第25章 あなどりがたい雰囲気をかもしだす

 サクヤは朝早く起床し、天幕テントを抜け出すと、朝もやの中で刀――フソウを手にして素振りに励んだ。いつもの鍛錬だ。


「隊長も朝から精が出ますな」


 ふりかえると白髪で最高齢の中隊長――今は第5班長がいた。サクヤは警備隊を6つの班で再編成していたのだが、第5班はその中の1つだ。戦法の立案や、作戦の計画などを担当する。


「おう、ギリヤス第5班長か。おはよう。それにしても早いな」


 サクヤは刀――フソウを一振りし、鞘に戻した。


「おはようございます。隊長だって早いですぞ」


 第5班長ギリヤスは「かかか」と笑うと、一転して真顔になった。


「ときに隊長は、賊どもをどうなされるおつもりか?」


「もちろん討伐する。――が、第5班長がわざわざ言ってくるということは、なにか問題でもあるのか?」


「いえ、年をとると、どうも情け深くなるようで、いけません」


「どうかしたか?」


「はい。実は隊長におりいってお願いがありまして。どうにか賊どもを救っていただけませんか?」


「ん?」


 サクヤが怪訝けげんそうにしていると、第5班長ギリヤスは「年寄りのワガママですが」と前置きしたうえで語った。


 馬賊は確かに悪事を働いている。それはゆるされないことだ。


 でも、盗人にも三分の理――そうなったのにも理由がある。戦乱のせいで生活の手段を失い、生きていくためには賊になるしかなかった。そう考えると、馬賊は加害者であるのと同時に被害者でもあるのではないか。


「今は馬賊とはいえ、それでも元は良民だったはず。それを思うと一方的に悪と決めつけるのはいかがなものかと思いまして。――甘い、ですかな」


「いや、甘くはないぞ。世は情けだ」


 サクヤがほほ笑むと、第5班長ギリヤスは「ありがとうございます」と頭を下げた。


「ときに今回の馬賊は、第5班長にゆかりある者なのか?」


「いえ。面識はないのですが、ただ出自を同じくしておりまして。かつてのラクス王国の流れをくむ者です」


 ラクス王国とは、今から60年ほど前にワンパ共和国に滅ぼされた小国だ。


 第5班長が言うには、その国民の多くは共和国による支配を嫌い、または恐れ、他国に移住していった。その子孫の一部が今、馬賊となっているらしい。


「ラクスの人間が悪党だと思われるのは、同じラクスの人間としてつらい。それで親切な隊長に甘えて、つい私情をさしはさんでしまいました」


「そういう事情があったのか」


「はい。――ですが、もちろん無理はしないでくだされ。年寄りの世迷い事ですから」


「さすがは第5班の班長だけあって、よいことを教えてくれた」


「?」


「“罪を憎んで人を憎まず”だ。わたしに任せておけ。善処しよう」


 サクヤはドンと胸をたたいて見せた。


<ったく、また情に竿さして流されやがって。――まあ、それがサクヤのいいところでもあるがな>


 フソウはひとちた。


 ◇ ◇ ◇


 カトラス第2班長――もとの新人ルーキー大隊長は、警備隊の情報機関とも言える第2班を任されていた。その損得計算にけた冷徹な頭脳は、情報の仕事に適している。そう思われたのだ。


