるんだな。

 しかし、俺が褒めているというのに当の本人は渋い表情をしていた。まるで俺の今の言葉に気に食わない、という感じで。

「どうしたんだよ、由衣」

「……い、今まで作った料理……ずっとそういう風に思ってたんだね。ふうん、今まで喜んで食べてくれていたって思ったんだけどなぁ……」

「毎度のこと、何回も断ってきたつもりなんだが」

 由衣の自分勝手な言葉に所々首をかしげることがあるも、とにかくはっきりしているのは今の状況がよろしくないことだ。

 多分、俺の言葉のチョイスが間違っていたのだろう。まずは何かフォローする言葉をかけてやらないと。

「まあ、大事なのは今だ。過去はどうであれ、料理が美味くなった。それだけでも十分じゃないのか?」

「……そ、そうだね。大輔に褒められたことは嬉しかったし」

 と、由衣は微笑んだ。

 何とか彼女の怒りに触れることなくこの状況を脱することができたか。由衣も本気で怒ると本当に恐ろしいことになるからな。

 さてと、由衣の作ったおかずも食べ終わったことだし、自分の買ってきたサンドイッチでも食べるとするか。そう思って、俺はサンドイッチの包装を開けようとした瞬間に、

「じゃあこのハンバーグも食べて。きっと、美味しいはずだから」

「玉子焼きだけじゃなかったのかよ……」

 一難去ってまた一難、というのはこういうことを言うのだろう。

 おいおい、最初は玉子焼きだけだって言っていただろうが。もうすっかりと安心しきっていたのに、新たなトラップを仕掛けてくるなんて由衣さんマジ半端ない。

 当然、さっきの玉子焼きに対して好感を持った俺が断るはずがないだろう、と考えている由衣はハンバーグを箸で掴んで俺の口元に持ってくる。

「ほら、あ~んして?」

「いや、もう胸がいっぱいで……」

「箸で食べさせてもらうのが恥ずかしいなら、口移しでもする?」

「遠慮させてもらう。つうか、そっちの方がもっと恥ずかしい」

 こいつには羞恥心という概念が存在しないのか?

 というか、今のこの状況……第三者が見たらどんな印象を持たれるんだろう? まあ、ここは屋上だし俺達しかいない訳だから気にしなくても――。


「やあ、相変わらず2人は仲がいいんだね」


 入り口の方からそんな声が聞こえてきた。

 やれやれ、今日は由衣以外も来るのかよ。

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