第27章 がんがん取り、がんがん捨てる

 サクヤは、騎馬にまたがり、森の中、山あいの道を進んでいた。木漏れ日が心地よいが、森を抜けたところには馬賊のアジトがある。


 馬賊のアジトは、要害だった。戦乱で破壊され、放棄された城塞を改修してアジトにしているので、攻められにくいし、守りやすい。


 一夫が関に当たれば、万夫も開くなし。


 一人が関所を守れば、一万人でも突破できない。そういう意味だが、この言葉がピッタリあてはまるような城塞アジトだ。


 サクヤは城塞の門前まで来ると、下馬した。ピンと背筋をのばして大声をはりあげる。


「頼もうっ!」


<って、どこの道場破りだよ>


 フソウは思わずツッコミを入れてしまった。が、サクヤは無反応ノーリアクションだ。今はたわむれている場合ではない。


 刹那、城壁の上にたくさんの人影があらわれた。守兵だろうか。小銃をかまえて、サクヤに狙いを定める。


「なんだ、おまえ!?」


 上から声がした。


「ワグファイ大公国が警備隊長、サクヤ・サファル大尉である。統領に会いにきた。開門されたい」


 城壁の上がざわついた。


「大公国の警備隊長って、あの“鬼神隊長”だろ?」


「そうだ。共和国の西部方面軍を撃破し、討伐軍を撃退した勇将だ」


「そういや統領が気をつけろって言ってたよな。大公国が“鬼神隊長”をおれらの討伐にさしむけたからって」


「でも、なんで一人なんだよ? 一人で討伐とか、ありえねぇだろ」


「それだけ腕っぷしに自信があるんだろ。なんせあの“鬼神隊長”なんだからよ」


「にしても、“鬼神隊長”はガキって聞いてはいたが、ガキもガキ、ガキすぎなくねぇか?」


「それに女みてえな顔してヒョロイしよ。本当は弱いんじゃね?」


「つまり“鬼神隊長”の勇名は、ハッタリってことか?」


「そういや、ケンカのつえぇやつは、ハッタリもうまいよな」


「たしかに。――てことは、ハッタリをかまして敵をビビらせ、それで勝ってきたってことか?」


「おそらくな」


「それなら楽勝じゃねぇか。わざわざ統領の手をわずらわすまでもねぇな」


 馬賊たちは高笑いした。


 サクヤには城壁の上での会話は聞こえない。が、馬賊たちの笑い声はよく聞こえるので、今後の展開は予想できる。


 サクヤが残念そうに「はぁ」と嘆息した瞬間、馬賊たちが一斉に射撃してきた。銃弾の雨がサクヤに降りかかる。


 サクヤはすばやく抜刀すると、たくみな刀さばきで降りそそぐ銃弾をすべてはじいた。そのまま目にも止まらぬ速さで動き、城塞の大門を一刀両断にして、城内に踏みこむ。


 すべては一瞬のできごとだった。


 馬賊たちは呆然ぼうぜんとして、なす術を知らない。


 サクヤはあたりにいた馬賊たちを峰打ちして倒すと、そのまま城壁の上まで駆けあがった。城壁の上にいた馬賊たちも「あっ」と驚いている間に全員が峰打ちされ、失神させられてしまう。


 そのとき、騒ぎに気づいた馬賊たちが、次から次に城門のところに駆けつけてきた。しかし、だれもが目の前の光景を目にして、呆気あっけにとられてしまう。


たくさんの仲間たちが、口から泡をふいて倒れている。だれの仕業だ? 目の前にいるワグファイ大公国の軍人がやらかしてくれたのか?


 だが、その軍人は、体つきは華奢きゃしゃだし、背も高いほうではない。女の子みたいな顔つきで、見るからに弱そうだ。


 これで勝てないほうがおかしい!


