第29話 俺があるって言ってやる
リャスミーの上空を悠々と飛ぶ竜の姿があった。
蝙蝠を思わせる翼を大きく広げて滑空する、恐慌飛竜フィランドル。背に黒い甲冑を着た竜騎士の姿もある。
「見ろ、なんという景色だ」
眼下の丘には、遺跡の中に入りきらないドニースウィードの巨体。無数の結晶に覆われた体から放たれる冷気は、上空のここでも感じられるほどだった。
冷気は放射状に広がり、土を、草を、木々を凍り付かせていく。
まるで波紋が広がるかのように、冷気が空気をも凍てつかせる。それがリャスミーにまで到達すれば、街の各所にある温泉すら、湯気が止まり、やがて硬く凍り付く。
人々は暖を取るため家に閉じこもり、あるいは見切りをつけて街からの脱出を始めている。その中には、教団に加わった者たちもいるのかもしれない。
「滅びの景色だ。いずれ、大陸中がこうなるぞ」
フィランドルが低く喉を鳴らす。人々の絶望と恐怖を味わっているのだ。愉悦そのものの光景である。
しかし。
崩れかけた遺跡の中から、不意に光が溢れた。
青みがかったその光が輪のように広がったかと見えたその直後、冷気の放射が止まった。
いや、それどころか、凍り付いた温泉が沸き立ち、激しい蒸気を噴き上げる。ところどころで地中から熱湯が噴きあがり始めていた。
「なんだと……?」
地中で眠っていた湯脈……いや、火山脈が急激に活性化したことなど、ゾランには知る由もない。
ましてや、今までそれを押さえつけてきた遺跡の機能を逆流させたのがその原因であることなど。
「竜の力を押し返すほどのエネルギーが眠っていたのか。……ふ。これは面白い」
どれほどの間、これほどの力が抑え込まれてきたのか。ドニースウィードの冷気すら覆すようなら、かえってその熱がこの一帯を滅ぼすことになるだろう。
「これ以上、ここに時間を使うわけにはいかん。行くぞ」
見物は終わりだ。フィランドルの背を叩き、首を東に向けさせる。
竜か、それとも火山か。いずれにせよ、滅亡は必至だった。
■
真機石の輝きが、壁に、天井に、床に広がっていく。遺跡全体に描かれた複雑な魔術回路が光を放ち、広大な空間を照らし出した。
一部が欠けてはいたものの、それは狙い通りの働きを示したらしい。床の底から湧き上がるような熱。氷晶絶甲竜の吐き出す冷気で生まれた霜が溶け、生み出された氷の壁にもひびが入り始めた。
熱気と冷気がまじりあい、激しい靄が広がる。
「や……った……」
全身から力が抜け、うっすらとした意識の中でキャンディスがつぶやいた。
「うん……あとは、きっとソールが」
自分より大柄なその体を受け止めながら、ロビンが答える。
視線の先。白い靄の中で、巨人機のシルエットが巨大な竜と対峙していた。
「ウィード、君は何度も言ったな。俺には君のことはわからない、って」
バーンの赤い瞳が、靄の向こうの竜を見据える。晦冥騎士に貫かれた右肩は依然、そのままだ。
「確かにそうだ。俺には君のことはわからない。でも、わかろうとわかるまいと、そんなことは関係ない!」
左拳。盾が再び炎を発し、巨人機が駆け出す。立ちはだかる氷の壁を拳を振るって砕きながら、竜へと迫る。
『来るな……!』
竜の巨大なあぎとが再び開かれる。大小無数の、結晶のような牙が生えそろったその口から猛吹雪のような冷気が吐き掛けられる。
対する巨人機は盾を掲げ、それを受け止めた。
「捨て鉢になって自分の身を投げ出したって、そんなことで生きた証は立てられやしないんだ!」
盾から噴きあがる炎が、冷気を押し返す。床からわきあがる熱気がバーンの助けとなっていた。それだけではない。明らかに、竜の吐く冷たい息はその力が弱めている。
竜の力の源である恐れが、絶望が、減じているからだ。
「そうか……」
思わず、ロビンはつぶやいた。
「あの竜の力の源は、ウィードの魂……ウィードの絶望なんだ」
竜の巨大な喉元の結晶に閉じ込められた男。その魂に、間違いなくソールの声が届いている!
