第17話 闇を照らす剣

 竜の襲来を告げる狼煙のろしが上がったのは、時計の針が夜の3時を指したころだった。

 王都に危険を知らせる警報が鳴り響き、静かな夜は一転、再び恐怖が押し寄せた。

 人々は色濃い竜の記憶に震えながら、街を囲む壁から離れ、港へと歩いた。竜に対して、模造機すら持たない人間にできることはない。乗り手以外の衛兵はすべて、市民を誘導する役目を負った。


「この国にとって、百年に一度の苦難の夜だ。だが、恐れることはない」

 カンドゥア国王オーランドはせめて人々の心を奮い立たせるため、声をあげていた。

「竜を討つために、巨人機が我らとともにある。諸君も見ただろう。あの雄姿を!」

 竜は恐怖と絶望を貪る。だからこそ、皆の恐れを取り除かなければならない。

「我が娘、アリーナとマリーナが巨人機とともに戦う。戦い、勝つことが彼らの使命なら、諸君らの使命は再び明日を迎えることだ」


 オーランドが立つのは、いつも演説を行う宮殿のバルコニーではなく、港に面した倉庫の前だ。普段は執務に追われ国民の前にあまり姿を見せない国王がいるとなれば、それを見るために集まってくる民もいる。

 オーランドが演説をしたところで、竜への脅威が消えてなくなるわけではない。

 だが、カンドゥアは歴史と伝統を重んじる国だ。

 この苦難の夜に何もしなかった愚かな王と、歴史に記録されるわけにはいかない。

 明日からもこの国の歴史が続くことを、オーランドは信じていた。

「約束しよう。日が昇るまでに、いや、西の空に一つ星が輝くまでに、竜の脅威は取り除かれるだろう!」



 ■



 はじめに感じたのは、地鳴りだった。

 城門の前にひとり立つソールは、腰の剣に手を添えた。柄に埋め込まれた機石が、竜の接近を感じて輝きを増す。

「十、二十……もっとか」

 夕方、街を襲った竜は五匹。

 地鳴りは、その五倍はいるだろう竜が、一斉に街へ向かって走ってきていることで起きているのだった。

「少し、見積もりが甘かったな」

 国王に「三倍はいるだろう」と告げたことを思い出して、剣士は自嘲した。


 ソールの背後にそびえる城門は固く閉ざされ、街を囲む城壁の上にいくつもの模造機が並んでいる。

 左翼にはアリーナの黄色の模造機が、右翼にはマリーナの空色の模造機がそれぞれの中央に立っている。王族は危急の際に市民を守るためにいるのだ……という、いささか古典的な高貴なるものの義務ノブレスオブリージュを信じているのだ。

 模造機たちは機械弓を手に持っている。もちろん、模造機サイズだ。群竜は小型だ。矢でも十分にダメージを与えられる。


 地鳴りが地響きに変わった。暗闇の奥、いまだ竜の姿は見えない。

 ソールは振り返り、模造機に乗った勇敢な兵士たちに向き直った。

「俺は竜を倒すためにいる。君たちは違う。君たちは、国民を守るためにそこにいる」

 ゆっくりと、剣を抜く。壁に掲げられたいくつものランプの明かりを反射して、ぎらぎらと刀身が光っていた。

「もし、竜が壁を登ろうとしたら、全力でそれを防いでくれ」

 再び、闇に向かい合った。自分の長い影がいくつも伸びる。背中に光を浴びるのは、心強かった。


「暗い夜だが……」

 すっと息を吸う。剣を構えて、ソールはその名を呼んだ。

灼熱剣士バーンソードマンがともし火になる!」

 輝きが機石からあふれ、巨人機が姿を表す。幼児を大きくしたような、胴が短く頭が大きな体つき。白い甲冑はランプの明かりを反射して、鈍く光っていた。


「燃えろ、炎剣フレイムソード!」

 巨人機が掲げた剣が、その名にふさわしく炎を放つ。刃にまとわりつく炎は、巨大なたいまつとなって辺りを照らした。

 瞬間、その明かりの中へ、幾匹もの竜が飛び込んできた。

「狙いは粗雑で構いません!」

「我らが先手を取るのです!」

 王女らが声をあげ、左右それぞれ十五機の模造機が機械弓を構えた。


「撃てっ!」

 二人の声が見事に重なる。三十本の矢が同時に放たれ、竜の群れへと突き立っていく。

 そのうちいくつが的を捉えたか。確かめる前に、バーンソードマンは走っていた

「おおおっ!」

 雄たけびとともに、炎を噴き上げる剣を横凪に払う。手ごたえ。竜を一匹焼き払い、また別の一匹に剣を突き立てた。

 だが、先手が有利につながったのはそこまでだった。


 くるるる、る、くるるる。

 竜の声が不気味に響きあい、バーンを包囲する。掲げられた炎の光を避けるように、目のない竜が大きな円を描く。

 左右から同時、二匹ずつが飛び出した。盾を掲げ、剣を突き出すも、それでふさげるのは二体だけだ。ヘビのような首の先、無数の牙が生えそろったあぎとがバーンの両腕にかみついた。

「ぐ、あああっ!」

 鋼の腕に、竜の牙が食い込む。痛みがソールの魂に響いた。魂と肉体を巨人機につないだソールには、バーンの傷がそのまま伝わるのだ。


「斉射!」

 王女たちの声に合わせ、バーンにかみつく二匹の『子』に向け、壁の上から一斉に矢が放たれる。

 その平べったい胴に矢が突き立ち、竜は灰となって崩れ落ちる。だがすぐに、包囲の中から別の竜が飛び出してきた。

「くそっ!」

 バーンは大きく剣を振るいながら、背後へと跳び退った。群走破竜フロラーグは再び、バーンを包囲する。


(くそっ、この数を相手にしてたら、おそらく……)

 バーンの魔力が尽きるか。それとも、竜の爪が機石を砕くか。

 いずれにしろ、長くはもちそうにない。

(防戦では勝てない。それなら……)

 右から、左から。あるいは上から、前から。何匹もの竜がとびかかってくる。

 それをかわし、あるいは盾でいなしながら、徐々に後ろへ追いつめられていく。


「親を叩く!」

 群竜は一匹の親と、それによって生み出される子によって成る。

 親を討てば、子は力を失って崩れる。少なくとも、ソールが以前に戦った相手はそうだった。

(あの時は、二体がかりでようやく倒したけど……いまだって、俺には仲間がいる!)