「なめんなよ!」


 馬賊たちは一斉に発砲する。が、すべて弾かれた。急いで次弾を装填し、発砲――。


 しようとしたところで、


「やめんかっ!」


 天地を震わすような大声が轟いた。見るとコワイ顔をした巨漢がいる。


「あれだけ言ったのに、どうして“鬼神隊長”にケンカを売った!?」


 巨漢が馬賊たちを睨みまわりながら怒鳴ると、近くの馬賊たちが恐る恐る発言した。


「……弱そうだったんで、つい……」


「……これなら統領の手をわずらわせるもないかなって……」


 巨漢は嘆息し、他の馬賊たちを見渡しながら「おまらえもか?」と大きな声で言う。馬賊たちは、だれもがおびえた様子でうなずいた。


 すると巨漢は、コワイ顔を紅潮させ、


「たわけどもがっ!」


 耳をつんざくような大声でがなった。


「人を見た目で判断するなと言っているだろうが、どうしてわからない!? そんなに死に急ぎたいか!?」


 馬賊たちは、さっきまでの威勢はどこへやら、全員がシュンとしていた。


 巨漢は満足したのか、これまでとは打って変わって穏やかな顔つきになる。でっぷりと肥え太った巨体をゆさぶりながら、サクヤの前までくると、サクヤを見下ろしながら、


「オレ様は、アラム・ハンジルだ。馬賊ここの統領をしている」


「わたしは、サクヤ・サファル。ワグファイ大公国で警備隊長をしている」


 サクヤは巨漢ハンジルを見上げながら言った。体格が違いすぎるが、だからといって恐れているようすはない。


 なかなか胆がすわっている。


 ハンジルは感心しながら、


「サファル殿――」


「サクヤでいい」


 サクヤはほほ笑んだ。


 ハンジルは少し意表をつかれたようだったが、なにごともなかったかのようにほほ笑みかえして言葉をつないだ。


「ならばサクヤ、ここに何をしに来た? 貴様が討伐に出たという話は耳にしているが、一人で討伐に来たのか?」


「違う。今日は話し合いにきた」


「話し合い?」


「そうだ」


 サクヤは事情を話して聞かせた。


「ふふふ、“同胞”とはありがたいものなのだな。――で、どうだ? 貴様の目には、オレ様はどう映った?」


只者ただものではないが、おとこかどうかはまだわからない」


 サクヤが真顔でキッパリ言うと、ハンジルは「ははは」と高笑いした。


「まいったな。ならばオレ様たちも討伐されるってことか?」


「おまえらがおとなしく投降するなら、討伐はしない。戦うというのなら、いつでも相手をしてやる」


「おいおい勘弁してくれ。貴様が噂どおりの強者つわものなら、オレ様たちには貴様と戦っても勝ち目はないだろ?」


「ならば投降するか?」


「まあ、投降するしかないだろうな。――だが、その前に見てほしいものがある」


「なんだ?」


「見てくれるか?」


 ハンジルの顔からは笑みが消えていた。真剣な目でサクヤを見つめている。


 サクヤもハンジルの目を見て、「いいだろう」と応じた。


「では、オレ様の居館うちまで案内する。ついてこい」


 ハンジルは巨体をゆさぶりながら歩き出した。サクヤはあとに続く。ちょっと距離をおいて、いく人かの馬賊たちもついてきた。縦に並んで歩いていく。


 城塞の中は長屋バラックがびっしりと建ち並んでいるので狭く見えた。長屋バラックは、3階建てもあれば、5階建てもある。見上げると空も長屋バラックに挟まれて狭く見えた。


 サクヤは、ハンジルの大きな背中を見ながら、長屋バラックの間にあるくねくねとした小道を進んでいく。いつまで歩いても、ハンジルの居館らしきものはなかなか見えてこない。意外に広いようだ。


 それにしても人が多い。道には住民たちが、老いも若きも、男も女も群がるようにあふれていた。ハンジルたちに道をゆずるため脇によけながら、サクヤに好奇の目を向ける。


「まるで街みたいだな」


「あたりまえではないか。ここをどこだと思っている?」


「馬賊の城塞アジトだ。――かっさらってきたのか?」


「は?」


 ハンジルは足を止め、ふりかえってサクヤを見下ろした。あきれたような顔つきをしている。


「ここにいる連中は自分で来たやつばかりだ。拉致らちってきたりなどしていない」


 そういうハンジルによると、路頭に迷った連中が四方八方から集まってくるので、どんどん人数も膨れあがっていったらしい。


「もちろん、ここを出たいというやつがいたら、オレ様は引きとめたりなどしない。好きに出て行けばいい。来る者は拒まず、去る者は追わず。これがオレ様の方針だ」


「そうか。すまない。誤解してしまった。許してくれ」


 サクヤがすなおに頭を下げて謝罪すると、ハンジルは「え?」といった感じで驚いたように見えたが、ただ「まあいい」とだけ言って、再びのしのしと歩きはじめた。


 サクヤは、ハンジルの大きな背中を見上げながら、ふと思う。


(この巨漢ハンジルは知恵者なのかもしれない)


