第7話 青いドレス

「いやぁー、食った食った。ごちそうさま」

 皿を積み上げて、満足げな表情のソールが腹を押さえる。

 連れて来られたのは、工夫たちのように、若い男がよく訪れる店、ということだろう。ソールが昨日訪れたホテルほど高級ではないものの、とにかく量が多い。

「いい食べっぷりだなあ、乗り手さん」

「ソール、でいいよ。乗り手っていうなら、君も模造機の乗り手だろ」

 ヒゲの男に対し、ソールは首を振る。男はどうやら、このあたりの工事夫たちのまとめ役の一人らしい。

 ソールのおかげで工夫たちもけがを負わずに工事を続けられたのだから、気前よく食事をおごってくれた。


「オレたちゃ工事のために模造機を使うだけで、あんなふうには戦えませんからね。大したもんですよ、本当」

「いや、それほどでもないさ」

「謙遜することはないですよ、何せ……」

「謙遜じゃない」

 その声があまりに静かに告げられたので、男は言いかけた言葉を詰まらせて押し黙った。


「ああ、いや、こっちの話だ。それより、壁の様子は?」

「ああ、とりあえずは平気です。模造機のおかげで。もっと細かい修復は必要ですが、魔物が簡単に乗り越えたりはできません」

 よかった、とソールはうなずく。

 外はすでに夕暮れ時だ。「暗くなるまでに帰る」という約束だから、あまり長居はしたくないが……


「本当に、酒はいいので?」

「ああ、本当に飲めないんだ。代わりに、そうだな……もう一品、頼んでもいいか?」

「なにを今更。好きなだけ食ってくださいよ」

「それじゃあ……」

 やがて、注文したパンナコッタが運ばれてきた。ぷるんと揺れる白いデザートに、ソールが目を輝かせる。

「おおっ!」

 スプーンですくい上げて、ぱくりと口の中へ。

「んー……っ♪」

柔らかな甘みが舌の上で広がり、乗り手は満足げに声を漏らした。


「……それで、聞きたいんでしょう? あの子のことを」

 工夫が、そんなソールを眺めながら切り出した。

「気づいていたのか」

「さっきも、聞きたそうにしてたじゃないですか」

「はは……いや、つい、気になってさ。彼女、一体なんであんなに邪険にされてるんだ?」

 問いかけられて、男は目を伏せる。何から話せばいいかと考えるかのように、その目は過去の光景を思い出していた。


「あんまり、あの子にとっても、この町にとっても、いい話じゃないんだ。俺が話したなんて、言わないでくださいよ」

「俺は旅人だ。明日にでもこの町を出ていくさ」

「なら、話しますがね……」

 ソールはスプーンを咥えたまま頷く。ちなみに、口の端にはパンナコッタの切れ端がくっついていた。


「あの工場は、もともとアルヴァロって爺さんが住んでたんです。昔は有名な技師だったらしいが、どういう経緯でこの町に来たのかは誰も知らねえ。でも、とにかく腕がいいんで、オレのおやじもよく世話になってた」

 ずいぶん昔から、あの工場はあそこにあったらしい。数十年、というところか。

「妙な爺さんで、時々アルヴァロを訪ねてよくわからないやつが来たもんだ。カタギとは思えない旅人や、鎧甲冑の団体や……」

 たぶん、とソールは考えた。たぶん、巨人機の乗り手だろう。腕の立つ技師にしか直せない損傷はあるものだ。


「あの子も、そんな連中の誰かが、あの爺さんに預けていったらしい。誰かは知りません。爺さんは気難しいし、みんな、妙な客とかかわりあいになろうとしなかったから」

 とにかく、乳離れしたばかりの子供を、誰かがアルヴァロの工場に預け、それ以来彼女はここで暮らしている、とのことだ。

「それは、確かに変わってるけど、それだけじゃ、あそこまでは……」

「ええ、それだけじゃ、嫌われるほどのこっちゃない。問題は、その数年後です」

 男は言いにくそうに口をもごもごさせてから、深くため息をついた。


「この町でも、毎年秋に祭りがあります。祭りは、その年の収穫と……それから、子供が7つまで無事に育ったことのお祝いもします。その年、ロビンも7つになりました。少なくとも、アルヴァロ爺さんの話では」

 空の色は、徐々に茜から紫に変わろうとしている。

 暗くなるまではあと少しだろう。だが、話をここで終わらせるわけにはいかなかった。



 ■



「よし、こんなもんか?」

 バーンの体内を不可思議に走り回る魔術回路を整えて、ロビンは額の汗をぬぐった。

「ちゃんとできてなくても文句言うなよ。お手本が悪いんだ、お手本が」

 帳面に描かれた図面を叩きながら、ロビンは唇を尖らせる。とはいえ、精巧に描かれた図面は、整備の上で大いに役立った。問題は、「荒々しく」だとか、「シャープに」だとか、妙に感覚的な書き込みが散見されることだ。

