第27話 氷晶絶甲竜ドニースウィード
「それで、竜はここに封じられてるのか?」
ウィードが腰に手を当てながら、相変わらずの青白い顔で聞いた。
「そうだ。竜はここにいる」
竜騎士ゾランが男に近づいていく。
「だが、その前に、確かめておきたいことがある」
先ほどまで巨人機での戦いを繰り広げていたはずなのに、疲労も興奮もまるで感じさせない声音。
「なぜ、巨人機を奪えなかった?」
陽光に背を向けたゾランは、まるで人の形をした闇のようにウィードの前に立っていた。バケツを思わせる兜の奥には、ぞっとするほど冷たい眼光が男に向けられている。
「こ、こうやって連れてきたんだ。あんたの邪魔者は排除できた。それでいいだろ?」
「もちろん、構わんさ。だが、なぜ失敗したのかを聞いてるんだ」
ゾランが一歩、ウィードに歩み寄る。思わず、男はその分後ろに下がった。
(妙だ)
床に押さえつけられたまま、ロビンはそのやり取りを眺めていた。
(竜を解放するなら、さっさとすればいいのに、竜騎士は何をしてるんだ?)
胸が抑えられて、呼吸が苦しい。背中に背負った作業アームごと押さえつけられているから、うまく体が動かせない。
「それは……の、乗り手がもう一人いるなんて、聞いてなかったんだ。あの女に魔法で邪魔されて」
「気づかれずに盗み出すこともできなかったか」
さらに一歩。ゾランの迫力に圧され、ウィードが光の届かない暗闇へとさらに入り込んでいく。
「な、なんとかなったんだから、構わないだろ」
「ああ。そうだな。お前がいなくてもなんとかなった」
ウィードの背が壁に行き当たる。壁と巨体にはさまれ、青白いウィードの顔にはっきりと感情が浮かび上がった。
恐怖だ。
「お、おれは……」
「そうだ。お前は始めから必要なかった。もう、何もしなくてもいい」
手甲に覆われた手が、ウィードの薄い胸板に触れる。男はもはや、身動きもとれない。
「その男の話に耳を貸すな! ウィード、逃げるんだ!」
ソールの声。焦りと不安がにじんでいる。
(何か……何か、恐ろしいことが起きようとしてるんだ)
耳の奥がきゅうっと痛むような、そんな予感を感じて、ロビンは顔をしかめた。
少しでも。その何かを止めるために抵抗せずにはいられなかった。
「おい、黒オバケ! 今はそんなこと話してる場合じゃないだろ。みんながバーンに気づいて、集まってくるぞ!」
遺跡の壁を壊し、外へと倒れたバーンの姿は街からも見えるはずだ。
しかし、その声を聴いても竜騎士は動じない。
いや、叫びは竜騎士に聞かせたように見えて、そうではなかった。
ロビンを抑え込む手から、力がわずかに抜けた。動揺しているのだ。
彼らはウィードと同じく、この街の住人だ。集まってくる人がもし知り合いだったら。もし顔を見られたら。その想像が頭をよぎったのだろう。
(今だ!)
その一瞬の弛緩に合わせて、ロビンは息を吐き、全身の筋肉を使って跳ね起きた。緩んだ手につかまれていた手を解放すると、転がりながら作業用アームを限界まで引き伸ばす。
「キャンディス!」
「きゃ、んっ……!」
羽交い絞めにされたままのキャンディスのケープの中にアームを突っ込む。膨らみをぐっと押しのけ、内側に吊るされた
「このガキ……!」
反応を一瞬遅らせ、ロビンを押さえつけていた男が迫る。だが、司書の手の中へ、アームがワンドを手渡すほうが早かった。
「スター!」
ぱっと、閃光が散った。キャンディスのワンドから目をくらますような輝きが溢れる。光弾がまずは羽交い絞めにしていた男を、そしてロビンを追う男に命中し、その体をしびれさせる。
「ふ、っ……!」
その隙に拘束から脱出したキャンディスが、輝く杖を掲げて男たちに向き合う。その隣に、ロビンが位置どった。
「ゾランを止めなきゃ!」
「もちろんです!」
魔法の輝きが、壁際の竜騎士へと放たれる。だが、甲冑を着こんだ男は振り向きもせず、マントを広げてその輝きを打ち払った。
「邪魔をするな。これから、最強の竜を見せてやろうというのに」
ゾランが低く告げる。キャンディスの周囲を囲むように男たちが剣を抜き放っていた。
竜騎士は再びウィードに向き直り、その頬に手を添えた。まるで、子供に言い聞かせてやるように。
「お前は悪くない」
囁き声。責め立てていたのとは違い、今度はどこか甘い響きが含まれている。
「この社会にはお前の居場所がなかっただけだ」
「だ、だから、あんたがこの国を亡ぼす手伝いをしようと……」
「そうじゃない」
兜の奥から、竜騎士の暗い瞳が男を見つめる。
「滅ぼすのはお前だ。お前になら、それができる」
「でも、どうやって……」
「お前は何もしなくていい。ただ身を任せるんだ」