 サクヤはフソウから、こんなふうに教えられたことがある。


<知恵者ってのはな、取捨選択もすばやい。がんがん取るし、がんがん捨てるもんさ>


 ハンジルは「来る者は拒まず、去る者は追わない」と言った。これはつまり人をがんがん取るし、がんがん捨てるということではないか?


 そう考えると、ハンジルも知恵者ではないのか?


 なんてことをサクヤが考えていると、周囲の長屋バラックよりも頑丈そうな石造りの建物が見えてきた。5階建てだが、中央には尖塔も立ち、なかなか大きい。ここがハンジルの居館らしい。もとは城塞の司令部だったそうだ。


「帰ったぞ」


 ハンジルが居館の大きな扉を開く。


「パパだっ!」


 かわいらしい声がした。


「おかえりなさいっ!」


 小さな子供がうれしそうに飛び出してきた。まだ5、6歳といったところだろうか。


 だが1人ではない。2人、3人、4人、5人……。次から次に小さな子供たちが出てきては、ハンジルに飛びついたり、まとわりついたりしている。


 ふくよかなハンジルのおなかに体当たりし、はねかえされて喜んでいる子供もいた。保育所か、幼稚園か?


 それにしても多い。少なくとも30人くらいはいるのではないだろうか。年齢の幅も広く、3歳くらいの子もいれば、リーシャくらいの年頃の子もいた。


 ハンジルは満面の笑みで子供たちを見渡しながら、


「大事なお客さんが来ている。おとなしくするんだぞ」


 すると子供たちはすなおに「はい」と言いながらも、珍しそうにサクヤのまわりに群がってきた。触ってくる子もいれば、遠巻きに見ている子もいる。


 サクヤは子供の洪水にのまれ、もみくちゃにされそうだ。こんな経験なんて、これまでしたことがない。どう対応したらいい?


 サクヤは戸惑っていた。すると、ハンジルが「おい! コラ! やめんか!」と子供たちを叱りながら、サクヤを片手でひょいと持ちあげ、子供の洪水からサクヤを救ってくれた。


 ハンジルの脇にかかえられたサクヤは、さすがに呆気あっけにとられ、どうしてよいかわからない。が、とりあえず危害を加えられそうにはないので、じっとしておく。


「えー、パパだけ、ずるいっ!」


「わたしもお兄ちゃんと遊びたいっ!」


 元気な子供たちが口をとがらせながら、ブーブー言う。


「遊んでいるのではない。大事なお客さんだと言っただろ。さっさと引っこみなさい」


 ハンジルはサクヤを脇にかかえたまま、シッシッと子供たちを手で追い払うようなそぶりをして見せる。が――。


 子供たちは、なかなか言うことを聞かない。そうこうしているうちに家政婦メイドたちがあわててやってきて、子供たちを連れて行ってくれた。


「すまないことをしたな。きかん坊が多くてな」


 ハンジルは苦笑いしながら、サクヤをそっとおろした。


「いや。こちらこそ助けてもらい、すまない」


 サクヤは思いもよらない出来事に戸惑うばかりだが、


「おまえの子供たちか?」


 気を取りなおして問いかけた。


 ハンジルは「そうだ。かわいいだろ?」とデレる。その巨体に似あわないデレ方だ。


「ああ、かわいいな」


 サクヤが笑顔でこたえると、ハンジルは満足そうにうなずき、そして真顔になった。


「勇名とどろく“鬼神隊長サクヤ”が討伐にきた以上は、オレ様たちも潮時しおどきだ。観念するしかない。だから、頼みがある」


「ん?」


「オレ様はおとなしくお縄につく。その代わりにサクヤ、貴様をおとこと見こんで頼みたい。オレ様に代わって、あの子らの面倒をみてくれないか? ――それに貴様ら政府の人間には、あの子らの面倒を見る義務もある」


