第2章 武力は平和をつくる

 ハル侯爵は、スピオン宰相に全権をゆだね、ワンパ共和国との交渉に当たらせた。


「戦争をすれば、双方が傷つく。共和国とて戦争を望まぬはずだ。理をつくして話しあえば、きっとわかりあえるはずだ。だから宰相、くれぐれも頼むぞ」


 若いハル侯爵がスピオン宰相に託した“想い”だ。


 しかし、ハル侯爵の“想い”もむなしく、ワンパ共和国との交渉は「交渉の余地はない」ものだった。


『容疑者を引き渡さないということは、ファラム侯国は犯罪国家である。ワンパ共和国・革命評議会は、法と正義と秩序を守るため、ファラム侯国に対し、宣戦を布告する』


 ワンパ共和国は一方的に宣言する。


 スピオン宰相は、帰朝後ただちに宮殿に入り、執務室でハル侯爵に向かってひざまずいた。深々と頭を下げる。


「わたくしの力が及ばず、このような事態に至りましたこと、深くお詫びいたします」


「宰相の責任ではない、ボクの不徳の致すところだ」


 ハル侯爵は努めて平静を装っていた。誠意が通じず、開戦となったことを知ったとき、もちろん愕然がくぜんとした。


 しかも、対戦相手は超がつくほどの軍事大国――ワンパ共和国だ。勝ち目のないことは、戦う前から手に取るように分かっている。


 しかし、若干15歳の少年だとはいえ、ハル侯爵も一国のトップだ。臣下の前で動揺を見せるわけにはいかない。だから、気丈にふるまっていた。


「もともと共和国が、わが侯国を侵略したがっていることは、だれもが知っている。戦争を避けられると思うほうがおかしいのだ」


「侯爵閣下のお心遣い恐悦至極きょうえつしごくに存じます」


 スピオン宰相は、さらに深く頭を下げた。


「とにかく頭を上げよ。気に病むことはないない」


「はい」


 スピオン宰相は、恐縮しながらゆっくりと立ち上がる。


「ともあれ心配すべきは領民のことだ。東部領民の避難は、まだ終わっていないのであろう?」


「はい。そのように聞いております。共和国の侵攻が想定外に早く、現時点で3割近くの領民が東部に残されている模様です」


「さて、どうしたものか……」


 ただしハル侯爵の心配は、杞憂に終わる。


 ケイオス将軍に見込みを聞くと、


「侯爵閣下もご存知のとおり、東部には要塞線が構築されております」


 要塞線は、先代の辺境伯――ハル侯爵の父が完成させたものだった。


 塹壕が縦横無尽に走り、いくつもの防御陣地トーチカが築かれ、鉄条網が広く張りめぐらされている。


 取り急ぎ阻塞気球も浮かべ、高射砲もすえつけた。航空攻撃にも対応できるだろう。


「旧式であるうえに小規模でもあり、敵の侵攻を防ぐには頼りないかもしれません。が、しかし、敵を足止めするには十分であります。ここで時間を稼ぎます」


 ケイオス将軍は胸を張った。体格がよいので、頼もしく見える。ハル侯爵もおのずと安心してきた。


「先代の“負の遺産”も少しは役に立つわけか」


 ハル侯爵は悪びれない笑顔で言った。


 ケイオス将軍は少し気になった。


(国を守る設備が負の遺産?)


 ハル侯爵は平和主義者だ。平和が善であり、戦争は悪だ。だから、戦争に関するものは、すべて悪く見えるのだろう。


 だから、要塞線も「マイナス」に見えるにちがいない。


 そんなハル侯爵のことをケイオス将軍は残念に思う。


(だが、まあ戦わずして降伏するわけではないから、よしとしよう。祖国を守るために戦う覚悟を定めておられる。それだけでも現場の将兵は報われるというものだ)


「はい。先代の遺産を活かして、必ずや領民を守ってごらんに入れます」


 ケイオス将軍は自信たっぷりに言ったが、現実はそう甘くはなかった。共和国の機甲部隊は想像したよりもはるかに強力だったのだ。


 ファラム侯国に侵攻してきた共和国軍=西部方面軍は、空から、地上から、怒涛どとうのごとく攻め寄せてきた。


 空には多くの複葉機が飛び、ファラム侯国の陣地に爆弾を落としてまわる。


 ファラム侯国の阻塞気球が邪魔し、高射砲が応戦する。複葉機としては、なかなか狙いどおりに爆弾を落とせない。多くの爆弾がターゲットをはずれていた。


 ファラム侯国の陣地が受けるダメージは小さい。


 とはいえ、1度1度のダメージは小さくても、ちりも積もれば山となる。何度も空襲されていれば、要塞線の防御施設は次第に破壊されていくだろう。


 そして、西部方面軍の複葉機は入れ替わり立ち替わり編隊を組んで飛来してくる。いくら応戦しても、きりがない。


 地上からは、多くの戦車が向かってきた。これまでの戦車よりも大きく見える。新型の戦車だろうか?