ゾランの掌が、ウィードの胸に触れる。ドクン、とその胸が激しく震えた。
「あ、っく……ぁあ……!」
苦悶の声。背筋が逸らされ、その胸に異様な紋様が浮き上がる。
「あれって……」
「彼の体に何か、魔法がかけられてる? ……いえ、体じゃなくて……」
ゾランが再び、剣を抜き放つ。
「ダメだ、ウィード! 自分を保つんだ!」
ソールが叫ぶ。だが、床へと杭打たれたかのように突き刺さった剣は、今もまだ抜けない。
「お前の血の中に眠る竜へ、魂を捧げるのだ」
無情に、刃が振り下ろされた。
「が、う、ぁ、あああああああああっ!」
ウィードの悲鳴が響く。浮き上がる紋様をその胸ごと縦に切り裂かれ、花弁が舞い散るかのように鮮血が噴きあがった。
「っ……!」
思わず、キャンディスが目をそらす。だが、ロビンはその後に起きることもまた、見ていた。
切り裂かれた傷をふさぐように、ごつごつした岩のような鱗が現れ、全身を覆っていく。
飛び散った血がボコボコと形を変え、その中から肉が、骨が、そして鱗が現れ、ウィードの全身へと絡みついていく。
急激にその質量を増していく様は、魚の卵の中で稚魚が形を成していくのに似ていた。だが、その何倍も醜悪で、そして破滅的だった。命が生まれるのではなく、潰えようとしているのだから。
「竜には魂がない。だから、人の血へと封じるのは簡単だ」
ゾランがその様を見上げながら、満足げにつぶやく。
「しかし、ひとたび竜の力をひとの魂を受け入れれば……魂を得てさらに力を増す!」
竜騎士は笑っていた。その視線の先で、巨大な……巨大すぎるほどの新たな竜が生まれる姿を見上げて、高く笑っていた。
「氷甲竜ドニース! いや、新たな名を授けよう! この国を滅ぼした存在として、お前の名は語り継がれるだろう!」
あまりにも巨大すぎるその体は、遺跡の壁の一角を壊し、陽光がその体を照らす。
その体高ですら、10ルーメットはくだらない。質量はおそらく、プルブルドゥムを三体合わせたよりも、さらに重い。
四本の足を持つその竜は、全身が無数の、不揃いな結晶に覆われている。それが甲羅のように体を覆い、常に擦れあって甲高い、キンキンという音を立てていた。
むちゃくちゃにツノの生えた顔には落ちくぼんだ目と巨大な口。その口は閉じきっても隙間が生まれ、その合間からは絶え間なく冷気がこぼれだしていた。
そして、喉元に突き刺さるように生えた結晶の中に、小さく体を縮めた男の姿。ウィードの肉体が、丸ごと捕らえられているのが分かった。
「氷晶絶甲竜ドニースウィード! 私に見せてくれ、魂を得た竜の力を!」
哄笑。無慈悲な間での存在感を放つ竜はゾランを一瞥した後、ゆっくりと目を閉じた。手足を丸め、動く気配すら見せない。
「……くく、そうか。そうだな。ここがお前の居場所なら、動く必要はない。お前がここにいるだけで、この国は亡びるだろう」
竜騎士がマントを翻し、竜が崩した壁から外へと歩き去っていく。
残された教団の男たちは、明らかにうろたえていた。
「命が惜しければ、お前たちも逃げたほうがいい。わかるだろう」
冷気。
竜の口から、結晶の隙間から、凍えるほどの冷気があふれだしている。ただの一歩も動かない竜の足元から霜柱が床を覆い、あるいは地面を凍らせていく。
昼間だというのに、真冬の夜のように気温が下がっていた。
この冷気の中で人が生きていけるわけがない。一晩のうちに、リャスミーは凍り付くだろう。
男たちはそれを悟り、竜騎士の後を追う。このまま、別の国へと逃亡するつもりか。それとも、町に戻って平然と家族の前に姿を表し、一緒に逃げるのだろうか。
「そんな……」
キャンディスが声を漏らす。フロラーグとは比較にならない巨大な姿。
「キャンディス、バーンを!」
「……はい!」
心を覆いかけた恐怖を、ロビンの声が打ち払う。杖を掲げ、叫んだ。
「
輝きの中から現れる巨人機。ローブを翻しながらバーンへと駆け寄り、その体に突き刺さった刃をつかむ。
「あ、っく……なんて重い……!」
スターの力では、持ち上げるのがやっとだ。ようやくそれを床に投げ捨てると、黒い靄となって消え去った。
「……く、そ。すまない……!」
うなるソール。右肩……剣を持つべき腕が、力なく垂れている。
「ソール、その傷じゃ戦うなんて!」
震える体を抱き、白い息を吐きながらロビンが叫ぶ。すでに遺跡の中は真冬のように寒い。
「いや、時間が経てば、あたり一帯が凍り付く。そうすれば、ますますこいつを倒すのは難しい……」
バーンの赤い瞳が、竜を、ドニースウィードの喉元の男を見つめていた。
「ここで、彼を救う」
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