「?」


 サクヤはキョトンとしていた。


「あの子らは、みんな孤児だ」


「孤児? ――おまえは孤児を引きとって面倒をみているのか?」


「そうだ。――貴様ら政府の人間がちゃんとやってないからな。そのせいで泣きを見るのは、いつも弱い者ばかりだ」


 子供たちは、だれもが戦争で家族をなくし、孤児になったらしい。


「貴様らは弱い者から高い税金をしぼりとり、贅沢ぜいたくしたり、戦争したり。少しは弱い者の面倒をみろ。人として恥ずかしくないのか?」


「そうか……。すまない……」


 サクヤが悲しげな顔をしていると、ハンジルはバツが悪そうに「まあ、あんたに言っても詮無せんないことだろうけどな」ともらした。


「ともあれ、オレ様は貴族とか、役人とかを許せない。だから、オレ様たちは御用商人とか、貴族の荷駄くらいしか襲撃してないはずだ。違うか?」


「すまない。その辺の話は聞いてない」


 ハンジルは「なんだよ」と残念そうだった。


 ◇ ◇ ◇


 サクヤは夕食をごちそうになった。子供たちと同じ食卓につき、ハンジルの隣に座る。


 それにしてもサクヤには警戒感というものが見られない。


 ――馬賊たちが食事に毒をもるのではないか。


 サクヤはそんな疑いなど、少しも抱いていないようだ。出された料理を遠慮なくほおばる。粗末な料理だが、おいしそうに食べていた。


 ハンジルは、そんなサクヤにあきれてしまう。


(やはりファラム出身だけあって、平和ボケしているのか? 無防備すぎる)


 ただあきれながらも、なぜか親近感がわいてくるので不思議だ。


 そう言えば、フソウはこんなエピソードを語ったことがある。


 かつてどこかでダイトウア戦争という大きな戦いがあったそうだ。


 そのときナンポウというところで、ニホン軍のフジワラ・イワイチ少佐は、捕虜のイギリス軍インド兵たちに「一緒に会食しよう」と提案した。料理はインドの郷土料理にしてほしいと希望する。


 フジワラ少佐は、イギリス軍インド兵と同じ食卓につき、おいしそうに郷土料理を食べた。それを見たイギリス軍インド兵たちは驚く。


「イギリス人の将校は、味方にもかかわらず、自分たちと一緒の食卓につくことはなかった。ところが、このニホン人の将校ときたら、敵であるにもかかわらず、自分たちと一緒の食卓についた。――この将校には差別がない」


 この一件があってからイギリス軍インド兵は、フジワラ少佐に親近感をもつようになったという。


 ハンジルがサクヤに親近感をいだいたのも、これと似たような心理ではないだろうか。


 食後、サクヤはハンジルと語りあう。


 つもりだったが、子供たちがそれを許さない。子供たちは入れ替わり立ち替わり「遊ぼうよ」「遊んでよ」とサクヤにまとわりついてくる。


 サクヤはハンジルをチラ見して「どうしたらいい?」と目で語りかけると、笑顔のハンジルは「遊んでやってくれ」と目で応える。


 ――だが、どうすればいい?


 サクヤは子供たちと遊んだことがない。


 ――なるようになれだ。


 サクヤは流れに身を任せ、子供たちに言われるまま馬になったり、ままごとをしたり。ただ、その遊び方はぎこちない。とにかくガンバって子供たちと遊んでいる。


<さしもの“鬼神隊長”様も、ざまぁねぇな。ぷぷぷ>


 フソウがサクヤにだけ聞こえるくらいの小声で笑うと、


「からかうな。――ぐはっ!」


 サクヤの顔面にボールが直撃した。子供たちは大笑いして喜ぶ。


 ――子供たちと遊ぶということは、こんなにも疲れるものなのか?