 しかし、第2班長カトラスは、これまで情報の仕事などしたことがない。そのせいで戸惑うこともあったが、身近なところにプロがいた。共和国のスパイ――リーシャだ。


 第2班長カトラスは、スパイの実務に精通しているリーシャにアドバイスをもらいながら、班員たちと無我夢中がむしゃらにがんばり、馬賊のアジトをつかむことに成功した。


「いよいよ討伐っすね!」


 第2班長カトラスは、班長たちを集めた話し合いの場で力強く言った。闘志にあふれている。


 その点は他の班長たちも同じだった。一刻も早く馬賊どもを討伐し、辺境の同胞を救いたい。口々に即時の討伐を希望する班長が多かった。


 ただ第5班長ギリヤスだけは、さえない顔をして黙っている。頭では「討伐すべき」だと分かっているが、心がついてこないのだろう。


 そんな第5班長ギリヤスの苦衷を思うと、サクヤは自分のことのようにつらくなる。


 フソウからは<どこまでお人よしなんだよ>と叱られそうだが、それがサクヤの性格なのだから仕方ない。


「盗人にも三分の理がある」


 サクヤはおもむろに口を開いた。


「ん?」


 班長たちはキョトンとした目でサクヤに注目した。


「もとはと言えば馬賊たちも、生活のためにやむなく馬賊になったにすぎない。反省するなら、ゆるしてやってもよいのではないか?」


情状酌量じょうじょうしゃくりょうというやつですか」とバジャル第4班長――もとの高齢ベテラン大隊長が口をはさんだ。


 第4班は、サクヤの統帥リーダーシップをサポートするのが仕事だ。必要に応じて、サクヤに助言や進言を行う。


 サクヤがポカンとしていると、第4班長バジャルは「悪事をしでかすことになった事情を考えて、その罪を軽くしてやるという意味です」と解説してくれた。


「そう、それだ。そのジョージョーシャクリョーというやつで、馬賊に反省のチャンスを与えたいのだが、どうだろうか?」


 だれもが思案して沈黙する中、第4班長バジャルが発言した。


「それも悪くないとは思いますが、馬賊が心底から反省しなかった場合はどうしますか? ここで見逃せば、よそで悪事を働くのではありませんか?」


「そうっすよ」と第2班長カトラス


「馬賊どもに反省する心なんかないっすよ」


「おれは“鬼も角を折る”って言葉を聞いたことがあるぜ」


 そう発言したのは、かつてサクヤと共に戦うことを主張した若手の中隊長――今の第3班長だ。第3班は装備や訓練を担当する。


「おい、ジョイル、なんだよ、それ?」と第2班長カトラス


「どんな悪い鬼でもキッカケさえあれば反省して、悪事をやめてよいことをするようになるという意味だ。だから、隊長の言うように反省を促すのもいいと思うぜ」


 第3班長ジョイルは、第5班長ギリヤスの事情を知っているのだろうか。隣では第5班長ギリヤスが「すまんのう」とポツリとつぶやいた。


「だけどよ、馬賊の統領が反省できるかどうかわからねぇんだぜ」


「だからこそ確認する必要があるな」


 サクヤが口をはさんだ。笑顔だが、強い決意が瞳に宿っている。


「わたしがちょっと馬賊のアジトまで行って、統領が話のわかるやつかどうか確かめくる。さしで話してみれば、統領がおとこかどうかわかるだろう。統領がおとこなら、きっとわかってくれるはずだ」