 背後からの第三者。狙いはバラバラだが、竜たちが一瞬、動きを止めた。


 バーンは深く腰を落とし、前方に盾を構える。

灼突進ヒートチャージ!」

 気合の声をあげながら、マントをひらめかせて前方へ一気に突っ込んでいく。機石が赤く輝き、盾から放たれる力場が前方の竜を押しのける。

 駆け抜けながら、盾の向こうをにらみつける。竜の群れの背後に守られるように、ひときわ巨大な影があった。


(見えた!)

 長い脚は子よりも太く、凶悪なかぎ爪は地に食い込んで体を支えている。

 平べったい胴体の下腹に、白いふくらみが並んでいる。まるで醜悪な腫物のようなそこから、おそらく『子』を増やすのだろう。

 ヘビのように長い首は高く伸ばされ、バーンを見下ろしていた。その先には、不気味にも二つの口が縦に並び、ガチガチと不規則にかみ合わされている。

 怒りを込めて、バーンは左手の盾から右手の剣へと魔力の集中を切り替えた。


「くらえっ!」

 ごう、と炎を噴き上げる剣が降りあげられる。フロラーグの『親』へと振り下ろそうとしたとき……

 くるるる、る、くるるる。

 横合いから、何匹もの『子』が飛び込んできた。『親』を守る壁になるように……いや、まさに壁になるために!

 刃が生々しい感触に押しとどめられる。三匹の子竜を引き裂きながら、バーンの機石の中でソールは歯噛みした。


「まずい……!」

 親竜の長い首が振り下ろされる。その首がハンマーのように、バーンの巨体を打ち付けた。

「ぐ、ああっ!」

 衝撃に足が大地を離れる。腹部の装甲をへこませた巨人機が大地に転がった。

 転がりながらも、ソールは素早く膝をつき、全身を覆い隠すように盾を構えた。どんな攻撃だろうと、初撃は間違いなく防げるはず……だが。

 追撃は……ない。


 くるるる、る、くるるる。

 親が不気味に甲高い声をあげる。子竜たちは、一斉に壁へと向かって駆け出した。

「……しまった!」

 ソールが叫ぶも、もう遅い。竜は巨人機よりも、模造機たちを、そしてその背にいる人々を苦しめることを選んだのだ。

「撃って!」

 三十機の模造機が、矢を放つ。

 命中を確かめている暇はない。即座に、機械弓を足元へと捨て、代わりに背に負った槍を抜いた。


「竜に壁を登らせてはなりません!」

「一匹たりとも、中に入れないで!」

 模造機たちによって守られるその壁へ、まるで雪崩のように竜の群れが一斉に突っ込んでいった。



 ■



「友達なんだ。傷つけたくない」

 ロビンは、階段の上へ立つ男へ向けて、手に持ったランプを放り投げた。

 黒い鎧の男は大きな掌でそれを受ける。

「先に入って。オレが話を着ける」

 ついに開け放たれた扉を示し、少女がオレンジの瞳を階段の上へ向けた。

「好きにしろ」

 甲冑の男はふたりの話になど興味がない、というように、階段を下り続ける。


「今更、話すことなんて……!」

 キャンディスは恐れに震える声で、必死に虚勢を張った。そうしなければ、今すぐにでも腰が抜けてしまいそうだった。

「あんたにとって、この禁書架がどんなに大切なものか、わかってるつもりだよ。でも……」

 黒い甲冑がロビンの隣を横切る。何十年……いや、あるいは百年以上もの間、無断で立ち入ったものなどいないその場所へ、男はあっさりと侵入した。


「オレにも、この扉を開けなきゃいけない理由があったんだ」

 少女の細い手が、扉に添えられる。

「巨人機のことを知るため? オーランド様は遠からず、許可を与えてくださるはずです」

「違う」

 ロビンは唇を噛み、必死にこぼれそうになる叫びをこらえた。

「だったら……」

するためだよ」

 そして、そのまま、分厚い扉を


 音もなく、禁書架の扉が締められる。ここが勝負だ。ロビンは素早く身をひるがえし、先ほど開けたばかりの錠を、同じ要領で再び施錠する。

 わずか一瞬遅れて、その扉の向こう側から、どん、っと重い音がした。

「……は、え?」 

 きょとん、とするキャンディスに背を向けたまま、もう一方の鍵穴にも金属板を差し込み、錠をかけた。

 どん、どん、と男が扉をたたくが、硬い扉と錠はしっかりと閉じたままだ。


「オレの協力があれば開けられるってこいつは言ったんだ。つまり、オレがいなきゃ開けられないってことさ」

 服の埃を払いながら、ロビンは口元に笑みを浮かべた。『にやり』と音がしそうなほどの、改心の笑みだった。

「行こう、キャンディス。オレ、誰が乗り手にふさわしいか、分かった気がするよ」

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