 サクヤは子供たちにふりまわされながら、へとへとになっていく。ただ体は疲れても心は満たされる気がするので不思議だ。


 そうこうしているうちに子供たちの就寝時間がきた。


 ようやく解放される。と思いきや、


「一緒に寝よう!」「一緒に寝ようよ!」


 子供たちはサクヤにせがむ。


 サクヤが珍しく恐縮しながら「どんなものだろうか?」と尋ねれば、ハンジルは笑顔で「子供たちも喜ぶ。大歓迎だ」と応えた。


 というわけで、サクヤは子供たちの寝室――大広間に入った。床に寝具マットをしき、子供たちと一緒に雑魚寝ざこねする。


 それにしても子供たちは、寝つきが悪い。珍客サクヤがいるから喜んで興奮しているのだろう。きゃっきゃっと大騒ぎする。


 枕を投げたり、走りまわったり。なかにはサクヤの上に飛び乗ってくる子もいた。


「ぐほっ」


 サクヤは腹に不意うちを受け、思わずうなる。が、なぜか悪い気はしない。


 見かねた家政婦メイドたちが寝かしつけようとするが、それでも収拾がつかない。


 ハンジルはそんな様子をのぞき見て、ニコニコしていた。何も言わず、巨体をゆらしながら自室に戻る。


 そんなこんなで大騒ぎもしばらく続くが、そうこうしているうちに子供たちは1人、また1人と寝入っていった。サクヤもいつのまにか寝てしまう。


 深夜、ハンジルはいつものように子供たちのようすをうかがいに来た。子供たちはあっち向いたり、こっち向いたり、思いのままに寝ている。


 そのなかでサクヤも、大の字になってぐっすりと眠っていた。敵地にありながら、警戒感の「け」の字もない。


(この若造は、ただ鈍感なのか、それとも度量がでかいのか。少なくともこれまでの政府の犬とは違う)


 子供たちの行く末を案じるハンジルだが、その心には安心感が芽生えようとしていた。


 そう言えば、フソウによると、こんな史実があったそうだ。


 かつてダイトウア戦争のとき、ニホン軍のフジワラ少佐は、ダイホンエイという総司令部から「イギリス軍インド兵を味方につけ、イギリス軍を困らせよ」との命令を受けた。


 当時のインドは、イギリスの植民地支配を受けていた。独立運動も起きていたが、すべて力ずくで制圧されている。


 そこでフジワラ少佐は、ニホン軍がイギリス軍と戦い、大量のイギリス軍インド兵を捕虜にしたとき、こう捕虜たちに呼びかけた。


「ニホン軍はインドの独立を支援する。共にイギリスと戦おうじゃないか」


 もちろんイギリス軍インド兵は、そう簡単には信じない。昨日の敵が、今日の友になるのか。半信半疑だった。


 ある日、ニホン軍がイギリス軍インド兵を護送するためトラックに乗せた。そのときフジワラ少佐も荷台に同乗する。フジワラ少佐は移動中、捕虜にもたれながら居眠りしてしまった。


 これを見たイギリス軍インド兵たちは驚く。


「フジワラ少佐も、自分たちを警戒していたら居眠りなんかできないはずだ。それなのに居眠りしたということは、本気で自分たちのことを信じている証拠じゃないか」


 この話はまたたく間に収容所内に広まり、評判となった。多くのイギリス軍インド兵がフジワラ少佐のことを信じるようになったそうだ。


 かくしてインド独立を目ざす「インド独立軍」が編成され、のちのインド独立に貢献することになる。が、これはまた別の話だ。


 そういった点から考えると、敵地にあって平然と眠りこけているサクヤの姿は、馬賊たちの警戒心を解くために役立つだろう。実際――。


(サクヤも政府の犬だが、これなら信用できるかもしれない)


 おそらくハンジルは、そう結論づけたのだろう。ふっと笑って、巨体をゆらしながら自室に戻っていった。


 翌朝、サクヤはいったん野営地に戻ることにする。 


 ハンジルや、その取り巻きの馬賊たちにまじって、たくさんの子供たちが見送ってくれた。「また来てね」という子もいれば、「行かないで」と泣く子もいる。サクヤにまとわりつく子もいて愛らしい。