 だからサクヤは、一人で馬賊のアジトに乗りこむという。


 班長たちは「それは危険です」と言おうとしたが、すぐにサクヤの強さを思いだした。まあ隊長なら大丈夫だろうと思いなおす。


「隊長がそうしたいなら、そうしてください。自分らは隊長にどこまでも従います」


 これが班長たちの共通した意見だった。だれもがサクヤを信頼しているので、サクヤのしたいことに反対する者はいない。


 ただ例外がいた。リーシャだ。


 天幕テントに戻ってきたサクヤから話を聞いたリーシャはあきれたように怒り、反対した。


「サクヤ様は、馬賊がどれだけ多くいるのか知っているんですか!?」


「多いのか?」


「はい? ――やっぱり知らないんですね。それでも隊長さんですか?」


 リーシャは「頭が痛い」といった感じで嘆息すると、キッとした目つきでサクヤを見て、


「実態はよくわかっていませんが、全部で1万人以上もいるっていう情報もあるんですよ」


 サクヤは「そんなにか」と驚く。


「そうですよ。ものすごい大軍です」


「それほどの人数をまとめあげるとは、馬賊の統領も只者ただものではないな。――ますます会いたくなってきたぞ」


 そう言ってニコニコするサクヤを見て、リーシャは「は? なに感心してるんですか!」と憤慨しながら、


「とにかく自分の体力を考えてください。さすがのサクヤ様だって1万人以上も相手にして戦ったら、まちがいなく途中でバテあがって戦えなくなるんじゃないですか?」


「いや、だから別に戦いに行くわけではなくてだな、話し合い――」


「相手は悪党なんですよ」


 リーシャはサクヤの話をさえぎるようにピシャリと言った。


「悪党なんですから、話なんて通じるわけなんてないじゃないですか」


「だがなリーシャ、こういうことは実際に会って話してみないことにはわからないことだぞ」


 サクヤは教えさとすように言うが、もちろんリーシャは納得しない。


「いえ。話さなくたってわかります。バクチみたいなことはやめてください」


 リーシャは怒りながらも、涙ぐんでいた。


「サクヤ様にもしものことがあったら、あたしはですね……。あたしは……」


 リーシャはとうとう泣き出した。嗚咽おえつしながら、涙で顔がぐしゃぐしゃだ。


 そんなリーシャのことをサクヤはいとおしく思う。優しく抱きしめると、リーシャはサクヤの胸に顔をうずめて大泣きした。


「リーシャの心配もわかる。心配してくれて、うれしく思う」


「……」


「だが、前にも言ったように死を恐れてはダメだ。死を恐れないからこそ生き残れる。きっと生きて帰ってくると約束する」


「……」


「だからわかってくれないか?」


 リーシャはこたえず、サクヤの胸に顔をうずめて泣くばかりだ。


 ◇ ◇ ◇


 サクヤは、すっかりの夢の中だ。寝袋に入り、スヤスヤと寝息をたてている。


 同じように隣で雑魚寝ざこねしているリーシャは、寝袋に入ったまま心配そうにサクヤの寝顔を見つめていた。


<眠れねぇのか?>


 フソウが声をかけると、リーシャは「当たり前じゃないですか」と不貞腐ふてくされたようにこたえた。


「フソウさんは心配じゃないんですか? フソウさんはサクヤ様の師匠なんでしょ? だったら、どうしてサクヤ様の無謀なところを叱ってくれないんですか?」


 リーシャは不満たらたらだ。


<師弟関係は信頼関係だ。サクヤはオレを信じてくれているが、オレもサクヤを信じている。サクヤはサクヤのやりたいようにやればいい>


「それって無責任です。――それって目の前に落とし穴があって、本人が気づいていなくても、教えてあげないようなものです」


<オレは落とし穴があるなんて思ってねぇよ>


「はい?」


<サクヤには人を気圧けおす力がある。だから心配なんて少しもねぇ。サクヤのあなどりがたい雰囲気を前にすれば、敵兵は気圧けおされ、敵将も気圧けおされる>


「そんな精神論なんて……。実際にうまくいくわけないないじゃないですか」


<いや。うまくいくぜ。なぜならオレは、実際にうまくいっているのを見てきたからな>


 フソウは自信たっぷりに言うと、エピソードを1つ語った。


 おそらく異世界の話になるが、かつてヤマオカ・テッシュウという武人がいた。エドという大きな都市まちに敵の大軍が迫ったとき、住民を守るためにもエドを戦火から救いたいと思う。


 だから戦うわけにはいかない。守将も余計な戦乱を避けるためなら、エドをあけわたしてもよいと考えている。


 それなのに敵は戦うことばかりを考えていた。力ずくでボコらないと気が済まないと思っている。


 ならば説き伏せるしかない!