 しかし、車体が大きいということは、的としても大きいということだ。


「的が大きければ当たりやすい!」


 ファラム侯国の砲兵隊は、すぐさま戦車に向かって野砲の照準を合わせる。間髪入れずに砲撃開始――命中率は高い。砲弾の多くが戦車に命中し、炸裂する。


「ちょろいものだ」


 砲兵隊は次弾を装填して、次の砲撃を用意する。


 ところが、爆煙が晴れてみると、戦車は無傷だった。


 西部方面軍の戦車は、これまでの戦車よりも装甲が格段に分厚かったのだ。侯国軍の野砲では撃ち抜けない。


 ただ幸いだったのは、分厚い装甲のために車体が重く、戦車の足が遅かったことだ。


 もし西部方面軍の戦車にスピードがあれば、ファラム侯国軍はまたたくうちに陣地を蹂躙じゅうりんされ、あっけなく蹴散けちらされてしまっただろう。


 もっとも、それは負けるときが先延ばしになっただけで、なんの解決にもならない。


「まったく歯がたたない」


 これが侯国軍将兵のすなおな気もちだった。


 ファラム侯国が平和主義をとり、軍事をおざなりにしてきた結果、侯国軍の装備はすっかり貧相になっていたらしい。


 それでもケイオス将軍は闘志を失わなかった。


「兵器の劣勢は、工夫で乗り切れ」


 たとえば西部方面軍の強力な戦車も、走れなければただの鉄の塊にすぎない。


 そこで侯国軍の歩兵たちは塹壕に隠れ、戦車が通りかかったところで飛び出し、その無限軌道キャタピラに丸太を差しこんだ。すると無限軌道キャタピラが脱輪し、戦車も動けなくなる。


 また、分厚い装甲で覆われた戦車も、底部の装甲は薄かった。だから、地雷をしかけ、その真上に戦車がきたところで起爆すれば、戦車も破壊できる。


 こうして西部方面軍の強力な機甲部隊をやくすることができれば、防空陣地も守りやすくなる。防空陣地が健在なら、西部方面軍の航空攻撃も阻止しやすくなる。


 たとえ爆弾の直撃で破壊されても、すぐさま復旧に取りかかればよい。


「敢闘精神があれば、劣勢も払いのけられる」


 ケイオス将軍は精神論で戦っていた。


 そう言えば、薩英戦争のとき、旧式装備の薩摩軍は、最新装備をもつイギリス海軍と戦うことになった。


 薩摩軍はイギリス軍艦の強力な艦砲射撃によって、次から次に砲台を破壊されてしまう。しかし、すぐさま修復したそうだ。


 それを見たイギリス軍は、最新兵器をもちながらも、


「敢闘精神にあふれる薩摩軍には勝てない」


 そう思って兵を引くことにしたと言われている。


 こうして見ると、精神論も少しは役立つようだ。


 実際、戦場の形勢も「西部方面軍が有利」から「西部方面軍が必ずしも有利とはいえない」状態に変わってきた。


 しかし、


「焼け石に水でしょう」


 スピオン宰相は悲観的だった。


「共和国の人海戦術、物量作戦、飽和攻撃に対して、わが侯国軍は無力です。今は無理がきいても、すぐに息があがってしまうでしょう」


 軍事大国のワンパ共和国には、大量の軍需物資が備蓄され、多数の兵員がいる。


 今回の戦いでも共和国の物量の豊富さがものを言っていた。いくら空の敵を追い払っても、すぐに新手が飛んでくる。いくら戦車を撃破して、後続の戦車はいくらでもいる。撃退が間にあわない。


 しかも、平和主義のファラム侯国は、戦争をしないことが前提なので、必要最小限の軍需物資と兵員しか備えていなかった。


 この状態で戦いを続ければ、ファラム侯国の軍需物資と兵員はすぐに底をつくだろう。そうなれば、戦いたくても戦えなくなる。あとは共和国軍=西部方面軍に蹂躙じゅうりんされて終わりだ。