 サクヤが冗談まじりに「それなら、わたしと一緒に行くか?」と尋ねてみれば、どの子も瞬時に不安そうな顔になり「パパがいい」と言う。


「そうか。やっぱり父上パパがよいか。ははは。――ハンジル、世話になった。礼を言う」


 サクヤが頭を下げると、ハンジルは神妙な面持ちで言った。


「礼には及ばない。――オレ様はこれまでしてきたことを少しも後悔していないが、未来も悩まないですむ。サクヤ、貴様がいるからな。子供たちのこと、よしなに頼むぞ」


「わかった。おとこの約束だ。おまえの部下たちのことも含め、なにがあっても守ってみせる」


「ならば安心だ」


 ハンジルは満面の笑みでサクヤを見送った。


 サクヤは騎馬にまたがり、帰路につく。その道すがら考えていた。


 ハンジルは「後悔していない」と言った。未練がましいところがない。しかも「未来を悩まない」とも言った。そこには少しのためらいも感じられない。


 フソウは<未練がましかったり、ためらったりするようなら、知恵者ではない>と教えてくれた。その点からすると、未練がましくもなければ、ためらいもないハンジルは、知恵者ではないか。


「そう考えると、失うには惜しいおとこだ」


<だから、全員まとめて面倒をみるってか?>


「そうだ」


<そんな無茶なこと、できんのかよ? あとで後悔するかもしれねぇぞ。これからのことを考えて心配とかしねぇのかよ?>


「わたしは何があっても過去を悔やまないし、未来を悩まない。ただ今ここで全力をつくすのみだ。おまえも知っているだろ?」


<……ったく、おまえもなかなかの“知恵者”だよ。――うまくやれよ>


「わかっている。任せてくれ」


 そのとき、サクヤはいきなりの目眩めまいに襲われた。視界がかすみ、意識が遠のいていく。まさか朝食に毒をもられた?


 体がふらつく。


<ん? どうした?>


 フソウの問いかけに答えようにも言葉が出ない。手綱をもつ手にも力が入らない。世界がぐるぐると回っているようだ。


 ついには意識を失い、そのまま落馬した。


<おい! サクヤ、どうした!?>


 フソウは焦って声をかけるが、返事はなかった。サクヤは地面にうつ伏せたまま、ピクリとも動かない。


 ほどなくして、数人の男たちが姿を現した。馬賊たちだ。


「統領は政府の犬に対して甘すぎる」


「この世から貴族を消し去ってこそ、だれもが笑顔で暮らせるようになる」


「ですよね、ダンナ?」


「そのとおりだ、同志諸君」


 そう言って姿をあらわしたのは、薄汚れた軍服を身にまとった共和国の青年将校――アクル少佐だった。


「すべての人民が平等に暮らせる世界をつくる。貴族や特権階級による搾取をなくし、みんなで財産をわかちあって豊かに暮らせるようにする。それがぼくらの世界革命だ」


 アクル少佐は語りながらサクヤを見下ろし、足で転がして仰向けにした。「うぅ」とうなるサクヤの苦悶の表情を見て、うれしそうにニヤリと笑う。


 ――いつ見てもれとする芸術的な顔立ち、体つきじゃないか。


 いやらしい目つきでサクヤの全身を、それこそ頭の上から足の先までなめるように鑑賞する。


 ――ついにぼくのものになったね。ぼく好みの男のに調教してあげるよ。


 アクル少佐は満足そうに口元をゆがめると、「では同志諸君、しっかりと拘束してくれ。暴れると手がつけられなくなるからね」と命じた。


 馬賊たちは、手際よくサクヤに首枷をはめた。さらにサクヤの両手をうしろ手にして手枷をはめる。両足には足枷をはめた。そのうえワイヤーで縛りあげるほどの念のいれようだ。


 身体からだの自由を完全に奪われたサクヤは、そのまま軍用トラックの荷台に放りこまれ、連れ去られてしまった。


 ◇ ◇ ◇


『闘戦経』第27章


〇原文・書き下し文


|取(と)るべきは|倍(ます)ます|取(と)るべし。|捨(す)つべきは|倍(ます)ます|捨(す)つべし。|鴟(し)|顧(こ)と|狐(こ)|疑(ぎ)とは|智(ち)|者(しゃ)の|依(よ)らず。


〇現代語訳


 取るべきなら、がんがん取るべきだ。捨てるべきなら、がんがん捨てるべきだ。未練がましかったり、ためらったりするようなら、知恵者ではない。

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