「
冷気の息を押し返すように、バーンが猛火をまとった盾を放つ。火球と化したそれは、竜の息をものともせずにその口の中へ飛び込んだ。
竜の口の中で猛火が暴れまわる。冷たい息はかき消され、もはや竜と巨人機の間を阻むものは何もない。
「夢も、希望も、失われちゃいない!」
バーンが走る。赤いマントをはためかせ、巨大な竜へと、一直線に。
竜の首めがけて、跳ぶ。無策に、ただ手を伸ばして。
「君の居場所も、進むべき道も、今は見えなくたって!」
巨大な結晶に、バーンの掌が触れた。
びしり、とひびが走り、その中に捕えられた男の姿がいくつにも分かれて映った。
「独りじゃ信じられないっていうのなら……」
そのどれもが、目を閉じ、下を向いていた。それでも、バーンはまっすぐに彼を見つめていた。
「俺があるって言ってやる!」
■
結晶が砕け、無数の破片が光を反射して輝いていた。
バーンの手が竜の喉を突き破り、男の体を掴んでいた。
「彼を返してもらうぞ!」
途端、竜の巨体が震え、苦しむように大きく吼えた。全身を覆っていた結晶が崩れ落ち、半分にも満たない大きさに縮んでいく。氷甲竜ドニース、本来の姿なのだろう。
竜はもだえながら、体を反転させる。丘の下、リャスミーの街へ向かって突進するように駆け降りていく。
「あいつ、街を襲う気だ!」
思わず叫ぶロビンの前に、バーンの左手が差し出された。
「ロビン、彼を頼む」
「ソール、その腕じゃ……」
その手の中で力なく気を失ったウィードをアームで受け取りながら、不安げにつぶやく。剣を振るう右腕が動かない状態では、両手を用いた
「何とか、やってみるさ」
バーンが振り返り、駆け降りる竜を見下ろした。
「
左手に現れる盾が投げ放たれる。だが、その軌道は竜に届かず、大きく旋回しながら、投げたバーンのもとへ向かって来る。
「
いつものように右手ではなく、左手に剣が生み出される。まっすぐに構え、その剣で飛来する盾を貫いた。
二つの装備が繋がり、不格好な扇のような形を作り出す。本来なら、これを両手で構えるのが大灼炎剣の体勢である。しかしその重みは左腕だけでは支えきれず、体が前へと傾いた。
「やっぱり、片手だけじゃ……」
「いや、これでいい」
バーンはそのまま駆け出していく。斜面に落としたその剣の上に、巨人機は体ごと飛び乗った。
「あ、お、おい!?」
思わぬ行動に、思わず声をあげるロビン。それにかまわず、バーンは左足を前に、右足を後ろに。体でバランスを取りながら、剣をソリのように乗りこなして巨人機が斜面を滑り降りる。
『おびえるな。恐れるな。』
剣と盾の間から、激しく炎が噴きあがる。猛烈な噴射がさらに速度を増し、斜面の砂を溶かして軌跡を描く。
『たとえ夜が来ようとも、』
斜面を走る竜の背が、急速に近づいてくる。その体が街へと突進するよりも早く、滑走するバーンが追い付いた。
『闇に囚われることはない。』
激突の直前、バーンが飛び上がる。巨大な火矢のように飛ぶ剣が、竜の硬い甲羅へと突き刺さる。
『汝が我を掲げる限り!』
間髪入れず、左腕がその柄を握り、巨人機の全体重をかける。クギを打ち込むように、竜の背に、根元まで大剣が突き入れられた。
「
竜の体内で、猛烈な炎が暴れまわる。肉を焼き、結晶を砕き、ついには全身を貫いて、喉を焼き払いながら、首から炎を噴き出させた。
竜の全身がひび割れ、跡形もなく砕け散る。
リャスミーの人々は見た。灰と化した竜が風に吹き飛ばされる中、傷だらけになりながらも立つ巨人機の姿を。
マントをたなびかせ、白い装甲に陽を受けるその姿に、人々は思わず、喝采の声をあげた。
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