 実際、日数が経つにつれ、侯国軍は戦力を失っていき、後退するしかなくなる。要塞線も突破されてしまった。


 ところが、そこで西部方面軍の進撃も止まってしまう。


「戦場では鬼神が暴れまわり、西部方面軍を足止めしている」


 そんな戦場の噂が宮殿にも聞こえてきた。


 ◇ ◇ ◇


 とある侯国軍の中隊が、西部方面軍の戦車大隊に追いつめられたときのことだ。


 鬼神が現れた。


 鬼神は刀を構え、目にも止まらぬ速さで駆け、またたく間に西部方面軍兵士を斬り殺していく。戦車も一刀両断にされた。


 宮殿に届いた報告書によると、


『鬼神は華奢きゃしゃで、背は高いほうではなく、まるで女の子のような顔つきをしていた――』


 鬼神は去り際に言ったそうだ。


『安心しろ。わたしの剣は活人剣だ。悪党を殺して良民を生かす。おまえたちファラム人を殺したりはしない』


 鬼神は神出鬼没で、各所で窮地におちいった侯国軍の将兵を救っているという。不思議なこともあったものだ。


 ハル侯爵は、にわかには信じられなかった。


「これは本当の話なのか?」


「戦争は人を狂わすと言います。戦争で頭のおかしくなった将兵らの世迷い事ではありませんか?」


 スピオン宰相もハル侯爵に同調した。


「自分も最初は疑いましたが、事実のようなのであります」


 言いながらケイオス将軍が差し出した写真には、真っ二つに切断された西部方面軍の戦車が写っていた。


「これが鬼神の仕業しわざか?」


「なにかのトリックではありませんか? わたくしたちを欺くための西部方面軍の策略などの可能性も考えてみるべきでしょう」


 ハル侯爵も、スピオン宰相も半信半疑だった。もちろんケイオス将軍も同じだ。


 まあ当然だろう。いくらファラム侯国に時代遅れなところがあるとはいえ、科学の時代に迷信を盲信するほど愚かではない。


「とにかくこの件については保留しよう。今は目の前の戦争が先決だ」


 ハル侯爵が提案すると、2人の重臣も賛成した。


 今は共和国との戦争をいかにして解決するかが大事だ。鬼神とかいった迷信に関わっている余裕なんてない。


 と思っていたら、そんな鬼神が西部方面軍を退かせてしまう。


 西部方面軍の将兵は、突如として現れた正体不明の強敵を前にして恐れ、精神に異常をきたす者が続出するようになった。こうなれば戦争の継続は不可能だ。


 西部方面軍は現地司令官の判断により、いったん兵を下げ、態勢を立て直すことにしたのだった。


「まさか鬼神に救われるとは夢にも思わなかったな」


 ハル侯爵が狐につままれたような顔つきで言うと、スピオン宰相は「はい」と答え、ケイオス将軍は黙ってうなずいた。


 それにしてもハル侯爵は改めて思う。


 ――鬼神が使っているのは活人剣?


 ――悪を殺して善を生かす力?


 そう言えば以前、だれかがボクの平和路線に反対して言っていたな。


「警察があるから人が安心して暮らせるように、軍隊があるから外敵から国を守ることができるのです。武力を忌み嫌うだけでは平和は実現されません」


 これと似ているが、どうなのだろう?


「会えるものなら鬼神とやらに会ってみたいものだ。役人と軍人とを問わず、とにかく鬼神に会うことがあれば、ボクの意思を伝えるように命じてほしい」


◇ ◇ ◇


『闘戦経』第2章


〇原文・書き下し文


 |此(これ)は|一(いち)と|為(な)し、|彼(かれ)は|二(に)と|為(な)す。|何(なに)を|以(も)って|輪(わ)と|翼(つばさ)とに|諭(たと)えん。|奈何(いかん)となれば、|蔕(へた)を|固(かた)くして|華(はな)を|載(の)せん。|信(まこと)なる|哉(かな)。|天(てん)|祖(そ)はまず|瓊(ぬ)|鋒(ぼこ)を|以(も)って|磤(おの)|馭(ごろ)を|造(つく)れり。


〇現代語訳


 こちらは1とし、あちらは2とする。これでどうして両輪(2つの車輪)も1台の車のものであり、両翼(2つの翼)も1羽の鳥のものであることを理解できようか。それでは、なにが根を張らせ、なにが花を咲かせるのか、すべての根源について理解できない。

 疑いようのないことではないか。かつてイザナギという神様は、矛という武器でオノゴロ島という大地を創造している。

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