第4章 自分らしさを貫く

 西部方面軍から休戦について話し合おうと打診があった。


 ハル侯爵にとっては願ったり叶ったりだ。もちろん快諾したことは言うまでもない。


 話し合いの場所は、前線近くにあるファラム侯国の離宮となった。


 離宮は、首都リンデルから東に200キロほど進んだところにある。緑あふれる田園地帯の真ん中に建っている。木造2階建ての大きな洋館だ。


 大きな食堂が会見場所となった。


 ハル侯爵がスピオン宰相と3名の書記官を伴って入室すると、西部方面軍の将校5名がすでに着席していた。


 大きな長方形のテーブルを挟んで右側に西部方面軍の5名がいる。ハル侯爵たちの席は左側になる。


「われらを待たせるとは、余裕ですなぁ」


 イヤミっぽい感じのする中年の軍人が、イスに座ったままふんぞり返りながら、皮肉るように言った。西部方面軍で司令官に任に就いているジュサ・オルム大佐だ。ハル侯爵をバカにしたようにニヤニヤしていた。


 左右に2人ずついる共和国の将校も、オルム大佐に同調するようにニヤついている。だれ一人として決して立ちあがって挨拶しようとはしない。あからさまにハル侯爵を侮辱する態度だ。


(これでは話し合いにすらならないではないか)


 スピオン宰相は憤慨するが、表情には出さない。


 ハル侯爵はと言うと、平然としていた。


「このたびは和平の場を設けていただき、感謝する。両国の友好のために建設的な話し合いをしたい」


「は?」


 オルム大佐は、まるでチンピラがメンチをきるように言った。


「和平? 話し合い? こちらはただ貴国のために全面降伏を要求しにきただけですよ」


 オルム大佐は笑い、とにかく座れと言わんばかりに向かいのイスを指さした。


 スピオン宰相はムッとしたが、がまんする。戦っても勝ち目がないのだから、交渉を決裂させるわけにはいかない。


 ハル侯爵は、やはり平然としていた。すなおに着席する。


「それはそれとして、貴国の軍隊は壊滅状態だと聞きますが、実際のところどうですか? まだ戦えるのですか?」


 オルム大佐はハル侯爵を小バカにしたような口調で問いかけた。


「ボクとしては無益な争いはしたくない。だから、話し合いにきた」


 ハル侯爵は、キッパリと言った。


 オルム大佐は忌々しそうに「ふんっ」と鼻を鳴らした。


「答えになっていませんねぇ。まあ、わがほうはまもなく本国から兵器と兵員の補充があります。それから決戦といきますか?」


「戦いの話ばかりではなく、まずは和平について話し合いたい」


「しつこいですねぇ。全面降伏するのか? それとも戦うのか? それだけの話ですよ。ときに貴国も少しは補充のメドがたちましたかね? 戦う相手が弱すぎては勝ち味がわるいですからねぇ。ははは」


