国産兵法『闘戦経』~主人公が『闘戦経』の兵法を使って、いろいろな困難をのりこえていく物語

プロローグ

 オレがオーエとかいう学者の手もとにいたときのことだ。


 すっかりジジイになったオーエは、とある満月の美しい夜、オレを邸宅のテラスにもちだしてぼやいた。


「わしの兵法も、よき理解者が見つからぬ」


 オーエは大きく嘆息して、満月を見上げた。


<そうがっかりすんなって。今はいなくても、いつかは必ず理解者があらわるもんさ>


 オレはなにげに励ましてやったんだが、するとオーエは「わが意を得たり」とばかりに喜んでいたな。


「わしもそのように思っておったところだ。今がダメだからといって、将来もダメだとは限らぬ。そこでだ。おまえを付喪神つくもがみと見こんで、ぜひとも頼みたいことがある」


<人間お得意の“困ったときの神頼み”ってやつだな>


 するとオーエは「おまえらしい言い方だな」とかなんとか言って笑った。


<で、なんだ?>


「わが兵法を後世に伝えてもらいたいのだ」


<わかった。オレに任せとけ>


 オレは気安く請けあったんだが、するとオーエはオレの刀身からだに『闘戦経』とかいう兵法を細かい象形文字で刻みつけやがった。


 あまり目立たねぇが、オレも装飾品みたいになったもんだって思ったな。


 それからしばらくして、オーエはあの世に旅立った。


 オレはというと、いろんなやつの手に受け継がれながら、あちこち流浪して数百年――いや千年以上は経過していたかもしれないな。


 とまれ実際のところ、どれくらいの時が経過したのか。よくわからねぇが、やつときたらクーデターを起こしただけでなく、オレを刃傷沙汰にんじょうざたに巻きこみやがった。


 そのときオレは宝物庫で眠っていた。なにがあったのかは知らねぇが、目覚めてみるとやつがオレを手にしていて、しかも目の前には少女こむすめが血まみれで倒れてるじゃねぇか。


<なんだこりゃ!?>


 オレはとにかく驚いたな。よりによって少女こむすめを斬り殺すなんて、とんだ恥さらしだぜ。


 やつはオレに恥をかかせやがった。怒り心頭ってやつだ。


<おい、おまえっ! オレも一応は神様だぜ。神様に恥をかかせるたぁ、どういう了見だっ!?>


 オレは怒りにまかせ、やつをボコボコにしてやった。やつがどうなったかは知らねぇが、とにかくこの少女こむすめだけは全身全霊をかけても助けなくちゃならねぇ。


 少女こむすめを斬り殺した刀、そんな汚名なんて絶対ぜってーかぶりたくねぇからな。


 とにかく必死だったことだけは覚えている。


 ◇ ◇ ◇


『闘戦経』序


【原文】

 闘戦全経者、本朝兵家之蘊奥、我家之古書也。先鬼先神智、勝陰勝陽機、不在于此書者不能。故奥羽之逆乱、察田鴻乱行伏賊。鶴岡之災変、考社鳩忽堕刺客。于爰歳月旧、蠹鼠交噛、失其伝。不知何人作述。或曰太祖宰相維時卿作。或曰太宰帥匡房卿書也。今不可考矣。観之不在登龍脱鼎湖、化鵬翥南溟者、不能爲矣。不然則鹿門隠穀城之老所記乎。盛金凾而可藏帝室。幸脱而在人間。予自幼至老、手不捨巻。雖然未曉玄妙。伝焉無人、識之無人。天寿已欲尽。故效魯論而藏于壁中。擬陰符而欲置石室。天機秀発而後世須有其人而識而巳。竊誓於神明、期此書之不朽也。大江某頓首記。


【書き下し文】

 闘戦全経は、本朝兵家に蘊奥、我が家の古書なり。鬼に先んじ神に先んじるの智、陰に勝り陽に勝るの機、此の書に在らずんば能わず。故に奥羽の逆乱、田鴻の乱行に伏賊を察す。鶴岡の災変、社鳩の忽堕に刺客を考う。爰に歳月の旧く、蠹鼠の交ごも噛み、其の伝を失う。何人の作述するかを知らず。或ひと曰く、太祖宰相維時卿の作なり。或ひと曰く、太宰帥匡房卿の書なり。今は考えるべからず。之を観るに、龍に登りて鼎湖を脱し、鵬に化して南溟に翥ぶ者に在らずんば、為す能わず。然らざれば、則わち鹿門の隠、穀城の老の記す所か。金凾に盛り、而して帝室に藏すべし。幸い脱し、而して人間に在り。予は幼なきより老に至るに、手ずから巻を捨てず。然りと雖も未だ玄妙を曉らず。焉を伝えるに人なく、之を識るに人なし。天寿にして已は尽くさんと欲す。故の魯論に效い、而して壁中に藏さん。陰符に擬し、而して石室に置かんと欲す。天機は秀発、而して後世に其の人ありて識るを須(ま)つのみ。竊かに神明に誓い、此の書の朽ちざるを期すなり。大江某の頓首して記す。はしがき


【翻訳】

『闘戦経』は、わが国の兵家に伝わる奥義であり、わが家に伝わる古書である。鬼や神に先んじるような知恵も、陰や陽に勝るような機能も、この書がなければ出せない。

 こうした兵法を学んでいたので、東北地方で戦乱が起きたとき、源義家は田んぼの鴨が乱れて飛ぶのを見て、敵の伏兵が隠れていることに気づいたのである。また、鶴岡八幡宮で暗殺が起きたとき、大江広元は森の鳩がいきなり落ちるのを見て、暗殺者がいるかもしれないと思ったのである。

 今や長い時間が過ぎ、虫が食べ、ネズミもかじり、まともに伝えられなかった。だれが書いたのか分からない。ある人は大江維時の作ったものだろうと言うし、ある人は大江匡房の書いたものだろうと言うが、今となっては考えようがない。

 その内容からして、ドラゴンに乗って鼎湖から天に昇るか、大きな鳥になって南溟へと飛び立つかするような異才でなければ、著述できないものである。そうでなければ、鹿門の隠者(天才軍師の諸葛孔明に教育をした人)か、穀城の老人(天才軍師の張良に兵書を伝えた人)の記したものだろうか。

 本来なら宝箱に入れて皇帝のところで保管すべきものであるが、幸いにして世の中に出ている。私は子供のときから老人になるまで、この書を手もとに置いて離さなかった。それでも、その深い内容を十分に理解できていない。この書を伝えたくても後継者がいないし、この書を分かっていても後継者がいない。寿命もきているが自分としては全うしたい。

 だから、かつて『論語』を守るために壁のなかに隠したようにする。まさに『陰符経』をマネして石室のなかに安置したい。天の動きはすぐれたもので、そうして後世に理解者が出てくるのをまつだけだ。心のなかで神に誓い、この書が失われないようにしたいと思う。

 以上、この書を伝える大江家の人間が謹んで記す。


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