「魔法ってさ、よくわかんねえんだな」

 論理的に動く機械よりは、芸術に近い。そんな感性をろくに身に着けていないロビンにとっては、こんなに神経をすり減らす整備は初めてだった。


「それじゃ。試してみるか。えーと……」

 一通りの整備を終えて、再び帳面を確かめる。そうして、端っこに書かれている文字を読み上げた。

「バーン、戻れ!」

 横たわった巨人機の体が、ぱっと光の粒子へと変わる。一瞬ののちには、鞘のような盾に収まった剣が、ふわふわと空中に漂っていた。


「……お前、すごいなあ」

 思わずつぶやいて、その剣を手に取る。ずしりと重い。ソールは腰に差していたが、ロビンにとっては両手で抱えるのがやっとだ。

 目の前には、剣の柄。そこには赤い機石がはめ込まれている。大きさは違うが、バーンの胸にあったのと同じ石に違いない。


「巨人機には魂があるっていうけど」

 それを見つけられないかと目を凝らしてみるが、そこには自分の顔が映り込むばかりだ。

 しばらくそれを見つめてから、ふと妙な感覚がした。

「オレって、こんな顔してたっけ」

 思い返してみれば、「部屋」にある割れた鏡でしか、じっくり自分を見つめることはなかった。

「なんか、女みたいだな」

 当たり前と言えば、当たり前、なのだけど。それは不思議なことのように思えた。


 ロビンは捨て子だったし、アルヴァロの工場は町の隅にあったから、ほかの子供たちと一緒に遊ぶ、ということもほとんどなかった。

 アルヴァロはほかの大人と比べてもたくさんのことを知っていたし、ロビンだって、自分がほかの子供たちより頭がいいと思っていた。だから、遊ぶなら人間より、機械を相手に整備をしていたほうが楽しかった。


 ――7年前の祭りの日。

「お前も行ってきなさい」

 という、爺さんの言葉にひどく驚いたことを覚えている。

「いいよ。オレは、よそ者だから」

「よそ者じゃあない。町の仲間だ。行って、楽しんでくるといい」

 今思えば、アルヴァロはロビンを町に打ち解けさせたいと思ったのだろう。ひどくぶっきらぼうな言い方だったから、きっと自分がいると邪魔なんだろう、と思って、ロビンはしぶしぶ町の広場まで歩いた。


 広場には、たくさんの人がいた。大人は酒を飲んで歌い、子供は着飾って踊っていた。

 なんてことだ、と思った。

 ロビンはその時まで、ついぞおしゃれをしたことがなかった。

 作業着の切れ端を縫い合わせて作ったような格好で、水色や黄色のドレスを着た女の子たちの前に出ていったら、どんなにか笑われることだろう。

 想像しただけで顔から火が出そうだった。


 そんなことはできない。

 だから、

 だから……



 ■



「その時、彼女はドレスを着てきたんです。確か、青いドレスを」

 男が言いにくそうに話を続けている。ソールはパンナコッタの最後のひとかけを口に運んだ。

「そんなもの、あの工場にあったとは思えないけど……」

「もちろん、ありませんよ。だから、その……」

 言いにくそうに、男が視線を伏せる。


「手先が器用だったから、誰かの家の鍵を開けたんでしょう」

「そうか。それは……」

 その後のことは、男は何も語らなかった。ソールも、聞く気にはならなかった。

 子供がやったことだからと、大人は納得できたのかもしれないが、当人たちにとっては……。

「それ以来ですよ。あの子は髪を伸ばそうとしないし、あんなしゃべり方になって。爺さんゆずりで腕はいいし、模造機の整備は任せられます。でも……」


 男の目が不安げに宙をさまよっている。

「みんな、不安なんですよ。あの子の良心を信じられなくて。もし十分な理由があれば、また……」

「わかった。もういいよ」

 手を掲げて続きを押しとどめ、ソールは立ちあがった。

「ごちそうさま。うまかったよ」

 それだけ告げて、食堂を後にする。


 周囲はすでに暗かった。今日もまた、鷲獅子が町を見下ろしている。

 バーンは剣に変えて持ち運ぶことができる。

 もしバーンがいなくなれば、この町は竜に襲われる……そのことを知っているのは、自分とロビンだけだ。

 再び竜が現れたら、町はひとたまりもないだろう。生き残った人がいたとして、恨むのは無慈悲にも町を守ってくれなかった巨人機の乗り手に違いない。

 そして、巨人機は金になる。自分で扱えなくても、どこかの王軍や議会軍に売り渡せば、一生食うに困ることはない。


「理由があれば……か」

 我知らず、帰り道を歩く足は速くなっていた。

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