 オルム大佐が笑うと、他の将校たちも合わせて笑った。


「それでもボクは平和を望む。戦えば少なからず死傷者が出る。将兵をムダに死なせたくないのは貴国とて同じではないか?」


「ふふん」


 オルム大佐はせせら笑った。


「貴侯はまだ若い。すぐには返答できないでしょうから、この条件をお持ち帰りいただき、ご検討くださってかまいませんよ」


「わかった。では、貴官もボクの平和を願う気持ちを革命評議会に伝えてもらいたい」


 しかし、オルム大佐は、ハル侯爵の話を聞き流した。


「ともあれ、わがほうの補充まで、まだ時間があります。貴侯も今しばらくは考える余裕があるでしょう」


 というわけで、話し合いの結果は、惨憺さんたんたるものだった。休戦の見込みは少しもたたない。


 それでもハル侯爵は「悔いはない」と言う。


「平和を望むボクの想い、両国の友好を願うボクの想い、そうした誠意を伝えたからね」


 帰路の車中でハル侯爵は、隣に座るスピオン宰相に笑顔を見せた。しかし、どこか無理があるのだろう。目には深い憂いが見てとれる。


 スピオン宰相は、そうしたことには気づいていないふりをした。


「しかしながら、今回の結果を将軍が聞けば、きっと激怒することでしょう」


 ケイオス将軍は首都――リンデルに残り、留守をあずかっていた。


「そうだろうな」


 ハル侯爵は苦笑いする。


 そして、まるで自分に言い聞かせるかのように前を見すえていった。


「しかし、至誠は天に通じるとも言う。ボクの想いが通じれば、あのオルム大佐だって考えなおしてくれるはずだ」


 そういうハル侯爵のことを、スピオン宰相は「青くさい」と思う。


 国際関係は力学だ。有力なら優勢に立てるし、無力なら劣勢に立たされる。それが現実だ。そのことは今のファラム侯国の置かれた立場を見れば明らかだろう。


 ハル侯爵も少しは現実的になってもらわねば、侯国の将来も危うい。


(それなのに、この侯爵は誠意とか、至誠とか、そんなことばかりを言う。まったく困ったものだ)


 スピオン宰相の表情は穏やかだが、どこかひきつっていた。


「ともあれ共和国としては、わが侯国に十分その力を見せつけたので、あとは脅してさっさと戦争を終わらせたいとでも考えたのでしょう」


「力、か……」


 ハル侯爵は笑顔だが、その目はどことなく悲しげに見えた。


 その後、話し合いの結果を聞いたケイオス将軍が激怒したことは言うまでもない。


「おのれ共和国め、どこまでわれらを愚弄ぐろうすれば気がすむのか! われらを無力とバカにしおってからに……かくなる上は徹底抗戦! 一寸の虫にも五分の魂、目にもの見せてくれましょうぞ!」