 テッシュウは敵将を説得するため、単身ひとりで敵陣に乗りこんだ。


 敵兵はテッシュウの気迫におされ、だれ一人としてテッシュウに襲いかかれない。敵将はテッシュウの心意気にうたれ、テッシュウの言葉に耳を傾けた。


 かくして敵将はテッシュウの願いを受け入れ、エドの総攻撃をとりやめている。その後の話だが、敵将はテッシュウのことを称賛した。


「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人は始末に困るが、そのような人でなければ天下の偉業は成し遂げられない」


 そんなテッシュウと似ているのが、サクヤだ。


 サクヤは金に目もくれない。ハル侯爵が恩賞として大金をやると言っても謝辞した。有力貴族から大金を見せられても見向きもしなかった。


 もちろん名誉にも興味がない。ケイオス将軍から「佐官待遇」という破格の条件を示されても入隊を拒んだ。有力貴族から立身出世をもちかけられても少しも心がゆらがなかった。


<そして、おまえもよく知っているようにサクヤは命を惜しまねぇ。いつだって死ぬ気で生きている>


「……だからサクヤ様もうまくやれるって言いたいんですか?」


<そうだ。おまえもサクヤのことを信頼して従者になったのだろ? だったら最後までサクヤを信頼してやれ。それが主従関係ってもんだ>


「ですけど……」


<おまえの信頼は、サクヤの励みになる。これはリーシャ、おまえにしかできねぇことだ。――まあ、あとはおまえが決めることだけどな>


 それだけ言ってフソウは黙った。


「……あたしにしかできないこと……」


 そう言えば、あたしがサクヤ様のためにできることは何かって、必死になって考えたことがあったな。


 結果として、サクヤ様のために共和国を裏切った。


 そんなことをしても、もうからないのに。出世なんてできないのに。裏切り者として殺されるリスクだってあるのに。


 だけど、サクヤ様を救いたいという願いをかなえることができた。


 ……。


 そっか!


 フソウさんの言いたいことが、なんとなくわかった気がする。


 それなら今のあたしにできることは――。


 いつの間にかリーシャは深い眠りに落ちていた。


 ――寝坊した!


 リーシャが目覚めると、隣にサクヤの姿はない。


 ――もう出かけちゃったわけ?


 でも、遠くから班員たちがサクヤを見送る声が聞こえてくる。まだいる。まだ間に合う。


 リーシャはあわてて寝袋を出ると、そのまま急いで声のするほうに走った。


 サクヤはきれいな軍服を身にまとい、班員たちに見送られながら騎馬にまたがろうとしている。


「サクヤ様!」


 リーシャは全力で走りながらサクヤを呼び止めた。サクヤのところまで駆けつけ、「黙って出て行くなんて、ひどいじゃないですか!」と息をきらしながら文句を言う。


 サクヤは苦笑いしながら、「おまえがあまりにも気持ちよさそうに寝ていたからな。悪気はない。許せ」と言って片手でポリポリとほほをかいた。


「まったくもう。――サクヤ様には、まだ言ってないことがあるんですからね! 勝手に出て行かないでください!」


 リーシャが憤慨すると、サクヤはついひるんでしまう。今度はどんな小言こごとを言われることやら、なんて思って笑顔をひきつらせていると、


「ご武運を!」


 リーシャは満面の笑みだ。


 サクヤは思わず呆気あっけにとられたようだったが、すぐに力強い笑顔でこたえた。


「帰るまで留守は頼むぞ」


「はい!」


 出征するサクヤ様を笑顔で見送る。サクヤ様の無事を信じて待つ。


 これがサクヤ様を力づけることになるし、これが従者としてのあたしにできることだ。


 リーシャは出立していくサクヤを見守りながら、そう思っていた。


 ◇ ◇ ◇


『闘戦経』第25章


〇原文・書き下し文


|草(くさ)|木(き)は|霜(しも)を|懼(おそ)れ、|而(しか)して|雪(ゆき)を|懼(おそ)れず。|威(い)を|懼(おそ)るるを|知(し)り、|而(しか)して|罰(ばつ)を|懼(おそ)れず。


〇現代語訳


 草木にとっては雪よりも霜のほうが怖いように、人にとっては刑罰よりも威厳のほうが怖い。

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