 ハル侯爵は苦笑いするほかなかった。


 ◇ ◇ ◇


 サクヤの朝は早い。


 夜明けと同時にベッドを抜け出し、着替えをすますと、そのまま刀――フソウを手にしてテラスに出た。


 朝もやのなか深呼吸すると、清浄な空気が体を清めてくれる気がする。


 それにしても宮殿のテラスは広い。思いきり素振りができる。


 サクヤは軽くストレッチをすませ、フソウを鞘から抜いて構えると、連続素振りを始めた。


太刀筋たちすじがブレてるぞ>


 フソウがピシャリと言った。


「すまない。やはりフカフカのベッドで眠ると、体が甘えてなまるようだ」


<たった一晩でなまるわけねぇだろ。集中力が足りねぇんだよ。なにを考えている?>


「いやなにも考えていないが、ただこの国の行く末が気にはなるな」


<はぁ、またかよ……。この国の行く末なんて、サクヤには関係ねぇだろ>


「まあ関係ないかもしれないが、一宿一飯の恩がある以上、気にするのが義理というものだろう」


<ふむ、たしかに義理堅さは大事だな。――って、なんでオレは納得してんだ。とにかくサクヤ、おまえは修行の身だ。その辺はわきまえておけ>


「もちろんだ」


 サクヤたちが練習中に私語をしていると、テラスの下から声が聞こえた。


「サクヤ殿、朝から鍛錬か?」


 サクヤは素振りをやめ、テラスから庭を見下ろす。


 ハル侯爵が部屋着で庭園に立ち、テラスを見上げていた。


「おはよう。高いところから失礼する」


「あ、おはよう」


 ハル侯爵の応対は、どことなくぎこちない。サクヤがあまりにもフレンドリーすぎるので、とまどっているのだろうか。


 ただサクヤがフレンドリーに接してきてくれるおかげで、ハル侯爵としてはサクヤに話しかけやすかったのも事実だ。


「ときに侯爵は散歩か?」


「うん、まあ、そんなところだ。……よく眠れなくてね」


 ハル侯爵の声は、次第に小さくなっていった。終わりのほうなど聞き取れない。


「よく聞こえんぞ。――待ってろ、今そっちに行く」


 言うが早いか、サクヤは刀――フソウを鞘におさめ腰にさし、そのままテラスから飛び降りた。


 目を丸くして驚くハル侯爵。


 しかし、サクヤはなにごともなかったかのようにスタスタとハル侯爵の前まで歩いてきた。


「共和国との会談は不首尾に終わったそうで残念だったな」


「う、うん、そうだな……」


 ハル侯爵は無理して笑顔をつくった。


「だが案ずるな。窮すれば通ずると言うだろ。世の中なんとかなるものだ」


 サクヤは無邪気に笑い、励ますかのようにバンとハル侯爵の肩をたたいた。


 けっこう痛い。


 さすがは鬼神だけ……鬼神と言われるだけあって、怪力だ。


 でも、なぜか気持ちがほっこりしてきた。不思議だ。サクヤならなんでも話せる気がする。


「……ボクはまちがっていたのだろうか?」


「ん? なにがだ?」


「領民たちが安心して暮らせるようにするのが領主の務めだ。だから、平和のために全力を尽くしてきたつもりだ。それなのに……戦争になった」


 知らずハル侯爵の目に涙が浮かぶ。


「武力を控えれば平和になるって……。だが、現実には力がなければ無力だ」


「それが、どうかしたのか?」


 サクヤが無表情でそっけなく言うので、ハル侯爵は思わず固まってしまった。


「え、っと……?」


 ドギマギするハル侯爵。


 対してサクヤは、真顔で言う。


「もし畑の土が、土ではなく鉄だったら、どうなる?」


「はい?」


 わけがわからない。サクヤ殿は何が言いたいのか?


「答えてみろ」


 サクヤは険しい表情で、ハル侯爵を問いつめるように言った。


 ハル侯爵は、そんなサクヤの勢いに気圧けおされ、あたふた答える。


「畑の土が鉄だったら、役立たないのではないか? そもそも作物が育たない……」


「そうだ。土が土だからこそ役に立つ」


 サクヤは満足したのか。微笑んでいる。


「次の質問だ。刀は鉄でつくられているが、鉄が土みたいだったら、どうだ?」


「答えは同じだと思う。役に立たない。鉄が土のようにもろければ、すぐに折れてしまう」


 サクヤは満足げに笑顔でうなずいて見せた。


「よくわかっているではないか。土は土だからこそ役立つし、鉄は鉄だからこそ役立つ。侯爵よ、それは貴侯とて同じことだ」


「?」


「バスラ・ハル・ファラム侯爵は、他の何者でもなく、バスラ・ハル・ファラム侯爵だからこそ役に立つ」


 言ってサクヤは、こんな詩を紹介した。


 空気あるのは当たり前、だから空気の貴重さ目立たない。


 太陽あるのは当たり前、だから太陽の貴重さ目立たない。


 自分あるのは当たり前、だから自分の貴重さ目立たない。


「わたしたちは空気がなければ生きられない。だが、わたしたちのまわりに空気はふつうにある。だから、わたしたちはふだん空気の大切さを意識することはない。違うか?」


 ハル侯爵は、黙ってうなづいた。


 サクヤもうなづき返すと、話を続けた。


「これは自分というものも同じだ。自分にとって、自分があるのは当たり前だ。だから、ふだんから自分の貴重さを自覚している者は少ない。侯爵もだ」


 ハル侯爵は、サクヤの言いたいことがなんとなくわかってきた。それにつれ、なんとなく胸のモヤモヤが消えていくように感じた。


「侯爵は侯爵らしくやればよいのだ。自分が正しいと思うのであれば、どこまでも貫け。本気でまちがっていると思うのなら、改めろ。昔のエライ人も言っているそうだぞ」


 ――内にかえりみてなおければ、千万人といえども我は往かん。


 ――自分自身の良心に問いかけてみて正しいと思うのであれば、たとえ反対する者が1000万人いようとも自分の信念を貫いていく。


 そう言うサクヤは、自信たっぷりのドヤ顔だった。


「それから、わたしを呼ぶときは“サクヤ”でいい。“殿”付けはいらんぞ。堅苦しいのは嫌いだ」


 言いながらサクヤは、満面の笑みで侯爵の肩をバンバン叩く。


「だったら、ボクのことは“ハル”と呼んでくれ」


 と言いたいけど、なぜかハル侯爵には言えなかった。


 ◇ ◇ ◇


『闘戦経』第4章


〇原文・書き下し文

 |金(きん)の|金(きん)たるを|知(し)り、|土(つち)の|土(つち)たるを|知(し)らば、|則(すなわ)ち|金(きん)は|金(きん)たりとなし、|土(つち)は|土(つち)たりとなす。|爰(ここ)に|天(てん)|地(ち)の|道(みち)として|純(じゅん)|一(いつ)が|宝(たから)となるを|知(し)る。


〇現代語訳

 金は金としての役割をわきまえており、土は土としての役割をわきまえている。わきまえがあれば、金は金としての役割を果たすことができ、土は土としての役割を果たすことができる。

 このことからも分かるように、天地のやり方というものは、雑念がなくて余計なことに目を向けないことを大事にしている。

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